第11話 テロリスト

「申し訳ございませんわ」

 僕とエッバ、クリームヒルトの三人で医局を出るや、クリームヒルトは深々と頭を下げた。クリストハルト教授はまだ医局内部で他の教授たちに頭を下げているらしい。

「無理を言って帝都まで来ていただいて、更に無理を言って魔法医師大学で講義をしていただいたのに、お父様のミスであのような結果に……」

「別にいいよ。君のせいじゃないし、お父さんも悪気があったわけじゃないだろうし」

 彼女に気を使わせないようにそう言うけど、本音はやっぱり悔しかった。

 ろくに医術士の仕事を理解しようともしないのに、あんなに言われて……

「あなたにも、不快な思いをさせましたわ」

 クリームヒルトがエッバにも謝罪するが、

「別に? 怒ってないよ?」

 エッバは僕の腕に豊かに実った果実をいつもより強めに押し付けながら、あっけらかんと返事した。

「な、なんでですの?」

「だってご主人様が何を言われようと、ご主人様はご主人様だしー」

 廊下を歩くうちに、教室の一つから軽い物音がした。

 普段に比べれば軽い音だが、エッバが身を震わせた。

どれだけ気丈にふるまっていても、さっきの医局でのストレスで神経が過敏になっているのだろう。

 僕はとっさに彼女を抱きすくめる。

 背中を撫でながら、フードの中に手を入れて軽く犬耳を撫でてやる。

 そうするうちに彼女の震えは収まっていった。

「私がこうなっても、ご主人様は傍にいてくれる。私を見捨てない。それに比べれば誰に何と言われようと、いいですよー。私があの場で彼らを切り刻んだら、ご主人様は困るでしょう?」

 僕は軽くうなずいた。

「なら、いいんですよー。クリームヒルトさんも、気にしないで」

 普段なら収まっているはずの震えをかすかに残したエッバの背中を、僕はそっと離す。

 すぐにでもこの魔法医師大学から立ち去るために。

 でも、今日はトラブルに見舞われる日らしい。

思えば予兆はすでにあった。

 駅でも、魔法医師大学でも見かけた痕。

 平和な町中に似つかわしくない、印。

 綺麗なものの裏側には常にどろどろとしたものが渦巻いていて。

 それはいつ湧き出るか、誰にも予測できなくて。

 晴天を霹靂が切り裂くように、大学の外から全身を震わせるような轟音が続けざまに聞こえた。

 クリームヒルトが恐怖におののいたが、物音が苦手なはずのエッバは視線を鋭くして軽く腰を落とした。

 同時に複数人の怒声と罵声、そして悲鳴が聞こえた。


下から聞こえてきた銃声に、僕らは窓から下を見る。下から狙われるので窓を開けて身を乗り出したりせず、太陽から逆光になり見えにくい位置から目だけを出す。

 魔法医師大学の門には数人の警備をしていた兵が倒れており、彼らを踏みつけながら数人が突入していた。彼らの後には血塗られた足跡が続き、正門前の花壇は無残にも踏み荒らされている。

どこから手に入れたのか、全員がライフルを構えていた。ゆったりとしたローブのような服を着ているので人間か獣人なのかはわからないが、目だけがのぞく白い覆面で顔を隠している。

魔法医師大学はすでにパニックになっていた。

悲鳴を上げ逃げ惑う職員や学生たちが次々とテロリストに背後から撃たれ、倒れていく。残りの警備兵が応戦しているが、数が少ないためか劣勢で押され気味だ。

教授たちの階は上にあるから彼らは無事だが、下の階にいる事務などの職員や学生が凶弾の餌食となり、倒れていくのが見えた。

無事だった人たちは魔法医師大学の構内へ逃げ込むが、当然テロリストも後を追ってきて、校内で銃声が聞こえ始めた。

 悲鳴と怒号が下の階から飛び交い、それがだんだんと上の階へ近づいてくる。

 エッバと僕はためらわずに近くの空き教室へと飛び込んだ。

 クリームヒルトも遅れて飛び込む。

 僕たちは静かに、そして素早く戸を閉めて教卓の下で息をひそめる。

「わたくしたち、これからどうなるのでしょう……」

 顔が真っ青で全身を震わせているクリームヒルトは、今にもショックで心臓発作でも起こしそうな顔をしている。

でも。

「大丈夫だよ」

 僕はそう確信していた。

「何を根拠に……」

「テロリストは混乱と恐怖が目的で、多くの物的損害を与えるのは主目的じゃない。人数も数人がせいぜいだったし、他の場所に詰めている警備兵もいるはずだし、すぐに逃げるはず。ここまで上がってきたとしても、弾丸が持たないはずだよ」

「何を見てきたようなことを言ってますの!」

「ほら、静かにしよーよ。見つかったら大変だよー?」

 エッバの明るい様子にクリームヒルトは違和感を感じたようだ。

「なぜあなたは、こうも落ち着いていられますの……」

「私たちは、初めてじゃないからー」

 顔は笑っているが、目が笑っていないエッバ。

えもいわれぬ静かな迫力にクリームヒルトは押し黙る。

「それに大きな物音が苦手だったではありませんか。銃声は平気ですの?」

「うん~。人の罵声とか、大きな物音は苦手だけど、なぜか銃声は平気なんだ」

 もう一発、さっきまでより近い位置で銃声が響く。

 クリームヒルトは膝を抱えて震えるが、エッバは涼しい顔をしていた。

というより口角が吊り上がり、目が爛々としてむしろ興奮している感じさえする。そんなエッバの様子に、クリームヒルトが呆れたようにつぶやいた。

「あなた、トリガーハッピーですわね……」

「とりが、はっぴー?」

「トリガーハッピーですわ。軍人の病気というか、癖というか。引き金を引いて銃を撃っていると躁状態になる人たちのことですわよ。あなたは銃を撃たなくてもそうなるみたいですけど」

 クリームヒルトは僕に視線を向けた。怖くて、どうかなってしまう直前の目だ。一人だったら今頃彼女はどうなっていただろうか。

「あなたならもう原因はわかっているのでしょう?」

「大体はね。でも言わないでもいいことだよ」

僕はそれで会話を打ち切った。

 静かになり、周囲の音と声がよく聞こえるようになる。

 悲鳴は下の階から上がっては来ていたが、銃声はもう聞こえていない。おそらく避難してきている人たちのものだろう。

「ほらね。大丈夫だろう?」

 銃声が聞こえなくなることで、クリームヒルトの様子がだいぶ落ち着いてきたように見える。

「君は魔法医師だろ? 落ち着いたら、負傷者を助けに行こう」

 クリームヒルトは返事をしない。

 膝に顔をうずめたままだ。

 何秒待っても、一分近く待ってもそのままだ。

 さすがに心配になってクリームヒルトの肩にそっと触れてみたが、彼女は弾かれたように体を震わせ、そして。

 泣き出した。

 膝に顔をうずめて、子供のように。

 ひくひくと。

 肩を震わせ、大きくえずいて、涙がぼろぼろと落ちて、床が濡れるどころか水たまりに近くなる。

 泣き方がちょっと異常だ。

 シュトゥットガルトで彼女を治療したときもこんな泣き方だった。

「わたくし、子供のころから泣き虫で」

 やっと彼女の口から言葉が出てきた。

「こんな時だからね、仕方ないよ」

 しかし彼女の涙と言葉は止まらない。

「ちが、ちがうんですの、今日が、はじめでじゃ、ないんでず」

「今は、泣いている場合じゃないっで、わかっでいるのに、涙を止めようとしでも、なぜか涙が、どまらなくて。いつもそうで、泣き始めるど、どうじようもなくで」

 彼女はえずき、声が出るのを必死に押し殺して耐えていた。

驚いたけど、彼女の事情を考えれば当然かもしれない。

 魔法医師になるのに相当なストレスがあっただろうし、彼女の場合は顔の湿疹でからかわれたらしい。幼少のころからストレスにさらされ続けた人間はチック、夜尿症、強迫性神経障害、パニック発作など軽い精神疾患になることが多い。

 エッバだってそうだ。

 クリームヒルトの場合はそれがこのパニック発作のような泣き方というだけの話だろう。

 僕は彼女の背中を撫でてあげる。一瞬体を震わせたけど、すぐに受け入れてくれた。

「こうすると、落ち着くから」

 クリームヒルトが嫌がらなかったので僕はそのまま続ける。

 背中の上の方、横の方、真ん中とあらゆるところを撫でる。

 そのうちに背中にある下着の紐が引っかかって、クリームヒルトが声を漏らした。

「んっ……」

 艶っぽい声。

 伏せた顔を少しだけずらし、腕からのぞいた真っ赤な目と頬で僕を睨んでくる。

「もういいですわ!」

 と、僕からばっと離れる。

「それにしてもあなた、撫でるのがうまいですわね」

「エッバで慣れてるから……」

「ご主人様は上手なんだよー。撫でられると、とっても気持ちよく寝られるんだー」

「それにしても」

 気恥ずかしさを誤魔化すように、クリームヒルトは少し赤い顔で咳ばらいを一つした。目と頬は赤いけれど、だいぶ調子が戻ってきたようだ。

「なぜ魔法医師大学を狙ったのでしょう」

「簡単だよ。テロリストは貴族や金持ちが憎いタイプが多い。なら、当然魔法医師だってその中に入るだろ?」

「でも、人を救う神聖な職業の者にまで…… 何という人たちなのでしょうか」

 クリームヒルトは自身の職業を神聖といっても驕りも嫌味もなく、ただ自分の職務への誇りが感じられる。

 でも。

 魔法医師だって、どんな聖職だって、裏側は真っ黒なものだろう? 

世間には秘密にされているけど、メガヒールだって相応の代償があって使えるものだ。

 クリームヒルトはだいぶ落ち着いてきたし、銃声も聞こえてこない。下の階から聞こえてくる声も、廊下から聞こえてくる声も救助を要請したものに変わっている。

 クリームヒルトは落ち着いてはきたけれど慣れない状況と発作の直後のせいか、少し焦っているというか、浮足立っている。このままだとミスを犯しそうな気がして、僕は対策を取ることにした。

「クリームヒルト」

「なんですの?」

 これを言うには勇気がいる。リスクもあるし、場にそぐわない行動かもしれない。

 でも経験上、有効な手段の一つだ。

 僕はクリームヒルトの目をまっすぐに見て、たった一言を告げる。

「パンツ見えてるよ」

 彼女の反応が止まる。

 それから僕の視線と、僕の視線が向かっている場所を見た。

 僕は彼女の背中をさするために斜め前に移動して、彼女は膝を抱えて座っているから。

 当然彼女の太ももと、それを包むタイトスカート、スカートの奥にあるショーツが視界に入っている。

 ちなみにショーツのデザインは彼女の髪の色と違って、飾り気のない純白だ。

「こんな時に何を考えてますの!」

 彼女はとっさに横座りになり、スカートの上から太ももの間を手で押さえた。

「こんな時だから、だよー」

 僕の代わりにエッバが返事する。

「気を張り続けてると、人間壊れちゃうよー? 言ったでしょ、私たちがテロに巻き込まれるのは初めてじゃないって」

 軽い口調ながらも重さを感じさせるセリフに、クリームヒルトが口をつぐむ。

「わかりましたわ……」

 張り詰めていた感情が一度緩んだせいか、だいぶ落ち着いたようだ。これなら大丈夫だろう。僕はそう判断して、隠れているところからゆっくりと出る。

 エッバが犬耳を小刻みに動かし、鼻を鳴らして周囲の様子を探る。

「ライフルを持った人たちは近くにはいないみたいだねー」

 獣人は視力は人間に劣るものの、聴力と嗅覚が優れている者が多い。

 エッバの言葉を信じ、僕たちは空き教室の扉をゆっくりと開けた。




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