第10話 差別ではなく区別。待遇が違うのは当然。

 クリストハルト教授に案内され医局へ入室する。

医局は入る前から独特の、よく言えば神聖な悪く言えば排他的なオーラが漂っている感じで、入り口の前で躊躇してしまう。

だが足踏みしていてもらちが明かないので、クリストハルト教授、クリームヒルトに続いて入室する。

医局とは普通の学校でいえば職員室のようなものだ。

 白衣を身にまとった壮年・老年が分厚い医学書の並べられ、置かれた机の前に座り談笑したり議論したりしていた。その中にはさっきのハイマン教授もいたが、僕とエッバを見ると一斉に怪訝な表情を見せた。

僕の顔を見て、さっきの授業を聞いてくれた人でさえそうだった。

 部外者が入ってきたことを快く思ってはいないのだろう。

彼らと目が合うのが嫌で、視線をさまよわせていると医局の壁に飾られた額縁が目に入った。歴代学長の写真らしく、簡単な経歴と名前が書かれているが、そのうちの一つに目が留まる。

豊かな白いひげを蓄え、丸縁の眼鏡をかけた上品で真面目そうな紳士。

苗字が、アーデレ。

「あれは……」

「お察しの通り、わたくしのお爺様の写真ですわ。誠実で優しい方で、わたくしとよく遊んで、よく魔法医師とはこうあるべきと教えてくださいました。簡単な医学の絵本も見せてくださって、大好きでしたわ」

 過去形でそう言ったので、僕はそれ以上の詮索を避けた。

 それに祖父の写真を見るクリームヒルトの目が悲しげで、申し訳なさを感じたのも気になった。

 祖父にひどいことをしてしまったような。

 取り返しのつかないことをしてしまったような、そんな目だ。

当然のことだろうけど。

「皆さん、この男性は本日一日講師として招き、東方の医学の講義をしてくれたウンラントという方です。教授の皆様にご紹介いたしたく、こちらへ案内しました」

「お忙しいところ、申し訳ありません…… ご紹介にあずかりましたウンラントです。こちらは助手のエッバです」

 クリストハルト教授の紹介で、僕は軽く頭を下げた。

 並みいる教授たちは突然のことに呆然としながらも注目している。

 うう、きまり悪い。

 というか、それだけのためにわざわざ僕を医局へ案内したのだろうか?

それから、クリストハルト教授は軽く唾を飲み込んだ。

並みいる教授の顔を見渡す。

さっきまでと雰囲気が変わった彼の様子に、医局内は水を打ったように静まり返った。

 それから、寝耳に水の情報が僕の耳朶に飛び込んでくる。

「皆さま、このウンラントを一日講師ではなく、非常勤講師として迎えたいと思います」

「聞いてないですよ?」

「お父様?」

「当然だ、今言ったからな」

 医局内部が騒然となる。

 先ほどの講義なら…… という声もちらほら聴かれるが、大部分が好意的な意見じゃない。

 それはそうだ。魔法医師大学にどこの馬の骨ともわからないものを入れることが許せないのだろう。

なにしろ僕は下の名前も、職業も明かしていないのだ。

 一日講師ならまだしも、定期的に授業を行う非常勤講師はそれなりの人間である必要があるはずだ。

 そういった諸々の問題を、彼はどうやって解決しようというのだろうか?

「皆様」

だがクリストハルト教授が一言いうと、場が静まった。

「確かに皆様の不安もわかります。どこのものかもわからない者を非常勤講師として招こうというのですから。だがこの者の知識は、絶対にクランケのためになると保証します」

 クランケとは患者のことだ。

「わが娘の顔を見てください。幼いころより悩まされ、数々の魔法医師や医術士の手を尽くしても治らなかった湿疹がないでしょう?」

「それがどうしたのか?」

 教授の一人が指で机をコツコツと叩いた。

「それを治したのが、彼なのです」

 場がどよめく。

 クリストハルト教授、それを言うのか? 

「一月ほど前、急に完治していたが」

「彼のような若造が治しただと? 冗談だろう」

「しかしクリームヒルト嬢が、かなり若い男に治してもらったと言っていた。冗談だとばかり思っていたが……」

 場の空気が、徐々に僕に好意的なものに変わっていく。

 正直言って、信じられない。プライドの高い魔法医師が……

 しかし僕がクリームヒルトの湿疹を治したことが、それだけ彼らにとって高評価だったのか? 

「ウンラント、だったか」

 教授の一人がとうとう質問してきた。

「どうやって治したのだ?」

 貪欲なほどの、知識への欲求が溢れ出ている。

 どうするか。治し方を言うのは簡単だが、それを言うと医術士だとばれてしまう。

 というか、湿疹を治したという時点でばれないのか?

 いや、自分たちに治せなかった病気を医術士が治せるという発想がないのかもしれない。専門がそもそも違うからそういう事例もあるはずなのに、魔法医師とばかり話しているからそういう発想が抜け落ちてしまうのだろうか。

 だが彼らの頭の回転は速い。時間をおけば気が付くだろう。

 適当にごまかして、誘いも断って、この場を去るしかない。

 しかしどうやって断るか。

 いっそこちらから治し方と一緒に医術士だということもばらしてしまうか。

 僕が色々と考えていると、事態はあちら側から動き出した。

「その質問には私がお答えしましょう」

 それまで黙ってみているだけだった痩せぎすで眼鏡をかけた教授が、声を上げた。

 僕たちを値踏みするような視線で見たり、凄腕のバクテリウム・ヒールの使い手であるハイマン教授だ。

 彼の眼鏡の下の、無機質な視線。

 人をただの血が流れる物体としか見ていないような、不快な視線が僕をとらえる。

「おそらくメディスンヒールでしょうな。使用した薬剤まではわかりませんが……」

 ハイマン教授の言葉に、医局の視線が彼に集まる。

 だが場の雰囲気が変わり始めていた。

 メディスンヒール? と。彼らの違和感がざわめきに変わったころ合いを見計らい、ハイマン教授はとどめのひと頃を放つ。


「学長、この男を講師として招くのですか? この男は医術士ですぞ」

 

 医術士。その言葉を聞いた途端医局にざわめきが走る。

「ハイマン教授、何を根拠に」

 クリストハルト教授が焦りながらも気色ばむが、ハイマンは引かなかった。

「私が根拠を説明するより、本人の口から話してもらったほうが早いでしょう」

「ウンラント殿、まさか本当に?」

 僕に質問をした教授に、僕はしゃべらずに頷いて答える。

正直このアウエーな感じの中では言葉を発することさえきつい。

そして僕が認めたのを皮切りに、教授たちが一斉に罵詈雑言を浴びせ始めた。

「この魔法医師の下位互換が」

「ヒールとメディスンヒールしか使えない分際で、よくも魔法医師大学の教壇に上がれたな」

 授業を肯定的に評価していた魔法医師すら、敵に回っていた。

 何人かは僕の味方をしてくれそうな顔をしている教授もいたが、場の雰囲気に逆らえない感じだ。

 ひどく冷酷で、保身に走る様に虫唾が走る。

だけど組織の中ではそれが正常な身の処し方だ。吐き気がするけれど。

「そんな言い方……」

 反論しようとするクリームヒルトを僕は押しとどめる。

「この男を招いたのは学長ですかな? 今度の学長の選抜選挙を考えさせてもらいますぞ」

 まずいな。

 僕一人が非難されるだけならいいけど、クリストハルト教授にまで迷惑がかかるのは……

 だが僕が考えているうちに、クリームヒルトが声を上げた。

「彼を招いたのはわたくしですわ! わたくしの顔を治せたのはこの方ですのよ! 並の医術士には治せませんでしたが、この方は治せた。文句があるならあなた方がわたくしを治してくださればよろしかったではありませんか!」

 クリームヒルトの剣幕に魔法医師たちは押し黙った。

 同時、痛いところを突かれたことへの怒りも感じる。治せないというのは魔法医師たちにとって最大の恥であり、認めたくないことだ。

 しかし、僕にどうやって治したかと尋ねた教授がくっくと笑い出した。

「何がおかしいのですの!」

「いえ、アーデレのお嬢様。言いにくいのですが、我々魔法医師には日々取り組まねばならぬ重病や重傷への研究があるのですよ。顔の湿疹程度、治せるくらいで偉ぶってもらっては困りますな。まあその御仁が四肢を切断された重傷者の治療にでもあたれるなら非礼を詫びますが」

 言い返せない。

 僕はそんな重傷者は治せないのは、事実だ。

 あくまで医術士であって魔法医師ではないからだ。

 彼らやクリームヒルトとは、住むべき世界が違うのだ。

 場の空気が変わるのを待って、再び彼は口を開いた。

「結論は出たようですな。魔法医師の大学にあって、医術士が教えることはふさわしくありません。それに近々、新任の教授も派遣されてきます、彼の出る幕はないでしょうな」

 僕は黙ってドアを開けて出ていく。今度はクリームヒルトも引き止めなかった。

 ドアを閉めると同時に、中から僕を揶揄する魔法医師たちの声が聞こえてきた。


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