第9話 僕のターン じゃない。
日が中天に差し掛かり始める頃。いよいよ、僕が授業をする時間が来た。
「こちらですわ」
血を吸い続けてきたような深紅の髪で白衣を彩ったクリームヒルトが一つの教室の扉を開けた。
扉に使われているイチイの木の木目が僕を睨んでいるような錯覚に陥る。
対象は基礎医学を学ぶ一年と二年生。
通常は教養の授業を行う、大教室を借りて行われる。
講師が立つスペースが一番低い位置にあり、そこから階段状になった床に座席が配置され、生徒が座る席が後方ほど高い位置にある。
そして生徒の更に後方、白衣を着た教授たちが立って僕の授業を聞きに来ていた。
正直、白衣を着た人間が数人並んでいるだけでもプレッシャーがすさまじい。
助手として参加したエッバが、僕が昨日作った資料を配り終わったのを確認して僕は教壇に上がった。
「今日は急な話だが、一日講師としてウンラントという方を招いた。普段の医学とは違う、東方の医学の講義を行うので皆楽しみにするように」
クリストハルト教授の紹介の後、僕は挨拶する。
「ご紹介にあずかりました、ウンラントと申します。今日は皆さんに講義ができることを、心待ちにしておりました。皆さま、よろしくお願いします」
そう自己紹介し、僕は深々と頭を下げる。
オーラフという名前は、この国が絶対王政だった頃人気だった名だ。
田舎ではまだ名づける人もいるが、王政に対して反感を持つ人間が多い帝都で名乗るのは避けたほうがいいだろう。魔法医師大学ではもう一つの心配もあるし。
僕をとらえる、学生の目、目、目。
僕を値踏みする目、僕に期待する目、そして僕を訝しむ目。
あまり好意的と言えるものは少ないが、仕方ない。いきなり特別授業、しかもそれを担当するのが彼らと同じかそれよりも年下に見える僕みたいな人間ならなおさらだ。
プライドの高い魔法医師大学の学生だし、変な人間に教わりたくないという思いもあるだろう。
でも、負けてたまるか。
僕は深呼吸を一つして気持ちを落ち着けた後、授業を始めた。
東方の医学一般についてテーマとして選んだのは、ヨクイニンの使用方法など、治療している病気がばれてしまい自分が医術士だと宣伝しているようなものだからだ。
東方の医学は人間の体質を重視し、食物や季節などの環境などでそれが左右され、バランスが崩れると病気になると考える。それを調整するためヨクイニンなどの薬だけでなく、呼吸法や運動など様々な養生法が伝えられている。
一方この国の医学は血圧や脈拍など基準値が決められ、それから外れた状態を高血圧や高熱といった具合に病気とみなすことが多い。対処としては科学的に作り出した薬物やヒール・メガヒールなどの魔法が中心となる。
この国でもハーブなど自然の食材そのものを薬として使うことがあるが、戦場で発生する重傷者や感染症に重点が置かれることでそういった技術はほとんどが失伝してしまった。
そうやって授業を進めていくうちに、はじめは聞きなれない用語に戸惑っていた学生も、もともと頭が良いせいか徐々に話に入り込んでくる。
授業の合間に質問が混ざり始め、さらに詳しい質問が飛んでくる。
現場で使っている知識を授業にして正解だった。そうでなかったらとても答えられないと思う質問がかなりあった。
後ろで聞いている教授たちも、意外なことに耳を傾けていた。
魔法医師は急性の外傷や感染症などを診ることがほとんどだし、体質を改善し徐々に病気を治していくという東方の医学になじみがなく、物珍しく感じるせいだろう。
「ではこれで授業を終わります。本日はご清聴ありがとうございました」
教室の目線がすべて僕に向いていることを確認して頭を下げた。
安堵して、大きく息をつく。
やり切った感というか、とにかく無事に終わってほっとした。野次とかとんでくるくらいは覚悟してたんだけど。
でも頭を上げたそのとたんに、教室中から拍手が沸き起こる。
一泊遅れて僕に贈られた拍手だというのがわかり、じわじわと喜びがこみあげてくる。
隣に立っていた助手のエッバも自分のことのように喜ぶのが伝わってくるが、さすがに場に合わせたのか僕に抱き着くようなことはしなかった。だけどフード付きのマントがかさかさと動き、服の下で尾が揺れている。喜んでいる証拠だ。
後で頭を撫でてあげよう。
教室の後ろにいたクリームヒルトやクリストハルト教授も、他の学生たちと同じように拍手してくれていた。
クリームヒルトは喜色満面、クリストハルト教授は何かを決心したかのような表情だったけど。
「本日はお疲れさまでしたわ」
授業が終わった後、数人の学生から質問を受けた後に教室から出るとクリームヒルトがそう声をかけてくる。
「それじゃ、屋敷に戻ろうか。明日はエッバと帝都を観光して回る予定だし、早めに休みたい」
これ以上魔法医師大学にいたくない。気疲れするし、どうも慣れない。
しかしそれを聞いたクリームヒルトは驚いたように声を出す。
「もう帰るんですの? 魔法医師大学の中をもっと案内して差し上げますわよ」
「そうだけど、これ以上いる意味もないし。見学も授業も終わったしね。それに僕の正体がばれるリスクもある」
「それはそうですけど……」
僕は彼女にこれ以上言われないうちにエッバとともに足早に外へ向かおうとする。だけど教室の後ろの出口から出てきたクリストハルト教授と鉢合わせした。
「先ほどの授業は素晴らしかった。ウンラント君!」
彼はそう言って僕の手をがっしりと握る。農民や労働者の手とはまるで違う、魔法医師独特の固くも細い指。
魔法医師学長からお褒めの言葉をいただくのは名誉なことだけど、一介の医術士には不似合いな待遇にも感じられて複雑だ。
ここが廊下で、すれ違う学生や教授もいるというのに。
学長が一日講師と握手をしてる?
彼、いったい何者なんだ?
やんごとなきお方かしら。
周囲のひそひそとした話し声が痛い。
こういう風に珍しい知識と巡り合ったときに我を忘れたように夢中になるのは、クリームヒルトとそっくりで親子なのだと感じさせた。
それから彼は、他の教授にも紹介したいと僕を医局へ案内しようと言い出した。
「お父様……?」
さすがのクリームヒルトも目を丸くしていた。
医局とは魔法医師の控室のようなところで、魔法医師のたまり場だ。そんなところへ入っていくなんて冗談じゃない。気づまりしそうだ。
魔法医師の聖域兼たまり場で、医術士なんてそこにいていい人間じゃない。
だけどすっかり上機嫌な彼は、僕の言葉など耳に入る様子がなかった。
まずいな…… このままだと断りづらい。
しかし今の状態に最後の一押しをしたのは、意外な人物だった。
「いーじゃないですかー、行きましょー。ご主人様にはいつも堂々としていてほしいんですー」
エッバの声の調子はいつもと同じだけど、僕にだけわかる陰を感じた。
僕の態度を見て、不安に感じたのかもしれない。彼女の心はひびの入った卵のようなもので、ちょっとしたことで壊れてしまう。
「わかりました。行きましょう」
僕は観念して、いたたまれない場所へと足を踏み出す。
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