第18話 主人公の正体
クリームヒルトはそれを聞いて、薄明の下でもわかるくらいに顔を真っ青にした。
しまったと思うけど、もう遅い。
「なぜそれを……」
だがクリームヒルトがそれ以上の言葉を言う前に、場が騒がしくなる。
ハイマン教授を先頭に、数名の教授たちが駆けつけてきたからだ。
彼らは頭が吹き飛んだ死体と、血にまみれて倒れているエッバ、それに体を痙攣させて吐しゃ物の中に倒れているインテリという惨状を見ても冷静だった。
修羅場慣れしているだけはある。
「どうして、ここに……?」
「なにやら騒がしかったのでな。治療もひと段落したし、それより……」
ハイマン教授が迷いなくエッバの元へ歩き出す。血で白衣が汚れるのにも構わず彼女の傍に膝をつき、撃たれた太ももを診た。
「興味深いな。これだけの出血量だというのに、まだ意識があるとは。人間は全血液の四割を失うと死亡するといわれるが、獣人は人間と体の仕組みが根本的に違う可能性があるのか……」
こんな時だというのに、研究者目線。
その態度にこいつに毒ガスをくらわしてやりたくなった。だが。
「メガヒール」
獣人であるエッバにためらいなくメガヒールを使った。宵の群青色に染まった世界を照らす、青い光がエッバの傷口を包み込む。 大量に失った血液がメガヒールで創造されたことで、失血性のショックからも回復したらしく蒼白だった顔面がうっすらと紅潮し、血液とともに水分が補給されたためか皮膚の色つやも良くなった。
「何を? 獣人などに、貴重なメガヒールを」
そう口にした教授を、僕は睨みつける。
疲労していなければ殴りつけていたかもしれない。
「な、なんだ。その目は。医術士風情が、魔法医師にそのような目を向けるとは」
腰が引けているのに、言葉だけは尊大だった。
「何を言いますか」
ハイマン教授は、エッバを診るときもその教授を見るときも、血に染まった地面を見るときも変わらない表情で淡々と言った。
「メガヒールで救える命なら、救ったほうがいいでしょう。それに獣人は人間と比較して数が少ない。奴隷の子孫と蔑まれ、医療のデータも不足しているではありませんか。貴重なサンプルは生かしておいたほうがいい」
一瞬でも見直した僕がバカだった。
こいつはあの時から、全然変わっていない。
「それにしても」
ハイマン教授がわずかだが、初めて相好を崩した。微かだが口元が緩み、目じりが垂れる。
眼鏡の奥の無表情が初めて変化したのが見て取れた。
「さすがだな」
ハイマン教授が僕に対してそう言ったので、耳を疑った。
「見ていたぞ。メディスンヒールをあのように使うとは。あれは私にも無理だ。実に面白い。さすがは魔法医師大学の基礎教養課程で首席だっただけはあるな。貴様に俄然興味がわいたぞ」
クリームヒルトが唇を震わせながら、かすれる声でつぶやく。
「基礎教養、常に首席……?」
「……ハイマン教授、覚えていたのか」
苦い記憶に耐えるために、僕は唇を噛み締めて拳を握りしめる。
「特に思い出すほどの価値もないが、忘れるわけがないだろう。基礎教養過程ではトップの成績を叩き出しながら、いざとなると逃げ出した愚か者の顔だ。面影はほぼ消えているが私の目はごまかせん。それに数年後、医術士の試験会場近くで貴様の顔を見かけたからな」
「逃げ、だした……? あなた、やはり」
クリームヒルトはいったん言葉を切り、僕の顔を真正面から見た。
「今思えば、なぜ気が付かなかったのでしょうね…… 面影を残していなくても、わたくしよりも、魔法医師の誰よりも美しいヒールの光。そんなヒールを使えるのは、一人しかいませんわ」
「あなた、オーラフ・ウンラントですわね……?」
その名前を聞いた途端に、教授たちの一部からざわめくような声が漏れる。僕のことを覚えていた教授もいたのか。
「クリームヒルト嬢。それにハイマン教授、彼を知っていたのですか?」
ハイマン教授は表情一つ変えずに頷いた。
「オーラフ・ウンラント。かつて魔法医師大学の基礎課程の首席にして、メガヒールの習得を諦めて突如退学した男。それが彼ですな」
「ハイマン教授、わかっていたならなぜそれを早く言わなかった?」
他の教授が詰め寄る中、ハイマンはぶっきらぼうに答えた。
「私は医学の研究と実践以外に興味がないので」
クリームヒルトが僕に詰め寄る。
「オーラフ、なぜ言わなかったのですの?」
「……今更どんな顔をして、君と話せばいいのかわからなかったから」
「そう、ですわよね」
「面影が変わって、気づいてないみたいだったからそのまま通そうと思った。でも魔法医師大学を辞めてから、いつか君ともう一度会って話がしたいってずっと思ってた」
その言葉を聞いてなぜかクリームヒルトは胸をおさえ、視線を泳がせた。
医学についてまだまだ話したりなかったから、そう言ったんだけど。
「だからばれるリスクを負ってまで、もう一度このシュトゥットガルトに来たんだと思う。自分にいろいろ言い訳をしたけれど、結局は……」
君とあんな形で別れてしまったことが、ずっと心残りだったから。
どんな形でも、少しでもあの時の時間を取り戻したかった。
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