第19話 回想1

 僕が医学の道を志したのは、いつ頃からだったろう。

 両親が病気で死んだのを見たときからか。

 魔法医師の人が絶大な尊敬を集めているのを目の当たりにした時からか。

 とにかく、物心ついた時には医学の道へ進みたいと思った。

 しかし周りの大人たちは猛反対した。

 曰く、魔法医師になるには莫大なお金がかかる。

 曰く、魔法医師大学は定員のほとんどが貴族や、魔法医師の家系で占められている。

 平民の僕が行っても周りとなじめずに辛いだけだと。

 成績を上げればもっと楽にお金を稼げる道はいくらでもある、と言われた。

 でも医学の道を諦めきれず、特待生の制度が魔法医師大学にもあることを知り必死に勉強した。

 幸い勉強は嫌いではなかったし、魔法医師になって、自分の親と同じような病気にかかった人を治療して「ありがとうございます」と感謝されるシーンを想像しただけで頑張れた。

 今考えると、浅はかで愚かな考えだけど。

 医術士になる道も考えたけど、どうせなるならすごいほうの道に進みたいと思って魔法医師になろうとした。

 そして猛勉強して、少しでも早く魔法医師になりたかったから飛び級に飛び級を重ねて、十代前半で魔法医師大学へ合格した。

 住んでいたハイデルベルクを出て、帝都シュトゥットガルトの魔法医師大学の寮に入寮する。そこの寮母さんはかなり高齢で心臓に持病を抱えていたけれど、炊事・洗濯・寮生の健康管理などいろいろと気遣ってくれた優しい人だった。

 でも魔法医師大学は合格しても、基礎課程二年、本科四年、インターン二年の計八年も勉強しないといけない恐るべきところだ。

 他の特待生組は受験勉強に疲れ果てて燃え尽き症候群になったり、奨学金もらって遊んだりする人も多い中で僕はまた勉強した。

やっとやりたい勉強ができた。

自分でやりたいと思ったことができるのはどんなことでも楽しい。

夢に向かっているという実感が持てているのは嬉しい。

逆に遊びでも、遊べと言われて遊ぶのは気分が悪かった。特に街へ出かけると、魔法医師大学生というだけですり寄ってくる人間には吐き気がした。僕の年齢がかなり低かったから馬鹿にされることもあった。

そんな人間から逃げる理由もあって、僕は魔法医師大学に入ってからもひたすらに勉強した。

周りが遊んだり、社交に精を出したりするときも勉強していたせいか成績だけは上がり、何の因果か主席にまでなった。

でも付き合いが悪いうえに、遊んでいる年上の同級生たちとも話が合わず、気が付けば僕はぼっちだった。

 主席になってしばらくした日。教室でいつも通りぼっちで勉強していた僕の下に。

燃えるような赤い髪の、顔に湿疹が目立つ女の子が僕の名前を叫びながら怒鳴り込んできた。

 他の学生よりはるかに若い外見。僕と同じくらいだろうか? それに深紅の髪。僕と同じように飛び級を重ねて入学した、アーデレ家のクリームヒルト嬢だとわかった。

魔法医師の名門の家系で、入学式には新入生代表も務めていたからよく覚えている。

だけどこんな平民の僕に何の用だろうか? 

 僕が考えている間にも彼女は僕の席にずかずかと近寄ってきて、開口一番僕に質問をぶつけた。

「あなた、わたくしを一度ならず二度までも負かしましたわね。一体、どうやって勉強しましたの?」

 そう言われても、答えようがない。

 勉強の総量で言えば魔法医師を親に持つ人のほうが、医学の勉強はしているはずだ。

「わかんないよ、そんなの……」

 としか答えられなかった。

 この勝気な子のことが怖かったのもある。女の子相手に怖いというのも情けないけど、怖いのだから仕方ない。

 でもそう言うとクリームヒルトはますます怒りをあらわにした。

「なんですのその煮え切らない返事は! 決めましたわ、今日の放課後図書室に来なさい! そこであなたの勉強法を見てやりますわ!」

 僕はびくっと震えて、うっかり首を縦に動かしてしまったので、彼女にそれを了承の返事ととられてしまった。



 その日の放課後。二人で勉強すると、彼女の勉強法に違和感を感じた。

 彼女は教科書を、鬼気迫る目で読んでいるのだ。

 真剣なのはわかるけど、ちょっと違わない?

「ねえ、クリームヒルト」

「今話しかけないでくださいます?」

 クリームヒルトが甲高い声で遮ったけど、どうしても言いたいことだ。

「そうじゃなくて、君、医学の勉強が楽しくないの?」

 あっけにとられた彼女の表情。僕は何か変なことを言っただろうか?

「魔法医師になれるための勉強だよ? 今までの受験勉強みたいな、何の役に立つかわからない無味乾燥な勉強じゃない」

「夢に向かうことが実感できることが、楽しくない?」

 僕が言い終わると、クリームヒルトは黙ってしまった。

 反応をうかがうけれど、俯いた彼女の顔は深紅の髪の陰になって表情が読み取れない。

 言い過ぎただろうか。

 彼女には自分なりのこだわりがあるはずなのに、僕の意見を押し付けて怒らせたのだろうか。

 僕がそんな風にテンパっていると、彼女は自嘲めいた笑みを浮かべた。

「面白い考えですわね…… でも、実技では負けませんわ。ヒールの魔法は、もう習ったのでしょう?」

 彼女はそう言って、自分の指を噛んで軽く血を出した。

「何を……」

「周りではみな勉強していますわ。お静かになさい。あなたのヒールとわたくしのヒール、どちらが上かはっきりさせて御覧に入れますわ」

 クリームヒルトはそう言って、自分の指にヒールをかけた。

 若草色のような鮮やかな緑色の光が、傷口を包み込む。彼女の指についていた傷は、もうなくなっていた。

「どうですの! 負けを認めるのなら今のうちですわよ!」

 他の学生がヒールの発動が不安定だったり、枯草のように濁った光のヒールしか出せなかったりする中で彼女のヒールは間違いなく一級品だ。

 下手をすると、教授たちにも引けを取らないかもしれない。

 僕も同じように指を噛んで、軽く血を流した。

「ヒール」

 青々とした麦畑、実りの季節の前の生命の躍動。そんなものを感じさせるような光が僕の手から溢れ出て。

 その光に包まれた僕の傷は、彼女よりも遥かに早く、正確に傷を癒した。

 それを見たクリームヒルトは、ただ茫然としていた。悔しいとか、そういった感情が全く見当たらない。

「どう、やりましたの……?」

 つっかえつっかえ声を出す彼女に、僕は語った。

「傷の構造、治療に関しての生理学、そんなことを勉強しながら、ごく自然に使ってみた。一生懸命治そうとしてもかえって変な光になったから」

 それを聞いたクリームヒルトは、一度薄く笑い、それから天を仰いだ。

「完敗ですわ」

 次に僕を見た彼女の目は、憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。

「今、わかりましたわ。なぜわたくしが、あなたに勝てなかったのか」

「アーデレ家の名に恥じぬよう、と思いすぎていたのですわね……」

 なんだかよくわからないけど、納得してくれたようでなによりだ。

「答えが見つかって、良かったね。じゃあそろそろ遅いし、僕はこれで」

 勉強道具をまとめて立ち上がると、クリームヒルトは慌てたように僕を呼び止めた。

「あ、あの。ご迷惑でなければ、また勉強に付き合っていただいても?」

 少しトゲが取れた感じの彼女。

なぜだか、そんな深紅の髪の少女が気になって、僕は頷いていた。

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