第17話 古傷を抉る


 僕の目の前に長い影が落ち、白い覆面で顔を隠した男が目の前に立っていた。銃口から熱で陽炎が立ち上るライフルを持っている。

こいつが、エッバを撃ったのか。だが猛者と比べると線も細く、背丈も僕と同じくらい。ライフルを構えるよりも眼鏡をかけて本でも読むと似合いそうな、どことなくインテリな感じがした。

こんな奴が、あれほどの技量を持っていたことに驚愕する。

 でもなぜ僕たちの前に姿を現したのか? 狙撃手は姿を見せないのが第一のはず。

 なぜ僕たちに発見されるリスクを冒してまで近づいてきたんだ?

「同胞を倒した者を先に撃ったのですが、獣人でしたのでね、様子を見に来たのですよ」

 インテリはゆっくりとエッバの傍に腰を下ろすと、いとおしそうに彼女を見た。

「かわいそうに。人間に奴隷にされているのですね」

インテリが頭からかぶっているフードを取ると、獣人特有の犬耳が現れた。

白っぽい灰色の犬耳を持った獣人は、エッバに優しく語り掛ける。

「撃ってしまって申し訳ありません。すぐにその魔法医師に治療させますからね。そして奴隷から解放してあげます」

 僕は穏やかな物言いに呆気にとられた。

人を撃っておいて何を言っているのか、こいつは。

「何をしているのです、早く治療なさい」

 インテリは穏やかな口調で、白衣をまとったクリームヒルトに命令する。

「もうメガヒールを使える魔力が残ってないのですわ……」

 彼女の震える声に、インテリは顔を歪めて吐き捨てた。

「役に立ちませんね……」

 涙目の彼女から目を離し、再び穏やかな顔になってエッバを見る。

 だがエッバは、地面に倒れたままインテリを睨みつけた。

「私は、ご主人様の、奴隷なんかじゃない……」

 だがインテリはエッバの発言を一笑に付した。

「人間の奴隷にされた獣人は、そう言う者も多いのです。奴隷としての待遇に慣れて、自分がかわいそうな立場だとも気づかない」

確かにそういう獣人もいるが、極論すぎる。

こいつは思い込みが激しくて、純粋で、自分と違う人間の意見を聞かない。

他人を自分の価値観だけで不幸だと決めつけるタイプだ。

「かわいそうに、すぐ解放して差し上げます」

僕のほうを見て、憎しみを凝固させたような目つきになり、顔を醜く歪めた。

「あの男が主人なのですね?」

 インテリはライフルの銃口を僕に向けた。そのまま引き金を絞ろうと、人差し指に力をこめるのが指の筋肉の緊張でわかる。

 やるしかない。

 でも僕が覚悟を決める前に。

「や、めて……」

 エッバは血の噴き出る足を引きずって、インテリを止めようとした。

 手は届かない。でも、ずりずりと、地面に赤い血の跡を描きながら、それでも這い寄ろうとして。

 インテリが初めて驚愕に満ちた表情を見せた。

「ご主人様を、傷つけないで……」

 その気迫に気圧されたのか、インテリはいったん銃口を下ろす。

「なんで、こんなことをするの…… 普通に暮らしているだけの人を傷つけて、ご主人様まで傷つけようとして」

 エッバの必死の呼びかけに対し、インテリは淡々と答えた。

「皆が平等に暮らせる世界を作るためです。心は痛みますが、そのために必要な犠牲です」

 喋るのも辛そうなエッバに代わり、僕が問いかける。

「それで、その平等な世界っていうのはどうやって創設するの?」

「簡単ですよ。まず上にいる腐った無能な獣人差別主義者を粛清します。それから我々のような平等を愛する獣人が、我々に賛同する人間と協力して理想の国を作るのです。それが我々『グライヒハイト』の偉大にして崇高なる目的」

 粛清。我々に賛同する。理想の国。崇高。

 胡散臭いセリフばかりだ。

 エッバが血の気がすっかり失せた顔で笑っていた。

「何がおかしいのです」

「それはおかしいよー。上の人間を追い出して自分たちが取って代わる? それってあなたたちがいつも『貴族死ねー、国王くたばれー』って言ってる人たちの権力争いと同じだよー」

「……我々をあのような卑しい差別主義者どもと一緒にしないでいただきたい」

 インテリの表情が一瞬だけ歪んだが、すぐに元の調子を取り戻し、エッバに笑いかけた。

「理想の国は必ず作りましょう。あなたもその国で暮らすのです。あの男や、卑しい女魔法医師などとは縁を切って」

「卑しい……?」

 今まで泣いてばかりいたクリームヒルトが、初めてインテリを睨みつけた。

「取り消しなさい! 魔法医師は、人々を病と怪我から救う崇高な職業ですわ! わたくしはわたくしのお爺様から、お父様から、その思いを受け継いだのです!」

 お爺様。

 彼女のその口調から、その目から、祖父に対する愛情と尊敬の念が伝わってくる。

 だが、崇高な職業。その言葉を聞いた途端、ライフルを持ったテロリストの手が震えるのがわかった。

「崇高? 魔法医師がですか?」

 クリームヒルトに対し、僕に向けた以上の憎しみを向ける。彼女はそれだけで腰が抜けたのか、しゃがみこんでしまった。

「私や私の母は獣人というだけで魔法医師に治療を断られたことがあります。貴重なメガヒールを獣人などに使う必要はないと」

「彼らの私を見る目は今でも忘れません。朝起きたときも、寝る前も、夢の中でも、思い浮かんできます。そして私の母は負傷後の敗血症で死亡しました」

「我々獣人には選挙権もない、大学の入学資格もない。そんな差別を肯定する世の中を支配する階級の者たちは全員死すべきです」

 さっきの淡々とした口調が嘘のようにまくしたてる。熱い思いをみなぎらせて。

でも、顔を真っ青にして冷汗をかいたエッバがそれをばっさり切り捨てた。

「あはは、頭悪いね」 

「きれいごとばかり言って、人を傷つけるのを正当化して」

「あなたなんかよりクリームヒルトさんのほうがいい人だよー」

「黙りなさい!」

 インテリが初めて激高した。

「持てる者、上に立つ者、恵まれた者、そういった者たちは皆驕り、高ぶり、他者を見下すのです!」

「それじゃ、持たざる人、下にいる人、恵まれない人はどうなの、かなー。そういう人たちは他人を追い落としてやろうって人ばっかりだったよ? 施設でもそうだった。持てる人の方がまだマシ……」

「黙れえエエ!」

 インテリは自分の意見を否定されてキレたのか、血を流して地面に伏せていたエッバを蹴り飛ばした。

 エッバは口から濁った血を吐きながら地面を転がり、咳をするたびに口から血が溢れ出る。その惨状を見たクリームヒルトからエッバが撃たれた時以上の悲鳴が上がる。

 頭の中で、何かが切れた。

「魔法医師は崇高じゃない、か。そうかもしれないね」

 自分でも驚くほど低い声が出た。

「あなた、何を……?」

「見下して、裏ではえぐい実験やって、高い授業料取って。ろくでもないかもしれない。君の言うことにも一理あるよ」 

 僕はインテリの目を見て、意見を肯定して、お前と自分は同類だという雰囲気を醸し出す。

「おお! 同志よ! やっと理解してくださったのですね!」

 インテリが豹変したように急に態度を変える。その有様にクリームヒルトは目を白黒させたが、別におかしくない。

 思い込みが激しくて、他人の意見を聞かず、人に自分の考えを認めてもらえないタイプの人間は、共感すると簡単に心を開くからな。患者にも似たような奴がいた。

 そのまま倒れ伏したエッバの傍に腰掛ける。

 地面に広がる血だまりと、這いずった血の跡が痛々しい。

「治療していい? そこの魔法医師は魔力が尽きて、もうメガヒールが使えないから」

「役立たずですね」

 二人がかりでそう言われ、クリームヒルトはまた泣きだした。

「しかし我々の理想に共鳴しない、こんな獣人を生かす価値はないのでは?」

 インテリのそのセリフに、僕は。

殺す。

 そう言いたいのをこらえて、優しく語りかける。

「この獣人は僕が説得するから」

「……わかりました。とりあえず信じましょう」

 そう言いながらも、僕にライフルの銃口を突き付けた。

 用心深いな。

 エッバが治ったら、また襲ってくるかもと思っているのか。そんな心配はないのに。

「ヒール」

 僕の手から緑色の光が溢れ、エッバの太腿に空いていた穴がある程度ふさがる。

 とりあえず出血は止まった。これでしばらくは持つだろう。ぎりぎりだった。後十秒治療が遅れていたら、助からなかったかもしれない。

 だがメガヒールと違って失った血液は戻らないし、損傷した太腿の骨もそのままだから腫れも引いていないし顔が青いままだ。

 僕にメガヒールが使えたら、治せたのだろう。

 でも僕は魔法医師ではなく、メガヒールが使えない医術士になることを選んだ。

 自らの意志で。

 エッバの応急処置を終え、僕はインテリに向きなおる。

「魔法医師が、崇高な職業じゃないって言ったよね? でもそれは、医術士だって同じなんだ」

 僕はポケットから試験管を取り出し、コルク栓を外す。特徴的な臭いが漂った。

「? その臭い、それは飲料水の腐敗防止の薬品と同じ臭いですわね」

 クリームヒルトの言葉に、インテリは顔に疑問符を浮かべる。

「何をするのです? それで消毒でもするつもりですか?」

 僕はそれをインテリの顔へ向かってゆっくりと投げる。

 突然のことで、彼はとっさには反応できていない。

 というより、顔に当たる前に地面に落ちるくらいの投げ方だから警戒すらしていないのか。

「さっきお前は、必要な犠牲といったね? じゃあ自分が犠牲になることも覚悟してるね?」

 僕は魔力を込める。試験官の中の液体が黄色く輝き。

「メディスンヒール」

同時に、黄緑色のガスが噴き出した。

「はあ、なんですかこれは? 目くらまし?」

 インテリが馬鹿にしたような声を上げるのがガス越しに聞こえる。

 ガスは火山でも火事でも白か黒だ。色付きのガスなど、化学の専門家でもなければめったにお目にかかることはない。

 だからこそ、用心深いはずのインテリが判断を誤ったのだろう。

 黄緑のガスをわずかに吸い込むやインテリの状態が急変した。

 まず、猛烈な咳が出た。

 風邪の咳などとは比べ物にならない。常人が呼吸をする回数は一分間に十数回だが、それをはるかに上回る頻度と速度で咳をし、鼻から鼻水が垂れ、口からは痰が出る。

 当然呼吸などできようはずもない。

 さらに目は白目が充血し、一瞬にしてただれ始めた。

 傷ついたものを前にした魔法医師としての本能か、クリームヒルトが駆け寄ろうとする。

「近寄らないで! 巻き込まれるぞ!」

 僕の警告に彼女は歩を止めた。

 あと一歩近づいていたら、彼女も同じ運命をたどっていただろう。

 そうしている間に、彼は嘔吐し始め、吐しゃ物に体を突っ込んでうつぶせに倒れた。

 指先も動かなくなる。どうやら意識を失ったらしい。

「な、何が……」

 クリームヒルトはメディスンヒールを使って人がのたうち回ることに呆然としているが、別に不思議じゃない。

「メディスンヒールの力で、とある薬の濃度を調整しただけだよ」

「薬……? あれが、ですの?」

「魔法医師大学にあっただろ? 塩素だよ」

 塩素。

 午前中に見せてもらった、水の腐敗を防ぐための薬品だ。それと同じものをハイデルベルクから持ってきて、メディスンヒールで濃度を調整した。

塩素は水分と結びつくと塩酸と化し、有機体を破壊する。

細菌に対しては殺菌作用として働くが、その作用機序は人体に対しても変わらない。

 呼吸器に侵入すれば気管の水分と結合して塩酸と化す。それによって気管を、目の網膜の水分と結びつけば網膜を酸で破壊できる。

「僕が初めてメディスンヒールを使ったときのことは覚えてる?」

「ええ…… わたくしの湿疹を治したときですわよね。なぜガス状になるのか、疑問でしたけど」

「いざというとき、こうやって使うためなんだ。僕は『毒ガス』って呼んでるけど」 

僕も昔、テロに巻き込まれた人間を見た。

 怖くなり、身を守る方法を身に着けたいと考えた。

 周りの人間や患者はそこまで考えなかった。どこか楽観的で、周囲でテロが起こっても自分だけは大丈夫と考えている節がある。

 でも医学の勉強をしたせいで人が傷ついて、傷口を見ればどういう風に怪我をしたかリアルに想像できてしまう僕はとても他人事とは思えなかった。

 まず第一に考えたのは拳銃や剣など護身用の武器を持つことだ。

 いざというときに法律や警察はすぐ僕を助けてくれないから。助けを呼びに行く間に、傷つけられたり、殺されたりすることもあるだろう。

 だが勉強ばかりしてきた僕は武器の扱いなんて上手いわけもなく。素手よりは多少ましだろうが、武器を相手に奪われればもっとひどい結果になることは目に見えている。

ならば武器を使わない、ボクシングやレスリングといった素手の格闘技を習うにしても、武器以上に体格がものをいう世界では僕みたいな貧弱な人間にはとても向いていない。

 なら強い人間を横においておけばいい。エッバを助手にしたのはそのためもある。

 エッバは獣人だ。獣人はかつて西の大陸から奴隷として連れてこられ、多くが糞尿垂れ流し、ろくな食料もない輸送船内で命を落とした。命からがらこの地に渡ってきた者も過酷な労働で病気になるか命を落とし、天寿を全うできたものはほとんどいない。

 淘汰されてきた血統のたまものか、人間とは比較にならないほどの運動神経を持ち、傭兵や曲芸の分野で活躍するものが多い。

 だがエッバが傍にいない場合もある。もしその時に身に危険がせまったら?

 自分の手持ちの、ヒールや医学知識で身を守る方法はないか?

 そう思った末に出来上がったのがこれだ。

 他の薬でも試したが、容易にガスになること、効きが早いことなどから塩素が一番いい。

 クリームヒルトは倒れたインテリを見て唖然としていたが、僕のほうに向きなおると憎しみを込めた視線で睨みつけた。

「あなた、人を癒すための力で何ということを」

 理想が高い彼女にしてみれば、医学を殺傷に使うなど許せることではないのだろう。

 でも。

「毒と薬は紙一重だよ。量が毒を成す。薬だって、量次第で毒になる。薬理学の授業で教わるだろう? 独学の混じってる僕より、大学で勉強した君のほうが詳しいはずだ」

 僕は震える手を握りしめ、努めて平然と言う。

「治す技術は綺麗なものばかりじゃない。魔法医師にだって、覚えがあるだろう」

彼女は一瞬だけ動揺したが、すぐに強気な調子で食って掛かった。

「あなたに魔法医師の何がわかりますの! お爺様を貶めるような発言は取り消しなさい! 一体何を根拠に……」

 それからも彼女は口々に僕をののしる。

 普段の彼女なら絶対に言わないようなセリフまで。

 彼女も緊張で疲れていたのだろう。

 それはわかっていたはずなのに。

 僕も疲れていたのか。

 つい。

 彼女に対し決して言ってはならない、彼女の古傷を抉る言葉を言ってしまった。


「お爺様、お爺様って…… 君は自分のおじいさんに何をしたのかもう忘れたの?」


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