第16話 エッバの過去

「よくやったぞ、エッバ」

「えへへ…… ご主人様のためだもん」

 命がけの戦闘の直後だというのに、頭を撫でられたエッバは顔を赤くしていた。

「今のは……?」

 頭が追い付いていないというか、まだ混乱している様子のクリームヒルトに僕は簡潔に答えた。

「隙を作るための嘘だよ。人を治すのが医術士なのに、あんな奴に手を貸すわけないだろ?」

「それもありますけど、そうじゃありませんわよ、エッバさん、あなたは……?」

「私はちょっと強いだけの普通の獣人で、ご主人様が大好きなだけだよー」

「でも、いくら身体能力に秀でた獣人といえどもすごすぎません?」

「別に弾丸見てかわしてるわけじゃないからねー。音の速さを超える物体をかわすのは、私でも無理だよー。単に銃口の向きと射手の全身の筋肉の緊張から弾道を予測しただけー」

「それでも、十分すごいですわよ……」

 クリームヒルトが呆れたように言った。

「どうやって、そんな技術を身に着けましたの?」

 僕は返答に窮する。

 エッバの事情は、そう簡単に話していいものじゃない。

 でもテロリストに発見された後で、エッバの動きを見られた。

 下手な疑いをかけられるかもしれない。

 僕が迷っているのを見て、エッバが薄く、悲しく笑うのが横目に見えた。

「いいよー。クリームヒルトさん、悪い人じゃなさそーだしー。それに見られちゃったしね、聞いてもらおーよ」

 エッバは自分の過去を語り始める。



 エッバの家は、虐待が当たり前だった。

 ご飯がないのは当たり前、口を開くと殴られ、口を閉じていてもまた殴られる。

 家にいると虐待されるので、一人で外に出ていた。誰もいない、通らない、物音一つしない空間で息をひそめる。

 それだけが彼女にとっての安らぎだったという。

 罵声を聞くと怒った両親を思い出し、大きな物音を聞くと暴力を思い出すから。

 だがある日家に帰ると、両親がテロに巻き込まれて死んだと家を訪ねてきた警察から聞かされた。

 こんな言い方をすると人の心が無いといわれるけれど。

 両親が死んだというのにすごくほっとして、嬉しかったそうだ。少しくらいは悲しいという気持ちが沸くかと思ったけど、もう殴られたり踏まれたり熱湯をかけられたりすることがないと思うと、安堵のあまり涙が溢れ出てきたらしい。

 警官はその様子を見て、両親を失って悲しんでいると勘違いしたらしいけど。

 そののち、獣人専用の保護施設に引き取られた。

 そこは家畜小屋のようなところで、狭い空間に男女分けずに押し込まれ、食事も皿にほんの少し、スプーンもフォークもなく手づかみで食べるようなところ。

 保護されてきた獣人同士の喧嘩や食事の奪い合いも絶えなかったから、自然と基本的な格闘術が磨かれた。無論プロで通用するような技術ではなかったが。

 しかし、そこでの立場がだいぶ上になったので食事が幾分ましになったという。

成長し、運が良ければ里親に引き取られる、何か特別な仕事ができるならば国の機関で引き取ってもらえると噂が流れた。

 それなら少しでも条件のいいところで引き取ってもらおうと、エッバは格闘術にさらに磨きをかけて銃への対策も訓練した。

 物音が苦手でも、銃声は聞いても虐待がフラッシュバックしないせいか平気なので訓練が可能だった。

 獣人は運動能力が優れているものが多く、そういった場所へ身を寄せた保護施設の先輩も多かったので、すでに軍や要人警護として働いている先輩の獣人が特別に教えに来ることもあったという。

 何人か、自分と同じ考えの獣人がいて、ともに訓練し、時にはテロリストの制圧現場を見に行ったりして技術を盗んだ。

 そうして保護施設随一の腕前になったころ、残酷な事実が彼女を襲った。

 パニック発作による精神疾患と診断され、軍人や護衛官への道は無理と言われた。

 ショックで寝込んで、ストレスのせいか一時期物音にひどく敏感になり、人の足音だけで発作を起こしたこともある。

 獣人の診察も請け負っていた時期があって、たまたま僕がその施設を訪れ、エッバと出会った。

ちょうど助手が欲しかったし、他にも色々あって僕が引き取ることにしたのだ。

 


「申し訳ありませんわ…… 人の過去に、土足で踏み込むような真似を」

 クリームヒルトは深々と頭を下げたが、エッバはあっけらかんとした風だ。それはそうだ。クリームヒルトが自分の過去を聞いても笑ったり、安っぽい同情をしなかったから。

「それはいいよー。それよりこの人、どーするー?」

 警備兵に引き渡すのが一番だろうが、捕まえたテロリストを留置場へ送るのと、逃亡したテロリストを追撃するためにほとんどが出払ってしまっている。

 このままエッバに見張らせておいて、彼らが帰ってくるまで待つか。

 しかし魔法医師大学を襲ったグライヒハイトとかいうテロリストって、何人いるんだろうか?

 ふと音がした。

 今日、連続で聞くことが多かった音。

 静かな学び舎には不似合いだ。

 不似合いで、不吉。

 できるならもう一生聞きたくはない。

 茜色の空を切り裂くようなその音が、一回だけ聞こえた。

 一回。たった一回で。

ライフルを奪われて倒れていた猛者の頭の三分の一程度が、割れたスイカのように吹っ飛んだ。

 一拍遅れてクリームヒルトの絹を裂くような悲鳴が上がる。

エッバが視線を鋭く左右に巡らせた。

 僕は撃たれた猛者の容態を確認するが、吹き飛んだ頭部からは脳漿と神経線維の集合体である大脳、それに砕けた頭蓋骨が混じった血だまりが広がるだけ。即死だ。

死亡すると、破壊された組織を創造できるメガヒールでも治せない。

メガヒールは生体に効く魔法で死体には効かない。

死者をよみがえらせる治癒魔法だけは開発されていないし、開発の目途も立っていないという。

「口封じか」

 兵が抵抗不能の相手を問答無用で殺害する可能性より、テロリストの仲間が口封じを行ったと考えるほうが自然だ。

 それにしても、さっきまでとやり方が違いすぎる。

 校舎を襲ったテロリストのほうが数が多かったのに、重傷者を出しても死者は出ていない。

 こちらではたったの一撃で致命傷を与え、しかも捕虜になった仲間を攻撃するという徹底ぶりだ。

 となると、こいつがこの作戦の主力か。

 陽動で負傷者を続出させて、魔法医師を疲弊させたところに凄腕を出す。

僕たちはとっさに伏せるが、校舎の陰であるここにはせいぜいベンチくらいしか盾にできるものがない。

それでも突っ立っているよりかは安全なので、伏せたまま周囲を見渡す。

「どこだ……?」

射撃したテロリストの姿が見当たらない。以前治療した傷病軍人から聞いた話では、狙撃手は身を隠すのが基本らしいから素人の僕では見つからないだろう。

とにかく、隠れないと。

でもどの方向にいるかわからないと、鉢合わせする可能性がある。

エッバが鼻と犬耳を動かしているが、首を横に振った。

「どうだ?」

「駄目。臭いを誤魔化す香水をあちこちにほんの少し振りまいてるらしくて、臭いがわからない。それに身動き一つしてないみたいで、音もわからない」

 この念の入れよう、遠距離から猛者の頭を一瞬で吹き飛ばした技量。今までとは比べ物にならない相手だ。

どうする? 

僕は頭をフル回転させる。

クリームヒルトはまだ震えている。エッバでさえ位置がつかめない。どこに逃げればいいのかもわからない。

次に狙われるのは? 魔法医師であるクリームヒルトの可能性が一番高い。

僕はポケットの中を探る。ハイデルベルクから持ってきたこれを使えば…… いや、一時しのぎにしかならない。

それよりも助けを待つか? 銃声がしたし、時間をおけば警備兵が駆けつけてくれるかもしれない。

迷っている間に、エッバが身を震わせた。

「っ!」

 その場から飛びのくように転がる。

だけど一瞬遅れて、さっきと同じ音が響いて。

 エッバの体から朱の花が舞った。それは空を赤く染め、一拍遅れて地面を血に染める。

その際にフードがめくれ、犬耳があらわになった。

 「う、が」

 エッバはとっさに身をかわしたおかげか、頭は無事だったが足を撃たれていた。

 見た限り大腿部を撃たれている。しかも出血量からして大腿の骨が粉砕したか、大腿動脈を損傷したらしい。

 骨は血を蓄える。大腿の骨が粉砕すれば、最悪全身の血液の三分の一は無くなり、致死量に至る。もしそうなら、一分持たない。急いで手当てしないと……

僕はエッバに駆け寄る。ヒールでも応急処置ならできるからだ。

だけど。

「させません」

 殺意と優しさが入り混じった、ひどく不気味で不快な声が聞こえた。

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