第22話 回想終
「……できなかった」
僕は翌日、クリームヒルトにそう切り出した。
デリケートな話なのでいつもの図書館ではなく、校舎の裏、日当たりも悪く庭園もないのでめったに人が立ち入ってこない場所で話していた。
「そうでしょうね。わたくしだって、できたのが奇跡と思えるぐらいですわ」
僕を責めないのが、逆に心苦しい。
「メガヒールって、あんなことをして習得するものだったのか」
毒と薬は紙一重。医療とは傷害行為も含む、色々と医学の裏の面は効かされたけど、今回はそれをまざまざと覗かされた気分だ。
「……次の機会は、いつになるのかな」
親しい人が亡くなるなんて、数年に一度あるかないかだ。僕は親がいないから、今回みたいな知り合いか遠い親戚の誰かになるのだろうけど。その時に解剖できるのか。
そのときを思うだけで、手が震える。そんな僕を見かねたように、クリームヒルトは一通の手紙を取り出した。
「……これを、御覧なさい」
上質な紙に書かれているのに、ところどころ濡れたような跡があった。
「これは?」
「先日わたくしが解剖したお爺様が、わたくしに宛てて書いた手紙ですわ」
僕は震える指で手紙を開いた。
『最愛のクリームヒルトへ
この手紙を読んでいるということは、すでに私はこの世にはいないのだろうな。本来なら直接話すべきことなのだが、こうして手紙でしか伝えられない私を許しておくれ。知っての通り私は病に侵されており、隠してはいたがもう長くはない。
あと数日か。
万一を考えると帝都に戻ってお前に伝える時間がないのでこうして手紙に託す。詳しい話は息子から聞くことになるだろうが、私を解剖してくれ。優しいお前にとってどれだけ酷なことかはわかる。おそらく今、魔法医師への道を諦めようとしているだろう。
だが諦めてほしくはない。私も、自分の母親を解剖してメガヒールを得た。誰もができるわけではない技術を手に入れるためには、相応の代償が必要なのだ。私は人生の最後の締めくくりとして、お前の役に立つことをしてやりたい。だから、クリームヒルト。魔法医師の道へ進んでほしい。
最期までお前のことを心配していた祖父より』
僕は言葉が出なかった。
クリームヒルトは僕から受け取った手紙を、大事そうに鞄にしまう。
「わたくしは、お爺様の遺志を継ぐ義務がありますの。忘れませんわ。お爺様の思いも、お爺様を解剖した時の感触も」
クリームヒルトは目を固く閉じながら、メガヒールを、そしてメスを取ったであろう利き手を握りしめた。
でも僕は、メガヒールを習得する決心がつかなかった。
どうしても、親しい人を解剖するのがためらわれてしまう。
血筋なのだろう。クリームヒルトはためらいながらも、ハイマン教授は嬉々としながらも解剖した。魔法医師の家系としての本能が、彼女たちの手を動かしたのか。
あれ以降、僕は医学の本を見るだけで手が震えるようになった。
あれほど好きだった医学の勉強も、全然頭に入ってこなくなった。
無理だな、と思うのに長く時間はかからなかった。
先輩や他の教授に話を聞いてみたが、泣きながら解剖した人もいたけど、ハイマン教授みたいな考えの連中も多くいた。
以前はあこがれの目で見ていた先輩や教授たちが、まるで化け物みたいに思えてきて。
でもメガヒールを習得しなければ魔法医師にはなれない。
心が揺れて、入学する前はあんなに硬かった決意があっけなく崩れていく。
そうして日々を過ごすうちに心が固まった。
いずれする決断なら、早いほうがいい。
二回目の機会が来る前に、僕は魔法医師大学に退学届けを出した。
「本当に帰ってしまいますの?」
故郷に帰るためシュトゥットガルトの駅に来た僕を見送りに来たのは、クリームヒルト一人だった。クリームヒルトとだけ話していた僕には他の友達なんていない。唯一仲の良かった寮母さんは、もうこの世にいない。
ぼんやりと霞がかかった僕の頭には、人の多い駅のざわめきがまるで遠い世界のことのように聞こえてくる。
「あなたの才能はわたくし以上ですのよ?」
彼女にそう言われても、もう嬉しいとも誇らしいとも感じなくなっている。
「ほかにも、メガヒールの習得を諦めて退学した人はいるらしいから。僕がその一人になっただけだよ」
「状況が違いますのよ。特待生として免除されていた学費や生活費も、返さなくてはならないのですわよ?」
「……そうだね」
そんな先のことなんて、考えられない。いまはただ、一刻も早くこのシュトゥットガルトから離れたい。
でも僕のそんな気のない返事が、彼女の癪に障ったらしい。
「何を気のない返事をしていますの!」
大きな声に周囲の人たちが目を向けた。
「わたくしは、あなたとともに魔法医師になりたいですわ…… あなたと一緒でなくては、嫌ですのよ」
湿疹が目立つ彼女の顔から、涙がひとしずく流れ落ち、地面に染みを作る。
涙の染みはあっという間に数を増やしていった。
それを見て、心が痛む。
同時に、彼女の顔の湿疹を治してあげたかったな、と思う。
今となってはそれだけが心残りだ。
「君は強かった。僕が弱かった。それだけだよ」
彼はそう言って、会話を打ち切るかのように彼女に背を向けた。
同時に汽車の出発を告げるベルが駅に響く。
まるで、別れの合図のように。
「時間が来たし、もう行くよ」
僕は汽車のタラップに足をかけた。
「わかりましたわ…… 負け犬の言うことなど、聞く気はありません。どこへでもお行きなさい!」
その後、奨学金を返すために働き始め、医学の知識を活かすために医術士の資格を取った。医学の道にもう一度進むのに抵抗があったけれど、これなら親しい人を解剖しなくても人が治せるし奨学金を返すのに一番手っ取り早かった。
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