第21話 回想3
翌日、僕が住んでいる寮の寮母さんも心臓の持病が急変して亡くなった。肉親がいない僕にとって、親代わりとも思っていた人だ。とっても仲が良くて、優しい人だったからとても悲しかった。
寮のおばさんはいつもおいしいご飯を作ってくれて、夜更かしや朝寝坊している寮生がいないかいつも注意していた。僕が猛勉強しても魔法医師大学で体を壊さなかったのは、彼女のお陰だろう。
だから彼女が亡くなった時は本当に悲しかった。寮生のみんなも泣いていた。
魔法医師でも、メガヒールを使っても、寿命や寿命に近い慢性的な病気は治せないらしい。
だけど僕の担任であるハイマン教授は、葬式の時に僕のほうを見て笑みを浮かべていた。
更にその後、いつも研究のことしか頭にない、授業中でさえ生徒の顔をろくに見たことがない教授が僕の顔をまっすぐに見て、葬式の後解剖実習室に来いと言ったのだ。
悲しみに暮れる中、僕だけが教授に呼び出された。
とてつもなく嫌な予感がした。
いわれた通り解剖実習の時に使う青い服を着て向かうと、教授と解剖台に横たわった寮のおばさんの遺体があった。
「これは……?」
僕は状況が理解できずに教授に尋ねた。葬儀の後に行うことじゃない。
「これはその段階に至った者にしか教えない極秘事項なのだがな。貴様はわが大学で最年少ながら最も早く知識と技術を身に着けた。魔法医師に必須なメガヒールの会得に移りたいと思う」
メガヒールの会得。それを聞いた途端、こんな状況だというのに僕の心は踊った。
でも解剖台に横たわる寮のおばさんの閉じられた目に見つめられ、そんな風に思った自分を恥じた。
「はあ。でもそれなら、せめておばさんの葬儀が終わってからでいいでしょうか?」
正直、ご飯ものどを通らないし毎日欠かさず続けていた予習復習もちっとも頭に入ってこないのだ。この状況でメガヒールの会得が可能とはとても思えない。
「いや。今でなくてはならん」
そう言って教授は解剖台の横に置かれた器具の中から、メスを手に取った。
「肉親もしくは親しい人間を死後二十四時間以上四十八時間以内に解剖し、人体についての知識を確かなものとする。そして術者本人の精神に負荷をかけて魔力を変質させる。それがメガヒールの会得に必須の条件だからだ」
僕は頭をハンマーで殴られたように感じた。
今、教授はなんて言った?
寮のおばさんを解剖しろ?
「……いやです」
僕は震える声でそういうのがやっとだった。目の焦点が定まらない。浮き石に建っているように足元がおぼつかない。
だがその返答を予測していたかのように、教授は肩をすくめる。
「甘いことを言うな。魔法医師になれば内臓や骨がはみ出した患者を診ることなど珍しくないのだぞ?」
「でも!」
僕は解剖台に寝かせられた、真っ白な布を胴体にかぶせられた寮のおばさんの遺体を見る。
治療して治るならいくらでもこの手を血に染めよう。覚悟していたことだから。
でも今やることは、治療ではない。
「……おばさんは、この件を承知してるんですか」
「無論だ。魔法医師大学で働く者は全員、死亡した場合にメガヒールの習得の手助けをすると誓約書を書いている」
「これ以外に、メガヒールを会得する方法はないんですか」
「あったらとっくにそちらを勧めているはずだろうが、余計なことを言うな」
僕はふらふらとした足取りで解剖台に近づき、メスを手に取った。教授は頭蓋骨や大腿骨を解剖するために必要なノミやノコギリといった道具も準備している。
何も考えないようにしよう。
何も感じないように、ただ今までの解剖実習通りにやればいい。頭の中の解剖の教科書と照らし合わせて、ただ無心にメスを持てばいい。
寮のおばさんのもう二度と開かない目を見て、心の中で謝罪した。
「行きます……」
解剖実習の時と全く違う、柔らかい皮膚の感触。
それをメス越しに感じたとき、手から力が抜けてメスが地面に落ちる。
「今日はやめておくか」
教授はマスクを外しながら言った。
「ほかの者に解剖させることにしよう」
淡々とそう言い、後片付けをする教授に僕は聞いた。
「教授は、誰を解剖したんですか。その時、どんな気持ちがしたんですか」
教授はきっと、涙を流したり怒りに震えたりすると思った。でもそんなことはなく、むしろ喜びすら感じられる口調で返事した。
「私の時はフィアンセだったか。事故で急死し、貴様と同じようにメガヒールの会得のため解剖したよ。最愛の者の肌にメスを入れ、内臓を取り出すときは何とも言えぬ背徳感とカタルシスがあったな」
その後も教授は恍惚とした顔でフィアンセを解剖したときのことを語っていく。
吐き気がして、僕は足早にその場を立ち去った。
だけど僕の一つ上の先輩で同じ寮生が、翌日にメガヒールを使えるようになっていた。
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