第14話 指輪の外し方 知っていると切らなくていいよ。

「ご主人様、次だよー」

こんな時も普段通りのエッバの案内でもう一人の患者にあたる。

 患者は五十歳くらいの初老の男性で、銃創こそないものの避難するときにぶつけたのか左腕が腫れ上がり、薬指にはめた指輪が指を圧迫して紫色になっていた。

まずいな。

このままだと指が壊死する。

普通なら指輪を切断する道具、リングカッターを使うんだけど。

「お願いです、若いお兄さん。指輪を切るのはやめていただけんか。この指輪は今は亡き妻の形見なんじゃ」

 床に横たわり、腫れ上がった左手にはめた指輪を右手でかばいながら患者はそう言う。

 このままだと、指がどうなってもいいから指輪は切らないでくれ、と言いそうだ。

 魔法医師ならそれでもやりようがある。指が壊死しても、メガヒールで治せばいい。指をメスで関節に沿って離断し、指輪を外してメガヒールで指をくっつける方法もある。

 医術士である僕にはどちらもできないけれど。

 でも。できることをすれば、何とかなることもある。

「わかりました。では指輪を切らずに外しますね」

 僕は患者を安心させるため、笑顔を作ってそう言った。

あまりにもあっさりした言い方だったので、疑心を抱いたようだ。

医術士ごときが、そういう感情が顔に現れている。

でも、実際あっさり終わるのだから仕方がない。

「はい、ご主人様」

エッバが持ってきてくれた裁縫用の木綿糸を手に取り、僕は治療を開始する。

まずは木綿糸を指と指輪の間に通す。

ちょうど、指輪の下を一本の木綿糸が横切っているような形だ。

「指に糸をぐるぐる巻いていきますからね」

患者が怪訝な表情をしていたので、次に行うことを説明する。

木綿糸を指にぐるぐる巻くと、圧迫されて腫れ上がった指が細くなる。

次に巻いていない側の糸をゆっくりと引っ張ると、糸についていくように指輪が抜けて

いき、何事もなかったように指からコロンと外れた。腫れているので仕上げのヒールを使って腫れをひかせ、治療は終わりだ。

「ありがとうございます、本当にありがとうございます」

初老の患者はさっきの疑義の表情が嘘のように目に涙を浮かべ、右手と腫れのひいた左手で僕の手を握りしめる。見返してやってすっきりしたけどそれ以上にやり甲斐を感じると共に、胸が暖かくなった。

 いつの間にか、クリームヒルトが僕のそばに来ていた。

「どうしたの?」

「さすがに連続でメガヒールは使えませんから。休憩がてらあなたの治療を見させていただいていましたわ」

「そう…… 魔法医師様に見せるほどの者じゃなかったと思うけど」

立場の差を白衣の有無、使用できる魔法、あらゆる面で感じて少し卑屈な言い方になってしまう。

「謙遜はおよしなさいな。やはり、ただ者ではありませんわね。その手際、患者に合わせた治療法の素早い選択、治療後の患者へのホォロー」

「そーでしょ!魔法医師じゃなくたって、ご主人様はすごいんだよ!」

エッバが自分のことのように喜んでくれる。それはいいけど、

「エッバ。これくらいなら魔法医師はもっとうまくやれるから」

そう言って彼女をたしなめる。クリームヒルトならもっと上手くやるだろうし、何より

ここは魔法医師の大学なのだ。あまり医術士として目立つ真似はしたくない。

エッバは周囲の空気でそれに気がついたのか、素直に謝った。

遠くにいた他の教授たちの反応が耳に入ってくる。

「面白いな」

「しかししょせんは医術士の小細工、メガヒールを使えればすぐに解決します」

「しかし若いころを思い出すな、私も昔はああやって患者と向き合いながら試行錯誤していた時代があった」

 肯定と否定が入り混じっている。思ったより否定的な意見が少なくてほっとした。


それからも治療を行っていく。

クリームヒルトの話では重傷者が多数出たものの、治療が迅速だったせいか幸いにも死者は出なかったという。

いったん休憩するために野戦病院代わりの教室を出る。クリームヒルトもメガヒールの使い過ぎで、魔力が枯渇してきたらしい。

 患者の治療がひと段落着いたのか、他の教授たちも教室を出て体をほぐしたり、中庭に出て煙草を吸ったりしていた。

 最近は煙草が病気の原因になるという学説もあるが、まだ確定した説ではない上に社交上吸わなければいけない場合も多い。多くの病院には喫煙室が設けられ、そこで魔法医師も助手も一服する姿がよくみられる。

 僕は吸わない。確定した証拠、エビデンスがあるわけではなくても、色々な薬や毒を飲んで試してみた勘で、なんとなく体をむしばむ気がするからだ。クリームヒルトも同じらしく、教授たちがいる中庭とは別の場所に出た。

 そこは校舎の陰になった暗い場所。日はすでに傾き、茜色の夕日は濃い影を落とし、この狭い場所を染め上げている。

 少し涼しくなった風が、ひんやりと汗で火照った肌を撫でていく。

 静かだ。

 さっきまでの悲鳴も、銃声も、患者が運び込まれる足音もしない。

 ここは銃撃の場所から離れていたためか、弾痕もない。

 まるで別世界のようだ。

 三人で手近なベンチに腰を下ろす。エッバが頭からかぶった、犬耳を隠すためのフードが風に揺れた。

僕は校舎の挟まれた狭い空を見上げると、今日の出来事が反芻される。

本当に、色々なことがありすぎた。

朝から魔法医師大学に来て、見学して、さらに授業をして。

医局に案内されて、いきなり非常勤講師として迎えたいなんてクリストハルト教授に言われて。

それからテロリストが侵入して、怪我人の治療に追われた。

「テロリストか……」

 彼らは敵兵から国民を守るための武器であるライフルを使い、多くの人を傷つけた。医術士としては許されざる行為だ。

 でも、人を傷つけてきたのは僕も変わらない。

 自分の手を藍色が混じり始めた空にゆっくりとかざすと、影になり少し黒っぽく見えた。

 この手で、時にはヒールやメディスンヒールで。

 時には針金や木綿糸を用いて、人を治してきた。

 でも、失敗すれば人を傷つけた。そもそも医療とはかつて盛んに行われた、血を抜く「瀉血療法」などで患者の体を切ったりする、「傷害行為」が含まれるのだ。だから医術士や魔法医師といった免許を持った人間にしか許可されない。

 黒く影を落とした手を下ろし、横に目を向ける。

 クリームヒルトが僕のほうを見ていたので、至近距離で目が合った。

「~っ」

 クリームヒルトは湿疹が消えて、新雪のように美しい肌を真っ赤にして顔をそらす。

「どうしたの?」

「すみません、殿方の顔を覗き込むなんてはしたない真似を……」

 興奮したのか、少し口調がおかしい。

「でもやはり、あなたの顔はどこかで見たことがあるような気がして…… 魔法医師大学の卒業生ではないはずなのに、この帝都で見かけたことがあるようで、面影が誰かに似ているようで、それを思い出そうとしていたら、凝視してしまいましたの」

 その言葉に、心臓が跳ねる。

 でもそれは、クリームヒルトの言葉に対してだけじゃなくて。

 逆隣りに座っていたエッバが、緊張感をにじませてゆっくりと両手を上げたからだった。

「手を上げろ、三人ともな」

 ゆったりとしたローブと白い覆面で顔を隠した男が、後ろから僕たちにライフルを突き付けていた。

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