春の足音4
「待たせてごめん。自覚するのにずいぶん時間がかかったが、俺が好きなのは――誰よりも側にいて、幸せにしたいのは帆花だ」
思考が停止した。頭が働かず、呆然と固まった後、実感が湧かないまま率直な疑問を口にする。
「わ、私は響ちゃんの恋愛対象になれないと思ってた。だって今までずっと……妹として接してたよね?」
「ああ。正直なところお前は妹だと思っていたし、想いを自覚したのは最近だ。それでも、お前への想いの強さは誰にも負けない自信がある」
揺るぎない眼差しに射貫かれ、鼓動が高鳴る。息が苦しくなって握った拳を緩め、浅い息を吐くと、大人の男性らしい筋張った手が伸びてきて、震える指先を包み込んでくれた。
「これから社会人になって世界が広がるお前にとって、俺を選ぶことが最良の選択肢だとは断言できない。それでもお前を離したくない。お前がいつだって心から笑えるように、俺の全てを懸けて守り抜く。だから俺を信じて、これからもずっと側にいてほしい」
「……っ」
真摯な面持ちで告げられた想いが、ぶわっと血液を沸騰させる。光の海をたゆたうような心地がして、現実感のなさに戸惑いを隠せない。
「こんな奇跡が起きるなんて、信じられない。夢じゃないよね?」
「現実だ」
「じゃあ同情じゃない? 自分の気持ちに嘘吐いてない?」
「俺は誰が相手でも自分の気持ちを偽らない。それはお前が一番よく知ってるだろ?」
念を押すように強く手を握られた瞬間、彷徨い続けた迷路の外へようやく救い出されたような深い安堵に包まれた。必死で押し込めていた不安が弾け、瞬く間に涙腺が緩む。心の奥底に溜め込んでいた想いが、大きな波となって溢れていく。
胸にとめどなく湧き上がる熱を体の中に留めるのが精一杯で、頰を濡らす涙を拭うことすらできずにいると、響也がハンカチを取り出して優しく押さえてくれた。ますます愛しさが募り、泣くのを止められなかった。
潤んだ視界の中、ぼんやり浮かび上がる夜景はパレットの上で水に滲む絵の具みたいに見えた。しばらく上昇していたゴンドラがついに頂上を迎え、空中で止まってるような錯覚を起こす。煌めく光景に囲まれて、長年想い続けた相手と心を通わせるなんて、映画のワンシーンみたいだ。
「やっぱり夢の中にいるみたい。響ちゃんと両想いになれるなんて……。明日目が覚めたら全部夢だった、ってなりそうで、眠りたくないな」
「夢じゃない――と言ってもずっと家族として暮らしてきたんだし、すぐに実感が湧かないのは当然か。でもさっき伝えた気持ちは本当だ。お前と昴が距離を縮めていくのを目の当たりにして、心穏やかでいられなかった。お前の側にいて惹かれないはずがないからな」
「そんな、買い被り過ぎだよ」
「そうか? なら想像してみるといい」
瞼を閉じて想像するよう促され、従うと、響也は物語を読み聞かせるように語り始めた。
「いつも優しい空気を纏っていて、笑顔を絶やさず側にいてくれる。日常の中に潜むささやかな幸せを掬い上げて、毎日を特別な一日にしてくれる。自分でさえ気付かなかった長所を見つけて、それを宝物みたいに扱ってくれる。心の無防備な部分を晒しても失望せず、優しく包み込んでくれる。……そんな相手が身近にいて、好意を持たずにいられるか?」
「ううん……きっと好きになっちゃうと思う」
「ほらな。自分を過小評価するなよ。お前は魅力的な人間だ」
ドキドキしながら目を開けた途端、情熱に満ちた瞳と視線が交わる。
「俺はお前のことを、世界中でたったひとつだけの宝物みたいに思ってる。お前が側にいてくれるだけで心が満たされて、どんなに疲れていても笑顔ひとつで元気が湧いてくるんだ。お前は俺のことを最高のヒーローだと褒めてくれたが、逆境に負けない強さを育ててくれたのは帆花、お前自身だ。抗いがたい理不尽に打ちのめされようと、立ち上がって前に進めるのはお前がいるからだ。どこにいても何をしていても胸の真ん中にあって決して動かない、唯一の存在なんだ」
揺るぎない言葉のひとつひとつが、温かな光の粒となって心に明かりを灯す。全身全霊で想いを訴えられ、魂が震えた。
到底言い表せない感動に胸を打たれていると、響也は握っていた手を一旦離し、お互いの指を交互に絡ませるように繋ぎ直した。
「想いを自覚するきっかけを作ったのは昴だが、奇跡と言うなら起こしたのはお前だ。俺自身でさえ気付かないうちに、俺の全てはとっくにお前のものだった。自覚して以降……お前を目の前にして愛しさが抑えられない。めちゃくちゃ重い愛だけど、受け取ってくれるか?」
切なる願いを神に祈るような熱心さで請われ、額がそっと合わされる。生きていてこれほどの幸福に出会うことなど、生涯他にないと思った。
響也の首に両腕を回し、存在を確かめるようにぎゅっと抱き締める。応えるように背中へ回された腕に、後頭部に添えられた手に、負けじと強く抱き返され、充足感で胸がいっぱいになる。
「――受け取ったよ。もし響ちゃんの気が変わっても、絶対返さないからね?」
感極まり、掠れた声で言い募ると、「俺だって同じだ」と優しく頭を撫でられた。
「朝も昼も夜も、お前が隣にいてくれる贅沢を手放さないからな。陽が昇ったらお前の隣で目覚めて、その癒しの声で名前を呼ばれたい。晴れやかな青空も、眩い夕暮れも、時に降りしきる雨も、その後に架かる虹も、全部お前と一緒に見たい。そして一日の終わりは必ず、春みたいに温かいお前の笑顔を瞼に焼き付けて眠りたい」
鼓膜に流れ込む声は甘く焦がれていて。少し体を離して見つめ合うと、お互いの魂が溶け合うような不思議で愛しい感覚に包まれた。
愛しそうに頰の輪郭を辿った響也の手が、微かに頤を持ち上げる。親指でそっと下唇をなぞられ、ドキッとした。
頭の芯が痺れる中、顔の距離が縮まっていく。磁石が引き合うように、ごく自然に唇が重なった瞬間、ときめきが頂点に達して呼吸を忘れた。互いの体温を愛おしみ、想いを注ぎ合うような、とても素敵なひとときが訪れた。
やがて唇が離れた後、
「もどかしいな。こんなに近くにいるのに、全然足りない。お前の頭の中、俺でいっぱいにしたい」
悔しそうに吐息を漏らして肩に擦り寄られ、少年のようなあどけなさにキュンとする。
「ふふ、もうとっくの昔に響ちゃんでいっぱいだよ。あ……地上が近付いてきた」
そろそろゴンドラが一周する時間だ。きらきら輝く幸福な時間が名残惜しくて、離れがたい想いを振り切れずにいると、
「これで終わりじゃないぞ? 俺たちの新しい関係は始まったばかりだ。赴任してもすぐ実績を上げて帰ってくるから安心して待ってろ。まずはお前が俺にとってどれほど特別な存在か自覚させないとな。家に帰るのが待ちきれない」
――――もっとお前が欲しい
最後は間近で囁かれ、耳を弄ぶ指先の艶っぽい動きに体が熱くなった。初めて見る響也の表情に――情欲を滲ませる眼差しに心臓を鷲掴みにされ、凄まじい色香に目眩がした。この調子では心臓がもたない。
ふらつきながらゴンドラから降り立った瞬間、微かに聞こえていた春の足音がはっきり響いた。軽やかな音色は祝福するようで、春を待ち侘びていた小さな想いの種は光を浴びて芽吹き、冬は越せないと諦めかけていた花が開くのを感じた。胸に咲いたこのかけがえのない花を枯らさないよう、一生をかけて大切に守っていこうと心に誓った。
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