思わぬ邂逅3
「大丈夫だよ。自信を持って」
頭上から降ってきた昴の囁きが、追い風のように心を吹き抜ける。強張っていた肩の余分な力が抜けた。
「はじめまして、神楽木帆花です。兄がお世話になっています」
「まぁ! 神楽木さんの妹なのね。どうもはじめまして。私は朝日奈さんと同じ部署で働いてるの。神楽木さんのご活躍は社内でも有名よ。自慢のお兄さんね」
「ありがとうございます。本人が聞いたら光栄だと思います」
「あら、今夜は一緒じゃないの?」
「はい。残念ながら用事があって……」
同僚の女性を交えて歓談していると、昴の存在に気付いた男女のグループが近付いてきた。女性達が色めき立つのを横目に、男性達が「おい、俺らの前と態度違いすぎだろ!?」などと冗談交じりに不満を漏らし「うるさいわねぇ!」と一蹴されている。
あっという間に取り囲まれ、賑やかになって圧倒された。どうやら彼らも同僚らしい。軽く挨拶を交わした後はすぐに昴が話題の中心になった。
「朝日奈さんは年末年始どうされるんですか? 私は年明けに新年会を兼ねてホームパーティーを開く予定なんです。よかったらぜひいらして下さい!」
「あ、ずるいっ抜け駆け禁止~!」
好意を示す積極的な女性社員達に対し、昴の対応は落ち着いていた。涼しい笑みを絶やさず、全員に等しく気を配っている。スマートで鮮やかな社交術に感銘を受けた。朝日奈家の長男として彼の父親が経営する会社のパーティーや業界のイベント等に出席してきた経験から、こういった場面での立ち居振る舞いは染みついているのだろう。
(特に意識してなかったけど、昴さんは大企業の御曹司なんだよね)
朝日奈の家は――――父の会社は継がないと昴は明言した。けれど本来であれば同伴者としてパーティーのエスコートを気軽に頼める相手ではない。家柄や肩書きを鼻にかけない姿勢を貫き、こちらに気負わせずにいてくれるのは昴の人徳だ。
尊敬をこめて端正な横顔を見つめると、視線に気付いた昴と目が合う。ブロンズの瞳が柔らかく細まる。口元に浮かぶ甘い笑み。まるで特別に心を許していると錯覚するような表情だ。親密なアイコンタクトを目撃した女性社員が「ねぇねぇ!」と好奇心混じりに帆花の肩を叩いた。
「さっきから気になってたんだけど、朝日奈さんと仲良いよね。いつから知り合いなの?」
「昴さんと兄は元々友人で、学生時代から面識があるので、10年近いお付き合いになります」
「えぇー!? そんな長いんだ! ていうかプライベートで朝日奈さんと会えるなんて超羨ましい~! お兄さんと友達でラッキーだね」
「私もそう思います。昴さんは素敵な人ですよね。それに……今夜皆さんにお会いして、素敵な人の周りには素敵な人が集まるんだなって気付きました。見習いたいところがたくさんあるので、もっと皆さんのお話を聞かせて頂けると嬉しいです」
陽だまりに咲く花のような笑顔を向けられ、その場に居合わせた社員達は瞳を見開いた。帆花の声は温もりが灯っていて、乾きを潤すような瑞々しい響きがある。昴の同伴者としてではなく、帆花自身の魅力で周囲の関心を引き、会話を弾ませていく光景を見守りながらーー昴は眩しそうに笑みを深めた。
*
頃合いを見計らって昴の知人から離れた後、空になったグラスを新しい飲み物と交換し、その足でバンケット中央のビュッフェに向かった。シェフが目の前で切り分けるローストビーフや氷上に盛られたシーフードなど、食欲が刺激されるご馳走が盛り沢山だ。
「わぁ~豪華ですね! こちらは全部自由に頂けるんですか?」
「そうだよ。ふふ、嬉しそうだね。時間は十分あるから焦らずゆっくり召し上がれ」
「ありがとうございます。ではさっそくお言葉に甘えて……!」
帆花はうきうきしながら皿を取り、料理を盛りつけていく。最も心惹かれたのはデザートだった。ドライフルーツやナッツをふんだんに使ったクグロフ、ドイツ直輸入の本格的なシュトーレン、可愛らしい砂糖菓子でデコレーションされたブッシュドノエルなど、色とりどりのスイーツは種類が豊富で目移りした。
一通りメインディッシュを味わった後、厳選したスイーツに舌鼓を打つ。洋酒の香るダークチェリーとバタークリームたっぷりのケーキを頬張り、芳醇な味わいに肩を震わせた。すると横から手が伸びてきて、細めの、長い人差しがすっと唇の端を掠めた。
「可愛い唇にクリームが」
昴は微笑まし気に口角を上げ、流れるような仕草で拭い取ったクリームを舐めとる。
「ん、甘さ控えめで美味しい。ご馳走様」
くすっと笑う昴の瞳は悪戯っぽくて、からかいの色が滲んでいる。思いがけない行動に驚かされたのもあるが、子供みたいに食べかすをつけていたことが恥ずかしくてたまらない。しゅうしゅうと頭から湯気が出そうだ。
「すみません、はしたない姿をお見せしました……」
「全然。無防備でとっても愛らしかったよ」
昴のフォローがくすぐったくて、みぞおちのあたりがふわふわする。猛省して小さく息を吐くと、「さっきはごめん」と誠実な口調で告げられた。何のことか思い当たらず首を傾げると、
「あぁ、言葉足らずだったね。会場に着いてすぐ僕の同僚に囲まれた件だよ。初対面の人間を大勢相手にするのは気疲れしたはずだ。ごめん」
申し訳なさそうに眉尻を下げられ、慌てて首を横に振った。
「皆さんとお話するのは新鮮で楽しかったですよ! 部外者の私が一人だけ浮いたり、退屈せずに済むよう昴さんが配慮して下さったおかげです」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ。ただ、輪の中に溶け込めたのは帆花ちゃん自身の力だ。僕はきっかけを作っただけで何もしてないよ」
「昴さんは謙虚で、人に自信を与えるのがお上手ですね。皆さんがお近付きになりたい気持ちが分かります。今夜はきっとまた色んな方に声をかけられるでしょうし、せめて私には気を遣わずパーティーを楽しんで下さい」
労いを込めて腕に触れると、昴の綺麗な顔がとても優しく、柔らかく笑み崩れてドキッとした。無意識に目を奪われているうちに、しなやかな手が頬を包み込んでくる。
「帆花ちゃんは柔らかい雰囲気を纏ってるけど、内面には凜とした芯の強さがある。響也が自慢する気持ちが分かるな。――――優しくて、賢いお姫様だ」
深く愛おしむような声が鼓膜に浸透する。昴はそっと距離を詰めると、斜めに整えた前髪から覗く帆花の白い額に唇を落とした。
「親愛のしるしだよ。それから、君の願いが叶うおまじない」
神聖な声色で囁かれ、耳に吐息がかかる。痺れるような熱がさざ波のように広がった。戸惑いを隠せずにいると、背後から名前を呼ばれて心臓が跳ねた。ここにいるはずがない、愛しい人の声に半信半疑で振り向く。見合いに出かけた時と同じスーツ姿の響也が、少し離れた場所からこちらに向かっていた。
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