思わぬ邂逅4


 


 「響ちゃん!? どうしてここにいるの? お見合いは?」


 驚いて駆け寄ると、響也は涼しい顔で肩をすくめた。


 「んなモンとっくに終わったよ。夕方には家に帰ったんだが、お前がパーティーに出るのを知って様子を見に来た。探し回ってる間にことごとく知り合いに捕まって合流に時間かかっちまったけどな」

 「そうだったんだ。着いた時に連絡くれれば受付まで行ったのに」

 「何度か電話したぞ。その様子じゃ気付かなかったみたいだな」


 言われてバックからスマホを取り出し、着信履歴を確認する。


 「ほんとだ……着信きてる。ずっと繋がらないから心配したよね。ごめんなさい」

 「気にするな。お前が無事ならそれでいい」


 安堵の笑みを零す響也に軽く肩を叩かれる。愛おしげな眼差しを一身に注がれ胸が鳴った。 


 「今夜は昴さんが一緒だし、何も心配ないよ?」 


 気にかけてもらえるのは嬉しいが、響也にも予定がある。何度も街中に出るのは疲れるし、家で寛いでいて欲しかった。続けて告げると、響也は複雑そうに眉を寄せた。理由が分からずきょとんとしてしまう。隣でやり取りを窺っていた昴が「まぁまぁそう言わないで」と笑いを噛み殺す。


 「響也は帆花ちゃんが色んな意味で心配でたまらなかったんだよ。ね? 響也」


 胸中を見透かし、同情するように肩に手を置かれ。響也は苛立たしげに払い落とした。


 「元はと言えばお前が原因だろうが! 俺に寄越した帆花関連のメール、件名だけ相談で内容は事後報告じゃねーか。ったく、勝手なことを」

 「はは、ご立腹だね。帆花ちゃんを着飾ってパーティーに参加させたのがそんなに気に食わなかった? 帆花ちゃんはどこに出しても恥ずかしくない素敵なレディだよ。隠しておくなんてもったいない」

 「そんなことはお前に言われなくても分かってる」

 「へぇ。じゃあ帆花ちゃんが社会人になったら世界が広がるってこともちゃんと理解してる? 今夜だけで沢山出会いがあったよ。僕がエスコートしてたからさすがにアプローチしてこなかったけど、連絡先を聞きたそうにしてる男は少なくなかった。一人なら確実に口説かれてただろうね」

 「だからどうした。少なくとも俺の目が黒いうちは汚い指一本触れさせねぇよ」


 宣言した響也の眼差しには、氷の裂け目のような凄みがあった。力強く肩を抱き寄せられ、すっぽり響也の胸に収まる。鼓動が速まる中、二人の顔を交互に見遣る。短い沈黙の後、昴は張り詰めた空気を破り、満足げな笑みで帆花に向き直った。


 「帆花ちゃん、今日は付き合ってくれてありがとう。おかげで楽しい休日だったよ」

 「お礼を言うのは私の方です。素敵なひとときをありがとうございました。あの、もう帰ってしまうんですか?」

 「響也がいれば安心だからね。君を守る最強の騎士だ。今夜はクリスマスイブだし、あとは家族水いらずでどうぞ」


 昴があっさり身を翻したので少々面食らった。「待て」と響也の声が飛ぶ。昴は足を止めた。


 「何?」

 「その……帆花が世話になった。一応礼を言っておく」


 苦虫を噛み潰したような表情で告げられ、小さく吹き出した昴は極上の笑みを返した。


 「どういたしまして。響也が改まってお礼を言うなんて珍しいね。明日は雨……いや、雪かな。台詞に反してすごく不本意そうな顔でちぐはぐだよ。面白いなぁ」

 「うるせー、細かいとこ突っ込むな! お前の笑顔のがよっぽど胡散臭いわこの腹黒策士!」


 吠える響也を爽やかにかわす昴。いつもの調子が戻ってホッとした。この温かな時間がいつまでも続けばいいのにと願いながら――――帆花はこっそり笑みを漏らした。





 昴と別行動になった後、人の多いバンケットを退室し、休憩がてらホワイエに向かった。残念ながらソファは空きがなく、思った以上に混んでいた。ふとテラスが目に留まり、散歩がてらちょっと涼みに出ないか提案すると、響也は快く承諾してくれた。


 扉を開いてくれる響也に続き外に踏み出した途端、冷気が体を包み込む。熱気のこもるバンケットで長時間過ごしていたため、火照った肌には心地良かった。賑やかな話し声も音楽も、ここまでは届かない。


 帆花は歩きながら一度ゆっくり回転し、周囲を見回す。ホテル内の照明がガラス越しに射し込み、テラスの床に柔らかな光を投げかけている。薄暗いテラスから眺める雲のない夜空で膨らむ月は円く、眩い。とても静かな空間が広がっていた。


 「全然人がいないね」

 「真冬だし、さすがに寒いからな」


 白い息が闇に溶けてなくなる。当然のように自分の上着を羽織らせてくれる響也が愛しい。きっちり身嗜みを整えているせいか、今日は一段と凛々しい印象だ。造形的な美しさだけで十分魅力的な男性だが、大人の余裕を感じさせる立ち居振る舞いや硬質な色気が重なると、魂ごと惹き込まれそうになる。パーティー会場の女性達に熱っぽい視線で追われていたのを思い出し、内心穏やかでいられなかった。


 「お見合いはどうたった?」


 雑念を打ち消し、何気ない口調で話題を振る。


 「お喋りな伯母さんが話を盛り上げてくれたよ。俺は形ばかりの主役でほぼ聞き役に徹してた」

 「ふふ、想像つくな。お相手はどんな人?」

 「穏やかで気立てのいい人だよ。ああいう場は堅苦しくなりがちだが、周りの人間を寛がせるのが上手で感心した。女性ばかりの職場でなければとっくに結婚してただろうな」


 淡々と告げながら、満更でもなさげな響也に胸が軋む。本音を悟られないよう明るく笑って見せた。


 「上手くいったみたいでよかった。それで、響ちゃんはどうするつもりなの?」

 「そうだな……。先方の都合もあるが、年明けにもう一度会ってみようかと思ってる。元々は伯父さんの顔を立てるために受けた見合いだったが、案外いいご縁になるかもしれない。もし話が進んだら真っ先にお前に報告する」

  

 頬を強く打たれるような痛みが全身を駆け抜ける。精一杯の笑顔が崩れそうになり、ぐっとお腹に力を入れて耐えた。


 「分かった。心の準備をしておくね」


 にこやかに応える帆花に、響也は切れ長の瞳を細める。


 「つーか俺のことよりお前はどうなんだ? 知らない間にずいぶん昴と仲良くなったじゃねーか。傍目には似合いのカップルだったぞ」

 「もう、そんなこと言ったら昴さんに失礼だよ。どう考えても私じゃ釣り合わないでしょ」

 「……本気で言ってるのか? 自覚がないにも程があるな」

 「何のこと?」


 意味が分からず、説明を求める視線を送る。響也は頭痛がするようにこめかみを押さえ、ため息を吐く。直後、帆花の心臓が大きく脈打った。響也の真剣な顔つきと、射抜くような眼差しに囚われて。


 「さっきは昴の手前褒めるのが癪で言いそびれたが、ドレス似合ってる。化粧も髪も全部。――――すごく綺麗だ」


 形の良い唇が弧を描く。想定外の賞賛に体温が急上昇する。響也の手が頬に触れ、頬骨の一番高い位置から顎先まで輪郭に沿って滑る。


 「口紅の色が少し派手だが、今夜のお前にはちょうどいいな」


 確かめるように頤を微かに上向かされ、倒れそうな気分になる。とても直視していられず顔を背け、くしゅんと小さなくしゃみが出て身震いした。響也が心配そうに、


 「体が冷えてきたな。中に戻るか」

 「まだ来たばっかりだよ。もう少しいちゃだめ?」

 「俺は別にかまわないが、大丈夫か?」

 「うん。あ、でも響ちゃんが寒いよね。ごめん。上着返す」

 「いいからそのまま着てろ。今風邪引くと寝正月になるぞ」 

 「それは響ちゃんも同じでしょ?」

 「俺は頑丈だから平気だ」


 頭を撫でようとした手は、結い上げた髪が乱れるのを案じて引っ込んだ。大好きな手に触れられなかったことが寂しい。帆花の瞳に落胆の色が浮かんだのを、響也は見逃さなかった。


 「どうした。甘えたいならうんと甘やかしてやるぞ?」


 語尾を柔らかくして。優しく微笑み、屈んで、視線の高さを合わせてくれる。夜空を切り取ったような漆黒の瞳に淡く照明が映り込み、溜め込んだ星の光が漏れ出すみたいで見惚れた。


 (響ちゃんを形作る欠片のひとつひとつが、痛いほど好き)


 胸が苦しい。もう隠しておく場所がないくらい、想いが溢れてくる。


 理解していた、覚悟していたつもりなのに。こうして二人で過ごす時間が――砂時計の砂の最後の一粒が零れ落ちる瞬間がすぐ背後まで迫っていて叫び出したくなる。


 愛しい姿を網膜に焼き付け、決して忘れないように響也を見つめた。離れても、いつでも記憶の中で思い出せるように。


 帆花のひどく切実な面持ちに響也は眉をひそめた。


 「その顔、何か思い詰めてるな」


 鋭い指摘にギクリとして一歩下がるも、「図星か」と響也に腕を取られる。


 「逃げるな。言えよ。何を恐れてる? お前をそんな風に怯えさせて、不安にさせているものは何だ。どんな不安も不満も遠慮なくぶつけてこい。全力で受け止めてやる」


 迷いない眼差しと、明確な意志の強さを示す声に心が震える。嬉しくて、幸せで――軋んだ心にじんわり温もりが染み入っていく。


 「……恐れも、不安もないよ。さっきのはただ、今が幸せでこの時間がずっと続けばいいのにってセンチメンタルになっちゃっただけ。心配してくれてありがとう」


 響也は腑に落ちない様子だったが、無理に追及しなかった。誓いを立てるみたいに厳かに、誠実な面持ちで帆花を見据える。


 「お前が気丈に振る舞う時は何かを守るためだと分かってる。それでも俺の都合で悪いが、お前が困ってる時に力になれないのは我慢できない。だから――覚えていてくれ。どこにいてもお前が窮地に陥れば必ず助けに行く。絶対に背中を向けない。無条件で信じる。俺にとってお前はそういう存在だ」


 帆花は瞳を見開く。敵わないな、と思いながら笑みが零れる。響也は深い森に差し込む光の帯のような眩さで、心の隅々まで照らしてくれる。


「響ちゃんは魔法使いみたいだね。いつも私の胸に明かりを灯してくれるの。……ありがとう。今の言葉を御守りにするね」


 空からふわっと、雪が降ってきた。ちらほら視界に入る白い結晶を、素直に綺麗だと思えたことに衝撃を受けた。


 (お父さんとお母さんの事故があった日が雪だったから、悲しい記憶がよぎって胸が痛かったのに)


 いつのまにか前を向けていたんだと実感する。てのひらに舞い落ちた雪を、形のない大切なものを包み込むようにそっと握った。


 「ホワイトクリスマスだね」

 「あぁ。昴の予言が的中したな。そこはかとなくムカつくが、風情があるしまぁいいか」


 空を見上げる響也の穏やかな横顔から、同じ気持ちでいてくれているのを感じる。それはとても幸福なひとときだった。


 「一緒に帰ろう。俺達の家に」


 手を差し出され、頷き、するりと繋ぐ。互いの温もりを感じながら、顔を見合わせて微笑み合った。もしも魔法が使えるなら、今この瞬間に時間を止めたい。


 響也への想いが頭の中で、聴いたことのない、美しい音色を奏でていた。



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