プロローグ3
予想外の発言に動揺が広がる。親族が互いに顔を見合わせる中、厳かな面持ちで口を開いたのは、正義の兄にあたる伯父だった。
「響也くんの言い分は分かった。だが、もうじき社会人になるとはいえ君はまだ22歳。家は相続するとしても、帆花ちゃんを養うのは荷が重すぎる。兄として責任を感じるんだろうが、一時の感情に流されるな。冷静になれ。君の将来に関わる話だ」
真っ当な指摘を受け、帆花は苦いものを飲み下した気がした。伯父の言う通りだ。帆花が成人するまで5年。仮に大学へ進学したとして、卒業するまで7年かかる。響也の将来を考えれば帆花の存在は足枷になる――そう考えるのは当然だ。
"厄介者”
誰も口にしない残酷な言葉がチリチリと胃を燃やし、重く肩にのしかかる。響也の側にいたい。だけどその願いは響也の未来に影を落としてしまう。
不安で押し潰されそうな心臓が嫌な音を立て、目の前が真っ暗になった時――帆花はよく通る澄んだ声に意識を引き戻された。
「伯父さんのご懸念は最もです。帆花を養う場合、俺はこれから先、公私共に何度も試されるでしょう。"帆花の側にいることを選んで後悔がないか"、"別の選択肢があったんじゃないか"――問われる度に実感すると思います。やはり帆花の手を離さなくて良かった、と」
驚き、はっと息を呑んだ帆花は振り向いた響也と視線が重なった。大丈夫、何も心配いらないと物語る響也の眼差しはどんな言葉より雄弁で、瞼の奥が熱くなるのを止められなかった。
"ここにいていいんだよ"という聞こえるはずのない響也の声が、はっきり頭の中で響いた。深い闇の中、一筋の光が差し込むような尊さで。
奥歯を噛み締める帆花の肩を抱き寄せ、響也は胸を張った。
「帆花は芯が強く、優しい子です。俺ひとりでは得られなかった力を引き出してくれる。両親を失ってなお心折れず前を向いていられるのは、帆花がいるからです。重荷なんかじゃない。帆花は俺の支えです」
「……!」
「帆花を養うことはよく考えて出した結論です。多少の無理を押し通してもこの家で帆花と暮らしたい。半端な気持ちじゃありません。全力で帆花を守る覚悟でここにいます。どうか認めてもらえませんか」
伯父を見据える響也の双眸は一点の曇りもなかった。揺るぎない決意を抱いた響也の姿は頼もしく、どんな説得も意味をなさないことを伯父に悟らせるには十分だった。
ため息を零した伯父は響也と帆花の顔を今一度交互に見比べ、やれやれと肩をすくめた。
「二人を見ていると自分が歳を取ったと痛感するよ。響也くん、いい面構えになったな。守るべきものを得た男の成長は著しいもんだ。気の迷いなら考えを改めさせるつもりでいたが、杞憂だったようだ。すまなかった」
「いえ、真剣に将来を慮ってくれているからこそ厳しい態度で接して下さったことは理解しています」
「はは、殊勝なことだ。……この件に関しては響也くんの意思を尊重しよう。ただし二人で解決できないことが起きたら必ず相談すること。それが条件だ。いいね?」
「はい。約束します」
響也が頭を下げると、伯父はゆっくり腰を上げて響也と帆花に近付いた。二人の肩に腕を回し、円陣を組むように引き寄せる。
「正義と薫さんは幸せ者だな。無念だろうが、君達を見ていると幾分救われるよ。家族になれて良かったな。お互いをよく支え合って頑張りなさい」
正義によく似た伯父の温もりに包まれて、帆花は胸の痞えから解放された。この目に見える和解をきっかけに、他の親族もほっと肩を撫で下ろすこととなった。
* * *
同日夕方――――
窓越しの空が朱く染まる頃、響也はリビングのソファで寛いでいた。片手でシャツの襟元を緩める響也に、茶器の片付けを済ませて戻った帆花は労いの視線を投げかけた。
「お疲れ様。長い一日だったね」
「そうだな。さすがに疲れた。お前も疲れてるとこ働かせて悪い」
「ううん、洗い物くらいなんでもないよ。他に何かできることある?」
「んー……ある。お前にしかできないこと頼んでいいか?」
「もちろん!」
「じゃ、こっち来い」
響也がソファをポンポン叩くので、帆花は素直に従った。隣に腰を下ろすと、座ったまま距離を詰めた響也が肩にもたれかかってきた。片方の肩と腕が密着し、服越しに体温を感じる。響也の髪が頬に触れてくすぐったい。
「重くないか?」
囁いた響也の声は、少しだけ掠れていた。優しく、気遣いの込められた声色に、ほんの僅か甘さが含まれていて胸が鳴る。
「大丈夫だよ。加減してくれてるから」
「……よかった。このまま少し充電させてくれ。お前に触れてると癒やされるんだ」
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