プロローグ2


何年も続くはずだった家族四人の幸福な日常は、唐突に終わりを告げた。


珍しく雪積した冬の夜、自宅にかかってきた一本の電話に響也が表情を凍らせた。普段、大抵のことは涼しい顔で流せる響也の尋常でない様子に、帆花は嫌な予感がした。


「響ちゃんどうしたの? 何かあった?」

「……父さんと母さんが事故に遭ったらしい。急いで病院へ向かう。帆花、お前も一緒に来い」


息を呑んだ帆花の不安を感じ取り、響也はすぐに平静を装った。しかし一瞬取り乱した響也の、血の気の引いた顔を帆花は見逃さなかった。両親の容態が芳しくないことは明白だった。


(お願い、どうか無事でいて……!)


震える帆花の手を引き、響也は病院へ急いだ。しかし逸る気持ちも虚しく渋滞でタクシーは捕まらず、遅延する電車を乗り継いで病院へ向かう羽目になった。


ダイヤの乱れで苛立つ乗客達の殺伐とした空気も、横殴りの雪で濡れた服が冷たく肌に纏わり付くのも気にならなかった。傍目には落ち着いていても、きつく握られた響也の手から緊張が伝わってきて、両親の無事を祈りながら電車に揺られていた。



病院に到着したのは、事故の報せから一時間後だった。病院に踏み込んだ途端、帆花は背筋に氷が滑り落ちるような悪寒に襲われた。そして、残酷な事実が突き付けられた。


両親は大型トラックと衝突事故に遭い、病院に運び込まれ治療を施されるも一歩及ばず、息を引き取っていた。病室のベッドに横たわる物言わぬ両親と対面し、たまらず泣き崩れた帆花の肩を強く抱き寄せ、響也は声にならない嗚咽を漏らした。




事故の後――――


正義と薫の通夜には多くの弔問客が訪れ、生前の彼らが多くの人々に慕われていたことを噛み締める機会となった。気丈に振る舞う響也とは対照的に、帆花は青ざめ、生気が失せていた。


「まだ二人とも若いのに可哀想に。下の子はまだ中学生でしょう? これからどうなるのかしら」


遠く近く交わされる囁きは頭に入らない。ショックを受けた時の防衛本能なのか、全く思考が働かなかった。帆花は未だ現実を受け入れられず、悪い夢の中にいる心地で足元が覚束なかった。




響也の提案で親族話し合いの場が設けられたのは、数日後のことだ。


残された家をどうするか、また、中学3年生の帆花の身の振り方を考える必要があったのだ。昼下がり、神楽木家に集まった親族を迎えた帆花はどうにか気を持ち直し、キッチンでお茶を用意していた。困惑の声が漏れ聞こえてきたのは偶然だった。


「うちは無理よ。まだ小さな子供がいるもの」

「私達だってそんな余裕ないわ。はぁ、どうしてこんなことになっちゃったのかしら……」


ため息交じりの会話にどんどん心が重くなっていく。自分が厄介者になっていることが嫌で、辛くて、仕方がなかった。だからといって当事者が逃げ出す訳にもいかない。帆花は人数分の湯飲みに緑茶を注ぎ、何も聞かなかったふりをしてリビングへ運んだ。


「どうぞ。まだ熱いので気を付けて下さいね」

「えっ。あ、ああ。悪いわね。こんな時に気を遣わせちゃって」


焦って苦笑いを浮かべる親族の前にひとつずつ湯呑を置いていく。意図的に誰も自分と目を合わせようとしないことが居たたまれなかった。重苦しい空気の中、配膳し終わった帆花はトレーを胸に抱き、唇を噛んで顔を上げた。


「あの……迷惑を掛けてごめんなさい。私、大丈夫なので心配しないで下さい。施設でもどこでも行くつもりです。だから――」


(家族皆で笑い合ったリビングで、悲しい顔をしないで)


喉まで出掛かった言葉が発せられることはなかった。代わりに大粒の涙が溢れて、まさに頬に伝おうとした瞬間――少しの間外していた響也がリビングに戻って来た。


帆花と視線が交わった途端、響也が瞳を見開く。響也はやりきれない、苦し気な表情で帆花に近付くと、華奢な腕を掴み、背中に庇った。


「お待たせしました。こうしてお集まり頂いたのは俺の意思を直に伝えたかったからです。帆花は俺が養います。この家も手放さない。皆さんのお世話にはなりませんので、ご心配なく」


凛とした声色には一切迷いがなかった。しかし響也の唐突な宣言に、帆花を含めその場にいた全員が目を瞠った。

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