訪問者2




昴の告白は帆花を驚かせなかった。昴は礼儀正しく紳士的で、言葉遣いや立ち振る舞いに育ちの良さが滲み出ている。帆花は「そうなんですね」と相槌を打った後、躊躇いがちに口を開いた。


「あの……立ち入ったことかもしれませんが『元』跡取りというのは事情があるんでしょうか」

「うん、まぁね。単純な話、僕が跡取りになることを拒否して実家を出たんだ。今の会社に就職して以来、父とは絶縁状態だった。だけど最近接触があって久しぶりに再会したんだ。それからずっと頭が痛いよ」

「嫌なことがあったんですか?」

「父が未だに僕を跡取りにしようと目論んでいることが分かった。昔も今も、あの人にとって周りの人間は駒でしかないんだ。たとえそれが家族であろうと」


昴は吐き捨てるように断言し、乾いた笑みを漏らした。


「あの人は世襲にこだわってるんだ。だから僕に執着する。代々朝日奈家の長男が会社を継いできたのは事実だけど、僕はアパレル業界に興味がないし、代表という立場も重荷でしかない。当然のように父の責務を押し付けられるのはいい迷惑だ」


嫌悪感を露わにする昴は珍しく、帆花は小さく息を呑んだ。それに気付いた昴が「ごめん」とやんわり謝罪する。


「君を萎縮させる気はなかったんだ。ただ、距離を置いて時間が経てば少しは歩み寄れるかと思って顔を合わせたのに、あの人は全然変わってなくて失望した。数年ぶりに会っても僕・自・身・にはまるで無関心だったよ」


昴は残ったワインを綺麗に飲み干し、グラスの底に視線を落とす。父を"あの人"と呼ぶ昴の声は冷たく、帆花は父子の間に厚い壁を感じて押し黙った。重い沈黙を破ったのは昴だ。


「両親は政略結婚でね。父は僕を跡継ぎとして育てることに熱心だったけど、本当にそれだけだった。母にも僕にも情を寄せることはなくて、およそ一般家庭でいうところの親子関係には程遠かったと思う。不自由のない生活をさせてもらったことには感謝してるけど、血が繋がっているだけで遠い存在だよ。だから神楽木家に憧れてた。君達は僕が理想とする家族そのものだったから」

「昴さん……」


昴の呟きは細かな粒子となって染み込み、帆花の心に優しく触れた。


神楽木家は再婚によって二つの家族が一つとなり、その絆は血縁ではなく信頼と愛情の積み重ねによって結ばれていた。響也と親しくなった昴は度々神楽木家に招かれ、食卓を共にし、温かい時間を共に過ごす中で、ささやかな幸せと喜びを分かち合い、苦しみや悲しみを癒す家族の姿を知ったのだ。


「君達には感謝してる。何の見返りも求めずに家族の温もりを教えてくれた。おじさんとおばさんがいなくなった今もこの家に絶えず明かりが灯っているのを見ると安心するんだ。まるで居場所を与えられたみたいに」


朝日奈家の長男として産まれた昴は幼少期から厳しく躾けられ、英才教育を施された。元々要領が良く、何でも器用にこなす昴に対し、父の要求は次第にエスカレートしていった。過度な期待と束縛、強い圧力の下で緊張を強いられる日々――。苦痛に耐えかね、限界に達した昴は父の反対を押し切って家を出た経緯がある。


だからこそ、神楽木家に流れる温かい空気に癒された。いつ訪れても歓迎され、他愛のない話に花を咲かせ、時には親身に相談に乗ってくれる人達の存在にどれほど救われただろう。


「……ご縁というのは不思議なものですね。目に見えない不確かなもので、いつ結ばれて切れるかも分からない。だけど出会いは必要なタイミングで訪れて、気付きや支えになってくれる。昴さんが私達と出会ったように、お父様と再会したことにも意味があるんじゃないでしょうか」


顔を上げた昴と視線が交わる。帆花は励ましを込めて、昴に親愛の眼差しを送った。


「私、自分の身に降りかかる試練は雨のようなものだと思っています。冷たく激しい雨の中でただ呆然と立ち尽くしたこともあります。だけどやまない雨がないように、雲は切れて再び太陽が輝く。照らす光の眩しさに、空にかかる虹の美しさに胸を打たれるのは、雨を知ってるからなんですよね。降られて初めて……改めて感じられるものがある。それらは私を成長させてくれるものでした」


一旦言葉を切り、帆花はすっと背筋を伸ばした。


「残念ながら昴さんに降りかかる雨を遮ることはできません。だけど幸い、雨宿りできる場所を提供することはできます。だから昴さん、この家にいる時はご自宅だと思って寛いで頂けたら嬉しいです。疲れた時は遠慮なく羽を伸ばして休んで下さい。大したおもてなしもできませんが、いつでも歓迎します」


きっと両親が生きていたら同じことを告げただろう。辛い時や悲しい時、側で見守ってくれる人がいると力が湧いてくるからだ。与えられた勇気を笑顔に変えて、また必要な誰かにつないでいく。


"帆花は涙じゃなく、笑顔を届けられる子になりなさい”―――いつだったか母が背中を押してくれた言葉は今も帆花の胸に息づいている。


陽だまりのような笑顔を向けられ、昴は呼吸を忘れた。心にこびり付いた憂いが剥がれ落ち、すみずみまで清冽な水に潤されるみたいだ。枯れた大地を色とりどりの草花が一瞬で覆い尽くす光景を目の当たりにしたら、こんな風に魂を揺さぶられるだろうか。


いや、奇跡じゃない。試練を糧に前進する人間のひたむきな強さに惹かれてやまないのだ。


"帆花は俺が守る"


昴の脳裏に蘇ったのは、神楽木家の通夜で、響也から静かに告げられた場面だった。短い一言に込められた確固たる決意。それを貫く意志の強さと覚悟を宿した漆黒の双眸に射抜かれ、身動きができなかった。他人のことで息が詰まるほど胸を打たれたのは初めてだった。


「ありがとう。君達がいて、肩を並べていたいと思えるから僕は前を向いていられそうだ。この出会いは神様からのギフトかもしれないね」

「ふふ、そうだと嬉しいです。私達にとっても昴さんとの出会いはかけがえのない贈り物です。昴さんは響ちゃんにとって心を許せる貴重な友人ですし、両親は本当の息子のように誇らしく思っていましたから」

「光栄だな。じゃあ、君から見た僕はどんな存在?」

「私の視野を広げて、周りに溶け込んでいる素敵なものたちに気付かせてくれる人です」


照れ臭そうに微笑んだ帆花を見つめる昴は悠然としていた。ただ、長い睫毛に縁取られたブロンズの瞳だけは燃えるように煌めいている。肉食獣が獲物に危険を悟られないよう、茂みの奥で息を潜めるような気配がして、ドキッと心臓が跳ねた。




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