訪問者1


土曜日、19時過ぎに神楽木家のインタホーンが鳴った。帆花は液晶モニターで訪問者を確認した後、玄関の鍵を開けて出迎える。


「こんばんは! 昴さん」

「こんばんは。お邪魔してもいいかな?」

「もちろんです。どうぞ上がって下さい」


昴を迎え入れたエントランスホールは隣接する中庭との壁がガラスで仕上げられていて開放感がある。中庭の植栽は暗くなると自動でライトアップされ、昼間のクリーンな印象と違って華やかだ。


帆花は昴を先導して二層吹き抜けのリビングを抜け、仕切り壁の先に続くダイニングキッチンへと案内した。食卓には人数分のカトラリーがセットされている。


「あれ、響也は?」

「すみません、まだ用事で出かけています。約束の時間には戻る予定だったんですけど……」

「そうなんだ。じゃあ帰るまで待とうか」

「いえ、昴さんが来たら先に始めてくれって言われているので大丈夫ですよ。とりあえず軽くつまめるようなものからお出ししますね」

「ありがとう。手土産にワインを持って来たからよかったらどうぞ」

「わぁ、いいんですか? 昴さんの選ぶものはとっても美味しいので楽しみです!」


帆花は冷蔵庫から前菜を取り出し、鼻歌交じりで食器に盛り付けていく。昴はトレンチコートを脱いで丁寧に畳み、椅子の背に掛けるとキッチンへ歩み寄った。紙袋の中からワインを取り出し、邪魔にならないスペースにそっと置く。


「今回は比較的若い赤ワインなんだ。空気に触れさせて開こうか。コルク抜きを借りてもいい? あとデキャンタも」

「はい、どうぞ」


許可を得た昴は慣れた手つきで抜栓した後、ワインをデキャンタと呼ばれるガラス瓶に素早く注いでいく。ワイン本来の香りや味わいを引き出すために行われるデキャンタージュ――その鮮やかな技術は何度見ても感嘆してしまう。


(めちゃくちゃ絵になる人だなぁ)


元々容姿が華やかで見映えするし、落ち着いていて、物腰柔らかで紳士的。会社でかなりモテるだろう。


「昴さんってほんとに器用ですよね。ワインの扱いは誰かに習ったんですか?」

「学生の頃にフランスへ短期留学してね。その時友人になったソムリエに教えてもらったんだ。楽しかったし色々勉強になったよ」

「なるほど、そうでしたか。ちなみに今夜の前菜はポークリエットときのこのバルサミコ醤油炒めです。ワインに合うといいな」

「ばっちりだよ。帆花ちゃんの料理はどれも美味しいから楽しみだ」


料理と飲み物、グラスを手分けしてダイニングへ運び、テーブルに着席した。昴が用意したワイングラスを受け取り、顔の前で「乾杯」と掲げる。さっそく昴が前菜を口に運び、「さすがだね。とても美味しいよ」と褒めてくれたのでほっとした。昴は姿勢がよく、食事する所作にも気品が溢れている。


「今日は君にプレゼントがあるんだ」

「えっ」


驚く帆花に微笑み、昴は足下に置いた鞄から包みを取り出した。ライトブルーの四角い小箱は白いリボンでラッピングされている。


「頂いていいんですか?」

「もちろん。よかったら今開けてみて」


昴に促され、ワクワクしながらリボンを解く。中身は風合いのある上品な髪飾りだった。ラインストーンとパールを施したリーフモチーフのバレッタは、頭の形に沿うよう緩やかなカーブを描いている。


「うわぁー素敵! どこで買ったんですか?」

「出張で泊まったホテルの側にアンティークショップがあってね。ショーウィンドウにディスプレイされているのがたまたま目に留まって、帆花ちゃんに似合いそうだったから買っちゃった。値の張るものじゃないし普段使いしてもらえると嬉しいな」

「ありがとうございます! それじゃお言葉に甘えてさっそく」


箱から慎重にバレッタを取り出し、簡単に髪をまとめてパチンと留めた。テーブルを挟んだ向かいに座る昴に着用した姿を見せようと体を捩る。


「どうですか?」

「うん、思った通りよく似合ってるよ。お姫様みたいだ」

「そんな……」


昴は率直に褒めてくれるので照れ臭い。気恥ずかしさを残して向き直ると、昴の甘い笑みとぶつかる。直視できずに俯くと、昴はくすっと笑みを漏らして腕時計を見遣った。


「なかなか帰ってこないね。連絡してみたら?」

「そうですね。メールしてみます」


帆花がスマホを手に取り操作をするのを眺めつつ、昴は口を開く。


「響也、最近特に忙しそうだし帰り遅いんじゃない? やむをえないとしても家で待ってる方は寂しいよね」

「寂しいというか……心配です。響ちゃんは私の誕生日を一緒に過ごすために頑張ってくれてるんです。嬉しいけど、無理させてしまってる。それでなくても響ちゃんは自分のことを後回しにしちゃうのに」


不安げに肩を落とした帆花に昴は優しい眼差しを向けた。


「確かに響也は自分に無頓着なとこあるよね。帆花ちゃんが絡むと余計に。だけどそれを負い目に感じる必要はないと思うよ。帆花ちゃんの――信じて待ってくれている人の存在は何より支えになってるだろうし、元々彼は自分より大切な人のために一番力を発揮できる人間だよね。そういうところを僕は尊敬してる」

「昴さん……」

「調子に乗るから本人には言わないけどね。今のは内緒にしてて」

「ふふっ。はい、分かりました」


それからしばらく他愛のない会話が続いた。前菜が半分ほど減ったタイミングで帆花は席を立ち、キッチンへ向かう。いくつか料理を補充してダイニングへ戻ると、小さな衝撃を受けた。柔和な笑みを崩さない昴の顔が憂いを帯びていたのだ。


「あの、何かありましたか?」

「ん? 特にないけど、どうして?」

「元気がないみたいだったので」


着席した帆花が躊躇いがちに指摘すると、昴は硬直した。が、一拍置いて大きな笑い声を上げる。ひとしきり笑った後、目を丸くする帆花に視線を戻す。


「ごめん、ちょっと考え事してて素に戻ってたみたいだ。普段は他人に顔色読まれることなんてないから、意表を突かれて笑っちゃった」

「……驚きました! 昴さんがこんな風に笑うなんて珍しいですね」

「僕もびっくりだ。この家にいると気付かないうちに無防備になるらしい。君がいて安らげるからかな」


いつもは自分に甘い昴が甘えるような視線を向けてきて、ドキッとした。長い間頼れるお兄さん的存在だったのでギャップが大きい。


「響也が帰るまでまだかかりそうだし、少し昔話をしてもいい?」

「私でよければ聞かせて下さい」


姿勢を正すと、昴がデキャンタを手に取りワインをグラスへ注ぎ足した。


「ボヌールって知ってるかな。東京を拠点に国内外で自社ブランドを展開してる大手の衣料品メーカー」

「はい。大学の友人がアンジュの大ファンです。確かボヌール系列のレディースファッションブランドですよね。雑誌に掲載されているのを見たことがあります」

「それそれ。実はね、僕はそこの『元』跡取り息子なんだ」

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