きのふの愛を捨てんとて/『少女ペン書翰文 鈴蘭のたより』(宝文館 大正13年)の最後の文章

 正確にいえば、少女小説ではなく、「文例」なんですね。

 だけど、その文例そのものが手紙文ストーリーになってるという……


 引用↓。


***


先生私(あたし/以下同)は平安な微笑を思うて此のお話をお届けいたします。先生私は灯すころ河岸に沿うて家へと帰路に急ぎました。あの時、先生はまだ奥様と御いつしよに恐らくあのバルコンの上から私の後ろ姿を見送りながら何かのお話しに耽つてゐらしつたと思ひます。

瓦斯が青くボツーと燃えてゐる街道にゆくまで私は裏道を歩きました。小さい流れ、それを囲んで生活してゆく人々の群は夕暮の仕事に追はれて居りました。

丈夫さうなおかみさん達がてんでに赤ん坊をおぶいながら河端で、銀色のお釜をサラサラと洗つて居りました。

私は静かに謙譲な心を此の時持つ事が出来ました。小さいながらも私といふ少女にとつては最善な幸福でしたらう。

「おかみさん今晩はたいそう御精が出ますね」と私は笑ひながら挨拶を致しました。あの人等は非常に驚いたといふ事は、あの人達が此の時みんな眼を見はつて此の未知の少女の姿をうす闇に見出そうと勉めて誰一人それに対しての返答を致した者はございませんでした。

私は微笑ました、心から彼等を愛しますゆゑ、夕暮れの河に洗物をするおかみさん達もまたなつかしい人までこの博い静かで平和な愛は私の胸のおだやかさをそゝりました。愛さうといふ事はぢつとして心を広げることだと仰しやつたでございませう。

ほんとうに彼女達はなつかしい人達に相違ありません。

やがて――父にも母にも兄妹にも私はこの博大な静かな愛の温みをそゝぐ事が出来ませう。

愛する心それのみ幸なりと。

純にして貴いしかも和らかい胸と熱とがたがふ隙のなき迄合さるまでに私(わたし/以下同)はほんとうの自分の持つ美くしい霊魂の在所をたづねゝばなりません。

愛といふ静かに光る真珠の鍵を握り得た私はこれから探します、霊魂のありかを。

この次先生と奥様にお目にかゝりますまでに。


***


 ……うんそれは、唐突に普段そんなこと言わない様なちょっと変わったお嬢さんが唐突に声かけてきたから「何じゃこりゃ」と皆目を点にしてただけだと思うよ……


 さてこの文章は『少女ペン書翰文 鈴蘭のたより』(宝文館 大正13年)の最後の文章です。一応まるまる。


 この「書翰文」/手紙文例集という奴を、吉屋信子はワタシの知る限りではこれと、あとは『主婦之友』のふろくで2回出してます。この2回はどっちも中原淳一表紙です。

 文例集ってのは要するに「……の時に」と手紙の例文を載せてあるものでして、「時候の挨拶」とか「戦地に赴く従兄へ」とかシチュエーションを決めて「こういう風に書くといいですよ」フィクションです。ちなみにペン字の文字の手本で大きく書かれてるので、それで練習しましょう、という意味も込められてるかと。


 他のひとが作った文例集を知らないので何ですが、吉屋信子に関して言うならそうです。特に主婦之友のふろくは。

 同一の時間軸、登場人物、世界観の中で書かれているので、これはこれで一つの作品と見ていいんじゃねえかと。


 ですが。

 『鈴蘭~』は、どうも違いまして。

 確かに「電話開通のしらせ」とか「転宅のしらせ」とかもあるんですが、あくまで「少女」ですので、「六三四は武蔵に通じてね、その内一度見にいらつして頂戴。」などとやっぱり「少女」らしい言葉で書かれてる訳です。

 で、その長いものとなるともう。

 「コスモス」なぞは吉屋信子といやこれ、の「花物語」にも収録されている程。

 「悲しき手紙の一束」は、「千代」さんが「妙子」さん宛に手紙で打ち明けたら「私もお慕ひしてゐたのですの」と返ってきて有頂天――だけど実は「妙子」さんは別のひと(A様)を思っていたのを知って、「さようならしませう、さようなら、さようなら 寂しき我に戻れる 千代子 過去の思ひ人 妙子様」で終わっているという。

 これはもう、完全に文体を書簡にしただけの小説ですね。


 最後の2作「地平線のかなたへ」「きのふの愛を捨てんとて」は「先生」宛。

 ただ前者で「先生いまぞこの信子は唯一條白銀の焔と燃ゆる信念を抱いて遠き地平線の彼方に真珠一顆の如く輝くホープに向ひ進まんと幼き順礼となり小さくさびしい遍路を辿りゆきます――」とあるんでちょっとこれが創作なのか、自分の決意表明なのか、その辺りが迷うとこで。

 無論決意表明だったとしても、それはそれで創作なんだけど。


 同じ口調で「きのふの~」も書かれておりまして、筆者なのか? どうなのか? と迷うのは「少女」という言葉でして……

 吉屋信子自身の決意表明の後の気持ちがこうこうだった、というのだったら、アナタ「少女」というには二十代半ばでそれはないだろうと……

 一応「少女書翰文」だからそうしたとしても、……なあ。


 まあいずれにしても……な文章というのがワタシの印象で。

 とりあえず「彼等を愛す」なんてことを軽々しく使う辺りにやっぱりその「おかみさん」達への上から目線が……

 まあお嬢様ですから。何だかんだ言っても吉屋信子は郡長さんの娘ですから。​​

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