吉屋信子について書いたあれこれ

江戸川ばた散歩

「少女期」もしくは「乙女の曲」/さりげなく少女は存在を消された

>美緒ちやん、ユミは飯村久美子になりました。いまは、これを打明けて、学校でも、幼い日からのお友だちの貴女とまた仲よく肩を並べられるのです。うれしくてなりません。いつか学校でユミでない久美子として押し切らうとしてゐたときの、暗い悲しい気持は二度と繰り返ずにすみます。明日は、新しい父と母に連れられて、この海岸から帰京し亡くなつた久美子さんのお墓へお詣りし、お花を捧げて、久美子さんの身代りとして、御父様と御母様によい娘になることを誓ひます――、いづれおめにかかつてからお話いたします。

ユミのほんたうのお母さんと、ユミの弟は、ユミが久美子になつて仕合はせに暮らすことをよろこんでもらひ、そのうち、会へるのです。いま新しく生まれた久美子といふ少女は、これから飯村家の娘として、この家庭の善い清い星になる決心でございます。


 「少女期」という少女小説からです。

 これは『少女の友』で吉屋信子が最後に書いた戦前長篇少女小説です。昭和16年1~11月。

 普通は1年連載だろう! キリが悪いから打ち切りでぱないか? と邪推(笑)。

 いや実際、この時期ですから。

 まあ一応話の中では時局を示すものとしては、新しい父母が「南進日本のために」ジャヴァに居るということですが。あいにくこの部分、戦後版で「ブラジル」と置き換えても通用しますんで。

 戦後には「乙女の曲」という題名で発行されてます。

 昭和22年再刊なので、内容がちまちまと変更されています。


 内容。

 貧しい家に生まれ、眼の悪いお母さんがマッサージをやって生計を立ててます。

 お父さんはいません。弟が一人。三人家族です。

 ユミは頭がいいけど、さすがに女学校には行けず、尋常小学校を卒業したら「丸の内の或るビルヂングの地下室の食堂の給仕少女」になります。「月にいちど定休日が貰へる」のは果たして当時としても働きすぎではないかと思いつつ。

 その職場で飯村夫妻に「養女に」と乞われる訳です。

 まあそこではユミちゃん、自己犠牲の気持ちで断る訳です。


>これから帰る、おの大川端の長屋の奥の家――、そこに姉のかへりを待ちわびるいぢらしい弟――姉弟を育てるために、この夜も、人の家を次から次へとまわつて、お客の肩をもんだり足をさすつたりしてゐる、眼の不自由な母の姿を瞼に浮かべると――あゝどうして、じぶん一人の幸福のために、母と弟を離れて、よそのお家の養女になれよう――たとへ、憧の女学校に通へても! と、思ふのです。


 ですが母親の方が説得して、結局養女に出ることに。

 ところがそこで条件が。


>「(……)どうか、家に来た日から、首尾よく女学校を卒業する時までは、実のお母さんに会はず、我慢して欲しい、それね当人の為、私どもが、本当の親心になるため必要だから、ユミ子さんも、お母さんも、承知して貰ひたいが、どうでせうか」


 で、行ってみると、いきなり部屋は用意してある、家具も服も道具も何もかも揃ってる。

 だけど昔の友達にも手紙を出してはいけない。

 色々不思議な事情に夢の中に居るようなユミちゃんですが、タネをあかすと、つまりは亡くなった孫娘の身代わりだった訳です。

 飯村夫妻は、蘭印/現在のインドネシアに出稼ぎに行っている娘夫婦から孫を預かって育てていた訳です。

 たけど、その孫娘――久美子は女学校に入る少し前に病気で亡くなってしまったと。

 そんな時に「十年たって落ち着いたからいったん帰国して娘の顔を見たい」という手紙が。

 孫を亡くしてしまったことを知らせる勇気がない、と二人は身代わりを捜して――ユミに出会ったということでした。

 で、ユミちゃん、「自分から努力して」「久美子になろうと」する訳です。

 で、女学校に編入したんですが、そこで友人の美緒ちゃんに再会してしまうんです。

 だがしかし正体は明かせない。そこでユミちゃんだんだん疲れて行きます。

 それに追い打ちをかけるように、実の家族の消息。


>「で、私たちは、あなたのお母さんと相談の上、あのお母さんに、あすこを引っ越して貰ふことにしました。いまあなたのお母さんと弟は、前のあの大川端のお家よりも、よいお家に越してゐます。私の方からも、月々生活費を差し上げて、もうお母さんんがマツサージで、夜遅くまで稼ぎ歩かないでもすむやうにしてあるから、たとへ、母娘会はないでもねお母さんや弟さんのことは、安心してゐておくれよ、久美子」


 ちなみにこの辺りの地の文ではユミは「久美子」になっていたりします。「ユミの久美子」だったりも。

 で、ユミちゃん思うのです。


>

 また会へるまで――もう新しい久美子は、いよいよこゝで決心して暮さねばならぬのです。そして、また、そんなにしてまで、久美子としふ孫娘の幻影をつくつておきたい、飯村氏夫妻の――老祖父母の心境を思ひやるとき、新しい久美子は、いま、じぶんが新しい久美子となり切って生きることは、この老夫婦と、また久美子の父と母と、四人のひとへの(よろこび)のもとになり得るのだと、しみじみおもひました。

 一つの善い目的のためにの、装へる久美子――ユミは、じぶんのおびえやすい心に、烈しく鞭打って、これから、いかに完全に、美しく優しい少女の久美子となり得るか――やれるところまで、神のこれを許したまふ日まで――久美子になり切ろうと思ひました。


 しばらくしてさて飯村さんの娘夫婦がやってきました。で夏休みに海水浴でホテルに泊まったりしまして。

 あんまりいい人ばかりなんで、どんどん自分が偽物であることが心苦しくなっていく訳です。

 で、とうとう夜中に抜け出して、美緒ちゃんのところへでも…… と思うんですが。

 追いかけてきた「お母さん」。実は知っていた、と。で、今は「しんから可愛くなって」「幸福な母と娘で暮したい」という訳ですが。

 だけどそこで「はい?」と思うのが。


>「お祖父さんは、貴女にも久美子の心を持たせるために、少し女の子には重荷のやうな、その身代り役を頼み込みました。そして、あなたが久美子になり切ってくれるのを望んだのです」

(……)

「貴女を私は、ほんとの久美子と思つて愛します――だから、安心して、このまゝ、私たちの可愛い久美子になつてゐて下さい――そして、さあ、いまから、貴女もほんたうのお母さんと思つて、(お母さん)と心から呼んで頂戴」

(……)

 ユミは、自づと久美子の気持ちになつて、ふるへる声で泪ぐんで、さう小さく呼ぶのでした。

「久美ちやん! 私の大事な久美ちやん、もうどこへも黙つて行かうとするのぢやありませんよ。さあ、お部屋へ帰りませう」


 で、冒頭の美緒ちゃんへの手紙でもってめでたしめでたし、となるんですが。


 本当にめでたしかあ?


 ぶっちゃけ、最初に吉屋信子という作者の作品に違和感というか疑問を持ったのはこの作品でした。少女小説の大家だったと知ったのは中学生の時、田辺聖子の「欲しがりません勝つまでは」でしたが。

 なお引用は出典は『日本児童文学大系6巻』ほるぷ出版。ちなみに吉屋信子の欄担当は田辺聖子です(笑)。何で田辺さん、伝記ではこの作品無視すんですか。

 まあそれはともかく。

 なーんかこの「めでたしめでたし」妙だよなあ、と思った訳です。

 で、今になればまあ見えてくるものが。


 まあ当初から「何でだ?」と思っていたのが、実の母親への感情の薄さ。

 いくらしっかりした子でも、状況がどうあれども、一度決めたら「お母さん……」と夜中に恋しがることもまるで無いんでしょうか。無論そこまで追いつめたから憔悴してしまったとかあるんですが。それでも描写が無さすぎる。

 特にこの最終回の締め、「今どうしているのかしら」的な部分がさっぱり無い。

 無論、飯村氏によって保護されている、というのは信じているから、と言ってしまえばおしまいだけど、それでも。


 で、もう一つ。

 何と言っても「ユミの否定」なんですよ結局は。

 何で名前を消してしまうんだ、なんですよ。

 その名前で呼び続ける限り、ユミちゃんの存在は宙に浮いてしまうんじゃないですかね。少なくとも飯村の人々は、ダブルバインドの視線で見続ける訳ですよ。

 もし「ユミ子」を認めてくれるなら、そのままの彼女だけど、「久美子」になってくれ、というんじゃ。

 そこんとこにずーっともぞもぞしたものを感じてたんだなあ、と思うざんす。


 名前は大事だってば。

 ユミちゃんが今後アイデンティティの危機に陥らなければいいんだけど。​​​​​​​

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