吉屋信子の戦前長編小説について(19)昭和5年から支那事変までの作品(17)~良人の貞操

 さてこの作品は吉屋信子の戦前の代表作です。

 雑誌の代表作が「女の友情」で新聞のほうがこれです。

 現在の毎日、当時の東京日日新聞/大阪毎日新聞に約一年半掲載。メディアミックスも色々ありましたが、個人的には、歌が出て二人のヒロインそれぞれが「**の歌へる」として出ていたことかな。

 あと、映画の結末が全く別物ってあたりが(笑)。

 映画はビデオで復刻が出たことがあるんで入手して見たんですな。で、キャストもあらすじも変わってしまって、ヒロインの片方が一方的に不幸になる話になってしまうんだよなあ…… そうでなくては作れなかったのかもしれないし、作った側はそういう話にしたかったのかもしれないし。


 今回はあらすじもあったんで載っけて。長いぞ!



 東京・上野桜木町にある若夫婦が住んでいた。

 秋のはじめ。水上信也と妻・邦子くにこは結婚4年目である。新婚当初は優しかった良人も、慣れからか、多少妻に対して雑になってきている所である。その朝も、コーヒーの味だの、シャツのクリーニングだの、ちょっとした家事のミスについ腹を立ててしまったりする。


 邦子は、女学校卒業の頃は上の学校に進む気であったが、娘の結婚を早くと望む親の配慮から、見合い相手の信也と結婚した。だが別に見合いの頃から好ましく感じたくらいだから、悪くはない。ただ、男と違って、結婚してしまうと家庭以外のことに目を移す余裕のない、世界は良人と家庭だけ、という事実に悲観させられてしまうのだ。


 そんな朝、電報が届いた。信也の従兄弟、北海道に住む伯父の息子である民男が亡くなったという。そしてその民男に、邦子は女学校時代の親友である加代を紹介し、こちらもまた結婚して、娘を一人儲けていた。

 その電報と入れ違いに別の電報が届く。信也が、朝の言い方に反省して、「けさはゆるせ」と打ったものだった。

 それとも知らず、邦子は民男の死を知らせるべく、会社へ向かう。驚いて、信也はすぐに民男の勤務先であった福岡へ向かった。

 家に戻った邦子は、信也の打った電報に心温まる思いがする。


 留守一人、というのは何なので、邦子の妹が鎌倉の実家から来た。妹の睦子はモダンな女性で、二十歳である。彼女は信也が邦子の家事に文句をつけたことにあきれ、銀座でトースターとパーコレーターを買うといい、と約束する。

 翌日銀座で、睦子は女学校時代の友人で、信也の会社の白石専務の娘、照子と出会い、食事をする。白石専務は再婚の話がちょくちょく出ているやもめである。照子は、「女学校時代の先生でなければ誰でも」とさっぱりしたところを見せる。


 一方福岡へ発った信也は、翌朝民男の会社の炭坑へと着いた。そこで、三年ぶりに加代に出会った。加代は喪服の黒がよく似合う、すらりとした美人である。彼女は東京の深川の、代々続いた相当な家の生まれだったが、関東大震災で両親もろともに失い、祖母に養われ、女学校を出ると、デパートの女店員になって働いていたことがある。


 実家の帯広の伯父の兵助は、自分が来る前にさっさと葬式はやってしまえ、と電報をよこした。伯父はさっぱりとした現実家で、北海道で無一文から成功した実業家である。彼は信也と結婚した邦子を「利口な奥さん」と呼んで、お気に入りだった。


 葬儀が終わってから、兵助はやってきた。もともと彼はできの悪い息子の民男よりも、真面目な信也の方が気にいっていたらしく、信也と邦子の結婚式にはちゃんときたが、こうやって、自分の息子に葬式にはさほどの関心も示さないようなところがあった。


 信也と兵助によって、加代の身の振り方が相談された。「子供は引き取ってもいいが、女は少々金をやって手を切ればいい」という兵助に、「それではあまりにもあこぎだ」と、加代が再縁いるまでは嫁として扱ってくれ、と頼む。兵助は加代と娘の静江の二人を帯広に連れていくことを約束する。


 東京に戻ってしばらく、帯広に着いたと、手紙が来る。その中で兵助が加代に対して口も聞かない、といった他人行儀な態度をとっていることに邦子は憤慨する。信也は、男はそういったものだ、と言う。


 冬が近づいて来た頃、良人のセーターを編む邦子。夜長を夫婦水いらずで過ごしていると、信也の北海道の中学時代の友人の長谷部が来た。現在は藤沢町の産婦人科に養子となり、婦人科の医師となった男である。悪いひとではないのだが、酒癖が悪い。どちらかというと潔癖症の邦子はこの友人が好きではない。若い頃は、彼に連れられて信也も遊んだことがあるらしい。


 だがそういう友人にも現在さほど影響されることもない良人である。ではせめて家計を倹約して、少しでも彼がもっと好きな勉強ができるように、とついつい考えてしまう邦子だった。


 12月。姉がやってくる。この姉の安子は、妹の睦子と違って、あまり邦子とそりが合わない。特に安子は睦子に対しては不満たらたらである。その安子の良人・義三郎は、「山師」的で、もう三度も職を変えている。この義三郎は、妻の安子に、「外で女遊びの一つも出来ない亭主じゃ女房も肩身が狭い」というような男である。安子もまた、いくら亭主が遊ぼうと、仕事さえちゃんとやって、家庭の経済を潤わせればいい、と考える女だった。はっきりいって、邦子とは全くそりが合わないはずである。モダンだモダンだといったところで、邦子の影響を受けている睦子も、そのせいか安子の方には疎遠である。


 新年。実家には、妹の睦子と弟の幸一、今は隠居の身の父と、ばあやの辰がいる。この辰は邦子のファンであり、結婚後も何かと気をつかってくれる。この時、邦子夫婦には、いいニュースがあった。信也が「現代化学全書」の一欄を書かせてもらえることになったという。学問の著書を出版するというので、舅である邦子の父・専介は喜ぶ。

 

 春。桜の咲く頃。

 加代が帯広からやってくるという。邦子は友人がやってくるというので夢中である。しばらくは自分の家に泊めるつもりである。

 加代は子供と、小さい女中を連れてきていた。夜間女学校に通って専検を受けたいという彼女の望みをかなえてやったのだという。

 加代は葬儀の時よりやや化粧が濃く、あでやかな印象を信也に与えた。昔ながらの友人に出会った嬉しさか、邦子ははしゃいでいる。加代もまた、帯広で後家さんとしての息を詰めたような生活から解放された喜びからか、はしゃいでいる。横に並んで寝て、いろいろ話すうちに、伯父の態度が妙なことに驚く。帰路、別府で一泊して、そこでマッサージしてあげた後、急に伯父は冷たくなったのだという。そして帯広でも離れで暮らすようされた、という。

 加代は自分の結婚が失敗だった、と邦子に話す。民男は妻を人間扱いしていなかった。「あの人には妻なんてものは-御飯のお支度が出来て、そして…いつでも自分の好き勝手になる女なら誰でもよかったのよ、女は道具も道具、蹴ったり踏んだりしてもかまわない玩具だったの」その言葉に邦子は心底同情する。


 翌日、加代はアパートを探しに行く。そして、別に暮らしには困らないが、一日中ぼんやりとしているのはたまらないから、と職を探したい、という。信也は本社の事務を紹介する。

 邦子は信也に民男の虐待ぶりを説明したが、信也は怒る様子もなく、あっさりと「ちょっと酒癖が悪い」くらいだ、と言う。信也によると、加代が妻らしく打ち解けてくれないと判って癪にさわるから蹴ったりなんだりしたんだろう、とのこと。その「男の見解」に、邦子は一応納得する。


 加代は信也の口聞きで、本社の事務員になった。青葉の頃、何度か加代は邦子のところへ遊びにくる。そして信也も含めてあれこれと話もする。ある日、加代は邦子を誘って銀座へ行く。そしてショッピングとしゃれこむ。家に戻ると、幸一や、ねえやに連れられた静江が来ていた。子供好きな信也がわざわざ砂場を作って遊んでやっている。その様子を帰ってから幸一が話すと、実家に遊びにきていた安子が「あぶないものだ」と信也のことをいう。彼女は信也が加代のことを気にしていると思いこんでいる。


 さらにそのことを睦子が心配してやってくる。安子のかんぐりは下世話なものだったが、睦子は親切からだった。安子の良人は、安子がお産の頃、邦子に手を出そうとまでした男である。世の中の男を全て自分の良人と同等扱いにしている姉に、邦子はひどく腹がたった。

 その話を馬鹿馬鹿しいこととして、加代にも言う邦子。もちろん邦子は加代のことは全く疑ったことがない。


 職場の加代は、その美貌から、同僚からも、会社にやってくる実業家からも目をつけられてしまう。未亡人ということが余計に彼らの気を引いてしまうらしい。彼女の意志とはお構いなく。

 そしてある日、実業家の一人が、彼女を白石専務の名で呼び出して、手込めにしようとしたが、加代は持ち前の強気から、すっぱりと逃げた。だが、誘われるような女に見えてしまう自分に加代は失望する。彼女は無理にでもおきゃんにしていないと、死にたくなるくらいの絶望が襲ってくるのを感じている。


 そんな中、信也がやってくる。邦子が、父が具合悪いので、しばらく実家へ帰るという。そしてそのついでに、信也も休暇をとる。その間の留守番を頼みたい、というのだ。

 信也が出かける朝、ついでのように、加代は朝の支度をしてやる。それをいちいち新鮮な気分で信也は感じている。加代は通勤のため、途中まで信也と同行する。彼女は黒が似合う。

 職場で、白石専務は加代の字が綺麗だとほめる。専務は最近よくこのあたりにやってくるな、と同僚が噂する。だがそんな中、つい信也のことを考えてしまう自分に加代は気がついていた。

 留守番中、白石専務がやってくる。彼は自分の名をかたって加代に手を出そうとしてきた者のことについて、彼女に謝りにきたのだった。専務はあっさりとそれだけ言って帰る。


 信也だけが帰ってきた。だが、彼はどうも帰ってきた、というより、加代という美しい女の家へやってきたような感じがして仕方がない。眠っている静江を見て、自分の子のような錯覚をしてしまう。

 自分が死んだら、この子は頼むと加代は言う。何か生きているのは飽き飽きしてしまうことがある、と。信也はそんな投げやりな態度の加代を叱る。それは一時のばかげた感傷だ、と。そして彼は言う。僕は貴女が好きだから、僕のためにも生きてくれ、と。


 秋がまた巡ってきた。

 信也は執筆に忙しい。その時々、邦子は話題に加代のことを出す。元気のない彼女のことを心配する邦子は、早くいい再縁先が決まるといい、と言う。加代はあまり邦子の家に来なくなった。邦子が話題に信也のことを出すと、不機嫌になる。

 そんなある日、信也は白川専務に、加代を再婚相手として貰いたい、という要望を話す。信也はショックを受けるが、これが加代の幸せのためなんだ、と考え、加代に話す。加代は、どんな玉の輿でも、あなたがこの世にいる限り、結婚しない、と言う。もともと自分が民男と結婚したのも、信也の従兄弟だからということに惹かされたのだという。


 翌日、二人は外で会う。そして水神の料亭で、とうとう二人は一線を越えてしまう。二人は離れがたい思いを感じる。だが、帰るのは別々のところ。家に帰ると、加代の目に飛び込むのは、無邪気に眠る子どもだった。

 信也は後ろめたい思いはしながらも、友人長谷部を話に持ち出して、全く良人を信用してやまない邦子をいいくるめる。邦子は大切な友人のことを心底心配して、早くいい再縁先はないかしら、と良人に話す。良人がその再縁先を握りつぶしてしまったことも知らずに。

 

 冬。信也が「同僚の送別会」で遅い夜のことだった。加代のところのねえやが静江がけがをした、と邦子に泣きついてきた。加代は留守らしい。静江は左の腕関節の脱臼だった。

 天罰だ、と加代は思う。その晩は、その夜、「勤め先の同僚とお芝居」でもなく、信也も「送別会」でもなかったのだ。自分を全く疑わない邦子に、何も知らない子どもに対して恥ずかしい、と自分を責める加代に信也は、そう無闇に感傷的になられても困る、邦子はああいう質なんだ、妻を裏切っている男がほとんどで、結婚以来忠実に妻一人守っている男はいない、と言い立てる。

 信也は「男は誰でもしている」ということが免税符であるかのように、「もうこんな関係やめよう」という加代を責める。自分にここまで深入りさせ、気まずい思いをしてまで専務の求婚を断らせておきながら、また別れるのなんのという加代は、娼婦だ、と。


 しばらく会わない日々が続く。仕事をしていても、別の課からやってくる書類に押される印一つみても、信也のことが思い出されてきてたまらない。と、そんなおり、専務の娘の照子が加代をたずねてくる。ぜひ父と結婚してやってくれ、と。加代はさばさばして明るい照子のことも、実直な白石専務のことも、欺いて結婚するのはいやだった。申し訳ない。


 久しぶりに会った邦子は、信也が妙に荒れている、ということを言う。飲めない筈の酒にしたたか酔ったり、邦子がとりつくしまもないような態度をとったり。自分が別れる、と言ったせいだ、と加代は気付く。

 そしてまた関係がふりかえす。飽きられて捨てられるまで離れないから、邦子にはいい良人でいてあげて、と彼女は信也に頼む。


 年末。ボーナスの前借りが邦子の口から発覚する。それを口にすると、「余計なこと心配しないでいい」と言う。だが、確かにしがないサラリーマンの身で豪華な料亭での逢い引きは、身に過ぎたことだった。

 だが、例の化学書の印税が入るから何か買ってあげたい、と信也は加代にいう。自分は大した金のある身ではないから、せめてそのくらい、邦子には、来年の春の特別ボーナスをそれと言う、と。加代は黙ってうつむくしかない。


 正月。実家へ戻った邦子は、友人経由の睦子の口から、加代に白石専務との縁談を断ったことを耳にする。もちろん邦子は初耳である。

 一方、信也は加代と待ち合わせしていた。加代は年末に貰ったお金で、黒ビロードのコートを作っていた。黒は彼女によく似合う。その下には黒っぽい結城お召に黒縮緬の羽織。コートの裏のえんじだけが紅い。

 ところがそこで邦子の姉の良人の義三郎に出会ってしまう。信也はさっさに、加代のことを酒場のマダムだと言い作ろう。その様子を見た加代は、もうこんな関係は嫌だ、本当の妻になるか、一緒に死にたい、と言う。そしてやっと信也は、自分が身勝手だということに気がつく。だが、恋いも知らずに結婚した彼は、初めて恋した加代と離れるなんてことは、考えたくなかった。つい、邦子が病気で亡くなってしまったら、と想像までしてしまう、と告白する。それを聞いて加代は、そんなこと考えないで、邦子とはずっと添い遂げて、自分は日陰の女でいいから、と哀願する。


 邦子は加代に、縁談を断った旨を問いつめる。加代は、「本気だとは思わなかった」と言い抜ける。そして、帯広へ帰りたい、と邦子に言う。こんな運の狂った女は東京は毒だ、叔父さんに頼んでくれ、と。事情を知らない邦子は、そりゃヒステリーだ、と取り合わない。はやく再婚すべきよ、とすすめる。まだ彼女は気付かない。

 義三郎が信也の会社までやってきて、先日の件を楯に、自分の事業への出資を依頼する。信也は断れない。邦子は怒り、最近みんな変だ、と、加代が帯広に帰りたいといったことをついもらす。

 信也は加代に、帯広に帰りたいと言った件を問いつめる。今度は彼女も本気だった。亡くなった邦子の母親の墓の前まで信也を連れていって、加代は自分のしたことを悔い、信也にここで自分を捨てる、と約束してくれ、と迫る。

 と、その頃、姉の安子がやってきた。そしてあの正月の件を話してしまう。邦子はすさまじい怒りに涙しながらも、姉に、以前信也が言っていたお金は、口止め料として差し上げるから、父へは絶対いうな、と言う。


 邦子はそのまま、加代のところへ出向いた。そして、姉に言われたことを問う。「あなた正月に信也と箱根にいらした?」

 加代は血の気が引く。もう隠せない。

 邦子はまず加代を責める。よりによって同じ女学校を出て、親友の私をだましたの、と。そしてもう一人責めるべき人物があると言う。加代は皆自分が悪い、と信也をかばう。

 だが、その様子は、邦子を怒らすに充分だった。わざわざ伯父さんから責任もって頼まれた女と関係するような男と、一日も一緒にいられない、別れてやる、と。加代はすがる。そんなこと言わないで、私が帯広へ帰れば済むことだ、と。


「加代さん、では、女は出戻りになるのは損だから、良人がどんな非道をしても、我慢して、離れずにしがみついておれと、言って下さるのね-せっかくの御忠告ですけど、私には、そんな功利的な考え方は出来ません!第一、信也が私を裏切って、貴女を愛するようになったのなら、愛する者同士一緒に暮らすのが本当でしょう!もう愛もなくなった良人のそばに名ばかりの妻として、ただ食べさせて貰うという恥辱の生活は、一時間も私には我慢出来ません!」


 だが、加代は、信也は自分があくまで遊びで自分とつきあったんだ、と主張する。男はそういうずるいものだ、と。だが好きだったんだ、子どもがなければ死んでおわびしたいくらいだ、と切なく訴える。

 とはいえ、「許すとは人情では言いたくも、私の理性では、今は言えません」。それが邦子だった。


 邦子はそのまま実家へ戻り、辰に泣きつく。そして思いっきり泣いてから、父には黙っていてくれ、と言って帰る。

 信也が帰ると邦子は留守だった。そしてやがて加代が来る。加代は信也に邦子が全て知ってしまったことを告げる。信也は邦子と別れてもいい、と言う。だが加代は自分のことは忘れてくれ、と言って姿を消す。

 邦子の実家へと信也は向かった。辰が出迎える。悪戯もいい加減にしなさい、と辰は信也をさとす。そして邦子が父親に言いつけにきたのだ、と誤解している信也に、「あの御発明な邦子様が、大事な旦那様の恥を、お父様のお耳に入れる方かどうか-それさえおわかりにならないんでございますか?」と嘆く。

 信也はまた家に帰る。邦子は当初冷たく、素知らぬふりをするが、過失を認めた良人を放っておくほど従順ではない。怒りが止まらない。普段怒らないひとだけに、髪も逆立つ思いである。


「加代さんには罪はない」→「二人してかばいだてして」

「腹が立つなら打つなりなんなりしてくれ」→「貴方をたたいたからって私の手が痛くなるだけ」

「どんな要求にも従う」→「別れると言えば喜んでそうするのね」

「何の罪もない妻を追い出してよその女を家にいれられるものか」→「それでは加代さんをただの妾にするつもりだったの」

「…では、どうすればいいと言うんだっ!」→「貴方自分が悪いことをしていて、その上私をお叱りになるの?」


 そしてとうとう信也は、邦子に自分も加代も救ってくれ、と頼む。男の体面も意地も、伝統的の女性への支配感情も、優越感もなげうって。邦子は妻としては冷静に考えられないが、母になったつもりで考える、と約束する。

 信也は翌日、熱を出して寝込む。看病しようとして、戸棚から、かつて信也が出した電報を見つける。あのころはそれでも良かったのに、どうしてこうなってしまったのだろう、と悲しくなってくる。

 せめて母ならどういうだろう、と墓まいりにでかけると、最近人の来た様子。そして加代のヘアピンが落ちていた。邦子は加代をたずねてみる。だが留守のようだった。近所の人の話だと、ねえやが事故にあってもそれ以来だという。そしてそのことを信也に話すと、あの発覚した日、加代が自分に別れを誓わせたことを白状する。


 邦子は、自分の大事な友達を失わせてしまった、と信也をなじる。男の人は、芸者や酒場のマダムみたいな人がやっぱり好きなんだわ、と。だが、それでも信也はしどろもどろに自己弁護しようとする。そこへ邦子はとどめをさす。私がもしよその男の人とそんな事になったらどうする、私が平謝りに謝ったら許して元通り一緒に暮らしてくれるのか

 「貴方の態度が伺いたいの」。

 当初、そんなことしたら姦通罪になる、とあっさり言っただけの信也も、おののく。そして世の中にはそういう男がたくさんいるんだ、と例の論法を持ち出す…が、邦子は加代ではない。

 「貴方もお金があったら、さぞ加代さんを綺麗な妾宅に囲ってお通いになりたかったでしょうね、お気の毒でしたこと」

 さすがに信也も参った。


 そしてまたインフルエンザが悪化して、一週間ほど信也は寝付いてしまった。加代は見つからない。

 加代の居場所を知っているのではないか、と疑い、信也に問う邦子。だが、信也とて知らないものは知らない。さすがに邦子も、とにかく自分が身を引こうとした加代をばかな女だ、と怒りより哀れさが湧いてしまう。信也は、とうとう哀願する。お前が無知な女の狭量さから一歩高くあがってもあのひとを憐れんで、解決してくれたら、と身勝手な希望をつないでいる、と。


 と、加代がひょんなことから見つかる。早速出向く邦子。

 必死で身を隠そうとする加代。だか見つかってしまう。平手打ち一発で、もう止しにしよう、と邦子は加代を許す。だがことはそう簡単にはいかなかった。加代は妊娠していたのだ。邦子は加代を説得して、生まれてくる子どもを、子どものない自分が引き取ることにした。信也にはそのことは話さなかったが、既に立場は邦子の方が強い。何があっても全て自分にまかせると約束させる。

   

 加代のお産は秘密裡にさせようと、産婦人科医である長谷部のもとへ邦子は向かった。普段の好き嫌いなんてものはとりあえずさて置いて。加代はお腹が目立つようになって静江やねえやに判ってしまう前に、と長谷部の病院に入院させることにする。長谷部には加代のことは、妊娠中良人を亡くしたひと、と説明しておく。

 だが、口の軽い長谷部から、ついはずみで加代のことが信也にばれてしまう。会おうとする信也。すぐそこまで来ていると知った加代は、「無理に会おうとすれば、窓から飛び降りる」とつっぱねる。

 邦子はばれたことを知る。が、覚悟はしていたので、逆に信也のしたであろう態度を挙げ、「あのひとは、会わなかったでしょう?」と言い放つ。だが、「他人の子を快く育てていけるのか不安だ」という信也の言葉に、急に邦子も不安になる。


 実家へ出向いて、辰に相談する邦子。辰は、自分が邦子を育てた時のことを話す。「生みの母より育ての母」と辰の言葉に邦子は力つけられ、養子を貰う件を父親に言う。だが、邦子の様子から、父は気付いてしまう。とうとう邦子は父に打ち明ける。だが、加代の名だけは絶対に言わなかった。

 入院した加代が肺を悪くしてしまう。しかも心臓をやや痛めているという。妊婦の安全のためなら最悪のときには子どもよりも妊婦を助ける、と長谷部は言う。だが、加代は何があっても産む、自分が死んでも、と言う。邦子はその様子を見て、加代も産まれる子も必ず助ける、と約束する。


 仕事にいそしむなか、ある夜、信也は会社の工場の社員とビールをしこたま飲んで帰る。帰ってみると、邦子が赤ん坊の産着を縫っている。酔った勢いか、虚勢か、身につまされるものがあって、その産着を蹴ろうとしてしまう信也。すぐに反省はする。そして邦子の、心から喜んで縫っている、という言葉にしみじみ妻が愛しくなる。だが、邦子は加代が出産するまでは、自分が出産するものと思って、とその夜を断る。邦子の潔癖と同情を合わせ持つ清純さと正義感に比べ、男の身勝手な自由を恥じた。


 加代が出産した。つきそった邦子もまるで自分が産んだかのような心地になる。

 子どもが産まれて3週間後、邦子は子供-信一を引き取る。長谷部から人工栄養に関することは学んである。そして引き取る時、邦子は「この子のお父さんが一言おわびをしたい」と信也に会わせる。最後に一度子どもを抱くと、思い出の残るものは全て持って行って、と泣き崩れる。邦子達が去ったあとに、静江がやってくる。邦子の「子どもは静江一人だったと思って」と。


 邦子の用意した海ぞいの小さな家に加代は静江とねえやとの暮らしを始めた。だが、初冬、つれづれなるままに海辺を歩いていたりすると、美人の彼女には何かと目を付けるものがいる。別荘の旦那が2号にほしい、だの持ちかける。加代は自分は月給取りの奥さんの世話になっている身だから、とつっぱねる。


 そんなことがあるので、ついつい訪ねてきた邦子にも、「こんな自分は死んでしまったほうが良かったのに」と生き残っていた冬の蝿を針で刺してみせたりもする。その様子を見て、まだこの人の心の痛手は消えていないのだ、と邦子は思う。


 邦子が帰ったあと、静江がいないのに気付く。と、静江の泣き声がするので驚いて出ると、びしょ濡れになった静江が見知らぬ男に抱き上げられている。砂丘の割れ目の河に落ちて、もう少しで危なかったと。

 だがこりずに静江はねえやにねだって海にでかける。そこでまた助けてもらった男に会う。静江の受け答えに面白がった彼は、遊びにおいで、と自分の泊まっている宿に静江を連れていく。ねえやが心配していると、窓から手をふる静江。帰ってからねえやがその話をすると、加代はあきれて、宿のその男のところまでお礼を言い直しに行く。そこで加代はその男から、一目惚れしたから、今未亡人なら、自分はどうだ、ともちかける。あまりのことに加代はあきれる。2号ではない。女房として、だ。男は本気である。


 12月上旬。やってきた邦子に加代は相談する。男は今37才で、フィリピンのマニラから20年ぶりに帰ってきたのだという。そしてまたマニラへ行ってしまうから、その前に、という。加代はいっそ日本を離れてしまうのもいいから、邦子が会っていい人なら再婚してみる、という。

 邦子は男に会う。男は由利準吉と言って、フィリピンで材木関係を扱っている。彼は私生児だった。苦労して自分を育ててきた母親を見てきた男である。それ故、男は女を泣かせてはならない、という考えを持っている。海外での苦労する毎日の中、その母親のことだけは忘れられなかったという。加代はそんな母親に似ているのだという。邦子は彼を気にいる。だが、加代がまた私生児を産んでしまったことは言えなかった。戻ってきた邦子にそのことを言うと、今度は加代は自分でそのことを言いにいく。それで大丈夫なら、何処へでもついていく、と。 


 一度は加代の告白を聞いて-それは子どもを産んだことではなく、まだ相手の男が好きだということに対してだが、それほど深い情の女なんだ、とあらためて惚れ直す。そして、連れていくが、彼女の気持ちがこちらを向くまでは手を出さない、と約束する。

 話が決まって、帯広の兵助がやってくる。子どもの信一を、本当の孫のように可愛がる兵助。それを見て邦子はあらためて、いい人だ、と思う。


 だが、兵助は気付いていた。料亭に呼びだした信也を一喝すると、案の定、後ろぐらいところがある信也は縮こまってしまう。かまをかけたのだ。兵助は周囲の状況から、産まれた子どもが邦子のものではなく、加代のものだということを察していた。立派な始末だ、と兵助。自分の出来る限り善処したつもりで…などと言う信也には、「何を言う、始末は貴様の知った事か、ありゃみな、邦子のお蔭じゃろう!」とやっつける。最も、気持ちは判らなくはなかったち。兵助も一度、あの福岡からの帰りの宿でマッサージされながらふらふら、としたことがあったという。だからそれ以来一度も口をきかなかったのだ、と。

 話が決まって、出かける日が近づいた。加代は邦子のところへ遊びに行き、最後に、と子どもを見せられる。これで安心して何処へでも行ける、と満足する加代。信也が帰ってくる前に、とさっと家を出る。


 12月末、出航である。3日目、上海に着く。沈んでいる加代。船酔もある。だが子どもは元気で、「父親」になった準吉に甘えながら、上海の街へと出ていく。見知らぬ光景に静江は大はしゃぎである。おみやげをたくさん母親のベッドわきへと運ぶ。そして英語を少し習った、と報告する。朝は朝で、母親に聞いても判らなかった単語を早速準吉に聞く静江。加代はうかうかできない。

 香港九龍は今度は加代も一緒だった。そこでかつて、父親の再婚相手に、と頼み込んできた、白石専務の娘、照子と再会する。明るい彼女はあっさりと笑って別れていく。そして次第にこの香港の異国情緒の風景や、明るい陽射しの中で強く生きる希望が湧いてくるのを加代は感じていた。

 香港を出発して大晦日。船の中のプールで静江と遊びながら泳ぐ準吉を見ながらその筋肉質の男にに、何か感じるものがあった。ニューイヤーズイヴのダンスパーティ。準吉とテーブルをはさむ加代は、これから英語を習って、洋服を着るお稽古にかかる、と宣言する。ダンスはできないから、くやしいけどいずれ、と他の女性と踊る準吉を見る。たくさんの外人にも見劣りせぬこの日本の男をじっとみていた加代だが、やがてそっと船室に帰ると、荷物の中から、かつての信也の思い出の黒ビロードのコートを取りだした。そしてそれに花をそえて海へと流す。

 外に出ていたのに気付いた準吉はいつものように別々の船室に入ろうとすると、加代は横浜出帆以来、初めて準吉の船室に入った。そして自分を幸福にする道を知らなかった自分を後悔しながら、加代は準吉の腕に崩れ落ちた。


 四月。邦子の卒業した女学校のクラス会があった。20人くらいしか参加しなかったが、結婚しているものばかりだった。加代の消息も、はしょって答える邦子。

 加代はときどき手紙をよこす。生まれ変わったようにいきいきした生活のようだ。

 はじめはクラスメートの消息の話だのしているのにだんだん家庭の話ばかりになっていく。男と違って、家庭のことが心配な主婦たちは、土曜の正午から始まった集まりも、4時ごろには皆帰っていく。邦子も家の坊やが心配になっていたのだ。

 帰り道、空を見上げる邦子。この空はマニラへも続いている。ふと加代の名がこぼれた。



ということで人物相関。


https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201806210004/


 割とシンプルです。

 んでもって「ダブルヒロイン」「三姉妹」「不倫」要素が入ってきてます。

 まあともかく母親が亡くなってるひとが多いですねえ。

 高等女学校時代の親友同士の邦子さんと加代さんですが、この二人はまるで違うタイプの女性です。


 夫の信也のいとこが亡くなったことで話が動き始め。

 信也をめぐる三角関係ということになっていきます。……が。

 なっさけないっす。……このダンナ。

 結局は「妻」と「愛人」の間をふらふらふらふらふら。

 それに耐え切れず+妊娠してしまった!ので逃げたのが加代さんのほうで。

 信也はばれてしまったあとどうにもできず、事態を邦子さんに任せてしまう次第。 

 ……つか、邦子さんがそれを逆手にとって全ての主導権を握ってしまったという感もありですがね。

 事態の収拾も、夫婦生活も、家計も。


 そのあたりを竹田志保氏は「去勢」と表現してますね。だいたい同意できる論文なのです。

https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1916&file_id=22&file_no=1


 この「去勢」に関しては、「彼女の道」とかでも思ったんですがね。

 ともかく男が去勢(性的にコントロール)され、女が家計を握ることができる様な家庭を良し、としている感じがするんですわ。


 最終的には加代さんは静養中の鵠沼でマニラ帰りの男と出会い、望まれて奮起して結婚して日本を出ていくわけですが。

 この準吉はいい男ですねー。たぶんそういう形で書いたんでしょう。

 海にコートを捨てるまでは加代さんに指一本触れてない、という描写になっております。その気になるまでは、と。


 んで、この話は1999年に毎日メモリアル文庫から出てるんだけど……リンクはろうと思ったけど楽天には中古の上巻しか……もうないのね……

 アマゾンだと上下巻あります。やっぱり中古だけど……


 まあ図書館レベルで「朝日版全集」に入っているので興味のある方はどうぞ。

 不倫ものとして読めますでー。

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