吉屋信子の戦前長編小説について(25)ダブルスタンダードの生まれる要因(2)読者の反応と吉屋の対応

 ​​​​んで。

 吉屋と投稿読者と編集者の関係なんですが。


 吉屋信子自身、投稿少女でして、その流れで書き出した「花物語」のファンから甘い声援を受け続けてきたわけだな。

 だから『黒薔薇』においてもある程度甘い言葉を期待していたと思われます。


 んで、このパンフを出すときに、宣伝兼ねてか、大正十四年二月四日の『読売新聞』朝刊には『黒薔薇』№5と同題の「憎まれ草」というタイトルで文壇攻撃及び『黒薔薇』宣伝の随筆を書いているんですな。

 さてここで吉屋は文壇を「とにかく形なく非物体的な一枚の壇に過ぎな」く、中央公論・改造・新潮・月評家多勢の集まりという四本の柱に支えられていると皮肉ってる。



>「文壇といふものが文学そのものではないんぢやありませんか。三ツ児だつて知つてるわ、言ひ代へれば、毎月大きな商売雑誌に出る短篇が三万三千三百三十三束になつて集まつたところで、それだけが日本の文壇とはけつして死んでも、生きても、ころんでもつぶれても首を切つても言へる筈ではないんですもの」



と続け、壇の外の「若く新しい広野が限りなく展開されて」いるとするわけだ。

 そして「とりどりの個人雑誌、同人雑誌、長篇小説、童話文学、少女文学、少年文学、詩よ歌よ有名無名」ある中に『黒薔薇』を入れてやってくれ、と宣伝すると。

 そして最終的に



>「女性は現在の文壇上の人となるは困難なる可し、しかし未来の文学上の地位を占むる事は天分、努力ひとつにて、可能なるを又かたく信じます。若き女性の方達もし文学に御志立て給はゞ、この覚悟にてお進み遊ばせ、我が月刊パンフレット。「黒薔薇」はその御歩みをお手伝ひ致すでございませう、どうぞ、御心つよくお思い遊ばして……」



と、誘いかけている。 

 そんじゃ吉屋がその言葉通りに動いたかと言えば……まあ ……なあ……


 この読者との関係がよくわかるのが、読者欄「鸚鵡塔(おうむとう)」なんだな。

 №2から置かれたこの欄は、交蘭社編集が投稿の選別を行っている。

 もっとも投稿規定が掲載されたのは№5からである。

 そしてその号から「懸賞課題」の批評募集を「女歯医者」と「裏切り者」について行っているんだけど、「女歯医者」の批評が出た№7には募集自体を止め、最終号である№8においては「鸚鵡塔」自体が消えているんだな……

 これはまず見られることが無いと思うんで、これでもかとばかりに当時まとめた。

画像だけ取り上げてみればまあ読める大きさになると思う。


https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201807020000/


 で、流れを見る限り、当初は読者の声に非常に期待していた感じなんだな。


 傾向。

 まず女性は基本的に少女雑誌の延長上の「声援」を送っていますな。

 ただ「くさのとり」さんは「中年」と名乗って厳しい意見を送ってる。んで短い時期に二度も掲載されてる。

 男性の場合、当初は誉めているものが多かった。けど、№4~5辺りから誉めつつ非難する、という形が増えてくる。それが最も著しい形になったのが、№7。


 この号は「女歯医者」の批評、通常の「鸚鵡塔」とも、長文の投稿が多いのだ。

 批評の方は「歯科医志望の女性」以外全て男性。その感想も最後の一人以外は全て苦言を含んでいる。

 まあ正直、この表では、きりがなく褒めてるばかりの肯定的な批評は省略してる。

でも入れたとしても、マイナスの言葉のほうが強いし、内容が濃い。


 たとえば。

 「鸚鵡塔」でも№1に掲載された「純潔の意義に就いて白村氏の恋愛観を駁す」に対し、「元々吉屋党」と断り、昔からの作品の愛読者である「千葉の押尾憲治さん」が悲痛の声を上げているのが非常に印象強い。

 こんな風に痛烈なものが№7に一挙掲載されているわけだ。

 で、そのこと自体、編集を任せられた交蘭社編集に何らかの意図があったことが感じられるわけだ。


 ただ「女歯医者」に関しての、№8における吉屋信子自身の怨み事はいただけない。

 そもそも批評を募集したのは№5・6の二回に渡っていることから、吉屋もこの作品を扱っていることは承知のはず。

 おそらくは「女歯医者」に対し、そこまで痛烈な苦言を寄せられるとは思ってもみなかったのだろうが、さすがにこれは見苦しいよな、と思った。んで、次に募集した「裏切り者」への批評は№8の読者欄の消失と休刊によって宙に浮いたままになってしまった。


 ちなみに「女歯医者」は、


・近くで女歯医者の看板を見つけて、そこの雰囲気を想像する

・そんなある日、歯の詰め物が取れてしまった

・そこに行く!と母親のとめるのも聞かず出かける

・行ってみるとあまりの不潔さにあとで仮の詰め物も取ってしまった

・結局行き着けの歯医者に後で行くことにする


 という話。

 想像と現実のギャップの酷さを書いたのか、女歯医者という彼女の中の「あるべき像」が破壊されたのが気持ち悪かったのか、ともかく貶し方が酷かったんだよな。

 ともかくこのひとは上げ下げの差が激しいし、潔癖症なんだわ。それがまともに出てしまっている作品なんだわな。


 まあはっきり言って、女歯医者になろうとした人ががっかりしたのも無理ない内容なわけだ。

 それだけの悪口の力があるって言えばあるんだけど、気分良くないわな。


 で、じゃあ何故交蘭社はこれらの評を選んで載せたのか。

 ここでは二つの理由が考えられた。


・内容傾向の変更への期待

・そうでなければ『黒薔薇』からの撤退促進


 前者は編集者として、読者からの辛口の意見が多い→もうちょっと考えてくれ!

 後者の理由としては、『黒薔薇』の部数減退。


 吉武輝子は著書の中で『黒薔薇』は「予想をはるかに上まわって一万五千部の発行部数をみたのだった」

 とし、田辺聖子は『ゆめはるか吉屋信子』(朝日新聞社 平成十一年九月)の中で「一万」としている。

 「成功」とどちらの伝記も締めている。

 だがそれは最後までその部数を保てたか?

 №3の「末尾に」によると、№1は売り切れて再版しまだ一千部残っている、と吉屋は記している。

 だが№6の「鸚鵡塔」において、編集の飯尾氏は「五千有余の吾が『黒薔薇』の諸兄姉よ」と呼びかけている。

 ここで想像できるのは、№1「のみ」が吉武の言うところの一万五千部だったのじゃないか、ということなのだわ。

 飯尾氏の発言が№6なら「五千有余」は二号前の№4の売り上げから予測したものだろうな。

 とすると、№4の時点で既に当初の三分の一に購読者数は落ちているということになる。

 つまり、吉屋の「素」の文章に接すれば接するほど、読者は離れて行くということになる。

 吉屋は№8の「鸚鵡塔」で№1の批判に対し、「その時たゞ一つの観念にしがみついて他をかへり見る余裕もなく」書いたので、「再び他日」「小説に描き出し表現して」みたいと書いている。

 だが「しかしあの初号の感想も私にとつては懐かしい過去の足跡のひとつです」と、文章とその内容を否定しない。

 実際、昭和十一年発行の『処女読本』にタイトル変更のみで何の本文改変も無く再掲載していることが、吉屋にとって「純潔の意義について」が非常に重要な一文だったことの証明だろう。

 つまり、あれをけなすような読者なんか要らない、と思ったんじゃなかろーか。


 あと、1からずっと続いた長編「或る愚なる者の話」は№7から唐突に文体が変更されているんだな。

 №7において吉屋は唐突にこう宣言して、それまで三人称・常体であった地の文を一人称・敬体に変更するのだわ。



>  おことわり

(此の物語は十五回から滝川章子自らの話に文体を移しました、作者の気持の上からの我儘をお許し下さいませ)

(№7 二十九頁)



 まあこれが、後に戦後発行されたときにこの「おことわり」がつけられたまま、再び三人称・常体へと戻す作業がなされているわけだ。

 記述自体も不完全なままの改変だが、この作業自体が非常に不徹底なのだわ。


 ・三人称 → 一人称のミス……13ヶ所

 ・告白体 → 常体のミス …… 23ヶ所

 ・明確な誤植       …… 5ヶ所


 「明確な誤植」は単純に出版社側のミスと考えていい。

 本文の文体改変に関しては、記述の矛盾をそのままにしておくことから、吉屋自身とは考えにくい。

 けど、物語の終盤における少女の死の取り扱いはどう説明したらよいのだろう。

 №8では、主人公と親しい少女が「レイプ後に殺された」ことが伏字を使って暗示されてる。

 だが改変後はその描写が無い。この改変は僅かだけど、印象が全然違うんだよな。

この箇所を改変するならば吉屋自身作である可能性が高い。だがそれにしてはあまりにミスが多い。すなわちその連携の悪さが、「本来の出版人でない」出版社を相手にしたという証明じゃないか…… と想像したんだけど。


 閑話休題。

 またこの号は「巻尾に」によると、発売が遅れたともあるわけだ。

 「六月の憂鬱」のせいだと吉屋は記しているが、果たして憂鬱の原因は№8に記した「蓄膿症」だけだろうか。

 そして№8では長篇も最終回を迎えるのだが、やや唐突感は否めない。


 元々「或る愚なる者の話」には筋らしい筋は無いわけだ。

 女学校教師の主人公がだらだらと美少女と楽しく交流しつつ、あー仕事やだやだ、と言ってる話なので、続けようと思えばぐだぐだと続けられた筈なんだが。

 ところが急転直下。

 少女がレイプ殺人され、主人公がそれに衝撃を受けて「汝愚しき者よ!」と内心叫ぶ完結だけは決まっていたのかもしれない。過程はどうあれ、結末さえあれば物語は完結する。

 だが単行本には戦後までされなかった。吉屋自身がOKを出さなかったと思われるが、「屋根裏の二処女」の購買層なら売れるという可能性を当時は想定しなかったのだろうか。


 ここで考えられるのは、吉屋はこの『黒薔薇』において、自分の攻撃的姿勢が露骨に現れている文章をこの一万五千~五千の読者以外、後に残したくなかったのでは、ということだわ。

 家庭小説の書き手として、帰国後、新聞や百万部婦人雑誌『主婦之友』『婦人倶楽部』に連載を持ち、教育家からも模範的と誉められる「吉屋信子先生(きらきら)」の姿を保つためには、この時期の本音の文章をそのまま出すことは不利だと計算したんじゃないのか、と。


 では「何が」不利か。

 それはやはり吉屋の基本姿勢である「処女性崇拝」「生殖・男性性拒否」そこから派生する「同性愛」「永遠の女学生」じゃないかなあと。

 男性や中年女性の読者の非難・忌避の中心もそこにあるんだし。


 だが何故これらは非難・忌避されねばならなかったろうか?

 それがつづき。

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