吉屋信子の戦前長編小説について(24)ダブルスタンダードの生まれる要因(1)個人雑誌「黒薔薇」

 さて、前回でダブスタだよな~と言ったけど、「それじゃ何故そうせずにはいられなかったのか」なんですな。


 で、当時のワタシとしては、吉屋信子の小説の変貌は帰国後にあると見た。

 まずそこで渡欧渡米前に精力的に取り組んでいた個人雑誌『黒薔薇』を取り上げてみた。


 この個人雑誌とは何ぞや、というものだけど。

 当時自身で好き勝手に作って編集して出版を出版社と協力して出すという個人雑誌というものが流行った時期があったんだな。

 ただし吉屋信子の場合、個人雑誌だけど形は「パンフレット」だった。大正十四年一月~八月において一ヶ月一冊のペースで出している。

 発行するに至る経緯を『女人 吉屋信子』で吉武輝子は「直接の動機は、最愛の女門馬千代への思慕である」とし、以下の吉屋から門馬宛の手紙を載せているんですな。



> 大正十三年十月十日――

 これはうれしい手紙よ 千代ちやんにとつてね(……)

 あつ 千代ちやん おめでたう

 雑誌出すの私が そして帰京するのよ あなた

 今日交蘭社の主人が来たの 雑誌として競争的に出すのは少し困る 自分の目的は吉屋信子個人雑誌のパンフレットを是非やらせて貰ひたいつて云ふの 大丈夫売れる私一人で と言つたら ええ 大丈夫 花物語の読者だけでも充分に出す予算がありますつて云ふの 内容は純創作でよく これから交蘭社も「屋根裏の二処女」の出版を皮切りに いよいよ大人相手に文壇的にも乗り出してゆきたいのですつて 少年少女では不足でさびしいなんて生意気ね

 そして此頃 俳句の作り方感想集なんて出して喜んでゐるの でもいいでしよ

 さういふつもりなら その代り私ね 約六十頁のコントのやうな四六版の雑誌を自分で埋めてゆくの 原稿料はあまり外の雑誌のわりにとれないの でも利益があれば二つ割にしてくれるつていふの(原稿料の外に)

 どういいでしよ 約束したわ

 そして自分の個人雑誌だけれど同性のよき作品のために進んで頁をさいてあげると宣伝するの

 そして千代ちやん あなたの評論をのせるのよ わかつた しげりさんの戯曲のせないといけないでしよ のせないとあのひとふくれるね たしかに

 ああうれしいね そしてね編集はそんなんだから 私の家で自分で好きな様に引き受けたの

 そして千代ちやんを私が助手に(個人的に)頼むの そして百円あげるの いいでしよ これでがまんするのよ だつて編集なんて二日もあれば出来ます(雑誌の性質が性質だから)つて云つて こんご向ふで編集者をやとふところなら頼んでみるの

吉武輝子『女人 吉屋信子』(文藝春秋社 昭和五十八年十二月 二十六~七頁)



 ……えー、この本には彼女と彼女のそういう手紙のやりとりが結構載せられてる。

 かなりなまなましいです。ちなみにしげりさん、というのは山高しげりのことです。もともと門馬千代は山高しげりの友人だったのを紹介されたんだな。

 書き魔のお手紙だから、今だったらLINEやメールをひっきりなしに出すという感じかな。一日に何度も吉屋から送ったり、電報にする場合もあるから。

 ただ距離がこの当時この二人にはあったわけだ。

 吉屋信子は東京、門馬千代は下関に分かれて暮らしていた。

 もともとは関東大震災の後、吉屋が『婦人之友』連載の「薔薇の冠」の取材のために長崎へ取材する際には門馬も同行しているのだけど。

 一応執筆という仕事がある吉屋に対して、女学校教師の門馬千代は何もしないわけにはいかない。何せ彼女には家族があって、仕事して仕送りもしなくてはならなかった。

 ので大正十三年一月には下関に門馬の女学校教師の職が見つかり共に移動、一軒家を見つけ共棲みするようになったのだけど、七月末には吉屋一人で東京に引き上げてる。

 で、運良く門馬千代が存命中に伝記を書けた吉武輝子は、この間の日記を元に理由を以下の様に述べている。



> 当時にしては珍しい断髪に洋装という信子が異形の人と目に映じたのだろう、なにかにつけて、人びとは好奇のまなざしを投げかけた。千代の同僚たちも、信子と千代の関係を執拗に知りたがった。わざわざようすを見に訪ねてくる同僚もいる。同性愛であることが知られては、町をあげてのスキャンダルにされてしまう。官公立女学校の教師にとってはスキャンダルは命とりである。弟妹たちのために、なんとしても現在の職を守り抜かねばならぬ千代は、止むをえず、いとこ同士であると言いつくろう。(……)

 ​「千代ちやん、送金の工面に困つてゐる様子。あげたしと思へど、口実に苦しむ。千代子のガンコモノ!! だがうれし、純粋な結びつきをと願ふあまりだもの」​

 これは六月二十三日の日記の一節である。(……)

 七月二十日

 これ以上、下関にとどまりては、千代ちやん、職場を追はれるやも。愛する人を悲しませて、なんの愛! ひとり帰京せんと千代ちやんに告ぐ。神よ、ふたりの愛を守らせ給へ


 千代を失わぬために、信子は、別れ住むことを決意したのだつた。

(同 百七十四~六頁)



 だが東京に戻っても門馬千代が居ないことに耐えきれず、「別れ住んでいた」「十ヶ月あまり」に、行き交った手紙は百五十余通。

 何とかして帰ってきてほしい、という願いで、彼女の仕事として『黒薔薇』を引き受けてしまう吉屋。

 だけど門馬の返事は冷静なものだった。さすが理系才女。数学が専門だったけど、ともかく何かしらがんばれば家事何でもできるようになったという。



> 黒さうびの事初めを出来るだけ力をためて出来るだけの事をなすつて下さる様願ひます 私の帰京を早めるために 無理な計画をかげでたてたりすることはもう止めて下さいましね

(同 百八十五頁)



 で、十二月には『黒薔薇』№1が出来上がる。

 「千代の生計のためにと、無理を承知でスタートさせたもの」だったが、門馬は戻らず、一人でスタートさせることとなった。

 


> 始めは個人雑誌にするつもりで居りましたが、第三種郵便物の方が今度お上でやかましく仰しやるさうで、えゝ、そんならいつそとパンフレツトに致しました。でも内容も意気込みも個人雑誌計画の時と同じで出発してまいります。

「御挨拶」(『黒薔薇』№1 交蘭社 六十七頁)



> 多くの雑誌が菊判の型を取っているのに、『黒薔薇』はそれより小さい四六判で、表紙はイラストレーションをひとつも使わず、囲み罫を生かしただけの簡素なもの。しかし、紙の質を吟味し、冊子の天・地・木口を裁断しないいわゆるフランス装本を選んで、総体として瀟洒なスタイルになったと言ってよいだろう。

上笙一郎「解説『黒薔薇』と吉屋信子」(『黒薔薇』復刻版解説 不二出版 九頁)


 

 四六版というと今一つぴんと来ないけど、実物見ると「あ、A5版同人誌だ」となりますだ。実際「薄い本」まんまです。


 だ、この個人「パンフレット」は、№1に徳田秋声が「発刊の辞」を贈り、№4に「本庄千代」名義の評論が一編掲載されている以外は、全て吉屋の作品で埋められてる。

 ちなみに「本庄千代」については「巻尾に」において「引き締まつた理智の通つた同性の方」「尊敬してゐるお友達」とのみ記されているだけ。

 吉屋から見た性格、書簡において吉屋が執筆を要請していること、また下の名から門馬ではないかとも思われるが、確証は無いんですよね……

 で、下は吉屋が『黒薔薇』にて書いた作品。


 興味深いのは、勢い込んで作り出したこの個人パンフレットの中から、その後、再録されたものが非常に少ないということ。

 ここで連載していた長篇「或る愚しき者の話」にしても、この時期には単行本は出されていない。出たのは戦後。しかもばたばたした時期で、他に遅れをとった時期で、ついでに言うと文章改変もあり、タイトルが「黒薔薇」になってる。

 ちなみにこれは近年復刻してるんで入手可能。

 ワタシが院に居た愛知大学にはありまっせー。新女苑のマイクロもありまっせー。


 ……となると、「何で再録されなかったのかなー」が気になるというもの。


https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201806300000/


 「隣家の厠」と小品「女歯医者」は明らかに私小説だった。

 ちなみにこの「短篇」と「小品」の区別が難しい。どっちも短編小説じゃん! と言ってしまえば終わりなんだよね……

 だけどまあ、区別が難しいと言えば、「感想」「論文」「余興」「随筆」も同じで。

 どれも吉屋自身の生身の声をそのまま出した文章なんだけど、殆ど再録されてない。


 純粋に随筆だろうと思われる「保存病退治」も何処にも再録されていない。

 これは残念だった。

 一種の「捨てられない症候群」告白文なのだが、その中でも「自分の思い出が詰まった」ものが捨てられるのが嫌だ、という性癖が非常にくっきりしてるんだな。

 で、文章中で吉屋自身「小児性」と述べているんだけど、それが「屋根裏の二処女」や「或る愚なる者の話」その他初期短篇に共通して登場する「章子」という名の主人公に直接通じるものがあって、興味深い。

 まあたぶん作者そのものだと思う。


 そんな作品なんだけど。

 ​それを未再録ということ自体、​この時期の自分の性格を、新聞や婦人雑誌で売れ出してからの読者に見せたくない!​ ということじゃないかと思った。​

 じゃあそれは何故か?


 ということで、吉屋と読者、そして媒介する交蘭社編集との関係を見てみたわけだ。

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