吉屋信子の戦前長編小説について(31)長編のキャラとか構成というあたりから見て(3)もの凄くドラマチック「海の極みまで」

 ​​​​​​​​​さて。

 新聞小説第二作の「海の極みまで」でございます。

 これがですねえ、んですね。まとまりとかどーとか言うより実にゴージャスなんですがねえ。

 でも「地の果まで」「空の彼方へ」に比べて知られてない。


 ちなみに吉屋信子はこの作品でいったん朝日とは切れるんだな。

 次に朝日新聞に書くのは「徳川の夫人たち」まで無いのだよ。週刊朝日はあるけど、他誌に比べたらなあ。

 ついでに言うと、途中で朝日とトラブルがあるし。なお煽ったのは朝日だこのやろう。

 吉屋信子には同族嫌悪的感情があるんだけど、不買運動まで起こさせてしまった朝日はもっと憎憎しいのだった。

 ちなみに、書いていたのは新聞で言うなら、吉屋はだいたい毎日系だったわけだ。何せ朝日の「飛行機をとばす」のに対抗した形で連載やったって言うくらいだし。


 まあそんな朝日での二作目なんだけど。全百七十回という、前回以上の長篇。

 んで、執筆のために吉屋は鵠沼の旅館に一時滞在してる。

 この地はその後の長編「失楽の人々」の舞台ともなってる。

 ちなみに彼女のトレードマークとされている断髪にしたのもこの時期ですな。当時周囲にはそういう髪はいなかったんで目立ったらしい。

 で、作品自体は好評で、翌年には映画化・舞台化されているわけね。当時のメディアミックスと言えば、映画と舞台。


 で、作品はと言えば。

 これは、二人の性質の違うヒロインの物語が交差しながら展開していく話なんだな。


 片や華やかなヒロインの栄華・没落・復讐・破滅を描いた物語。

 片や純粋に神を信じ、やや頑ななまで社会奉仕を願う潔癖なもう一人のヒロインの物語。

 それぞれが入り乱れて進む、もー波瀾万丈! な作品なんだな。


 前者のヒロインは美濃部満智子みのべまちこ。そもそもは県知事の娘。

 彼女には理想主義が強く融通がきかず、自己卑下に陥りやすい兄・わたるが居る。……うん、兄貴は非常に嫌な性質だった。

 だけどすとーん! とその地位から落っこちる! 美濃部知事は収賄で失脚、収監中に自殺を遂げ、残された一家は一気に没落してしまうのだ!

 ちなみにその時期、満智子は交際していた柿島という青年との子供を妊娠! していたんだけど、没落と共に縁切り! したかされたかはちょっと判らず!

 で、彼女のことを好きだった森という書生の伝で堕胎の道を取るのだ! あ、堕胎はこの時代は犯罪です。逃げ道なしの。だから違法にですね。

 彼女はその後、叔父の紹介したユダヤ商人と共に行方を断ってしまうんだわ。地元妻だったのか本当に結婚していたのかはわからない。ただ北海道に館と土地をもらって、女牧場主としてやってたわけ。

 で、四年後にやっと、音信を断っていた家族に連絡を取って招待するんだな。ちなみにかつての兄の婚約者だった鳴尾靖子なるおやすこと結婚した柿島とも再会するのだわ。

 そこで満智子はお気に入りのアイヌの少女・メノコと謀って、柿島を自らとも共に毒殺しようするんだけど……失敗。

 牛の角に突かれ、兄達に見守られながらメノコと共に息を引き取ってしまうんだわ……


 一方、後者のヒロインは安西環あんざいたまき

 熱心なクリスチャンで、靖子の弟の家庭教師をしていた。

 で、立場を知らない頃に亘と出会い、強い友情を感じ合う。美濃部家の没落の際には、宣教師のミス・ベリースの力を借りて亘の学資を融通してもらったりする。亘くんは彼女のこと好きだったけど、ダメです。

 また、鳴尾家で可愛がっていた女中のおふさが、屋敷でセクハラを受けていたことから、ベリースのセツルメントに引き取ろうともしました。

 だけど行方不明になっていた彼女と再会した時、既に周囲の圧力から処女を失ってたことにショック。失望しておふさを罵って戻るという。でもそこで逆にベリースに叱られたわけだ。

 再度迎えに行くんだけど、その時にはおふさは川に身を投げた後だった。

 で、環は結婚を捨て、一生を女性の救済に捧げると決意する。

 四年後、連絡がついた満智子の元に彼女も向かい、結果としてその死に立ち会うことに(この時の存在感ゼロ)。その後、修道院に入るつもりと亘に告げ、ベリースと共に日本を発つ、と。


 ……と、この二人の物語が、時間軸に添って入れ替わり立ち代りしてくんだな。


 満智子の物語は、吉川豊子も論文で言ってるんだけど、当時好評だった「虞美人草」「或る女」「真珠夫人」等の影響を受けてるんじゃないかと思う。

それだけに満智子のキャラと物語は「作り物」として、一本筋の入ったものとなってる。

 話も、満智子自身の考えや行動で周囲が動かされるという感じで、印象の強い。

 出奔する満智子の書き置きなんか特に、その強い意志がよく現れている。



> 私は「自由」を戴きます。

 同時に全ての「責任」を一生持って終わります。

『吉屋信子全集 第七巻』(新潮社 昭和十年八月 p323)



 ……だけど環の物語は、環だけでは成立しないんだな。

 彼女はまず、“鳴尾家の家庭教師”“亘に慕われる相手”という、肩書きつきのキャラなんだよ。

 行動についても、おふさやベリースという誰かによって動かされる受け身的なとこが多い。

 まあ結局、彼女は現世に生きる女ではなかったらしい。端々にこういうのが出てくる。



>​「(……)正直と善良にすべての人間性が天然に改まったら、この地の上が天国化する時だと私は思ひますけど」​

(同 p303)



 しょーじきこの環のほうが吉屋キャラだと思ったね。当時の作者の書きたいものとしては。

​ 満智子は、吉屋作品の主人公としては「ありえねえ」タイプ。​どっかから取ってつけた感大きいのだわ。

 それでも華やかなヒロインの名が“満智子”であることは、菊池寛「真珠夫人」の“美”が強調された様な“瑠璃子”と比較すると、“智”が強調されている辺り、吉屋らしいんだけど。


 一方の環は、頭が良く(満智子も地頭がいい。どー見ても絶対)理想主義(満智子は現実主義!)、個人より人類としての向上を願い、一生を神と事に捧げると決意しちゃうキャラなんだな。環のほうがもう圧倒的に心情描写も多い。


 ただ、新聞小説という枠組みを意識した時、理想主義で受動的な環の物語だけでは弱い。だからこそ、華やかな満智子の物語をベースにし、そこに随時環の物語を入れてった、のじゃないかなー、と思ったわけだ。


 最後、満智子は

>​「私はしたいことをして生きてきました……もう生きるのに飽きました」(p372)​

と言い残して物語世界から退場。環は亘と共にラストシーンを飾る。

 この配置からも、環の生き様の方を吉屋は重視したんじゃないかなー、と。


 ただ、こうやった結果、二つの物語の配置バランスが悪いのだわ。全体の印象を散漫にしてしまってる。

 新聞小説であることを意識し、章立てを組み、華やかな舞台立てをしてはみたが、やはりこの時点の吉屋は、まだ物語の構成に関しては、発展途上の段階だったのじゃないかな、と。

​ それと、目玉となる「ヒロインさま」をなかなか作り出せなかったのかも。​


 いや、満智子はワタシ結構好きよ。

 何だかんだ言って、「殺してやる!」までやってるヒロインだもの。

 先輩格の自我の強い女性キャラは、明治に書かれた「虞美人草」ではヒステリーでそのまま死ぬし、「真珠夫人」は何だかわかんないうちに殺されてしまう。それに比べて「あなたは死になさい、私も死にますけど」だもの。いろーんな意味の復讐をしようとしているんだな。

 んで、周囲に懐かないアイヌの少女も味方につけて、その秘伝の毒で柿沼を殺そうとするんだし。メノコは柿沼を殺そうと槍持ってくるし。でもどっちも可愛がっていた牛のせいで死んでしまうんだから可哀そうすぎる……


 ちなみに「朝日が彼女を起用するのをやめたのはこの作品に堕胎を肯定するような部分があって、そらあかんと思ったからじゃねーか」という説もあるんだけど、そのあたりは定かではない。

 少なくともアイヌの問題ではないと思うぞ。戦後に入れなかったのはその問題もあるんだと思うけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る