地の果まで①最初の洛陽堂版のあとがき

 さて「地の果まで」。

 これは吉屋の長篇メジャーデビュー作どす。大阪朝日新聞の懸賞小説で入賞したんですね。まあ「長篇」としては処女作と言っていいです。


 読む方法としては『朝日版全集』第2巻が一番手っ取り早いし読みやすい。現代仮名遣いだし。改変もないし。

 この話は、まーそれこそ何度も何度も色んなところで再版されたり、時には雑誌の別冊付録小説として収録されることもあったくらい、あれこれ刷られてるんだけど、意外な程にテキストの乱れは無い。

 初出は大正九年の『大阪朝日新聞』の連載。初版は洛陽堂から同年出ております。

でまあ最近(2014年当時)その洛陽堂板を入手しましたら、今まで見たことなかった(!)前書きがありまして!!

 まあここぞとばかりに引用しておこう。

 仮名遣いは旧、漢字は現代なのは容赦して欲しい。


******


 大正八年の五月、まだ春の浅い東北の寒駅を幾つか過ぎて青森へ着いた時は東京から同じ寮舎に居て、そして学校をやめて帰るお友達とふたりでした。船で函館へ、それから長い汽車の旅をしました。途中でお友達とは札幌で別れました。(では、御機嫌やう)(さやうなら)プラツトホームに立つお友達と泪さしぐんで言ひ交して、それからはたゞひとり十勝へ走る車窓によりました。狩勝の国境のあたり、十勝ほかゝる高原の黄昏、しよんぼりと窓にすがつて子供の様に泣きたくなりました。

 池田の駅で兄の顔を見た時、私の生れて始めての最初の長い寂しい旅は終りました。

 兄の家の裏には柏の木の丘がございました。灯ともし頃となれば、その丘にのぼつて柏の木に背をよせて遠く離れ来た母を思ひました。お友達を思ひました。東京の学校や寄宿舎を思ひました。北海道へ行きたいと父にも母にもせがんでかうして来ておきながら北の島へ渡つて見れば、なほも寂しく、はかり知られぬ悩みにおされる心を胸をどうすることも出来なかつたのでした。

 或日もやはり、泣かまほしきに、たゞひとりのぼつた丘の上で私は世にも美しく気高いおごそかな広野の落日を見ました。

 広野の果――地平線の彼方に円々と燃ゆる日輪の沈みゆく。刻々のおごそかな麗しさよ――その光をはるかに浴びて丘に立つ小さい自分の影を見出した時、一脈の生気が萎えた私の魂の底に湧き出でました。

 眼に見えぬ大きい力の流れに身を捧げて小さくとも貧しくとも幼なくとも、唯一つの自分自身を育くみいたはつて歩みゆきたい――地の果までも!日輪沈む彼方までも!

 今まで知らなかつた、あつい泪が静に静に私の瞳に溢れました。

 かうして、(地の果まで)の長がい物語は成りました、かの柏の丘にやがて鈴蘭が咲き出でゝ微風に鳴りました、牧場の柵のほとりにアカシアが咲いて甘く優しい悩ましい胸ひきしめられる様に、かぼそく匂ひ渡りました、そのアカシアも散つて苺の実る頃からポプラの葉の風に鳴る七月のなかばの或る夜半、(地の果まで)の最後の一行を書き終りました。私はその時、生れて始めての深い深い静な吐息をしました、そして小さい四畳半の硝子窓から遠く夜空を仰いだ時。寂しき者の魂のごとく、蒼白く光つてゐた小さな一つの星よ、忘られません。私は子供の様に胸に双手を組んで声の無い祈りを大空へ捧げました。

 木の箱の中に宝物の様に入れられた(地の果まで)の原稿を北国の小駅から送りだしてから二三日の後、父が病むとの電報を受けて、兄といつしよに急いで立ちました、その日は細かな雨の日でした、裏の丘の柏の広葉の濡れてうなだれたのを見返りながら、どんなに儚なかつたでせう、函館の寄るの灯美しい港を船出した時、私は欄によつて別れゆく北の島に泪の接吻をしたかつた!忘れえぬあの夜の海に映えし星よ、空よ、

 幾月ぶりで帰り来し我が家に父は病んで居りました、そして三日目に逝きました。

 父を失なふた家に、母と弟と侘しく暮したその秋のさびしさ!あはれに咲き出でた父の愛でた白萩や野菊も散つて冬は深んで来ました。その十二月のなかば頃、朝早く俥の音がして人の訪ふ声に玄関に出ますと、そこに立つ見知らぬ人は私に告げました、それは(地の果まで)が大阪朝日新聞に当選したことでした。

 ――母も呼ばず弟も呼ばず、ひとり私はよろめいて入つた自分の小さい部屋の柱に犇とよりすがつたまゝ、何んの泪ぞ!私は幼ない兒のやうに泣き出しました。泣きました。

(九年九月かく)


************


 この前書きが果たして吉屋のその当時の本音かどうかは判らないけど、幾つかの事実関係は浮かび上がってくる。

 伝記と合わせて読むならば、この時の「お友達」は、当時関係していた菊池よしえ。後で「屋根裏の二処女」の中で出てまる「秋津さん」の基本モデルだったひと。つか付き合ってたひと。ただし「秋津さん」のほうが理想化してしまって、現実の彼女はどんどん現実的な「関係」をはっきりさせたいと迫ってくる様になる。

 この辺りはどっちかというと『女人 吉屋信子』の方が詳しい。吉武輝子は吉屋が同性愛者だ、という視点に立って書いているから、この辺りの二人の手紙だの吉屋の日記だのを、名前は変えてあるがたんと出してある。

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