男の償ひ~転がる石のような不幸を呼び寄せてしまったヒロイン・横っつら張り倒したい主人公・あんまりな扱いをされる「いい人」

>​​​​​​​​​​​​​​​​「――あなた、わかりました――よくわかりました――身体は妻になつても、心は……心は外のひとを思つてゐたと――仰しやる……仰しやる通りの情ない浅ましい悪い女の私を――それを知りながら、今日まで、よく許して――我慢して……あゝして生さぬ仲の啓一を分けへだてなく愛してくだすつたお気持――すまなく、どんなにすまないか――よく身に浸みてわかりました――思へば不埒な妻、偽りの妻、心で不義をしてるも同然だつた妻の私――考へると穴にも入りたいほどです――許して、ゆるしてください。そして挙句の果に、あなたをそれゆゑに、家を離れて身まで引かせようとさせる、私の罪の深さ――よくわかりました――ゆるしてください――あなた――でも――でも、今夜の今から――その不埒な妻の心も変りました――今から、たつた今から、私は、昔の夢はふつゝりと忘れます――いゝえ忘れました――そして今こそ、心も身も、みんなしんから、あなたの妻になり切れます――いゝえなり切りました……今、今――もう、もう、家を出るの、離縁するの、別れるの、――と夢にも仰しやらないでください。今のこの私の決心は、神様の前にだつて、ちやんと誓ひます……」



 えー……「男の償ひ」は、昭和10年7月から12年6月まで『主婦之友』に長期連載されたものです。

 今回の引用は『吉屋信子選集 第十巻』昭和14年8月刊からです。

 ちなみにこの話は朝日の全集にも入っております。TV化も何度かされてます。

 転がるようにこれでもかこれでもかとばかりにヒロインが不幸になる話です。凄すぎて眩暈がしそうでした。

 ひとことで言えば、

「最初に惚れた男がクズだったせいで周囲を巻き込んで不幸になっていった女の話」

 です。

 ちなみにこのクズ男は女の最初の婿で、最終的に「償う」ことになるんですが、その時には狂った女と、二度目の夫との間にできた子しか残っていないという。

 しかしこの転がりようがハンパじゃない。

 ヒロインの視点で行くと。


*自分の家=古くからの宿屋に考古学者の男がやって来て気安くなる。

*男を婿にする。

*ただし婿入りの手続きに際に金銭が絡む。

*新婚旅行で考古学者の先輩の家へ。「考古学者の妻」に憧れる。

*だが帰ると旅館の手伝いが待っている。夫は手伝わない。

*夫と両親の間がぎくしゃくする。

*金銭トラブル。離婚へ。

*父親が脳溢血で倒れる。

*妊娠が発覚。

*元からヒロインを好きだった身寄りの無い住み込みの優しい青年を二度目の婿にする。

*子供が生まれてもしばらくは床は別。

*子供の病気に夫が身を尽くして親身になった時からやっと本当の夫婦になろうと思う。

*二人目の子供が生まれる。

*宿屋の増築。だがイカサマ建築だった。

*母親が保険目当てに新館に放火。その際母親焼死、夫が失明。

*数年後、休館のみで細々と宿屋は経営。ヒロインが総て取り仕切る。

*夫は尺八の練習。

*そこへ元夫の幼馴染みの女性が宿泊。

*元夫やって来て長男への父親の権利を主張。ヒロインはね除ける。

*夫「離縁してくれ」自分が出て行く、と主張。

*上記の台詞。

*夫、入水。危険を察知した長男も巻き込まれ死亡。

*ヒロイン発狂。


 散々ですね。

 でも上記まの台詞で、果たして夫は本当に妻のこと、信じられるでしょうかね。

 つかこういうことって、「言葉にわざわざ出して宣言する」ことかい。


 で、元夫、病院内のヒロインと再婚して次男共々面倒をみることに。

  元夫の視点で見ると、また別の話になります。


 *


> その滋の姿は、英ネル青灰色の夏服の胸釦もはづさず、パナマ帽のその鍔の蔭に、肺を病んで亡つた父の雅人によく似た面影の、濃ゆい眉の凛々しい、清澄な眼の大きな、格好よく高まつた鼻梁と、喘ぐ如き暑さの中にも、意志強げに堅く堅く閉ぢた、少し大きな、けれど、上品な男の唇とを持つた、二十四五歳の智的で純潔な青年にのみ見られる、激しい意力と純な初々しい情感の秘められた顔が、空からくわつとさす陽の中にも、静けさを保つて、この眉うら若き考古学者は、もう幾つかの坂道を上へ上へと曲がるに沿うて登つてゆくのだつた。



 さて。

 この「男の償ひ」は、ヒロインの前に、たぶん主人公、な男が出てきます。

 たぶん、というのは、前回のヒロインのあれこれの時に殆ど姿を現さないからです。

 ただ出だしは彼です。彼と幼馴染みの女性(Wヒロインの一人)の関係と家同士とか異母兄とのいざこざです。

 で、まずこの見た目のよろしい滋くんが、サイテー男になる訳ですが。

 何がサイテーかというと、やっぱり「適当な婿入りをしてみたがその家に全く合わせること無く出てったこと」でしょうか。

 そこにはまず彼の性格があります。

 母親からは「あの子は、学者肌で偏屈で――」と言われてます。「お金にもならない学問」である考古学に打ち込むことと母への孝行以上のものは無い、という様な男です。

 まあそれだけならいいんですが。


 熱海のヒロインその2、瑠璃子さんの別荘に行った時、彼とは逆のタイプの男、堤と出会います。現実的な実業家です。瑠璃子さんの母親もまあこっちを結婚相手に、と画策します。

 ちなみに滋くんと瑠璃子さんは幼馴染みからいつの間にか好き合う同士~という吉屋信子の理想のパタンでしていずれは結婚したい、と考えてます。

 しかしそうなると、瑠璃子さん母は面白くない、というか滋くん邪魔。

 ここで話がこじれてしまうんですね。瑠璃子さんから手を引け、代わりに出資しよう、的な。

 まあここで典型的な滋くんの性格を抜き出してみましょう。堤氏に素っ気ない態度を示して会話の場から離れた場面。



 滋は、折角頭を休めに、そして瑠璃子と語り合ひに、出かけてきたのに、その最初の晩から、無智な俗物の堤のやうな客と、応対するのが、ばかばかしくて、やり切れず、彼の一本調子の、確かに我儘な神経にさはつてしまつて、さつさと、客間の愚な会話から逃げ出して、階下の庭に向ふ縁側の籐椅子に、一人で倚りかゝつてゐた。

 二階の客間から、何が面白いのか、女たちの笑ひ声がする――それを耳にすると、滋はいらいらして来た。

(小母さんも瑠璃ちやんも、母さんまで、なんだつて、あの男を取り囲んで、いつまでしやべつてゐるんだ、女つて莫迦だなあ)と腹が立つにつけ、勝恵も瑠璃子も自分よりも、あの堤といふ金持の青年をチヤホヤして歓迎してゐるやうな気がして、自分一人除け者にされたやうで、ひがまずにはゐられなかつた。



 ガキですか。

 で、その後瑠璃子さんと口論になって、さっさと家に戻ってしまいます。

 戻ってみると教授から調査のお誘いが。すこーんと色々忘れてそっちへGO。

 調査旅行に泊まったのが、伊豆の「夕霧楼」という旅館。ここに前回出したヒロイン寿美さんが居る訳です。

 客である間は滋くんは「感じのいい若手研究者」です。寿美さんはっきり言って一目惚れの様なものです。

 その一方で、瑠璃子さんの父親から「良縁が来ているので交際は……」という手紙。

 そこでまた「むらむらと持前の癇癪玉が胸中に破裂して」しまい、まずその手紙をびりびりに破き、次にピンポンで寿美さんに当たります。「獰猛な球」「極端に乱暴な荒々しい球」を打ち込まれた寿美さんは何かどきどきしてきたようですし、終わった時には名残惜しそうですが、単に滋くんからしたら憂さ晴らしです。終わったらあっさり寿美さんのことなんて忘れてます。

​ で、返事を「宿の名を刷り込んだ、きはめてお粗末な用箋と安封筒」に短く書いてポストにぽん。​

 さて帰ってみると、家ではまた問題が。異母兄の猛が、父親の本の著作権を売ってしまったということ。何とか買い戻したけど、その時の金を瑠璃子の父親が出したということを聞いてしまった訳です。

 ​さあそこで「お宅の滋さんの将来のお祝ひの引出もの」なんて文句があったからまたカンに障る。​

 これを「手切れ金」と彼は曲解する訳ですな。

 元々そういう意味合いは無いです。一時の怒りにまかせた返答が、瑠璃子父にも効いて、今回の家の問題にもちょっと親切心を、ということで滋の母を助ける金額を用立てて、それでいて気に病ませないように「引出もの」という言葉を使ったに過ぎません。

 さてここで今度は瑠璃子両親が「手切れ金」なんて言葉を使った滋に悪印象。

 そんな折りに異母兄帰宅。このひとがまた山師的。この兄が次に来る滋の縁談に乗り気になってしまいます。

 上記の通り、「夕霧楼」の寿美さんは、滋くんに一目惚れです。で、婿に来て欲しい、と両親からも教授夫人を通して申し込み。

 ただここで異母兄の猛が算盤持ち出して、支度金がどうの、とか言う訳ですよ。弟がここまで来るにはこれだけかかったから、とか。

 さて滋くんは、というと。

 まあ色々悪い方に悪い方にばかり考えてしまって、こう言ってしまう訳です。



>「母さん、僕、兄さんの望み通り、売られる男になつて、伊豆のあの旅館へ養子に行きませう。そして、恥を忍んで、結納として、その僕の学資との弁償とやらを貰ひませう。そしたら、その金で母さん、いつか阿倍から借りた金をそつくり叩き返してやつてくださいッ」

>「恋愛とか結婚なんて、男に取つては、人生の一些事に過ぎませんよ。男には結婚より自分の一生の仕事への欲望が強いんです。僕には考古学の研究があるんです……」



 で、結婚式。

 挨拶回りは憂鬱。

 そして母親と別れる時は、「父なくて、この垂乳根の母ひとりに今日まで育てられた、お母さん兒の滋は、二十幾つになつても、やはり母に別れるのは心細かつた。しかも見知らぬ他人の名かに入婿に来て、今日からもの馴れぬ生活を他家に始めるのだと思ふと、滋は子供のやうに心細くなつたのである。」

​​ で、寿美さんは「お母様の分まで尽そう!」とけなげに思うんですが、滋くんの方は、そんな彼女の心は「(恐らく知り得なかつたろう)」で、あくまでいつまでも名残惜しそうなのは「きまり悪く」思ったぶんなのでした。​​

 で、二人新婚旅行に飛騨に行きます。考古学者の先輩のとこです。

 この目的地に寿美さんがあっさり同意したことで、寿美さん母のおあいさん、滋に嫉妬します。今まで自分を頼ってばかりだった娘がいきなり婿にはいはい、かい、と。

 旅行先で寿美さんは先輩「研究者の妻」を見て、その姿に憧れます。自分もそうありたいと思ってしまいます。

 で、帰ってからその真似事をするんですが、滋が旅館の仕事は全く手を付けないので、寿美さんが手伝いをしなくてはならないことに。せっかく夢見た生活はできません。でもまあ、そもそもそういう条件で滋を婿に取った訳でして。寿美さんがんばって店の切り盛りを覚えようとします。

 ちなみに滋くんは。



> その間、滋は離れのわが机の前で、前に自分が編集員だつた、考古学雑誌の寄稿に、(飛騨国発見穀物粒の痕跡ある弥生式土器に就いて)の論説を苦心して書いたり、その写生図を作るやら、その傍ら、やがて数年後立派に書き纏めようとする、考古学上の博士論文の材料を集めるに、勉強したり、まつたく、まだ大学生生活の延長のみたいな日を送つてゐたのである。



 寿美さんは先輩の奥様の様にいそいそ紅茶を運んだり食事の給仕をしたくてたまらないんですが、店のことで手一杯でまるでそんなことできません。


 

> でも、滋は今までの学生生活に馴れてゐたから、けつく一人で一日放つて置かれて、気まゝに机に向へるのが気楽で良かつた。それに彼は、結婚よりも妻よりもその学問上の男の野心に燃え立つてゐた。いはゞ、かかる生活も、事の成り行き方便で、彼には、わが研究第一、生活はむしろ第二、第三に軽んじてゐたのだらう。


 

 さてそんな折りに、また猛が登場。金塊引き上げ作業の投資を募ります。サギですね。

 滋は無論「駄目」。

 だけど寿美しかいない時に、再来。寿美一人を狙って金を無心します。

 困ったことに世間知らずの寿美さん、せっかくの夫の兄だから、と店の小切手を書いてしまいます。

 さあそこで元々寿美のことを好きな喜之助が「自分が出した」とかばう。自分の給金の貯金から引いてくれと頼む。その心根に、寿美両親は婿と比べて感動。

 で、​滋くんは、そんなことさっぱり我関せず。「一切兄に取り合ふなと、かたく申し渡した筈」と主張。それはそれで間違ってません。寿美さんが滋くんに隠してたんですから。​

​ でもさすがにおあいさんはもう我慢できません。「真綿で首をくゝるやうに、わざと、やんはりと、かつ粘つこく、じはじはと滋にいやみを」言う訳です。​

 そうなると滋くん、もう居ても立ってもいられません。



>「わかりました! 僕は今日兄に会つて、その無断で寿美から受取つた金を、取り返して来ます!」



 寿美さんに対しては、



>「な、なぜ、僕があれほど、決して兄の言ふことにかまふなと、言つたのに、無断で出過ぎた非常識の真似をして、こ、こんな生恥を僕にかゝせるのですッ」



 で、出ていきます。

 これでもう滋くんは戻りません。

 兄の「会社」に乗りこんで絶縁を宣言したのち、元々の仲人の博士夫人から離縁の件を切り出してもらう訳です。

​​​ いろいろと夫人達もなだめたりしたようだけど「妙に偏屈」な滋は、「あゝした不合理な生活にはこれ以上堪へられません」と言い出して聞かない。そもそも「かうした御商売の家には向かないお婿さんで」あったのは判っていたはず、と夫人も主張。​​​

​ おあいの方も、「いつまでたつても赤の他人のつもりで――まるでこの家に下宿でもしてゐる心持でゐられたんでは」息子の様にはできない、と。夫人もそれには同意。​

 ということで離婚が成立してしまいます。


 ここからが寿美さんの転落人生。

 でもその前にこの男を好きになってしまった辺りが間違いだったんでしょうな。

 いや無論、この場合一番悪いのは、結婚生活というものの現実をしっかり見ようとせずに婿に入った滋ですがね。

​ 何せこの時点で寿美さん妊娠してるし。​

 彼にとって寿美さんは、世話をやいてくれてセックスさせてくれる綺麗な女性以外の何者でもない様な気がします。


 あーやだやだ。



> 喜之助は、こんな風に、啓三郎の言語で表現出来ぬ気持を早くも察するのは、さながら、よく訓練された忠実なシエパードの犬が、その愛する主人の意志や命令を表情や口の動きで察つて、それに直ちに従ふやうな、敏感さと、主人への深い愛情を持つてゐるかのやうだつた。



 誠実で忠実で本当にいい人である喜之助くん。

 長いこと奉公している番頭でもあります。

 彼は寿美さんのことが本当に少年の時から好きでして、だけど自分は不釣り合いだし、と始めから諦めているようなひとです。

 でも彼もひとなんで、寿美さんが結婚すれば相当辛かったです。

 ところが寿美さんのバカ夫である滋くんが勝手に離婚ということにしてしまいまして、彼が第二の婿になります。

 というのも、寿美さんの親父さんが脳溢血で倒れて、その時に一番頼りになるのが彼だったということもあるんですが。

 その後色々苦労しつつも、その真心が通じて寿美さんと本当の夫婦になる訳ですが。

 後の火事で眼をやられて。

 滋くんの再登場で自分は身を引くべきだと思いこみすぎて川に身を投げます。

 寿美さんの幸せを願って、だったんですが、結果的に寿美さんは彼と上の息子の死で狂ってしまうんですがね。

 もっともその狂ってしまった寿美さんは、病院で滋に「僕だよ」と抱きしめられても、



>「ホヽ、私は――喜之助の妻です――なぜあのひとは来ないのでせう……眼が不自由なの……迎へに行つて……先生!」



 瑠璃子さんが「滋さんが来たのよ」と言っても、



>「ホヽ、啓一は滋さんにあげました……だから川へは落ちなかつたの――あれ嘘なの、あなた――よかつた!ほんとに……だから、安心して尺八習ひにいらつして……お店は私がします」



 という様に、それこそ病気の無意識の中でも喜之助の妻になりきってしまったのだから、本望か……あ?

 そんな可哀想というか自分の思いに殉じてしまったというかの彼ですが、上記の文章。

 恩ある「旦那様」に対しての喜之助くんの描写。

 犬ですかー。

 作者がそう記述しますかー。

 って感じで。


​​ いやこれを登場人物達が「彼は犬の様に忠実ね」とか言うなら何かまだ納得がいくんですが、地の文=作者がそれを言うってのが……​​

 誉め言葉なのか? 本当に? と勘ぐりたくなるというもの。

 そうか犬ですかー。​​​​​​​​​​​​​​​​

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る