やっぱり樋口先輩の好きな人は
午後の授業を終えると、刻は部活に行ってすっきりしようと教室を出た。
少し前を歩く亜貴の姿が見えたが、刻は声をかけることがなかなかできない。そのまま距離を保って亜貴の後ろを歩く。階段を下りて下駄箱で靴を履き替え、ふともう一度亜貴を見ると、亜貴の足は校舎から出て直ぐの所で止まっていた。何かを見ているようだった。
刻は亜貴の見ている方に視線を向けた。焔とさゆりが並んで帰っているのが見えた。
刻はもう一度亜貴を見た。亜貴は動かない。
(亜貴……)
刻はその亜貴の
刻は亜貴の方へ足を踏み出した。
****
結局昼食後も寝不足から頭痛が収まらず、ぼんやりと授業を受けて、終業のチャイムと共に亜貴は早めに帰ることにした。刻は部活だろう。いつまでも避けてるわけにはいかないけれど、今日はとにかくゆっくり寝たい。明日。明日からまた刻とは何もなかったように接する努力をしよう。そう思って、下駄箱を通り校舎を出た時だった。後ろ姿だけでも見間違えることはない。校門に向かって歩いているのは焔だった。さゆりと一緒だ。部活のとき以外で二人をセットで見るのは初めてかもしれない。
焔がさゆりの方を向いて何かを話している。
(あ……)
焔のこんなに優しい顔、初めて見る。いつもは大人びて見えた焔の横顔がなんだか年相応の笑顔に見える。心を許してるんだろうなと思った。そして、それだけじゃなかった。焔のさゆりに注ぐ視線には優しさだけでなく、一人の好きな女性を見るときに帯びる熱っぽさがあった。
(やっぱり、樋口先輩は円上先輩が好きなんだ。たぶん、いや、間違いなく。
……そっか。やっぱりそうだったんだ)
頭でそうだろうなあとは思ってたけど、実際に焔のこんな顔を見てしまうと、なんとも複雑な気持ちになる。見るんじゃなかったなんても思ってしまう。事実から顔を背けたくなる。でも、それではダメなのだ。焔を応援しなきゃいけないから。いや、応援したいのだから。だから、悲しんではいけない。
焔の隣のさゆりも、普段亜貴が知っているより幼く見えた。こうして二人で歩いていると恋人同士に見えなくもない。でも、焔は好きな人がいるとは言ったけれど、彼女とは言わなかった。さゆりはどう思ってるのだろう。
(……)
もやもやする。自分に何ができるかわからない。
そのとき、頬を誰かにつねられた。
「いひゃい」
こんなことをする友達が思い浮かばない。もしかして。
「やめひぇよ」
手を払って後ろを振り返るとやはり刻がいた。神妙な顔をしている。
「もう、なんなの、いきなり」
「……お前、すっげぇブサイクな顔してた」
「喧嘩を売るつもり?」
亜貴はつねられた上に失礼なことを言われ、怒りを込めて刻を睨んだ。
「いや」
「だったら何なの、もう」
頬をさすりながら亜貴はブツブツと溢す。
「やっぱ、やめよーぜ」
刻が真面目な顔のまま言った。
「……? 何を?」
亜貴は訝しげな顔で刻を見る。
「兄貴のことだよ」
「なんで?」
「亜貴の顔がブサイクになるから」
「は?」
「そんな顔するぐらいなら、やめた方がいいって言ってんだよ」
少し苛立ちを含んだ刻の声。亜貴は、自分はどんな顔をしていたんだろうと思った。
「そんなに変な顔をしてた?」
「ああ」
刻が何を思ってそんなことを言うのかは亜貴には測りかねた。
でも引き下がるわけにはいかなかった。
「今日見て、分かった。刻が言ってた通り、樋口先輩は円上先輩が好きだと」
刻は黙って聞いていた。
「やっぱり、私は樋口先輩のために何かしたいと言うのは変わらないよ。だからやめない。でも、刻が私に協力したくないって言うなら、それは仕方がないと思ってる」
亜貴の目には以前と変わらぬ強い決意が宿っていた。刻は考える。自分はどうしたいのか。
「俺は……」
焔は刻にとっても兄だ。幸せを望まないわけではない。だが、そう単純なことではない。刻にとって出来のいい焔は常に目の上のたんこぶだった。
「兄貴が幸せになるなら、まあ、それはそれでいいさ。ただ、亜貴のことだってどうでもいいとは思ってない。亜貴が悲しそうだとこっちだって何か苛々するんだよ!」
顔を背け言いにくそうに言った刻に、亜貴は少し驚く。
「苛々……」
「まあ、でも、俺は今お前の彼氏なんだろ? じゃあ、亜貴に協力してやるしかねぇよ。亜貴が望むなら」
ふんと鼻をならし、今度は偉そうに刻は言い切った。
「やめろと言ったり、協力すると言ったり……。よくわからないけど、協力してもらえるなら私はありがたいわ」
可笑しそうに亜貴は笑って言った。
「ふん。
じゃあ、俺部活行くから。
……また明日な」
「うん、また明日」
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