忘れてましたが期末試験でした 

「おーす、亜貴! 大丈夫かあ? 前見て歩かねぇと危ねぇぞ?」

 雀の声が晴れた空に響き渡る気持ちいい朝。亜貴が単語帳を見ながら学校への道を歩いていると、後ろから刻が肩を叩いた。

「大丈夫じゃない……」

 焔のことですっかり期末試験のことを忘れていた亜貴は、昨夜やっと思い出し、まさに一夜漬けで勉強をしたのだった。雀のさえずりさえ亜貴には疎ましい。

「っていうか、何なの? 刻って。試験あるのに牧場やら植物園やら普通誘う? ……勉強すれば良かった」

 試験の存在を忘れて行った自分が悪いのは棚に上げて、亜貴は恨めしそうに刻に言う。

「勉強? 授業いつも聞いていないのか?」

 その言葉に亜貴は訝し気に刻を見た。会話が微妙にかみ合っていない気がする。

「え? ま、まさか……」

「おう?」

「刻って勉強、そんなにできるの? 試験勉強しなくても赤点取らないぐらい?」

 亜貴の言葉に不思議そうに刻は亜貴を見返した。

「え? 試験勉強とかしたことないけど、赤点取ったことないぜ?」

「?!」

 亜貴は言葉を失う。そこそこいいとは言っていたけど。そうか。やっぱり焔の弟。頭の出来が亜貴とは違うらしい。

「え? 亜貴、赤点とったことあんの?」

 刻の言葉にびくっと亜貴の肩が上がる。それを見て、刻の顔色が変わった。

「わ、わりぃ……。今のは無しで。ごめんな。試験頑張れよ」

 刻は慌てて足早に亜貴の前から去ろうとする。そんな刻の背中をバシッと亜貴は叩いて、

「なによ! もし赤点取ったら刻のせいだからね!!」

 と八つ当たりにしかならないことを言った。

「ああ、悪かったよ! そんなにやばいなら、言ってくれたら植物園を図書館で勉強に変えたのにな!」

「悪かったわね! やばい側の学生で! 

っとこんなことしてる暇はなかった」

 慌ててもう一度単語帳を開いた亜貴に、

「歩きながら単語帳見たって頭に入りやしねぇよ! 早く教室行って自分の席で勉強しろ!」

 と刻は言って亜貴の鞄を手に取った。

「な、何すんの?!」

「いいから、走れよ!」

 刻に促され、亜貴は睡眠時間二時間の体に鞭を打って走り出す。教室で数分勉強してもそこまで変わらないのは分かっている。

(うう……。刻の馬鹿ぁ)


 期末試験一日目が終わり、亜貴は机に頭を突っ伏していた。

(終わった……。とりあえず終わったけど、別の意味で終わったかも……)

 しかし、試験はまだあと二日ある。

(私、今日は何時間眠れるかな……)

「亜貴~! 試験はどうだった?」

 美和子が隣のクラスから来た。亜貴はぼーっと生気のない顔を上げる。

「ちょっと、亜貴、大丈夫? 今朝、樋口君と走って登校してたから余裕なのかなと思ってたけど」

「ぜんっぜんだめ。走ってたのは早く教室に行って勉強するため」

「そうなの? ラブラブじゃんと思って見てたけど」

 亜貴はただ首を横に振った。試験中に何度も髪を掻きむしったので、髪もボサボサだ。

「あらら。ら? 噂をすれば、樋口君来たけど?」

 美和子の言葉に「そう」と心ここにあらずの声で亜貴は返事をする。

「おい、亜貴?

あ、えっとどーも」

「安藤です。亜貴がお世話になっています」

 抜け殻状態の亜貴の前で、刻と美和子が挨拶を交わしている。

「おい?」

「ああ、気にしないでやってください。試験が思わしくなかったみたい」

「はあ」

「慰めてやってください。じゃあ、私はこれで」

 いつもなら突っ込みでもいれるところだが、手を振って教室を出ていく美和子を亜貴はぼんやりと見送った。

「おーい」

 刻の声が上から降ってくる。

「はいはい、聞こえてるわよ」

「帰らないのか?」

「帰りますよ」

 相変わらずぼんやりしたまま勉強道具を鞄に亜貴が入れる。

「ブルームーンで飯でも食って、図書館で勉強するか?」

「え?」

 刻の言葉にやっと亜貴が反応した。

「明日は数学だろ? 理科は亜貴は何とってるんだ?」

「生物」

「あ~、俺は物理だから生物は教えられねーけど、数学は俺得意だから見てやれるぞ?」

「生物は何とかなるから大丈夫。それより数学、いいの?」

 藁にもすがる思いで亜貴は刻を見上げる。生気を取り戻してきた亜貴に、

「おう」

 と刻は笑って言った。

「よろしくお願いします!」

 亜貴は教科書を詰め込んだ鞄を手に、刻に一礼した。



 前日来たばかりのブルームーンに亜貴と刻は入った。

「昨日、寝てないんだろ? 気分悪いだろうが、飯はしっかり食え」

「偉そうに。言われなくても食べますよーだ」

 亜貴はカレーを、刻はハンバーグ定食を頼んだ。

「食後に飲み物がつきますが?」

 亜貴はメニューを見て、昨日のアールグレイの味を思い出した。切ない味だった。亜貴は少し迷って、

「オレンジジュースで」

 と言った。

「俺はコーヒーで」

「かしこまりました」

 二人は黙って運ばれてきたカレーとハンバーグ定食を食べた。

(ブルームーンのアールグレイ、またいつか飲めるようになるかな)

 ぼんやり亜貴はそう思った。



「よし。腹は満たされたし、まあ、試験中だから人は多いと思うけど図書館行くぞ」

「うん」

 電車に二人並んで座る。亜貴はその揺れが心地よくて、いつの間にかうとうとしていた。そんな亜貴に刻は黙って肩を貸した。


「おい、亜貴、着くぞ」

 刻は優しく亜貴を揺すった。

「ん……」

 亜貴は寝ぼけ眼で隣に刻がいることを確認して、

「ん? ?! 私、寝てたの?!」

 と慌てて目をこすった。

「昨日寝てないからきついんだろ。今日は早く寝ろよ? さ、降りるか」

 刻に促されて亜貴は電車を降りた。歩くのが辛いなと亜貴が思っていると、

「またおんぶするか?」

 と刻に笑われ、亜貴はぶんぶんと頭を横に振った。

「結構です」

「ふ」

 刻は楽しげだ。

「ねえ、刻はもう志望大学とかあるの?」

「あ? 大学? いや、まだ決めてねーけど?」

「私もまだ何も決めてない。何したいかも分からないし」

 亜貴は珍しく弱気な声で返す。その声に少し前を歩いていた刻が振り返った。

「まあ、これから決めていけばいいんじゃね? ただ、行きたいと思えたところにいけるよう、勉強はしといた方がいいぞ?」

「そうだよね~」

 亜貴の口から大きなため息が出た。

「まずは明日の試験だろ? ほら、図書館入るぞ」

 二人は図書館の自習室に入り、空いていた奥の方の席に並んで座った。

「俺、物理の勉強してるから、もし数学わかんないとこあったら聞けよな」

「うん。ありがとう」

 自習席は隣を仕切られているので、刻が何をしているかは亜貴には分からなかった。だが、シャーペンの立てる音が途切れることなくしていた。

 亜貴は数学2の教科書を眺めつつ、問題を解こうとしていたが、すぐに眠気が襲ってきた。教科書の文字が呪文のように見える。そして、刻の立てるシャーペンの音がまた規則的で心地よい。ダメだ、ダメだと思っても亜貴は睡魔に逆らえず、夢の中へ落ちていった。


「あき」

 誰かが呼ぶ声がする。

「おい、亜貴」

 なんだ、刻の声か、と思って亜貴はハッとした。

 目を覚まして声のする方を向くと、刻が亜貴の肩を揺すっていた。

「私、寝てた。どれくらい寝てたのかな?」

 小声で刻に亜貴は話しかけた。

「まだ二十分ぐらいしか経ってない」

「そう、良かった~」

「亜貴、分かんないから眠くなるんだ。今、どこやってたんだ?」

 刻が椅子を亜貴の席の所に持って来て座る。

「ここ」

「どこまで自分で出来た?」

「ほとんど分からない」

「あー、じゃあ、最初からいくか」

 刻は丁寧に説明をしながら、数式を当てはめていく。「ここまで分かったか?」

「うん」

「じゃあ、も一度自分でやってみ?」

「これは、こーだから、こーしてこう?」

「そうそう」

 刻の教え方は分かりやすく、亜貴はなんとかなりそうな気がしてきた。

 結局、刻は物理の勉強はせずに、亜貴の数学に四時間付き合った。時計は十七時を回っていた。

「ごめん、刻。物理の勉強出来なかったよね?」

「あー、まあ、物理も苦手じゃないから大丈夫」

 亜貴はこの時、初めて刻を心の底から尊敬した。

「刻って凄いのね!」

「褒めても何もでねーぞ」


 自習室の出口にある自販機で亜貴は刻に缶コーヒーをおごった。

「おう、じゃあ、遠慮なくもらうな。

少しは分かったか?」

「うん。大分分かった! 刻、教えるの上手いから教師とかにも向きそうね」

「そ、そうか?」

 刻は鼻の頭をかいた。その耳が少し赤かった。照れてる刻は少し可愛かった。

「昨日寝てねーんだから、今日は徹夜はすんなよ? 」

「うー、そうね。そうするわ」

 亜貴は帰りの電車でも眠って、刻に起こされ、なんとか自宅に帰り着いた。

 夕食を食べると眠気が襲ってきた。亜貴はメントールの入ったリップを目の下につけて、耐えて勉強した。


 亜貴はあくびをしながら学校への道を歩いていた。昨夜は夕飯の後、刻から教えてもらった数学を少し復習して、生物の暗記を一時までしてから寝た。少し眠たいが昨日ほどではない。

 前に刻の姿を見つけて、亜貴は少し足を速めた。

「おはよう、刻」

「おう、亜貴。昨日はちゃんと寝たか?」

「うん、まあ」

「その割には眠そうだな?」

 刻は可笑しそうに亜貴を見て言った。

「あの後、生物をしたのよ。でも、徹夜はしてないわ」

「それはお疲れさん」

「でも、昨日、刻に数学を教えてもらってよかったわ。でなきゃ昨日も徹夜しなきゃいけなかった」

「試験の度に徹夜じゃ試験の結果が悪いのも当然だよな。普段から勉強するんだな」

 刻の言葉に亜貴は頬を少し膨らませた。

「偉そうに。でも、まあ、言ってることは正論ね、悔しいけど」

 刻は亜貴の頭をポンと叩いた。

「まあ、わからなければまた俺に聞けばいいさ。友達として教えてやるよ」

「そう、ありがとう。で、も! 頭ぽんぽん叩かないでよ!」

 亜貴は頭を抑えて言い返す。

「叩きやすい位置にあるから仕方ねーだろ?」

「もう! 馬鹿にして」

「してないしてない。

……今日、頑張れよ、数学」

「そうね、あれだけ刻に時間割いてもらったんだもの。頑張るわ」

 刻の言葉に亜貴は真顔になって頷いた。

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