知りたくなかった彼の情報

 焔の夢を見ていた。どんな夢だったのかは覚えていない。でも、目が覚めると泣いていた。意識がしっかりしてくると、昨日のことを思い出した。

(そうだった。私、昨日告白して振られたんだった。何か他にあったような気がするけど……)

 頭がぼんやりして思い出せない。まあ、大したことじゃないのだろう。

 亜貴は母の作ってくれた朝食を食べると、いつものように電車に乗って高校へ向かった。

 

 普段通り授業を受ける。

(振られたら世界が変わると思ってたけど、そうでもないんだな。私、とても悲しいのに、ちゃんと普通に過ごせてる)

 午前中の授業が終わり、弁当を手に廊下に出た。いつもは部室で食べているけれど、今日はどうしようか。亜貴が少し考えていると、

「亜貴」

 と背後から声をかけられた。男子の声だ。

(誰? 私を名前呼び捨てするような男子いたっけ?)

 振り返って、

「あ~!!」

 と思わず声をあげてしまった。昨日焔に告白した後のことが走馬灯のように思い出された。

(そうだった、私、この男と付き合うことになってしまったんだっけ!)

「うるせーやつだな」

「すっかり、刻のこと忘れてたわ」

「喧嘩売ってんのか?」

 刻は座った目で亜貴を見た。

「このぐらいで怒るなんて、ちっぽけな男ね」

「いちいち気に障る女だな」

「ところで、わざわざ喧嘩するために私を呼んだわけ?」

「そんなんじゃねぇよ」

 先ほどとは打って変わって刻の語尾が小さくなった。

「じゃあ何?」

「め、飯」

「は?」

 亜貴は大きな黒目で刻を見た。

「飯、一緒に食わねぇのかよ」

 目をそらし、バツが悪そうに刻は言った。

「……ああ」

(そういうことか。早速「付き合う」というものを実行しようとしてるわけね。)

 廊下にいる生徒の何人かが好奇の目でちらちらとこちらを見ている。

「別にいいけど。外にしない? 人が多いの苦手で」

「おう、俺もそっちの方がいい」

 二人は校舎を出て、校庭のわきにひっそりとあるベンチで食べることにした。桜の枝がちょうど頭上にくるため花の時期は生徒が増えるが、普段はあまり人気がない場所だ。桜は蕾らしきものはつけているがまだまだ硬く、当分咲きそうにはない。

「意外にまめなのね、刻って」

「まあ、勝負には勝たないといけないからな」

 と言って、しまったという顔になった刻を見て、亜貴は苦笑した。意外と正直なやつだ。

「しっかし、一緒に飯食って、一緒に帰って? 何が楽しいんだ?」

「まあ、そうね。でも、好きな人となら楽しいんじゃない?」

「好きな人、ね。

そういや、亜貴は振られたんだったよな」

 触れられたくないことにいきなり触れられ、亜貴は一瞬言葉を失った。そんな亜貴を見て刻はまたしまったという顔をした。

「わ、悪ぃ。えっと……」

「別に、いいわよ。事実だし」

「やっぱり悲しいか?」

「……」

 刻の言葉に亜貴は半眼になった。

「あんた、人を馬鹿にしてるの? 悲しいに決まってるでしょ!?」

「そうか、そうだよな」

 刻はそう言って目を泳がせた。

「俺は、そういう気持ちわかんねぇからよ」

「ふん、まだお子様なのね」

「はあ? お子様言うな!」

「お子様よ。刻が振ったあの女子も、今頃きっと悲しんでるでしょうね。そういうのがわからないんだから、お子様って言われても仕方ないじゃない?」

 まっすぐな目で亜貴に言われ、刻は何も返せなかった。

「……」

 黙り込んだ刻を横目で見て、亜貴は既視感に襲われ、首を傾げた。

「な、なんだよ?」

「何だろ? 何か思い出しそうな気がしたんだけれど、気のせいね」

「ふーん?」

 しばらく二人は黙って弁当を食べていた。お互い異性とお昼を食べるのなんて初めてだ。なんだか気まずかった。

 最後に残ったおにぎりを食べようとして、亜貴は刻の弁当箱が空なのに気づいた。

「食べるの早いわね」

「おう。腹減るからな。朝練もあるし」

「えっと、ならこのおにぎりいる?」

 ちょっと考え、亜貴は遠慮がちにそう口にした。

「え? いいのか?」

 犬だったらピンと耳が立って、しっぽを振っているような刻に、亜貴は思わず噴き出す。

「な、なんだよ?」

「ううん、いいのいいの。じゃあ、あげる。このおにぎり」

 笑っている亜貴に刻は怪訝そうな顔をした。

「もしや、食い物で釣ろうとか思ってないだろうな?」

「思ってない思ってない」

「ふん、まあそれぐらいじゃ釣られねーけどな。もらえるならもらっとく」

 刻は亜貴の弁当箱からひょいとおにぎりをとって口に運んだ。その長い指に亜貴は焔を思い出した。

(先輩は綺麗な長い指をしていたな)

「な、なんだよ?」

「え? ああ、なんでもない」

「変な奴だな。やっぱりおにぎり食べたかったのか?」

「は? ああ、そんなんじゃないから大丈夫」

 意外と早くに食べ終わってしまい、二人はまた気まずい空気に包まれる。

「よくわかんねーな。一緒に飯食ったけど、亜貴はどうなんだよ?」

「どうって言われると困るけど。そうね、まあ、新鮮ではあるかもね」

 いつもは部室でその場にいる部員と食べながらおしゃべりをしていたが、亜貴が部室へ行く目的はおしゃべりではなかった。もともと口数が多いほうではないし、相槌を打ちながら焔が来ないかどうかを見ていた。たまにだが、三年生になっても同級生と焔が来る時があり、それを見るのが目的だった。

「新鮮、か。まあ、そういわれるとそうだな」

「刻はいつもはどうしてるの?」

「そうだな、俺はつるむのが好きじゃねぇからそれこそそこらで一人で食べてる時もあるし、学食に行くときもあるし。まあ、部室に行ったら誰かがいるからそいつらと食べる時もあるけどな。亜貴はどうなんだ?」

「私はほとんど部室で食べてるわね。今日は行かなかったからなんでかなって思われてるかもね」

「似たり寄ったりだな」

「そうね」

 また沈黙。仕方なしにお互い弁当箱を片付ける。

 亜貴は横髪を鬱陶しそうに耳にかけた。亜貴の性格を表すようなまっすぐな黒髪。ピンで留められた前髪の下には意志の強そうな眉がある。ふと刻の視線を感じて、亜貴は刻の方を向いた。

「何?」

「いや、女子でもそんな黒い髪は珍しいよなと思って」

「髪?」

 髪と同じ亜貴の黒い瞳がきょとんと開かれる。前髪をピンでとめてあるせいもあり、くるくる変わる表情がよくわかる。

 刻がちょっと気まずそうに視線をずらした。

「生まれつきかな。真っ黒すぎて嫌なんだけどね」

 そう答えて、亜貴は円上さゆりを思い出した。さゆりも比較的黒い長髪だ。ただ、自分と違っておしとやかなので印象が違うけれど。

「亜貴には合ってるんじゃねえか?」

「それは、まあ、どうも」

 なんだかさらに気まずくなって二人は一瞬そっぽを向いた。

 刻の髪は薄めの色だった。日に透けると茶色っぽくなる。

(……あれ?)

 誰かに似てると亜貴は思った。

「そういえば、亜貴の部活は何なんだ? 聞いてなかったよな」

 また既視感に襲われていた亜貴を刻の低い声が現実に戻した。

「そうね、言ってなかったわね。書道部よ」

「ふーん。まあ、確かにイメージ通りかも。

……書道部っていえば、俺の兄貴がいたはずだけど」

「え?」

 亜貴の心が一気にざわつき始める。嫌な予感がする。先ほどから思い出していたのは誰だったか。刻の苗字は。確か。

「樋口焔って知らねー? 俺の兄貴なんだけど、よ」

「……」

 亜貴の表情は完全に固まった。

「おい? 亜貴? なんだ、部長だったらしいのに、案外認知度低いのか」

 亜貴の気も知らずに刻は笑う。

 既視感、そうか。なんでいちいち思い出したのか。それは。似ても似つかない性格なのに、面影が少しあるからだ。

「おーい? なんか顔色悪いけど大丈夫か? 気分でも悪いのか?」

「……大丈夫」

「? ならいいけど。

書道部か~。世間は狭いな。兄貴は知ってんのかな、亜貴のこと。訊いてみっかな」

「や、やめて!!!」

 予鈴の音と亜貴の悲鳴が重なった。亜貴の膝の上にあった弁当箱が落ちて音を立てる。

「な?! なんだよ、どうしたんだよ?」

 悲鳴に驚いて、刻が立ち上がった亜貴を見た。

「!?」

 亜貴の表情を見て刻は理解したようだ。

「あ~。そういうこと?」

「……予鈴なったから、行かない?」

「あ、ああ。えっと」

「何も聞かないで。そして、樋口先輩にも何も言わないで」

 刻に喋る隙を与えずに亜貴は早口で言った。

「あ~、うん」

 二人は黙って速足でそれぞれの教室に戻った。

「今日も、一人で帰らせて」

「あ、ああうん」

 教室に入っていった亜貴を見送り、刻が後味悪そうに頭をかいていたのを亜貴は知る由もない。

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