樋口先輩、県外に行くんですか?!

 昼休み。亜貴がいつもの場所に行くと刻はすでにベンチに座っていて、サッカーをしてる男子たちをぼんやりと見ていた。

「刻」

 亜貴が呼びかけると、

「おう」

 と応じて亜貴の方を向いた。亜貴もベンチに腰を下ろす。

「あのさ」

「あのさ」

 声が重なった。

「何?」

「うん……あの、本屋でのことだけど、今更だけど本当にごめんな」

 刻はずっと気にしていたようだった。

「……土曜日にも言ったけど、誰が悪いって訳ではないから。事故よ。事故」

「ああ。でも、亜貴すげえ悲しそうな顔してたから……」

 刻は亜貴から目を逸らして、自分の足を見つめるようにして言った。

「べ、別に刻だからショックだった訳じゃないわよ? なんていうの? やっぱりキスとかは本当に好きな人とがいいじゃない?  特に初めてのは」

 自分でも恥ずかしいことを言ってるのはわかっているから、語尾が小さくなる。頬もやや上気していた。

「でも、こないだのは言っとくけど唇同士じゃねぇぜ?」

「そんなの分かってるわよ! でも、やっぱりショックだったの。あんたは平気だったの?」

 亜貴に言われて、刻は両腕を組み考えるしぐさをした。

「……まあ、びっくりはしたけど。でも犬だって口の周り舐めるし」

「はあ? 犬?」

 亜貴の声色が変わる。自分は犬と一緒のレベルってこと?

「バカ、例えだよ!」

「……もうこの話はやめましょう。建設的じゃないわ」

 亜貴はご機嫌斜めなままそう言った。刻は謝りたかっただけなのにすっかり亜貴の機嫌を損ねて、ため息をついた。

「そうだな。俺もそう思う」

 二人は何だか疲れて、同じタイミングでため息をつくと同じタイミングで弁当箱を開けた。暫く黙々と食べる。

「あ、そういや兄貴、来週私立の合格発表。その次の日曜日公立の入試みたいだ」

「そうなの?!  もう私立受験終わってたんだ……。知らなかった。樋口先輩はどこを受けたのか知ってる?」

「さあ? どこかまでは知らねえけど、新幹線がどうとかって言ってたな」

 のほほんとした刻の言葉に亜貴は顔色を変えた。

「え?!  先輩県外を受けてるの?!」

「え?  そうじゃねーの?  何?」

「何って……」

 亜貴はしばらく言葉を失う。刻は不思議そうに亜貴を見ている。

(そっか、樋口先輩、遠くに行くんだ……)

 近くの大学に行ったとしても会える確率なんてたかが知れていて、焔が高校を訪ねてこない限りはほとんど会えることはないだろうけど。それでも県外の大学に行くよりかは会えたかもしれないと思うと、亜貴は心にぽっかりと穴が開くような感覚がした。

 それに。さゆりはどこを受けてるんだろう。焔が県外を受けたって知っているのだろうか。

「亜貴?」

「円上先輩に会わなきゃ」

「え?」

 亜貴はパクパクとおかずの残りを片付けて、おにぎりを一つ刻の弁当箱に入れた。

「お、さんきゅ。って、何?  今から行くのか? さゆり姉んとこ」

 目を丸くしてる刻を置いて亜貴は立ち上がった。

「うん。行ってくる!」

 弁当箱片手に駆け出した。ポツンと残された刻は、

「……ま、いっか」

 亜貴からもらったおにぎりにかぶりついた。




「すみません。円上先輩お願いします」

 さゆりのクラスに行くと、亜貴は教室に入ろうとしている女子生徒に声をかけた。ほどなくしてさゆりが出てきた。

「あら、高城さん? どうしたの? 」

 さゆりは亜貴にふんわりと微笑む。亜貴は軽く会釈をした。廊下にはまだ多くの生徒がいる。亜貴はどうしようと考えた。二人でちゃんと話したい。

「……ここじゃちょっと」

「?

じゃあ、放課後部室の前で待ち合わせにする? もうすぐ昼休みも終わっちゃうわ」

 さゆりの提案に、亜貴は顔を上げ、思いっきり頷いた。

「はいっ! そうして頂けると助かります」

 そんな亜貴にふふふとさゆりは笑った。

「じゃあ、放課後ね?」

 良かった、と胸を撫で下ろして階段を降りる。自分の教室へ戻ると、教室の前に刻がいた。

「話せたか?」

「放課後話せるようになった」

「そ?

まあ、無茶すんなよ?」

 それだけ言うと刻は自分の教室の方へ歩いて行った。やっぱり悪い奴じゃない、と亜貴は思った。

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