熱に浮かされて考えるのは……
亜貴はうなされていた。
焔も刻も亜貴のもとから去る夢を見ていた。
「待って! 行かないで!!」
自分の声で目が覚めた。
汗をびっしょりかいていた。気持ちが悪くて亜貴はパジャマを着替える。今は何時だろうとスマホを見ようとすると、スマホが震えだした。刻からだった。亜貴は心臓が跳ねるのを感じた。昨日のことが頭をよぎる。
(どうしよう。今は出たくない。でも、出ないと刻が傷つくかもしれない……)
迷った挙句、亜貴は通話にスライドさせた。
「亜貴……! 出てくれて良かった!
昨日は……悪かった。本当にごめん。
熱が出たんだって? てっきり俺の顔を見たくないから学校休んだんだと思った。そうだったらどうしようかと……」
すっかりしょげている刻に亜貴は、
「刻の顔も見たくないなんて、思っても二時間くらいよ」
と冗談混じりに返したが。
「二時間……」
刻は複雑そうな声で呟く。
「そ、それで何か用?」
「ああ。その、見舞いに行きたいなと思って……」
亜貴はパジャマ姿の自分と、やや散らかった部屋を見た。今から掃除をするような体力はない。亜貴は、
「今日は遠慮しとくわ、明日はちゃんと学校行くから」
と答えた。まだ心の整理もできていない。刻に会って平常心でいられる自信がなかった。
「そっか」
残念そうに刻は言い、
「いつも亜貴と弁当を食べてたから、今日は一人ってのがなんか変な感じだった。亜貴と勝負する前は一人で食べてたのにな」
と続けた。亜貴は自分も同じだと思いながら聞いていた。
「亜貴が体調悪いのに長々悪かったな。
昨日のことは……。無かったことには出来ないと思う。俺も自分であんなことしちまったこと、驚いてる。でも、後悔はしてない。亜貴には本当に悪いが。
明日、体調を優先してくれ。じゃあ、ゆっくり休めよ?」
刻はそう言って電話を切った。
亜貴は大きくため息をついた。
刻は後悔していない、と言った。どういうつもりなんだろう。
唇を触る。昨日の感触が蘇る。刻にぎゅっと抱きしめられて、そしてキスをされた。
亜貴のファーストキスは、期間限定の恋人の刻に奪われた。手を繋ぐのだってとっておいたのに。一生に一度のファーストキス。
亜貴はベッドの上のクッションを力任せに叩いた。
「あー! もう! 刻のバカ! 私のファーストキス返してよ!」
好きな人としたかった。そう思って、焔とのキスを想像してみる。でも、想像しようとしても刻の唇の感触が邪魔をして、結局、刻の顔が浮かんでしまう。
「もう! 何なの!」
亜貴はぐしゃぐしゃと頭をかく。涙が溢れた。何の涙かは分からない。
喪失感はある。でも、刻のキスがそんなに嫌でなかった自分がなんだか信じられなかった。
亜貴は唸る。自分の好きな人は焔だったはずだ。なのに最近は刻といるのが楽しくて。本当に楽しくて。一緒にいるのが心地よくて。焔と同じぐらい刻のことが、好きになっている?
「まさか! ないない! ないない?」
本当に自分が分からない。こんな気持ち知らない。好きな人って絶対じゃないのだろうか?
「樋口先輩……」
長く長く片想いしていた。毎日少しでも見られるのが嬉しくて、とにかく書道教室や部室に足を運んだ。目が合えばそれだけで幸せで、ドキドキして、微笑まれれば、もう、天にも昇る気持ちだった。声を聞ければうっとりして、優しい言葉に胸がキュンとなった。そういうのが恋だとずっと思ってきた。幸せな片想い。振られた時は本当に悲しかったけれど、焔の幸せだけを願おうと思えた。
「大好きな大好きな樋口先輩」
なのに、どうして一ヶ月だけ過ごした刻のことがこんなに胸を占めるのか。
刻にはドキドキするというより、なんでも言いたいことを言えて、一緒にいても自然体でいられて、とにかく楽だった。少しの間だけなのに、すぐに打ち解けられた。刻は亜貴のことを理解しようとして、決して亜貴のやろうとすることを止めなかった。それは亜貴との勝負に勝とうとするためだったかもしれない。でも、きっと刻はそれだけではないと思える。刻は口は悪いけれど、いい奴だと心から言い切れる。
「なんだ、私、刻のこと、人間として好きなんだ」
きっとそれだけ。それだけ?
人間として好きだから、キスも嫌悪感がなかったのだろうか?
亜貴は再び唸る。
じゃあ、人間として好きなら、他の人とでもキスできるのだろうか?
できない、と亜貴は思った。刻だから嫌じゃなかった?
刻は焔に似ていると思う時がある。刻に焔を重ねたのだろうか?
違う。最初のうちは重ねて切なくなる時が何度もあった。でも今は刻は刻、焔は焔だと思う。二人を混同することはない。焔には焔の魅力があったように、刻には刻の魅力があると思える。
同時に二人の人を好きになんてなるものなのだろうか?
亜貴はますます混乱して、それとともに熱もまた上がってきてベッドの中に入った。
亜貴は自分の気持ちがよく分からないまま微睡む。
うとうとしながらもやっぱり見るのは焔と刻の夢だった。
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