やっぱり兄弟だから似てる、かも。

 終業を告げるチャイムの音を聞いたのだが、亜貴はしばし席に留まっていた。今日はどうしようか迷っていた。樋口先輩に告白してから放課後、部活に行っていない。特に差し迫った提出などはなかったはずだ。行ってもただ黙々と字の練習をするだけだ。しかし、その時は無になれる。その感覚が亜貴は好きだった。それで書道自体にはそれほど興味は無かったが書道部に属していた。だが、今は到底心を無にできそうにない。亜貴は書道教室に行く気になれないでいた。

 のろのろと教科書類を鞄に詰め込んでいると、亜貴の教室を刻が覗いているのが目に入った。眼鏡は結局やめたようだ。

(ふん。やっぱり刻には眼鏡は似合わない)

 目が合った。刻の鋭い目つきがやや変わる。そのまま教室に入ってくると刻は亜貴の前に立った。

「おい、お前、じゃなかった、亜貴。今日はどうすんだ?」

「そうね、それを考えていたところ」

 数人残っていた女子がこちらを見た。

「とりあえず教室出ましょうか」

「あ、ああ」

 女子の視線に気づいた刻もちょっと気まずそうに返事をすると亜貴に続いて教室を出た。

「わりぃ、考えなしだった」

「まあ、いいけど、今更」

 素っ気なく言った亜貴に刻はにやっと笑った。

「亜貴ってさ、友達いねぇだろう?」

「は? どうして?」

「いっつもつんけんしてるから」

(こいつはなんでこんなに私をイラつかせるのがうまいんだろう)

「……少ないけど、いなくはないわよ」

 部活の友人はいるが、教室には他の女子のように一緒に行動をする友人はいなかった。そもそもいつも一緒に行動するだけが友人とは思っていなかった。

「刻こそ……」

 亜貴が言おうとしたとき、廊下ですれ違った二人の男子がこっちを見た。

「刻、その子彼女~?」

「え~いつの間に?」

「うるせーな。期間限定の、だよ」

「ははっ、何それ」

「かっこつけんなよー」

「うるせっ! 早く部活行けよ」

 亜貴は言いかけた言葉をのんだ。そして言わなくて正解だったと思わずにはいられなかった。階段を一階まで下りる間に、刻は数人から声をかけられていた。

(なんだ、友達多いんだ)

「今日も帰るのか?」

 亜貴はちょっと考えて、

「……今日は刻の部活見ていこうかな」

 と答えた。刻は意外そうに目を開いて、そして笑った。

「いいぜ、来いよ。静かにしとけよ?」

「……なんであんたはそんなに偉そうなのよ?」

「別に?」

 亜貴の言葉を気にすることなく、刻は上機嫌で弓道場まで歩いていった。


 弓道衣を身にまとい、ゆがけをはめて弓を引く。矢が切り裂く空気までが伝わってくるよう。亜貴はじっと魅入ってしまっていた。


 亜貴が入ってきたとき、弓道場は少しざわついた。男子部員たちは興味津々といった風に亜貴を近くまで見にきたし、女子部員は遠巻きになんとも言えない目で亜貴を見ていた。そんな様子を気にも留めずに刻は、

「あ、こいつ、見に来ただけだから」

 と言って着替えに行ってしまい、その場に残された亜貴は、

「見学させていただきます。よろしくお願いします」

 と言って後ろの方の床に正座すると黙って目を伏せ、視線に気付かないふりをするしかなかった。着替えて出てきた刻は、そんな亜貴に一瞥をくれただけで、あとは黙々と作業をしだした。他の部員たちもそんな刻の様子に興をそがれたのか、部活を再開した。



 的を見る横顔に亜貴の心はざわつく。似ているなんて思いたくない。なのに、その張りつめたような表情は、焔が書道の時見せる真剣な表情によく似ていた。

 普段醸し出す雰囲気はあんなにも違うのに。

(やっぱり兄弟なんだ)

 思い出してはいけない。思い出したくない。でも、思い出さずにはいられない。じんわりと涙が滲む。


 弓道の所作はなんて美しいのだろう。刻が的を射る前から残心までの動作を見る度に、亜貴は本当にそう思った。たぶん刻は腕がいいほうなのだろう。その姿は本当に美しい。なのに刻を透かして焔が見えてしまう。なんて刻に失礼なんだろう。見に来なければよかったのだろうか。

(違う。ちゃんと見なきゃ)

 優しかった焔。もうすぐ卒業してしまう焔。

(私はどうしたらいいのかな)

 自分の恋はもう叶わない。

(樋口先輩……)


「おい」

 頭上から降ってきた声に亜貴ははっと我に返った。見上げると刻が亜貴を見下ろしていた。

「何ぼうっとしてるんだよ? ちゃんと見てたのか?」

 ちょっと不機嫌そうな声で刻が言った。

「……。うん、見てたよ」

「ふーん?」

 怪しむように亜貴を見る刻。その刻の顔を見て、亜貴はふっと笑った。

「? なんだよ」

(似てると思ったのに。でも樋口先輩のこんな表情は見たことない。こいつは刻だ)

「意外に様になってたわよ」

「意外には余計だ」

 刻は鼻の頭をぐいとこすってふんと鼻を鳴らした。

「まあいいや。退屈じゃなかったか?」

「……全然」

「ならいいけど。もう少ししたら帰る」

 素っ気なく言って戻っていく刻。そのすっと伸びた背筋がまぶしく感じられた。亜貴はそんな刻の姿を見ていて一つのことを思いついた。

(私の恋はかなわない。でも、樋口先輩の恋は? 私にできることはないだろうか)

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