温室でどきりとしました

 温室の中は温かくて湿度もあった。外とは別世界のようだ。緑の葉が生き生きしている。

「あ、バナナ」

「結構背が高いんだな」

「サボテンも沢山あるよ?」

「お、サボテン色んな形があって面白いな」

「触らないようにね」

 子供に言うように言った亜貴に刻は少しむすっとする。

「わかってるよ、それぐらい」

「あ、月下美人!」

 急にテンションの上がった亜貴に、刻は興味を惹かれ、

「たいそうな名前だな。どれ?」

 と訊いた。亜貴は「これよ」と指差す。そこには少しギザギザした細長い葉を茂らせただけの植物があった。

「なんだ、地味じゃん」

 思わず漏れた刻の言葉に、亜貴は少しむっとした。

「これは夜の間しか咲かないで朝にはしぼむ珍しい花なんだよ?  ほら写真が横に飾ってあるじゃない。こんな花が咲くんだよ?  結構大きくて、開き始めたらえも言われぬ香りが漂うらしいの!」

 と熱弁する。

「確かに面白い形の花だな」

 刻は亜貴に言われて、写真の月下美人の花をまじまじと見て言った。

「綺麗な花よ。一度は見てみたい花の一つ」

「確かにこういう花はなかなか見られないからな」

「季節は六月から十一月かあ。咲くときは夜の一般公開もあるみたい」

「……」

 亜貴の言葉に刻はまた返そうとしてやめた。亜貴は怪訝なそうな顔をする。

「何?」

「いや、まあ、その、亜貴が友達として一緒に行こうってなら、この花のためなら来てもいいぜ」

 訊かれて仕方なく刻は明後日の方を見ながら答えた。亜貴はそんな刻の様子に恥ずかしくなる。自分が言わせてしまったという罪悪感もあった。

「そ、そう。まあ、珍しいものね、月下美人は」

「ああ。珍しいからな」

 またギクシャクしながら二人は無言で次の蘭のコーナーに入った。


 白、紫、ピンク、黄色。色とりどりの様々な種類の蘭が咲き乱れていて、香りもむせ返るようだ。

「うわあ、華やかね!  可愛らしいものから立派なものまで」

「色々あるんだな」

「胡蝶蘭がやっぱり大きくて見応えあるわね」

「でも、この胡蝶蘭、いつ見ても思うけど、作り物みたいだよな」

 確かに肉厚な花びらとしっかりした葉、すっと伸びた茎は触っても作り物のような感じだ。

 最後はハイビスカスやフランジパニが咲いているハウスだった。

「私、この花大好きなの! 別名プルメリア。ハワイのレイを作るのに使われるのよ! 香りがまったり甘くていいの!」

 フランジパニのクリーム色に黄色がかった五枚の花びらに亜貴は鼻を近づける。

「へぇ~、どれどれ?」

 刻も鼻を近づけた。

「確かに甘い香りだな」

 と言って刻が亜貴の方を見た。二人の目が合う。睫毛の長さまでわかるような距離の近さに二人は一瞬驚く。その時ふいに刻の手が亜貴の髪に触れた。

「亜貴の髪ってサラサラしてんだな。いい香りがする」

 どこかぼんやりと刻が呟いた。亜貴の顔がみるみる赤くなっていく。そんな亜貴に、刻ははっとしたように手を放す。

「わ、わりぃ」

 慌ててお互い離れた。亜貴の心臓も刻の心臓も音が聞こえそうなほど早鐘を打っていた。

「あー、なんかこの温室暑いな」

 刻がわざとらしく言葉を吐いて、亜貴はそれに頷く。

「そ、そうね。暑いわね。

でも綺麗な花が沢山あって良かった」


 温室から出ると肌寒かった。急に視界も緑から茶色ベースに変わる。

「最後に梅の花をだけ見て帰ろっか?」

「おう」

 梅の小さな丸みのある花は見ていて心が和んだ。上品な香りが漂ってくる。亜貴は焔を思い出した。

「樋口先輩、合格するといいな」

「兄貴は俺よりか頭いいから大丈夫だろ」

「刻は頭いいの?」

「そこそこな」

「その刻よりいいなら大丈夫ね」

 植物園の出口付近にある土産屋で、押し花の栞と月下美人の香りの香水を亜貴は買った。 様々な花を見たが、それより刻に髪を触られたことの方が印象に残った。


 帰りのバスの中で亜貴は提案をした。

「受験の翌日で先輩たちは疲れているだろうから、呼び出すのは申し訳ないのだけれど……。でも、受験の翌日なら勉強を休むかもしれないから、ブルームーンに呼び出すならやっぱり明日がいいと思うの」

「明日、な。わかった。俺がどっちにもメールを入れとくよ。十七時でいいか?」

「そうね。そのくらいじゃないと私たちは授業があるから……」

「で、どーすんだ? 俺たちはブルームーンの中に入らないんだよな?」

 亜貴に確認するように刻は言った。亜貴は頷いた。

「前、刻に言われて私も考えた。プライバシーの問題もあるし……。今回は店の外から様子を探るにとどめようと思う」

 刻は亜貴の言葉に安心したように笑った。

「俺もそれがいいと思う」

「受験もだけど、恋も、樋口先輩上手く行くといいな」

 両手を握りしめて祈るように言った亜貴に刻は、

「まあ、そうだな」

 と複雑そうな顔をして返事をした。また亜貴が泣くようなことになるのは嫌だと刻は思っていた。

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