たぶん樋口先輩の好きな人
「おはよう、刻」
どこかぼんやりとして駅から学校への道を歩いている刻を見つけ、亜貴はポンと肩を叩いた。
「おう、亜貴」
刻の声に覇気がない。亜貴は不思議そうに刻を覗き込む。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「いや……」
「昨日言ったことだけど」
亜貴の言葉に、
「あのさ」
と刻が口をはさんだ。刻は真剣な目を亜貴に向けていた。
「何?」
「お前、本当にそれでいいのか? 兄貴のこと好きなんだろ?」
「意外にしつこいわね? 好きだから、よ」
亜貴の両目に射抜かれて、刻はふいと目をそらした。
「……わかんねえ」
刻の口から漏れた言葉に、
「そうね、刻にはわからないかも」
と亜貴は優しい目をして言った。
「……」
憮然として刻は黙る。そんな刻に亜貴は何もなかったように、
「お昼、作戦会議ね」
と言って刻を置いて歩いて行った。
「やっぱり、わかんねえ」
取り残された刻が一人呟いた言葉は亜貴には届かなかった。
刻が校庭の方へ来るまで亜貴はベンチに一人腰かけていた。校庭でサッカーをしている男子たちをぼんやり見ていた亜貴は、刻に気づいて軽く手をあげる。
「おう」
刻もそれに答えた。亜貴の隣に刻が腰かける。桜の固い蕾は近い春を待っているようだった。
いつも通りの昼休み。
「頂きます」
とりあえず二人は弁当箱を開けた。
「それで、刻は樋口先輩の好きな人、知ってるの?」
卵焼きを口にしてから箸をとめて亜貴は刻の方を見た。刻は気乗りしないまま唐揚げを口に入れた。
「ああ。心当たりはある」
「それってさ、円上先輩じゃない?」
刻がちょっとだけ目を見張った。
「……たぶん」
「そっかあ……。書道部でも二人はとても親しそうだったしなあ」
亜貴は淡く微笑んだ。どこかで分かっていたことだ。だけどやっぱり胸がずきんと痛んだ。
(やっぱりそうかあ……。お似合いよね)
「そっかあ……」
亜貴の口からもう一度同じ言葉が出た。刻はちらちらと亜貴を見て、なんと反応していいかわからない様子だ。亜貴は今度はほうれん草のおひたしを箸でとって口に含んだ。咀嚼する。無言の時間が流れた。
「……まあ、それなら、樋口先輩が告白したら上手くいきそうよね」
おひたしを飲み込んで、わざと明るめの声で亜貴は言った。そんな亜貴を見て、刻は複雑な顔をした。
「何? なんか問題があるの?」
「いや……。そう簡単じゃねぇと思うぜ」
「?」
今日の刻はなんだか歯切れが悪い。ほとんど食も進んでいなかった。
「兄貴とさゆり姉は幼馴染で、確かに仲はいいはずだ」
「さゆり姉? あ、円上先輩のことね? そっか、幼馴染だったんだ、あの二人。刻も親しくしてるのね」
なるほど、と思いながら亜貴は刻の続きを待つ。
「ああ、俺も可愛がってもらってる。ただ、幼馴染なのは兄貴とさゆり姉だけじゃないんだ。もう一人、渓ちゃんがいる」
「渓ちゃん?」
知らない名前に亜貴は首をかしげる。
「亜貴は知らねえ?
亜貴は視線を宙に浮かせて考えて、もう一度首を傾げた。
「わからない。顔を見ればもしかしたらわかるかもしれないけど。
それで、幼馴染は二人じゃなくてその三人なのね。もしかして、樋口先輩と尾崎先輩は二人とも円上先輩が好きなの?」
「いや、そこまではよくわかんね。ただ、三人ほんとに仲良いいんだけど、恋愛感情? とかはあるのかないのか分からない感じなんだ。まあ、兄貴はたぶんさゆり姉が好きだろうなと俺は思うけど」
「そう……」
亜貴はため息をついて、黙った。
(二人だけを見てるといい感じに見えるのにな)
刻はようやく箸を動かしだした。また無言の時間が流れる。
「亜貴、さあ」
「うん?」
「簡単にくっつける! とか言ったけど、具体的に何するんだよ?」
「確かに、そう、なのよね。何をしたらいいか考えてるところ」
亜貴が刻の弁当箱におにぎりを入れようとすると、刻は今日は要らないと断った。
「おい、お前、また人の恋愛に首突っ込むだけじゃないだろうな?」
それを言われると何も言えなくなってしまう亜貴だったが、でも、やっぱり焔のために何かしたいという思いは消えなかった。
「……わりぃ、言い過ぎたか?」
黙った亜貴に刻が気まずそうに言った。
「ううん、確かにほんと、私、人の恋路に乱入してるのかも。でも、でもね。樋口先輩の力になりたいんだ。それは心から思うの」
「なんでそこまで兄貴のこと思えるんだよ?
って、そうか。また『好きだから』って言うんだろ?」
理解できないっといった風に頭を振って刻は言った。
「なんだ、わかってるじゃない」
と亜貴は笑う。刻はまた複雑そうな顔になった。
「ねえ、明日土曜日よね? 樋口先輩は何か用事あるの?」
「? たぶん、兄貴は予備校じゃねえか。さゆり姉も渓ちゃんも一緒のとこ行ってたと思うけど……」
「そう。丁度いいわ。三人でいるところ、見てみたい」
思いついたように言った亜貴に刻は嫌な顔をする。
「はあ? 見てどうするんだよ?」
「それは見て考える!」
「ほんと突拍子もない奴だな、お前。
土曜は予備校終わるの夕方だな。18時ごろだと思う」
行く気満々な亜貴に、刻は諦めたように息をついてそう言った。
「刻はその日は何か予定ある?」
「俺は午前中は部活に行く」
「なら、刻が部活が終わるころに私も学校に来るわ」
「来てどうするんだよ? 予備校が終わるまで時間が余るぜ?」
そうねえ、と亜貴はしばし考え、
「じゃあ、デートとやらをしてみればいいじゃない」
と言った。
「は、はあ?!」
亜貴に笑顔で提案されて、刻は声を裏返らせる。
「だって私たち付き合ってるんでしょ?」
「……し、仕方ねえな、してやるよ」
刻はそう言って弁当の残りを口にかきこんだ。その頬が少し赤かった。そんな刻を見るとなんだか言い出した亜貴も恥ずかしくなって、それを誤魔化すように最後の一個のサツマイモのてんぷらを口に押し込んだ。
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