うなぎ料理王都風

 ◆283話周辺のちょっとした出来事。◆


 ショシャナ・アランバルリはヴァリウサ国土のうちでも三本の指に入ると言われる大領地、北のミランドを統べる公の令嬢である。


 そんな高貴な令嬢は通常、厨房になど入りはしない。しかし、色々と謎の事情があり、素晴らしく高貴なご令嬢であるところのショシャナ、もといスサーナは厨房に入り込むことが可能である。

 ――まあ、入ったところで料理ができるわけでもないんですけどね。

 そう考えつつも、台所の衛生を一手に守るネズミ捕り猫であるところのロコを撫でるために厨房に入り込んだとある冬の初めの日。


 ――その日、運命に出会う――


 スサーナは厨房の片隅で呆然と脳内でそんな単語を浮かべていた。

 いや、嘘だ。そこまで大げさなものではない。そんなフレーズを脳内でリフレインさせたところで、いい感じのアングルで謎の人物が現れたわけではない。だいいちそういうのはなんだか間に合っている。

 スサーナがその日、公家の広い厨房の隅で見かけたのはいい感じに使い込んだ大きめの桶と、その中で元気にヌルヌルしている、素敵に生きの良い長いお魚であった。


「こ、これは――」

「まあ、お嬢様! このようなおぞましいものをご覧になられて、恐ろしかったでしょう。あれでも魚なのですよ。」


 思わず桶に手を伸ばしたスサーナに目ざとく気づき、長いものは令嬢は怖がるという一般的な理解に従ってそっと引き離しにかかった台所女に背を押され、粘るのも不自然という自制をもとに名残惜しく厨房を後にしたスサーナだったが、しばらく様子を見た後にロコを追うふりでびゃっと厨房に立ち戻った。


「まあ、ロコ、このお魚が気になるのですね」


 責任を腕に抱いたロコに押し付けつつ再度覗き込んだ桶の中にいたのは、やはりスサーナの前世の記憶ではうなぎと呼ばれていたにくいあんちくしょうにそっくりに見える。

 ――しかも背中が青緑でお腹が金色の、いちばんおいしいやつ!

 前世、紗綾のおうちで贔屓にしていた通いの鰻屋は、料理の前にどのうなぎを食べるか桶から選ばせてもらえたものだ。その記憶の姿形に比較的一致している生き物に、スサーナは静かに興奮する。

 ――どう食べるんでしょう。うなぎ……蒲焼のタレはほしいですけど、でも、白焼きでも十分美味しい……!

 生姜塩や、ちょっと邪道だがハーブ塩などでもうなぎの白焼は美味しいのだ。きっとこの世界では資源量に不安があったりしないに違いないので、罪悪感なく飽食できるというものだ。


「このお魚、どうするのですか? その、晩の食事に出たりとか……」

「いえいえ、お嬢様。そのままではクセがありますので、数日ここで置いて癖を抜くのですよ。」

「そうなのですね」


 スサーナはちらりとこれを使うのだろうと思われる水がめの水を眺め、底の方に残った水がとても新鮮とは言い難いのを確認し、うなぎのQoLとしてはちょっと濁っていたほうが気持ちが良いのかもしれないけれどと思いつつ、ロコを撫でいているふりでしばらくタイミングを見計らい、使用人たちの注意が途切れたところでそっと水を流し、魔術師特製の非常に清浄度が高そうな水で水がめを満々に満たしておいた。


 期待に満ちて使用人たちの死角をかいくぐり、水を替えながら数日。ぜひ一尾は白焼きにしてくれと料理人に強請ろうと夢を抱いていたスサーナであったが、料理の予定が届けられることもなく、ある日唐突に水がめのうなぎは消えていた。


「もし、あのお魚、どうしたのですか? 食卓には……出てはいません、よね?」

「おや、お嬢様、ご心配されていたのですね。ご安心くださいませ。あの魚は下賤のものの食べるものなのですよ。お嬢様の食膳にこっそり混ぜるような真似はいたしませんとも」


 そう重々しく料理人に言われたスサーナはがっくりし、下級の使用人たちはあの素敵なうなぎをさばいてよく血抜きをし。いい感じに香草と唐辛子、そしてニンニクをたっぷりと入れたオリーブオイルで煮込み、ホクホクにしたじゃがいもと食べるのだ、と聞かされ、その未知ながらとても美味しそうな食べ物に叫びだしたくなった。


 ちなみに。その料理は王都の食べ物ではあるのだが、北部ミランド流に洗練がなされており、事前にしっかりぬめりを取り、ハーブ塩をふりつついい具合に炭火で皮目を炙るといういかにも美味しそうな工程があり、特例でミランド公お父様はそれを出してもらえるし、それをたっぷり赤ワイン――伝統的にそいつだけは赤でやっつけるのだとか!――で食べると聞いたスサーナは、ぜひ同じものを食べてみたいとお願いしてみたりもしたのだが、ここでも滋養強壮の食べ物らしいそれはなぜだか女児であるスサーナに食べさせてはいけないということになっているらしく、なぜだか言葉を濁されつつ料理人全員からお断りをされてしまったものである。


 スサーナは心底しょんぼりし、いつか白米が出来上がってきたあかつきには間髪入れず醤油を注文し、闇の運び屋としての鳥の民の力すら余さず利用して素敵な清水で育てたいい具合の鰻を手に入れ、蒲焼にしてくれるのだと心の底から誓ったのだった。

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