スサーナの日常 オバケの話と夜祭り 2

 この大陸の南端の土地では秋の終わりから冬の初めは雨の時期だ。

 ゆえに、雨こそ降っていなかったけれど深夜過ぎの街中は淡い夜霧にぼんやりと覆われて、そこここに掛かったランプの火をぼやけた輪の形に散乱させていた。


 ――静かで、暗くて、でも賑やかだ。

 スサーナは真夜中の街を見回して、短く感嘆の息を吐く。

 紗綾の記憶にある夜祭りよりもずっと灯は少なく、電気のない夜はやはり暗いのだ。

 明かりの下だけがぼうと橙色をして明るく、少し外れれば足元の石畳の凹凸もよくわからない。表通りにはそれぞれの店や住人たちがランプを灯し、蝋燭を並べていて、それなりの明かりは確保されているものの、一歩路地に入れば月のない夜の闇が広がっている。


 そんな中を、けして少なくはないのだろう人たちが、楽しげに歩き回っている。


 どこかで配っているという火を受け取るための蝋燭やランプを手にした者。振る舞い酒だけを目当てにしているのか手ぶらで、それでも何かの姿を装っているもの。

 流石に眠っている者たちもいる時間だからか、会話の声は囁きに近く、南岸の民らしく祭りとなるとご陽気にはっちゃけるタチだと一般に言われるヴァリウサの民ではあるものの、どこかひそやかさを感じさせ、彼らが思い思いにしている仮装も相まって、これは彷徨う人ならぬものを模した祭りなのだと強く感じさせた。

 と、なんだか胸をざわめかせたところで誰かがぱーんと爆竹を爆ぜさせたのでスサーナは遠い目になる。やっぱり国民性というものはなかなか変えられないらしい。

 火薬の技術はなぜか諸国一般に好まれず、あまり銃や爆弾などは発展していないらしいのだが、花火と爆竹は別らしく――これもまた歴史的にはややこしく、鳥の民が異国から運んできた技術で色々と毀誉褒貶があったのだとか――珍しいものでもあるので王都周りぐらいでしか行われないらしいものの、お祭りになればこうしてぽんぽんと爆発させるものなのだそうだ。ちなみに花火は貴族に好まれ、爆竹は庶民に好まれる。


 とはいえちょっとどうやらマナー違反だったらしい深夜の爆竹行為を咎められたお兄さんがまた別のグループのお兄さんたちに囲まれてなにやら喧嘩だ喧嘩だいけそこだやっちまえウィーピピーという雰囲気になったのを引き続き遠い目のまま眺めていると、隣で密やかな笑い声が弾けた。


「流石武勇好みのアラインの庶民ですね。血気盛んと言えばいいのか、陽気だと言えばいいのか」


 張った張ったどっちが勝つ方に掛ける、などと、どうやら急ごしらえの胴元が発生したり、発端は普通に喧嘩だったはずなのに腕を上げたり力こぶを作ったりして即席のリングパフォーマンスがなぜか始まったりしている喧嘩の当事者たちを面白そうに眺める少年をスサーナはよいしょと首を動かして見上げる。


「そういう地域性みたいなものなんですかこれ……」

「多分? いろいろな土地を見ましたが、当事者まで含めてここまでノリがいいのはやはりこのあたりの特徴でしょうか。」


 レミヒオはそれなりにスサーナより背が高いが、普段は首を動かさないと目線が合わないほどの差はない。今宵そうする必要があるのは、彼が高いヒールのある靴を履いているためだった。


 小さく首を傾げてスサーナを見下ろす目の周りは、薄く削り出された木を彩色した仮面で覆われている。

 鼻から上を覆う黒い仮面から突き出すひゅんと伸びた耳に、手を広げたようなその間に鎖を渡した角飾り。

 それに合わせるのは、キラキラとする真鍮飾りや貴石のかけらを縫い貼り付けた黒い毛織のケープにズボン。蹄を模したヒールの靴までの一式は、豊饒祭に由来する豊穣の鹿とかいうものの仮装らしい。


 比較的スタンダードな仮装と見え、見回せば似たような格好をした男たちをちらほら見かけるのだが、生来のしなやかさからか、どことなく現世離れしたような雰囲気と妙な色気を醸し出すのは才能と言っていいものだろうか。


 対するスサーナは、「仮装した漂泊民の少女」の仮装だ。

 何だその入れ子細工めいた説明は、と誰かに説明すれば思われるような単語だが、そうとしか言い難いもので、この夜に現れると伝えられる、幽冥に潜むという小神の眷属を模した、染めた羊毛の束を髪に結び、屍衣に似たストンとした白いドレス、木蔦と麦の冠を被った最低限度の仮装……をした、きつい癖のある日に焼けた黒髪に、晒した肩も腕も健康的に浅黒い、各地を渡り歩く漂泊民を見慣れた……特に南岸に多い旅隊をよく見る者ならふいと見過ごしてしまうような娘の姿だ。

 スサーナ本来よりもいくらか鷲鼻でそばかすが散り、唇もぷっくり厚く、彫りの深さのバランスもだいぶ違うように見える。目の錯覚を引き起こす奇跡的な衣装の調整によって、全体的に頼りなく華奢な――スサーナにしてみればどかんどばんと華やかな流行りのドレスが似合わないと感じる体格である――スサーナの普段の姿とは全く違う、健康的に骨太そうに見える全体像だ。なんとなれば隠し底の入った靴のおかげで身長だって5cmは高い。


 自分で鏡を見ても自分だと信じられないようなその仮装を施したのは、鍛錬が終わったあとで抜け出して夜祭りに行くのだと聞かされて「鳥の民がする本気の変装を教える」と何故か全力で張り切ってしまったカリカ先生で、なんとこの変装には超自然の力は関わっていないようなのだった。


「とはいえ、巻き込まれると面倒ね。アナタ達だって見ても楽しいものではないでしょう。迂回していきますよ」


 当の本人は一体どう豊満な肢体を押し込めたのか、気の良さそうな小さな小母さんというような格好だ。それに一応と言った感じで赤い帽子を被って、民話に出てくる荒野の幽霊だと言い張るつもりらしい。

 これに、同じ旅隊だと示す揃いの飾り物を持って本日の仮装は完成だった。


「ええ、カリカ師。……目的の天幕に着いたら、しばらく自由行動でよろしいですね?」

「ええ。ワタシも色々と話もありますしね。この子が見て有意義なものもまたこの夜には多いでしょう。ただし、あまり羽目を外させないように。スサーナはまだ何にでも対処できるとは言い難いですからね。」

「不測の事態がそう起こるとは思い難いですが、まあ、ええ。」


 母親に先導される子どもたち、という雰囲気でカリカ先生の後に続き、夜の通りを歩く。

 通りにはちょっとした飾りものや、島の満月の祭りでも見かけた林檎かじり競争の催し事、それからこれは満月の祭りとは違い、なにやらわざわざ不気味に作ったらしい死体やら骨やらを模した小麦粉焼きやら、色のつく食材と煮て赤黒くした煮物カスエラ、不気味な顔や墓を模した枝細工やらが、ちゃんとした露店から荷車から、樽の上に布を敷いた急ごしらえの店舗までで売られている。


 柏の葉を二枚結んでどんぐりをつけ、コウモリだと言いはるおもちゃなんかは一体誰が買うのかとスサーナには思われたが、それなりに客が途切れていないようだったので、なんだか人気であるようなのだった。


 ――真夜中なのに、それなりに人がいますねえ……。子供もいる。目がキラキラなのは今日は起きていていいからとか、そんな感じなんでしょうね。


 さわさわとさざめく人影は、ランプを持った一杯機嫌の男性複数の組み合わせや、誰彼無くがおーっと戯れ掛かる若者なんかが多いようだったが、見かけてもとても目を引きすぎない程度には女性も混ざっていたし、子供だって時折いるようだった。

 商人階級とそれに絡む職業の者らしい人々が多く、それなりに筋骨のしっかりした男性も多いという感じなのは、傭兵が持ち込んで商家が噛んだ新しい民間主体のお祭りというところに由来しているのだろう。

 伝統的なものではつまりまったくないのだが、でもこの様子を見ると、それなりに王都の下町には根付いているようだ。

 ――それに、よその土地からその土地の人が持ち込んだお祭というと、エキゾチズムというか……、たしかに商家は好きかもしれませんね。

 スサーナは新しもの好きで珍しい物好きが多かった商工会のおじさんたちの顔を思い浮かべてぼんやりと思う。商家のそのたくましさは島の外でも変わらないような気もした。


 ――傭兵と、新しい遊びが好きな商家と、元の土地の習俗も知っていて、それに都合よく乗った鳥の民。


 ふと見ると確かにちらほらと漂泊民らしい人影もそぞろ歩く人々に混ざり、その中にもスサーナたちと同じように母親と子供数人というような組み合わせを見つけたりして、スサーナはちょっと楽しくなった。きっとここを歩く人の中で彼らと自分たちの違いを見分ける者はいないだろう、と思うと、断片的に聞いてきた鳥の民達の生活様式やら家族構成から導き出して、架空のキャラバンとそこで買い出しに来たついでに夜祭りを楽しむ親子3人、というような偽プロフィールを心のなかででっち上げてみたりもする。


「レミヒオくん、レミヒオくん」

「はい?」

「手をつなぎませんか?」

「……え?」

「見てください、ほら、あっちのご家族とおぼしき鳥の民の方々、ご兄弟が手をつないでいるんですよ。ほら、あっちの子たちも。」

「……人混みで逸れると再合流が面倒ですからね。宿営場所が離れている者たちはそれなりに警戒するんでしょう。」

「こうして家族のように装っているわけですし、同じようにしたらより目立たないのではないかと思いまして!」


 さあ手をつなごうとえへんえへんと手を出したスサーナに、レミヒオはきょうだいね、ネレーオさんなら大喜びしたかもしれませんが、となにやら嘆息して、それでも手をつないでくれた。

 ――こういう形でお祭りに出かけたの、そういえばほとんど無いんですよね。

 紗綾は文章の記述や映像でお祭りがどういうものかは知っていたけれど、はじめて縁日に出かけたのは一人暮らしを初めてからだったし、おうちでもお祭りに出かける余裕があったのは数回で、それも叔父さんがブリダと踊るとかそういう喫緊の気にすべきことがあったから、あまり家族とのお出かけを堪能するという感じではなかったのだ。


 ――多分家族のふりをしておくことに実利もあるわけですし、家族の仮装ってことで?

 スサーナはご機嫌で繋いだ手をぶんぶんと振り回し、歩む速度を合わせる。完全に自分の気分一つのはかないごっこ遊びではあるものの、こういう場所では気分が結構大事なのだ。


 スサーナはこの夜祭りを結構しっかり楽しむつもりになっていた。

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