スサーナの日常 オバケの話と夜祭り 1
◆時系列は270話程度の周辺。第二の実りの月が終わる頃のお話。
◆ ◆ ◆
スサーナはおごごごご、と呻いた。
「どうしてわざわざそんな……オバケめいた話なんかするんですか! 意味が 意味がわかりません!」
長椅子に掛けてあった毛布をひっかぶり、そのまま差し向かいに座った少年を表情で気持ちふーっと威嚇する。
「どうして、と言われましても……。」
丸椅子に座った黒髪の少年は、なにやら久々に理解不能な動きを見たぞ、という顔をして小さく首を傾げた。
「そういう慣習なんですよ。豊饒祭の前日には……」
事はほんのちょっと前に遡る。
本日、いつもの日課であるカリカ先生との鍛錬を待つ間、なぜだか今日はちょっと早めに情報のリークにやってきたレミヒオが、情報交換が終わった後の時間が手持ち無沙汰だったのか、ふと口に出したのが『そう言えば今日は豊饒祭の前日ですね』という言葉だった。
明日は豊饒祭ですね、ではないのか、と興味を惹かれたスサーナがその話題に食いついた所、つまり、こういうことらしかった。
実りの月が終わり、枯れ葉の月が始まるその間の一日。その日は古い習俗ではソーリャからサーインに大地の主人が変わる日でもあるという。一日が日の出から始まる太陽の時期が終わり、月が大地の夫として一日が夜から始まるシーズンが始まる境の日だ。
この日の夜から本来新しい月が始まり、夜から始まる暦に人々は暦を変える。
それに伴って火を焚き、サーインの祭壇に常緑の枝を捧げ、また眠らずに朝を待つ。
朝が正しく訪れたならばそれは神々の和が続いている印であるので、去りゆく陽光の滞在時間に感謝を捧げ、長い夜の厳しさを鎮めるために豊饒祭を憂いなくはじめる、というわけだ。
この習俗は実のところヴァリウサではそこまで重要視されておらず、もっと北の国々で尊ばれるものだそうだが、赤土戦争で受け入れた北の傭兵たちがこの大陸の南端の国々に彼らの信仰のやり方とともに持ち込んだものだそうだ。
ちなみに、塔の諸島ではほとんどこの習慣は生きておらず、代わりに満月の祭りを盛大に祝うため、スサーナには全く馴染みのないものだった。塔の諸島で尊ばれるのはいつだって叡智の神サーインで、恐ろしい側面はほとんどクローズアップされない。
というわけで、スサーナは全然知らなかったのだ。
ある種ハロウィンめいて、この日には世界が揺らぎ、迷える霊魂がこちらに姿を現すという言い伝えがあるだとか、それをやり過ごすために寝ずに過ごす真夜中に怪談話をするという習慣があるだとか。
よって、目を輝かせて馴染みのない祭儀儀礼の話を聞く少女に気を良くしたレミヒオが、夜には怪談を話すものだという言葉から代表的なものに言及したりしたのも仕方のないことだったのかもしれない。
結果、スサーナは火を焚くほどでもない深夜の冷えのために椅子に出しておいた厚手の毛布に救いを求め、レミヒオの目の前には毛布ミノムシが発生し、淑女らしからぬやり方で音を遮断しようと無駄な努力を続けているということになった。
「今の話……そんなに怖かったですか? その、あまり恐ろしがるようなものではないと思っていましたが……」
「谷川に突き出たトイレの下から覗き込んでくるのは怖いですし、排泄中に気づいたっていうのもどうかと思うんです せめて窓から覗いて欲しいです」
この世界には、認めたくないが超自然が存在する。
スサーナも一応その一環であると言えなくもない、鳥の民、漂泊民と呼ばれる存在であるわけだが、魔術師、漂泊民、それから魔獣という、スサーナの感覚だと即物的にも感じられる現実の驚異よりの存在以外にも、この世界にはもっと曖昧模糊としてホラーチックなやつも存在するのである。
つまり、幽霊。オバケだ。
幼い頃幽霊の実在を知らされたスサーナは、卓ゲを嗜んでいた文系学生でもあった紗綾の記憶を頼りに、データがあれば邪神だって殴り倒せると信じてみようと思ったりもしたのだが――鳥の民はなんとかいけそうな気もしたし――あえて巷間に流布する怪談とやらを聞いてみた所、幽霊というやつばらは銀の武器だとか聖別された武器だとかでなんとかなるような気は全くしなかった。
なぜか深夜目覚めると寝室でヘッドバンギングしている謎の影。しかも時間経過で増える。
霞網にかかる生首。何故かこちらの個人情報を知っている。
薄暗い廃屋を覗くと何故か高速でハイハイしている大量の幼児。
実在する脅威なのだから、熊やら魔獣やらとそう変わらないものなのではないかとも思ったものの、都市型怪談というやつはこちらであっても理不尽で、バケモンにはバケモンをぶつけんだよ式になんとかなる期待は出来なかったのだ。やれんのかと問われたら無理とお答えするしか無い。
そんなわけで、スサーナはオバケというやつが苦手である。もちろん野犬も熊も魔獣も苦手なのだが、別ベクトルでの苦手だ。ただそこにいるだけだとか意思疎通が出来るならまだしも、なんだかよくわからない理由でわざわざ脅かしに来る上に元々人類だというのだ。たちの悪い偏執的異常者が理不尽な理由で三次元的制限なしにどこでもコートをばっと全開にしてくるようなものではないか。しかも対処し難い死角から襲ってくるその変態はその上殴れず、人類としての理屈で行動の予測がついてもいいはずなのに理解不能な動きをする。そのうえ距離を超越して現れてくるかもしれぬ。最悪だ。
紗綾だったころもその手のアレは怖かったように思うのだが、フィクションだと思っていたためか、祖霊の概念などもあったためだろうか。もっと近しい感じはしていたのだが、こちらで実在を知らされてからはもうだめだ。怪談に出てくる理不尽なアレソレに台所の棚をずらしたらゴキブリがわらっと四方に走っていくかもしれないのと同じぐらいに実在性があるとするならそんなモノ冗談ではない。
「ううん……怪談を怖がるご婦人から聞ける理由としてちょっと承服しかねる感じの理屈をありがとうございます」
スサーナにいかにオバケというやつが度し難いのかという理屈を述べ立てられたレミヒオはしばらくなんだかある種の狐めいた遠い目をしていたようだったが、しばらくして気を取り直したようだった。
「オバケが出てくるからといってなんで真夜中に怪談をするんでしょう、普通逆じゃないです? オバケが近寄らないようにしてさっとおとなしく寝てしまうべきなのでは……? どうしてわざわざそんな真似を……なんでそんな迷惑な日があるんでしょう。別に無くてもいいのでは……?」
今日はもはや庭にすら出たくない。なんとかカリカ先生に室内鍛錬にしてもらえなかろうか。そう唸りながら夜越しとやらに憤るスサーナにレミヒオが苦笑する。
「夜越しの日もそう悪いものではないんですよ。ただ怪談を話すだけというものでもなく……この日には世界が揺らぐと言われているので、占いだとか縁起担ぎだとかお守りだとか、そういう物がとても求められますし、氏族としても掻き入れ時なわけで。とても活気づくんです。」
「かきいれどき……急に商売繁盛みたいな話になりましたね……」
「ええ、まあ。血の薄い氏族達の旅隊にはやはり簡単に収入を得る機会は大事ですしね。やはり浸透しやすい機会というのも僕らにはありがたいですし。北の方だともっとずっと盛んなんですけどね、こちらでも王都なんかでは浮かれ騒ぎの夜祭りもやりますし、都市の常民達も漂泊民を警戒しなくなるんです。」
「なる……ほど? そういえば島でも満月の祭りには漂泊民の方々を重宝していましたけど、それと同じようなものなのでしょうか。」
「ええ、多分。……諸島は特に入る氏族は少ないですから、比べて表に出る者たちの数はここのほうが多いかもしれません。その機会を狙って集まって、普段は顔を合わせない者たち同士で交流したりだとか……そう言う意味でも、と言いますか、少し羽目を外す機会としても僕らにとっては悪くない夜なんですよ。」
余程スサーナが夜越しとやらに隔意を持ったのに責任を感じたのか、レミヒオは何故だか夜越しの日とやらのいいところを一つ一つ述べることにしたらしい。
いくつか夜越しの素敵ポイントとやらの説明を受けながら、なるほどなあ、とスサーナは毛布の影から疑り深い目をした。氏族のひとたちにとっては大手を振って羽目を外せる日でもあるのか。オバケさえ関係しないなら楽しいのかもしれない。オバケさえ関係しないなら。
「スサーナさんは霊魂が怖い……気に食わない? ようですけど、夜越しの伝説の霊魂ならやり過ごす手段も言い伝えられていますし。全部真に受けるとしても恐ろしいばかりのものでは無いですよ。それをすれば夜祭りに出ても大丈夫、だという……。常民たちもそうして夜祭りにでるものです。」
「と、いいますと?」
「霊魂を装うんです」
レミヒオのその物言いにスサーナは少し考える。なんとなくハロウィンチックなイメージがあったせいか、霊魂を装うと言われて真っ先に想像したのが白いシーツをかぶるなどしてトリックオアトリートする前世の催しだった。
――真面目に考えれば呪文とか香草とかでなにかまじないごとをしたりするとかなんでしょうけど……。
魔法でも魔術でも神殿の奇跡でもなく、民間伝承的なまじない師だとか、ちょっとしたおまじないというのもないわけではない。そういうものから考えれば香草の組み合わせで燻したり、なにか唱えたり、骨をポケットに入れたりするやつが正しいのだろうが、すこしやさぐれた気分のスサーナはより楽しそうなイメージの返答をすることにした。
自分が超自然に一歩踏み込んだ側の民族であるというのは重々承知しているのだが、今求めているのは神秘主義的な土俗の光景ではなく文明の光なのだ。
「もしかして……仮装、的な? オバケの格好をします?」
あにはからんや、ハズしたはずの返答にレミヒオはにっこり頷いた。
「ええ。そのとおり。仮装といえば仮装ですね。人ならぬものに化けて目を欺こうということだそうです。怪談も同じ効果を狙ってのことだそうで。怪談をしている部屋には先客がいると勘違いして入ってこないという言い伝えですね。」
「……なる、ほど?」
「どちらも、良くないものを避けつつ、その上で余興として楽しもう、というようなものなんですよ。スサーナさんが思うように恐ろしいばかりのものでは無いです」
ハロウィンだと思えばなるほど愉快なのだろうか。スサーナは努力して脳内の怪談ナイトをハロウィンパーティーの余興に書き換える。
「……それなら……ええ、もしかしたら楽しいのかもしれません……ね?」
その返答をした途端になにやらホッとしましたと言わんばかりにはーっと息を吐いたレミヒオが、んんっと咳払いをしたのはどういうわけだろう。
「そうですね、……折角です。実際どういうものかを確認してみるのはどうです? どうせ夜中続く夜祭りですし、鍛錬が終わったあとですこし……抜け出して、体験してみるというのは。」
「体験です?」
「ええ。良ければ一緒に。スサーナさんもこちらに来てからずっと気を抜く間もなかったでしょう、気晴らしになるかもしれません。僕としても……程よく気分転換は必要かと思っていたので。ネレーオさんは今晩戻らないのは確実だそうなので、待つこともないですから。」
そう言われてスサーナはふむと考える。確かに屋敷の奥と王宮とぐらいで、それなりに気を張って生活しているにはいる。それがハロウィンの行事的なユカイよりのものだと言うなら、レミヒオくんが気分転換に夜祭りに行くというならご一緒させていただくのもいいのかもしれない。
「あ、でも……仮装、流石に私、用意がないです。」
しかしながら、しばし考慮してみた後、スサーナは小さく手を挙げると、しおしおと発言した。
イメージしているものが正しいなら、オバケ避けというだけではなく、TPO的に仮装はするべきだろう。ハロウィンパレードに仮装抜きで参加するような空気を読まない所業は流石にまずいのではないか。
シーツを被ってオバケと言い張るのは流石に簡単に過ぎる気がするが、現状そのぐらいしか用意できる気がしない。イベントを舐めた格好で参加するにも限度というものがある。
「簡単なもので良かったら、こちらに準備がありますよ」
一瞬乗り気になったものの、肩を落としたスサーナに掛かったのは更に予想外な言葉だった。スサーナは思わず目を瞬く。
まるで主人の要望に先回りする完璧な従者のイメージめいて頷いてみせたレミヒオは、まあどちらかというと僕ら鳥の民というのは元々そちらの側みたいな扱いですから、なんとなればちょっとそれらしい格好をするだけで漂泊民の仮装だと言いはるような感じで行けるんですけどね、と肩をすくめてみせた。
「でしたら、ええと、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ。」
話が決まり、少し張り詰めた印象だった目元を緩ませて頷いた黒髪の少年に、後はカリカ先生を待つばかりか、と気をそらしかけ、それからスサーナは大事なことに思い当たって急いで問いかけた。
「あの、レミヒオくん。」
「はい?」
「その……伝説と行事としては納得がいったんですが。……あの、オバケは……もしかして、本当に出たり、しませんよね……?」
常民の人々が夜祭りをし、仮装をして浮かれ騒いでいるというのなら可能性は低そうだが、夜出歩いた結果オバケに目をつけられて付きまとわれるなどの顛末を招いてしまったらたまらない。
「世界が多少揺らぐのは本当ですが、精々年中行事のレベルですし、……僕らは鳥の民ですよ? こちらに害をなせるような干渉を行えるような悪霊が出た場合、それはこちらからも干渉が可能だということですから。対処できないようなものが現れることはそうそう……いえ、夜越し程度では確実にありません。安心してくださって構いませんよ」
――つまり、糸の魔法とか、氏族の方の権能とかでなんとかなったりするんですね?
つまり、暴力が効く。
もっと早くそれを聞いておくべきだった。
なるほど鳥の民がたくさんいるところにいればつまり安心ということなのだ。スサーナは今度こそ安心し、カリカ先生も誘えれば完全に鉄壁だしお誘いしてみるのもいいかもしれない、などと思いつつ、鍛錬の後に夜祭りに出かけるということを楽しみにすることにした。
現代日本のハロウィンなどと違い、ここで求められる仮装は暗がりで行き合うとぎょっとする系統の結構ガチで怖い方面だったということ、オバケに対処できても暗がりで見るオバケの仮装はやっぱり怖かった、ということにスサーナが気づくまで、後数時間である。
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