スサーナの日常 オバケの話と夜祭り 3
「むぐぐ……」
スサーナは唸った。
柔らかな感傷に胸を満たされ、この夜祭りを楽しもう、と思ったのはついさっきのことなのだが、スサーナの気持ちの中ではもはや今は昔である。
問題は、仮装であった。
陰を追い払うには十分ではなく、半ば霧の夜に沈むとはいえ、表通りは無数のランプと蝋燭に満ちていた。霧で乱反射した柔らかな光の輪のうちに仮装した誰かが現れ、また薄い霧に沈んでいくさまは祭りの空気と相まって非現実感と秘密めいた高揚を高める用途すら果たしていた、と言っていいだろう。
しかしながら、裏路地に一歩入ったところでスサーナは気づいた。
裏路地の明かりは、当然表通りに比べると非常に少ないのだ。
それでもカリカ先生は問題なく見えているようで、レミヒオくんもなんら視界には支障はなさそうだった。明かりは少ないながら別に皆無というわけではないし、足元が不安ではあったがスサーナとて夜目は利くほうだと思う。流石にそろそろとだが普通に歩けはしたのだ。歩けは。
しかし。
暗がりからぬっと現れた人影が、酔ってでもいるのだろうか、ふらりふらりとした動きですれ違っていくのに、スサーナは焦点を強いてぼやかしつつも視線を離せないままに幾度目か足をもつれさせて身を固くした。
表通りには振る舞い酒を求めるちょっとだけ仮装した者たちや、比較的愛らしい仮装の女子供達もそれなりの数存在した。
しかし、裏路地を通って行くのは主に男性で、しかも真面目に行事として行うつもりがあるものか、それとも男性同士の楽しみにありがちな、友人同士でのホラー的な楽しみ方をしているものだろうか。結構気合が入った仮装が多いのだ。
そのうえ、既製品の仮装道具など殆ど無い関係上、それは概してなんだかとても不気味だったり、素人さんの努力で発生しがちな迫力を醸し出していたりする。
「今の方、羊のされこうべを被ってましたね……」
「え、そうでしたか。ああ、処理のいい骨ですね。」
恐怖を紛らわそうと話しかけたレミヒオくんはどうやらスサーナの恐怖の在り処をいまいち理解はしてくれなさそうで、スサーナが視線で指す方向を振り向いてはくれたものの、何故だかほんのちょっと上の空での返答である。
スサーナだって内陸ではよく羊を食べるし、お肉屋さんに行けば羊の頭を売ってくれることなんて学院生活でちゃんと知っているのだ。羊の頭のオーブン焼きや羊の頭の塩茹では美味しい学生の味方である(特に舌と頬肉は美味しいのだとか)。重曹で煮れば綺麗になることも知っているし、上級生たちがそうして作った頭骨標本を持ってジョアンを追いかけ回していたこともあった。しかしそんな事は今現在なんの慰めにもなりはしない。
ずしゃ、と底の抜けかけた革靴を石畳に引きずる音すらなぜだか不穏に聞こえてしまう。
――ひとり前にすれ違ったのは後ろ頭に張り子の頭をくくりつけていて……多分張り子で多分くくりつけていて、頭から別の頭が生えているようで……その前の方は赤黒いまだらのボロ布で上半身を巻いていて……
スサーナはぴすぴすと鼻を鳴らしたい気持ちでいっぱいだった。レミヒオと繋いだ手も今やきょうだい気分という浮かれた気持ちではなく、腕を全力で捕まえて胸元でガッチリホールドし、しがみついてしまっている。
これがもし、カリカ先生のあとについて歩いているのではなく、自身やレミヒオが鳥の民という超自然よりの民族でさえなければ、これは何らかの神隠しの道的場所に迷い込んで百鬼夜行的なアレと行き合っているのではないかと本気で疑う所だった。
「……その、スサーナさん? 腕を……。そうしがみつかずもう少し緩めたほうが……そうされるのは少し、色々と、道義的な問題が……」
「今腕を緩めた場合、足元につまずいて手が離れなどしましたら、そのままはぐれて一人取り残されたりする可能性がありませんか」
「置いていったりなどしませんよ。手を握っているだけにしたって、僕は絶対に手を離したりはしませんから。……その、余程怖いなら、背負いましょうか?」
「それはそれで……背面への対応力が下がりそうなので……結構です……」
「そうですか……」
なにやら遠い目になったレミヒオの腕に引き続き半ばぶら下がり、カリカ先生について歩いたスサーナは、袋小路めいた横道の先にぽっかりと小さな広場があり、そこにあかあかと灯ったランプと箱馬車、テントが並ぶさまを見て快哉を叫びそうになる。
――人類の生存圏!!
表情を輝かせ、うっかり躍り上がりかけたスサーナを見てカリカ先生は呆れたような顔になった。
「まさかアナタがそんなものを恐れるとは。スサーナ、あんな仮装を恐れるようではいけませんよ。いえ、本当に霊魂であったとしても恐れるようなものではありませんとも。確かに揺らぎの彼方から来るモノは警戒して損はありません。ですが、夜闇も霊も、本来ワタシ達の領分なのよ。たやすく御し下せるものと思わなければ」
「うぐぐ、はあい……」
そういう対処の仕方もそのうち教えましょうね、と言われながら、スサーナはオバケへの対抗手段が出来そうなことを少し喜び、同時にでは熊などの延長線上になるだろう実在脅威たる霊魂だとかと怪談や仮装のおどかしオバケではそうなってみると怖さの質が違うのではなかろうか、という危惧をちらりと頭に浮かべる。
正直、スサーナが怖いのは死んでいるだけの一般人ではなくインパクトたっぷりに脅かしてくる怪談の創意工夫あふれるオバケである気がしていたし、その場合解決手段となりえないことがはっきりしてしまうかもしれない、と思ったが、とりあえず今は明るい雰囲気の良さげなところに出たことこそが重要であるということで、未決箱に入れて考えないことにすることにした。
そうしてカリカ先生に続いて入ったテントの内装はなかなか素晴らしいものだった。
テントの中は絨毯ともタペストリともつかぬ厚い布が張り巡らされ、暗い赤地に黒で鳥の模様が織りだされていたり、落ち着いた暖色で様々な模様が表されていたりする。そして厚い布に覆われず残された上部の骨組みには、ガラスか切り出し水晶で出来た星型のランプがいくつも吊るされてきらきら輝いていて、床はすのこのような板敷きと土間、ふかふかな絨毯に分かれており、その中央では薪を入れて燃やす鋳物の炉――少しダルマストーブというやつに似ているかもしれない――があかあかと火を燃やしていた。
暖かく親密で少し秘密めいたような空気の場所で、大体においておどかすオバケは暖かくてふかふかしていそうなところには出てこないイメージであるスサーナだが、ここならば余程空気が読めないオバケでも出没できまいと息を吐く。
「東のネーシュの大河を超えてきた姉妹より、炉の女主人に挨拶を。」
変装したままでカリカ先生がうやうやしく腰を折り、挨拶をしたのは墨色の頭巾をかぶり、炉の前の大きなクッションに埋もれるように腰掛けた老婆だった。
スサーナの目には70の声はとっくに超えているように見える老婆は、予想外に芯の張った声で挨拶に返答を返した。
「姉妹の旅路に安寧があるように。好きなものを飲んで好きなものを食べるといい。」
小声でレミヒオくんが教えてくれたことによると、それが挨拶の定型文であるそうで、立場や年齢で変わるものの、とりあえずこう返答してもらえたらお客として受け入れられたということであるらしい。
テントには老婆以外にも何人か人がいた。
みな一様に黒髪で、刺繍のある服を着ているのだから間違いなくこれは鳥の民なのだ。スサーナやレミヒオとそう年齢も変わらないだろうという年頃のこどもも二三人おり、じっとスサーナたちの方を眺めている。
スサーナは少しのアウェイ感とともに鳥の民との接近遭遇にドキドキしていたが、訪問者に興味津々なのは彼らも同じであったらしい。挨拶が終わるが早いかまるでマテを解かれた犬のようにわっとスサーナ達に駆け寄ってくる。
「見たこと無い子だわ!」
「ねえあんた達、どこから来たの?」
姉妹なのだろうか。二人の黒髪の少女の勢いにぴゃっとなったスサーナは、さり気なくすすっと前に出てくれたレミヒオくんに感謝する。
「……前に居たのは北のミランドです。ミモサの街道を使って中央寄りでこちらに。」
「冬備えの移動か。なんの氏族だ?」
ところがレミヒオくんが受け答えしている間に彼女たちの後ろから顔を出した男の子に問われ、スサーナは慌てた。
――い、いったいなんと答えたらごまかせるのかすらわかりません!!
あわあわするうちに仮面の向こうで半眼になったらしいレミヒオくんがそちらに向き直る。
「ぼくらは『寄せ集め』なので決まった氏族の旅隊ではないんですよ。僕が
「夜鳥の系統のものははじめて見た。……その子はなんだろう、雀か、ハトか?」
問いかけられても意味がわからず愛想笑いするスサーナの腰に歩み寄ってきた黒髪の少年がひょいと手を伸ばし、下げた飾りを持ち上げようとするのをレミヒオが威嚇する。そのまま背中の後ろに押し込まれ、ありがたく仕舞い込んでもらう。
「僕のお仕えする姫君に不躾なことはやめていただいても?」
「まあ姫君ですって。こんなところに従者付きの姫君が来るなんて、大事件だわ」
大げさな動きで言い、楽しげに笑って謝んなさいよ、と男の子をつついた少女の一人が親しげにスサーナのそばまで寄ってきてごめんね?と言ったものだから、スサーナはよくわからないけどいい子かな?と好感をもってみることにした。
「ん。悪かった。…………怖がらないで欲しい。ムクドリの氏族の者を知ってるか?」
なんだか朴訥な感じで頭を下げた少年にスサーナはよくわからないけどなにかわけありなのだろうか、と思い、慌てて言葉を探す。
「ええと、すみません。私……ええと、ムクドリの氏族の方の知り合いは居なくて。」
「うん。……この旅隊はキジだろ? 俺はムクドリの氏族なんだ。元いた旅隊が崩れて……後で混ぜてもらったものだから。雀やハトの氏族の出なら繋がりがあることが多いから、もし知り合いにいたら手紙でも言付けてもらえたらと思ったんだ。ごめん。」
「そうだったのですね。ええと、心当たりはありませんが、知り合いに聞いてみてそちらの方に心当たりがあったら教えていただくように覚えておきます」
よくはわからないが、ここで言い出す様子はないもののレミヒオは顔が広いようだし、カリカ先生もいろいろな同族にツテがあるようだったので後で聞いてみたらはかばかしい返事があるかもしれない。そう思ってスサーナはうなずく。
「うん。ありがとう。……その、君は姫なのか?」
よくわからない話の続け方にスサーナが首を傾げているうちに、横に立っていた少女がけらけらと笑い出す。
「やだ! 冗談に決まってるじゃない、馬鹿なヴァレリー! そんなの、こんな土地に居るはずなんかないでしょ!」
ごめんね、こいつクソ真面目だから、と微笑みかけられたスサーナは曖昧に笑い返しながら、なんとなく流れで来てしまったけれど、鳥の民の挨拶だとか分類だとか、次の機会までにちゃんとカリカ先生に聞いておこう!と心のなかでそっと、強く誓ったのだった。
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