スサーナの日常 ある日の鍛錬
時間軸は250話以降ぐらいのどこか。
◆ ◆ ◆
スサーナが在住している国家、もしくはその周辺では女性は足を出さないものである。
農民のおばちゃん達、もしくは小さな子供なんかだとちょっと違ってくるが、少なくとも妙齢の女性が足を出すとぎょっとされる。靴下をつけてでもそれなりにどきっとするものらしいし、生足なぞ晒そうものなら「刺激が強い」扱いだ。
男性諸氏は脚を出すのも足を出すのも全く気にしないし、場合によってはショートパンツめいた下履きだけで出歩く人もいるというのに、とスサーナには常々疑問な事象である。
とはいえ女性に非常な貞節を求める、という文化ではないのだ。むしろ前世においてイメージする清教徒的ヴィクトリア朝文化などを想定するに、だいぶ奔放な方である気がする。
……というわけで、スサーナには実のところ、なんでそんなに足がアレなのかうっすら今でもよくわからない。前世の影響で、というか、TPOが複雑怪奇で、と言うべきか。
ちなみに、乳房もそれなりに性的部位と見倣されているし、普通に巨乳に鼻の下を伸ばす殿方はけっこうスサーナも目視してきている。ミッシィなんかは確実にそれを武器として使っているし、誘惑的ではない、ということは全然ない。だがそちらは――年齢で差はあるし、大胆な扱いではあるのだが――普通の貴婦人、ご令嬢であってもギリギリまでガバっと出すのも躊躇われない。一体本当に何がどうなってそうなったのやら。スサーナは首をかしげるばかりである。
まあ、どうあれ。実際そういう扱いならば利用しよう、と思うたくましい存在は当然発生するわけである。
深夜の庭。
「はいスサーナ、まずしっかり股関節の柔軟運動から。」
カリカ先生はそれなりにスサーナに体術を仕込みつつある。
カリカ先生が言うには「良く言えば伸びしろしかないわね。普通の氏族の子らなら10やそこらでもっとよく動けるのですが」ということであり、つまり非常にどんくさく、適性がない、ということをオブラートに包んだのだな、と察したスサーナはちょっと落ち込んだものだが、まあ適性がないのは如何ともし難い。
体術を習いはじめた時には一瞬レミヒオやネルのようにばりばり戦える自分の図を夢想しないこともなかったのだが、どうやらそれは見果てぬ夢のまた夢。無理しか無かった。
まあ、元々スサーナが教わっている動きは、舞踊の補助、魔法の行使をより確実にするための精神修養の鍛錬の一環、ということであり、実戦向けではなく型のようなものらしいが。
それでも体術を教えるなら、ということで一つ二つ実戦用の動きは教わっている。その一つが上段蹴りだ。足を高く上げる姿勢は舞踊にもあるため一石二鳥、というのと――
「何がいいって、外したとしても慣れぬ殿方でしたらほぼ確実に隙ができますからね。虚を突かれている間に次の行動に移るのですよ。」
上段蹴りで隙が出来る、というのはやはり予想外の動きに上体のバランスを崩す、みたいなことだろうか。それとも頭を守ろうとして警戒して下がる、ということだろうか。そこまで隙が出来るのかどうか、スサーナにはまだ判断はつかないが、カリカ先生が言うならそうなのだろう。
膝を抱えて足を上げる運動やら体軸を保つ運動やらをしばらく。実際に的に向けて蹴る動きをしばし。
スサーナが後ろにひっくり返ってへたばっていると、ろくに気配のないまま厚い生け垣をとんと飛び越えてやってくる人影がひとつ。
「スサーナさん、お疲れさまです。……今日は少し早かったですね。すみません。」
「はひー、レミヒオくん、いええ、どうぞお気になさらず……」
現れたのはレミヒオだ。結構頻繁にセルカ伯の手持ち情報のリーク、そして定期連絡にやってくる彼だが、どうやらスサーナが体術に関連する何かを行っている時は極力かち合わないようにしているようだった。
どうも薄着で運動をしているのを見るのは少し失礼かもしれないから、という理由らしいのだが、スサーナとしてはそれもよくわからない。薄着と言っても、ちゃんと着衣の上での技術修練、みたいな感じなのでホットパンツにタンクトップみたいな格好とか、半裸に近いフィットネスウェア、ということはないのだ。
ちなみに今日のスサーナの格好は、裾に向けてやや広がったデザインの膝下丈ワンピースの下に麻のハーフパンツ、という具合で、前世だったら普通に街歩きできるような姿である。
「あら、丁度いい。」
レミヒオを見たカリカ先生がにっこりと微笑んで手招きをした。
「スサーナ、今日は型が出来たら終わりにしましょう。」
「ほんとですか!?」
「『レミヒオ』手伝ってもらえますか。貴方の身長が丁度いいわ。」
ぱっと上半身を起こしたスサーナに頷いたカリカ先生は、訝しげな顔をしたレミヒオを手招いた。
「手伝う? なにをすれば?」
「的を持って立っていてください。ええ、高さは肩。……狙いがずれるようなら避けてしまっても構いません。スサーナが一撃当てられれば今日の鍛錬はおしまいです。」
「成程。わかりました。」
レミヒオはカリカ先生から四角い刺し子包みを受け取り構える。
「む、レミヒオくんが的を? ええと、外したらどうしましょう……」
「緊張しないでやっていただいて大丈夫ですよ。ちゃんと受け止めますから。」
スサーナはもし外して変なところを蹴ったらどうしようと少したじろいだが、なんでもないことのようにレミヒオが言ったので、とりあえず胸を借りることにした。
――レミヒオくん、多分この分野がプロですもんね。私程度の蹴りなんてどうということもないか。
「じゃあいきます!」
動き出し。一歩、二歩。強く踏み切って、骨盤を意識して大きく腰を回す。
ワンピースの裾を蹴上げた瞬間。
「えっ!?」
なにやら非常に戸惑った声の一瞬後、わずかにブレた体幹のせいか、それとも何故かは全くわからないが、相手が体を引いたのか。
ごいん、という……硬く綿を詰めたクッションとは似ても似つかぬ感覚が足の甲にして、えっ、と姿勢を戻したスサーナが見たものは、顎を押さえて静かにのたうつレミヒオくんの姿だった。
「えっ、ええーーっ!? レミヒオくんすみません!? 大丈夫です!?」
慌ててスサーナが駆け寄ると、どうやら足は彼の顎に当たっていたようだ。形の良い顎が足の甲の形にうっすら赤くなっていくのがわかる。
「
なんだか結構しっかり入った感触がしたが、大丈夫なのか。顎。歯は。目をぐるぐるにして慌てるスサーナを片手で制し、カリカ先生がゆっくり歩み寄ってくる。
「スサーナ、わかりましたか。」
カリカ先生がレミヒオの顎に手を当てると、どうやらダメージは綺麗に解消されたらしい。なんだかとても憮然とした、というか、曰くいい難い顔をして顎を擦るレミヒオを指して重々しくカリカ先生は言った。
「な、なにがでしょう……?」
「虚を突くとはこういうことです。虚を突けば技量が上の相手であっても攻撃を当てられる可能性が出てきます。」
「カリカ師、そんな理由でああいう……あれはちょっと……」
カリカ先生はレミヒオくんの苦情を一瞥して黙らせる。
「なんです。卑怯だとは言いませんね? スサーナが一撃当てられれば今日の鍛錬はおしまい、避けてもいい、と言ったでしょう。……いいですかスサーナ。どんな手を取ったとしても最終的に勝機があればいいのです。そのために取れる手段がある、喜ぶべきことです。それは鋭く見逃さぬよう。わかりましたね?」
「は、はあ……?」
スサーナはなんだかよくわからないまま、カリカ先生の迫力にこくこくと頷いた。
レミヒオくんはスサーナのへっぽこキックが当たったのがそんなにショックだったのか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたまま、連絡もそこそこに呆然と帰っていってしまった。
なんだかとても申し訳なかったので、後日なにかお詫びにお菓子でも贈ろう、スサーナはよくわからないままにそう思うのだった。
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