魔術師達買い物に行く

 企画に出そうかと思ったものの、諦めたもの。折角なので。


 ◆  ◆  ◆




「酷い目にあった」

「……」

「ひ・ど・い・め・に・あった!!!!」


 うす青さを残して暮れる冬空の真ん中、獣を模した騎乗術具に乗った影が二つ。

 憤懣やるかたないと言わんばかりに叫んだ第八塔を第三塔は涼しい顔で黙殺する。


「ああくそっ、まだなんぞどこかが生臭い気がする……」


 袖に鼻をつけて嗅ぎながら第八塔がぼやいた。

 ヒスイワニガメを解体した後、彼ら二人は必要に応じて素材をまとめ、帰路についていた。


「洗浄は済ませたろうに。」

「だがよ、他所に伺う以上、臭ったというのじゃ示しがつかんぞ。仮にも塔のあるじの訪問となると手順だの礼儀だのただでさえ」

「ほう。つまりお前はまさか礼儀に即した訪問が出来るのか。いい機会だ。それを私の目を見て発言して貰いたいところだが。」


 とはいえ、そのまま各々の塔に戻るという予定ではない。

 他の魔術師の元へ出向き、彼らのみでは入手しづらい材料を求めよう、という事になっている。

 第八塔は皮膚に臭気が染みた気がするだとか、洗浄剤を持ってくるべきだったとかしばらく呻いていたが、それでも島々の上空にたどり着く頃にはそれなりに気を取り直していたようだった。


 彼らが目指すのは島々の南西に位置する大島の一つである。

 本島と呼ばれる島を最大とする諸島だが、ほぼ大きさが変わらぬ島はその連なりにいくつか存在しており、ゆえに彼らをして真珠の首飾りという美称を名付けさせたものだ。

 本島とその周辺の小島達を取り巻く海の穏やかさとは裏腹に、それら大型の島のうちいくつかは複雑な潮の流れと不規則な暗礁、切り立った崖が多く上陸には不向きな構造で、空路を使う魔術師達以外に上陸するものはない、彼らの領土と呼べる場所だった。


 平坦な台地が風雨で侵食され、複数の山地となったと思しき地形の只中。陥没孔のほぼ中央に残る台地の一角に、上空からでもはっきり視認できる「塔」が建っている。


 円盤を僅かにずらしながらもバランスは失わぬまま幾百と積み上げたものに似た形をした一本と、優美なポールハンガーから房の大きな葡萄を吊るしたような形状をした一本が並び立ち、足元の建造物で一つに繋がっている。その双塔こそが彼らが目指す目的地であり、世に第一塔と呼ばれる「魔術師の塔」であった。


 彼らが塔に近づくと、球を連ねた形状から一騎の騎獣像が舞い上がり、誰何を告げてくる。

 礼儀通りに所属と身分の証明を行い、型通りの挨拶の口上を述べた二人の魔術師に応対したのはどうやらごく若く、未熟な魔術師であったようだった。上位塔の代表たちの訪問に慌てるあまりに歓迎の言葉を盛大に噛み、駐騎場へと導こうと急いで身を翻した挙げ句、羚羊に似た騎獣像の操作を誤って中空に投げ出された若い魔術師を第八塔が自らの騎獣像の上に支える。


「も、申し訳ありません!」

「なに、どうぞ気にせず。こちらも急な訪問ゆえさぞ驚いただろう。大事ないようでよかった。」


 にこやかに言った彼を若い魔術師は感極まった目で見上げ、涙ぐまんばかりの勢いで感謝の言葉を述べる。操縦者を失い、無軌道に上昇しかけた騎獣像の「制御を奪い」手元まで寄せていた第三塔は、そのいかにも分別に溢れ、行儀の良い大人であるような物言いにそっと全力の半眼を第八塔に向けた。



 ◆  ◆  ◆




「弟子がお恥ずかしいところをお見せしたようで申し訳ありません。第三塔、第八塔。第一塔はあなた方を歓迎いたします。」


 塔の内部に入ってすぐ、彼らは塔の主の挨拶を受ける。

 正装ではなく親愛を示す略装ではあるが、職服として使用できるきちんとした作りの青の上衣を重ね、軽く髪を結い、塔の主達の訪問を迎えるという格好は整えている。

 数人の弟子を付き従えた第一塔はにこやかに微笑み、彼らを奥に導いた。


「もとを正せば先触れの連絡に到着時刻を曖昧に記したこいつと頼んだ私が悪かった。申し訳ない。」

「ははは。いやすまん。どのぐらいに着けるかわからなんでな。しかし成長段階の若雛なんぞ久々に見たな。生きの良い弟子を集められているようでなにより。」


 ゆるやかなスロープを螺旋状に登った先に応接用の広間がある。軟組織に背を埋めて体重を預けるタイプの椅子に腰掛けた彼らのもとに、すぐに望みの品が運び込まれた。


 覆いの掛かった小箱型の水槽、水底に沈められているのは樹枝状に結晶した銀らしい。それは良く凝視しても普通の銀のようではあったが、同時に彼らの霊覚には不定の光に淡く内側から輝くようにも感じられるものだ。



「月の光にだけ当てて育て、波長を移した霊銀です。ご確認ください。」

「……流石第一塔。素晴らしい品だ。」


 率直な褒め言葉に第一塔の頬がほころぶ。


「ありがたい。しかし、珍しいこともあるものですね。最も精緻な調整を施した霊銀が必要とは、何を?」

「うん、錬術杯を新調しようと思うてよ。俺ぁついでだが」

「錬術杯を。もしや呪いへの対処用ですか? ……そちらにも話が? 」


 第八塔の返答にふと眉を寄せた第一塔の言葉に来客二人は顔を見合わせた。


「……随分物騒な単語が今聞こえたが。話が、ってなんぞあるのか。第三塔、お前なにぞ知って更新を?」

「……いや。第一塔、詳しい話をどうか。」


 錬術杯の生成する浄水は様々な用途に使用される。そのうちの一つにあるのがある種の呪いへの対抗策というものだ。

 単純な話、場の影響を受けない浄水は場所に蟠る「良くないもの」の影響を受けないため、忌み場の類、呪詛で汚れた場であっても飲用に供するのに安全であったし、事前に飲み続けて体内の水を置換することでその手の諸々の問題への簡易な対応策にもなる。それはただただ取っ掛かりフックを減らすというものであるため、彼ら魔術師でなくとも……勿論、常民であっても、もっと別の種族であっても。生命体相手なら大抵は効果があるものだ。

 当然錬術杯の精度が高ければ高いほど効果は増し、最も精密に構築された錬術杯ならばそれなりの絶縁効果は期待することが出来る。

 それ自体は魔術師たちに広く知られた知識だ。だが、第一塔がそれを話題に上げるのは奇妙なことだった。少なくともそれは彼らが錬術杯に望む主の役割ではない。


「ああ、では偶然なのですね。いえ、大したことではないのですよ。」


 第一塔はやや情けなげに眉を寄せながら笑う。


「エールレレが繋がりを持っていたようなので、色々と視界に入れることが増えまして。刹那主義者……「荒野派」の者たちの重鎮が先日亡くなったそうでして。」

「なんと」

「げ。争いか?」

「いえ。予測通りに肉体が終わったそうで。それでも我々と違い、あちらでは箍が外れる者も多いでしょう」


「月の民」とも呼ばれる彼らだが、魔術師、という名は彼らにとっては美称。彼ら達が意識して名乗る名であり、理性の徒である、という自負を元にした呼称だ。

 とはいえ、皆が皆、その種の誇りと主義主張を一致している、というわけではない。

 輪廻の場の維持を目的に長期の調和を望み、塔の合議と議会の決定、彼らの定める掟に従うことを良しとする者たちが内海の周りの地では主流だが、諸島から離れた土地、諸大陸の辺境に住まいするものたちなど、彼らとは主義が異なる者たちもそれなりに存在する。


 荒野派、と皮肉交じりに呼ばれることもある魔術師達は、だ。

 多く若い魂を持つ彼らは魂の連続にはつよく意味を見いださず、一度の生を充足させる事を好む。派閥と呼ぶのもいまいち実態に即しては居ない、個人主義、刹那主義、快楽主義といった単語で言い表すのが適当かと思われる者たちだ。教育段階で出奔したり、辺境で独自に弟子を持ったりして再生産されたり出自は様々。共通点は議会の統制のもとにない、というぐらい。

 総数はさほど多くはなく、さらに彼らのほとんどは下位の魔術師であり、いくらかは中位の能力を持っている、という程度。

 まあ、それでも力弱い者たちであるがゆえに逆説的に程度の繋がりは存在し、そのうちでも発言力の強い者は「議会派」と彼らが呼ぶ主流の魔術師たちともごく緩やかに連携を持っていた。今回死んだのは数人いたその一人であるという。


 主流の魔術師たちにとって彼らは「掟を知らぬ面倒もの」程度の扱いだ。議会に従う魔術師たちとしてもそこまで自分たちを謹厳実直だとは思って居ないため、彼らの振る舞いが視界に入っても大抵は黙殺し、目に余れば実力行使で彼らの勢力域から追い払う、というのが常であるのだが――見た目でわかるわけでもなし、眼の前で不味い事でもされなければ特に興味を持つわけではない――、何故か彼らの中には過度に主流の魔術師を敵視するものもおり、荒野派の内部なりに規律を保っていた個体が死んだとなれば、それなりに達が調子に乗るのは想像が出来た。



荒野派彼らの中にはエールレレと親交があったという者もいたようです。……親しかったのなら、私は恨まれているだろうから。心配した者が連絡をくれたのですよ。てっきりあの時の処置に関わったもの皆に注意が行ったのかと。」


 その手の私闘に使われる、あまりタチの良くない手段、となると呪いだ。

 魔獣や悪霊を使うため個体能力の高い低いに関わらず行使でき、ものによっては些細な不快や不調など、スリップダメージを与えてくることに終始する。強力な魔術師であれど不調や疲労は感覚の狂いやより大きな破綻に直結してくるため、高い能力を持った魔術師なら一笑に付せる、とも言い切れず、周辺に影響も出ることがあり、はた迷惑限りない。諸島の内部ならばその効果は黙殺できるものの、議会のまとめ役を務める第一塔であれば本土へ出向くこともまた頻繁なのだった。


「それは……ご心労いかほどか……」

「うむ……内心、お察しする」


 苦笑を深めた第一塔に二人の魔術師はそれぞれ同情の意を示した。


「何かあるようなら連絡を。微力ながら尽力させて頂こうとも。」

「ああ。気軽に言ってくれれば。ま、第一塔じゃ心配するだけ無駄だろうが。」

「ありがとうございます。すみません、気が滅入る話をしてしまいました。……それでは、霊銀はこのままお持ちになりますか? 後で誰かに届けさせましょうか。」


 気を取り直したように第一塔は声を上げ、丁寧に蓋をし直した霊銀の入れ物を手で示す。小さく合図すると魔術人形が一体滑るように現れ、梱包のためにかそれをまた奥へと運んでいくようだった。


「ああ、このまま持ち帰らせて貰いたい。支払いは議会通貨で構わないだろうか。」

「私としてはお土産に頂いた甲羅で弟子たちの錬術杯が賄えますので、このうえ対価をというのも厚かましいようにも思いますが。」

「そう言わず。最良の品に敬意を表させて貰いたい。」


 第三塔がまず袖から薄い水晶を張り合わせたような通貨素子を取り出し、個体証明を付記して第一塔に渡す。第八塔もそれに続いた。


「はい、確かに。そう言えば二人共、帰りは急ぐのですか?」


 彼らの渡した通貨素子を傍に控えさせた魔術人形が捧げ持つ盆に載せた第一塔は、小さく手をすり合わせながら人好きのする笑顔を浮かべてみせた。


「いや? 俺達は特に予定もないが。」

「お前が決めるな。……とはいえ、急ぎでないとならぬものの心当たりはない。何か用事でも?」


 第八塔と第三塔がそれぞれややいぶかしげに頷くと、第一塔は部屋の入口に待っていた、魔術人形ではなく生身の弟子に合図をする。見れば先程騎獣像の操作を誤った若い弟子だ。


「良かった。いえ、お土産に頂いたヒスイワニガメの肉を調理していたのですが、上がったようで。よろしければいかがですか、ご一緒に。」

「やっった! ワニガメを追うやら追われるやら解体するやらでよく考えたら朝から食いそびれていたからな!」


 快哉を叫んだ第八塔に第三塔が半眼になった。


「朝から? 出発は昼少し過ぎではなかったか?」

「そらそっちの塔でメシを食おうかと思っていたからな。」

「やはりか」




 ◆  ◆  ◆



 食前酒と第一塔の温室産の生の芽野菜の後、彼らの前にまず運ばれてきたのは黄金色のスープだった。

 高圧でワニガメの肉と微細な骨を加熱し、煮崩れさせて風味を出したのだと料理当番だったらしい例の弟子が説明する。


 澄んだ黄金色のスープの中には若い豆と肉団子らしきものが浮いている。

 匙で掬って口に放り込んだ第八塔はうっとりとした表情をした。

 肉団子らしきものは荒く挽いたワニガメの肉と、骨と皮から取ったらしい軟骨とゼラチン質を合わせ、そこに香草を混ぜて表面を炙った後にスープに沈めたものと思われ、蕩けて口に吸い付くようなゼラチン質と軟骨の歯ごたえ、そこに荒く挽いた肉が肉汁を湧き出させる。

 炙った香ばしさも相まって一種荒々しい味わいのそれを豆の青々しい風味と繊細な旨味の溢れるスープが纏めている。


「これは……良いな。こればかりいくらでも食えそうだ。」


 よほど気に入ったらしく、パンに吸わせて啜っている第八塔に第一塔はどことなく自慢げな様子を見せる。目の前のパン籠をまたたく間に空にされた第三塔が呆れたような顔をした。目を輝かせた料理番の弟子が倍ほどもあるパン籠に山のように丸パンを盛ってテーブルの上に置いていった。


「ふふ、この者はこの手の作業料理に凝っておりまして。自動調理にいくら言っても任せないんです。まだまだ量はありますよ。ですが他のものもどうぞまず試してやってください。」


 次にやってきたのは素揚げの玉ねぎと、薄く穀物粉の衣を纏わせて揚げた脚肉の揚げ料理だった。

 半透明に油が通り、甘くなった玉ねぎと、丹念に穴を開け、塩と、塩漬けの若いオリーブを始めとする調味料を揉み込まれた揚げた脚肉の塊は交互に口にすれば甘みで塩気が鮮烈になり、さらに濃い肉の旨味と塩気をとろりとした油気を伴う甘みが覆い、供された葡萄酒を口にすると重いはずのそれの渋みがいっそ快い。

 揚げた玉ねぎは自分の好物で、文句を言わずに食べるものでここのところ何にでも付け合わせて来るのですが、今日は正解でしたね、と面白そうな表情で第一塔は言った。


 揚げた玉ねぎを口に運びつつ、なるほど、と第三塔は思う。

 目の前では尻尾を振る子犬もかくや、という顔をした料理番の弟子が第一塔の皿に山のように丸揚げの玉ねぎを盛ったところだ。

 春の終わりの事件で、曲がりなりにも一緒に育った妹弟子を失い、彼は悲嘆に暮れているように見えた。彼自身は議会のメンバーであり、相手は敵対者であるという状態でもそう見えたのだからなかなかのものだ。

 万が一、立ち直らないかもしれぬ、とわずかに警戒していた第三塔だったが、この分ではその心配は必要なかったようだった。


 オレンジの果肉を急速に凍らせ、蒸留酒で伸ばして纏めたものを最後に食事を終える。


 礼を言い、霊銀が運ばれてくるのを待つ間、魔術師達は食堂から応接室に戻り、塔の主の勧めのもと、ゆったりと寛ぐことにする。その間にも数人の弟子が応接室には出入りし、第一塔になにかの指示を求めたり、成果報告をしているようだった。


「いやあ、旨かった。ヒスイワニガメ、便利よなあ。あれだけ使えてなおあれだけ旨いとは。」


 気持ちよく満腹になったらしい第八塔がほくほくと腹を擦りながら言った。


「なるほど。あの料理番の弟子ももっといろいろな料理を試したいと言っていたな。よく言った第八塔。狩りは手間だが、お前が狩ってくると言うならあの若い弟子でも料理の機会が増えるだろう。食べ慣れない物だったが、あの味が出るならこちらの塔でもストックを持つのもいい。」


 本当ですか!! 取ってきていただけるんですか!! と、丁度またどうやら修行の報告に来たところだったらしい例の若い弟子が目を輝かせ叫ぶ。そうしてくれるのなら非常に有り難い、と第一塔が乗った。


「いや、まあ、そのだな。なんというか……」


 言葉を濁す第八塔に笑いながら第一塔が別の弟子に呼ばれ席を立つ。かの魔獣の狩りのしづらさは彼もよく知っているのだ。それをただ食べる目的で、などと、適当な軽口として流すべきものだ。しかし料理番の弟子はというと心の底から本気だったらしい。飛びつかんばかりに距離を詰め、塔の筆頭の方々はなんと凄いのでしょう。こんなお願いが出来るだなんて! と声を上げた。


「お願いできればどれほど素晴らしいことでしょう。師匠に美味しいものをもっと食べて喜んでいただきたいんです!」

「喜んで貰いたい、か。良い心がけだ。」


 元気を出すにはやはり美味しいものが一番なのです、と全身で主張した弟子に第八塔がたじたじになる。

 ゔええ、とやるせない声を第八塔が上げ、なんとか味方になってくれ、と目配せをするのが視界の横に見えていたものの、聞こえないふりをした第三塔はまたそっと黙殺するのだった。

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