アイスクリームが食べたかった話。

 ◆貴族生活編開始~冬至祭の間の何処か◆


 ある日のこと。スサーナは真剣に魔術師文化圏の飲食に与える影響について考えていた。


 きっかけは些細な事だ。

 数日続けてクリーム系メニューが出た日、最近雇われたらしい侍女の一人が、旦那様にこんなものを出すなんて、などと口走り、侍女長にこんこんとお説教を受けていたのである。


「こちらでは流行りではないかも知れませんが、ミランドでは長く食べられた料理なのです。旦那様の前でそのようなことをけして言うものではありませんよ!」


 ――あれ、言われてみれば……そういえば、こちらに来てから、クリームクリームしたものってお屋敷以外ではあまり見てない?

 スサーナは首を傾げ、更に思い返してみれば、学院のあったエルビラでもクリーム料理というのはそこまで見かけなかった気がする。発酵クリームはあったし、新鮮なクリームも市場で買い込んではケーキに使ったものだが、それ以外の一般的な料理屋や、月に一度ぐらい顔を出す学院の食堂でも見なかった気がするのだ。

 ――というか、今日の朝食の一品も「野菜のクリーム」って名前でしたけど、乳脂肪分ではなくて野菜ピュレにオリーブオイルでしたね……?

 よく火を通したリーキやら芋やらをすりつぶして油と塩を混ぜたものは、てっきりクリーム煮だと思いこんでいたスサーナはクリームという名前に首を傾げはしたものの、それはそれで違和感なくいただきはしたのだが。

 ――もしかして、バター・オイル文化圏ってやつ?

 前世の文化史の授業などで小耳に挟んだ単語を思い返しつつ、スサーナづきの侍女頭にこちらではあまりクリームを食べないのかと聞いてみたところ、たしかにあまり食べないと返答がある。

 聞いてみればなるほど当然な話で、もともと乳を利用するのにも薬用に近い意識があるうえに、比較的使われる山羊と羊の乳はクリームが取りづらく、それよりも飼育数が少なめな牛の乳は王都では手に入りづらいもので、となると必然的にクリームの使用量も減る、ということであるらしい。

 それと、バターまで生成していないクリームというものは、そこそこ気温の高い時期が長い中南部では非常に傷みやすい食べ物であり、となると発酵クリームならまだしも、貴族の食膳に上げるにはなかなかにややこしいものである、という。

 ――なるほど、流通量が少なくて、流通経路があまり洗練されてない状態で、さらに冷蔵技術が未整備で傷みやすい……

 さらに言えば、ナッツミルクやその派生品の利用が一般的であるため、そこまでして流通させようという熱意がある貴族や酪農家もあんまりいない、ということらしい。

 北部で、酪農畜産が盛んで、牛もよく飼われている、というミランドでは王都に比べてずっとよく食べる名産品であるので、このお屋敷では特別に牧場で牛を飼わせて買い付けているらしい。

 食べるぞ、という強い意志がなければあまり食べないものなのだな、と納得し、スサーナはふと島のことを思い返す。

 ――とはいえ、島ではよく食べたんですよねえ。生クリーム。

 島も地理的には東南部、それも南岸と呼ばれるあたりに含まれるはずだ。その割に、おうちではそこそこクリームを食べた。スサーナが焼くシフォンなケーキにだってたっぷりクリームを載せたし、違和感なく美味しく食べたものだ。確かにナッツクリームもあったものの、それはそれ、これはこれ、という感じであった。

 ――お家の近くに牧場があるはずもなし、じゃあなんで……あ。

 そこまで考えてスサーナは、おうちにあった陶器の大きな水差しのような牛乳瓶が勝手に冷える謎のハイテクを擁していたということを思い出す。

 ――それにアイスクリームは魔術師さんたちの独壇場でしたし、もしかしてそっちの流通だったのかも……考えるまでもありませんでしたね!!!!!!!

 げにぎじゅつのしんぽというものはあらまほしきものである。そう一つうなずき、スサーナは私室に戻りながらつらつらと考え出したのだ。

 ――そういえば、島だけで食べるもの、色々ありそうですよね。きっと魔術師さんたち由来の……。ええと。魚のサラダに。新鮮な牛乳。未発酵の緑茶も多分そうですし、アイスクリームにシャーベット。お砂糖たっぷりの……


 それは、スサーナとしては魔術師の影響での文化差異というか、地学的要素によらない食文化の特徴についてというか、つまり文化人類学的な知的好奇心、であったはずなのだ。

 あったはずなのだが、部屋につく頃にはスサーナの思考の大体七割五分程度は

 ――アイスクリームが食べたい!!!!

 という残念な思考で一杯になっていた。


 アイスクリーム。それは島では魔術師の叡智の一つであり、夏になると大々的に売り出され、冬になると術式付与品を売る店の片隅にひっそりと置くだけ置いてある、そういう食べ物だ。

 バニラ風味ではなく、果物か花のジャム、もしくは各種ナッツ、焼き菓子などがほぐして混ぜてあり、前世イメージするものよりはやや薄めが流行りであったものの、どっしり濃厚なものを売る店もそれはそれで愛されており、アイスクリンからハーゲンダッツ的なものまで、少し頑張って買おうとすればよりどりみどりであったものである。


 ――アイスー……アイス……王都に……売っているとはちょっと思えませんよねえ。いえ、あるのかもしれないし、買えるかもしれないですけど、気軽にほいっとお財布を持って買いに行けるものではないですよねえ。絶対にまずは注文から、な、宴席の余興方面に違いありませんよ……!!


 むぎぎ、と唸りつつ、ご令嬢の日課をこなし、深夜。

 それなりにやることは多い日であったのだが、なぜだかスサーナのアイスを求める気持ちばかりはいささかにも減じず、むしろ心を一杯に満たすばかりであった。

 連絡のために現れたレミヒオくんの顔を見たスサーナは、島にいたのだからこの気持を共有できるかも知れぬ、と、カリカ先生が席を外した休憩時間にその袖をはっしと掴む。


「レミヒオくん!」

「どうしました? スサーナさん。なにか支障でも……」

「いえ! あのですね、レミヒオくんは島にいた時にアイスクリームは食べましたか!?」


 スサーナのあまりの勢いにたじろいだレミヒオは、少し身構えて聞き出した言葉があまりに予想と違ったらしく、はい?と聞き返し、同じ言葉をもう一度スサーナが繰り返したところでようやく喋っている言葉の意味を理解したらしい。


「あいすくりーむ……とは……」

「あっ、通じてらっしゃらない!! ええとですね。夏になると魔術師さんたちが売っていた氷菓子の、ミルクをつかったやつのことです!!」

「……一応問い返しますが、僕が魔術師の食べ物を口にすると?」

「うっ、そのあたりも駄目なんでしょうか。……食べ物は食べ物であって、切り離して考えてもいいんじゃないかなあ、とか……」


 ああ、これは駄目だ。絶対食べてない。ぺしょんと肩を落としたスサーナにレミヒオくんははふ、とため息を吐いてくしゃりと前髪をかきあげた。


「はぁ……、まあ、食べる機会はなかったですね。セルカ伯もそのあたりは保守的な食生活でしたし。……それで、その乳の氷菓子がどうしたんです?」

「その、ええと……島で食べていたおやつなんですけど、食べたくてもこちらでは食べられなさそうなので、食べたことがある人と話せば気持ちが収まったりしないかなあと思いまして……」

「残念ながら……。それはどういう食べ物なんです?」

「ええと、こう、乳とかクリームをですね、甘くして、混ぜながら凍らせるんです。卵黄を入れてもいいんです。空気をたくさん含ませて滑らかにした冷たくて甘いお菓子なんですよ。夏食べることが多いお菓子なんですけど……冬場も食べないことがないというか……」


 冬場のアイスはどちらかというと前世の記憶であるのだが、それはともかく。

 食べたことはない、で話を終わらせずに続けてくれたレミヒオくんに感謝いくらかと申し訳無さいくらかを感じつつ、折角聞いてもらえたのだからとスサーナは力を込めてアイスクリームの説明をする。食べたいねえで終わらせずに内容の説明に終始すると、むしろ食べたくなりそうな気がする、というのは意識の隅に追いやっておいた。


「スサーナさんはそれがお好きだった?」

「ええ、まあ。でも、みんな好きでしたね。島の風物詩みたいな感じで……」

「なるほど。……その作成方法なら……今の季節ならなんとか作れたりしませんか?」


 魔術師の技術なんかでなくても、と強く言い切ったレミヒオくんにスサーナは首を傾げる。


 温暖な土地なのだ。冬の初めの今、水桶にしっかりと氷が張る、というようなこともない。外に牛乳を出しておいても傷みはしないだろうけれど、凍るかと言えば、否である気がする。


「む……牛乳とクリームは……どこかで買えるにしても、凍らせるのはどうやって? 流石に少し早かったりしませんか?」

「牛乳とクリームは僕が買ってこれますよ。卵も。蜂蜜と砂糖も……伝手はありますので。スサーナさんが好むものではないかも知れませんが、十分なものを。それから、魔術師を頼らなくても……今の季節なら、その手のものは山間から切り出してきたものが売ってます。」

「おお!」


 スサーナはぽんと手を打ち合わせる。レミヒオが言うには、新しく厚い氷が張るのは無理でも、流通の間しっかりおがくずで覆えば溶けない程度には気温は低く、スサーナにはどういう需要の不思議かはわからないものの、飛び込みの客が一番販売される雪と氷を目にしやすいのが今の季節なのだという。

 個人所蔵の氷室が安く先年の雪やら氷を売るなりするのだろうか、それとも温度調節に使うようなものを安く出すのだろうか、流通というのはなんとも不思議なものだとスサーナはふうむと唸ったが、あるというのならばあるのだろう。もしかすると宴会の多いけれどまだ日中は気温も上がるこの時期、料理人たちの求めがあるためなのかも知れなかった。


「良かったら、鍛錬が終わったあとで試してみますか。」

「いいんですか! 良かったらぜひお願いしたいです! 鍛錬、できるだけ速く終わらせてしまいますね……!!」


 いっかな収まらぬアイス欲に、全身運動の後のアイス。

 スサーナは思わず全力で食いつき、レミヒオはすこしキョトンとした後にじわじわと満足気に微笑むと、ぜひお任せください、と胸を張った。





 顛末を先に述べておくのならば、この夜の試みは全力の失敗であった。

 レミヒオが買ってきた雪の大きな塊の上を削って穴を開け、内側の雪に塩を混ぜたものに金属のカップを埋めて即席の冷凍庫にする、というチャレンジは、色気を出して仕込んだ量が多すぎた所為か、糖分が高すぎたのか、もしかしたらクリームが濃すぎたのか。しっかりと冷えて周辺から固まってくる気配すら見せず、焦るうちに朝になってしまった。

 雪の塊自体は植え込みの陰に隠し、昼間誰かに見咎められることもない、という状態にはしたものの、翌日は一体何の因果応報か、ぐんぐんと気温が上がり、初手状態でしゃりしゃりに水を含んだ感じだった雪はかそけく溶けてしまったものである。


 スサーナはしょんぼりすると、残りの雪でなんとか保存したアイスクリームの元の残骸を引き上げ、次の日の鍛錬の際に小麦粉と炉をレミヒオに持ち込んでもらい、アイスクリームの元はカスタードクリームに化け、濃いクリームは煮詰めてクロテッドクリームにして、鍛錬の休み時間にレミヒオくんとカリカ先生を交えてパンに塗って食べるおやつにした。


 それはそれでとても美味しく、甘味欲はそこそこ満たされたものの、素敵なおやつを食べつつもちょっと気まずげなレミヒオくんとぼんしょりなスサーナという組み合わせに首を傾げたカリカ先生に問いただされ、魔術師要素を抜いて事情を話したところすっかり呆れ顔になったカリカ先生に『糸の魔法で冷やすイメージを持てば良かっただろう』とお叱りを受けてしまったものでスサーナはへたへたと平べったくなるばかりであった。


 とはいえその言葉を受けて雪の顕現を試したスサーナは、カリカ先生の言うように一気に冷やしてはアイスクリンになってしまうし、最初のイメージのやり方でじわじわ冷やし続けるには持続に集中が必要な糸の魔法……少なくとも今スサーナが学んでいる様式のものは向かない、と悟ったので、イメージを最適化するというようなことについては必要な学習であったのかもしれない。


 ところで、カスタードクリームはとてもカリカ先生に受け、そこそこ日持ちするクロテッドクリームはさらに次の日に報告に帰ってきたネルさんの夜食としてたっぷりジャムとともにソーダパンに挟んで活躍してくれたので、これはこれでまあ良かったのかもしれない。スサーナはそう思うことにした。

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