偽物侍女、侍女ライフを謳歌する。
本編278話前後のお話。多分再編時に本編に混ぜるエピソードです。
――――――
「乙女探し」の会場に違和感なく潜り込むためにはじめた侍女ばたらき。必要に迫られてはじめたことではあるものの、スサーナはなんだかんだ考えることの少ないこの生活を満喫している。
午前中早くに妃宮を抜け出し、自分で着替えて支度するか、召使いの控えの間に何食わぬ顔で待機したミッシィと落ち合って変装させてもらい、その後はもう誰憚ることもなくの下級侍女生活だ。
侍女とは名ばかりの下働きに近い仕事であり、下級貴族のお嬢さんたちである同僚たちにしてみれば、楽しむなどと一体どうしたら言えるのか、という業務であるようなのだが、スサーナとしては屋敷で貴族教育をされるだとか、妃宮でご令嬢たちとご歓談するよりもずっと気楽でありがたい。
……シリアスと緊張感と、これは必要に迫られて行う布石だ、ということはなるべく忘れずにいようと思う。
――学者になりたい、と思っていましたけど、案外、事務とか、庶務課とか、そういう方面も適性があったのかもしれませんね……。
掃除や備品管理、ちょっとした連絡事項の仲介などに駆け回りつつスサーナは力いっぱいほけほけしている。
思わず前世に思いを馳せたりするが、たのしくこの仕事ができている理由は、仕立て屋の娘として散々連絡だとか備品管理だのは経験済みだとか、こっそり作りためた洗浄の魔法を使えばどこがどれだけ汚れても変装が崩れもせず一撃で綺麗になるというわけのわからない効果が出るので汚れ物に触れるのに忌避感はあまり無くて済むだとか、怪我をするような要素があっても護符が守ってくれるので気を使わず済むだとか、カリカ先生に指導される地獄の全身運動に慣れると重いものを運んだり立ち仕事をしたって比較級であんまり辛くないだとか、貴人に仕えての雑用のノウハウなら学院でエレオノーラの侍女をしていた頃に大体覚えさせられただとか、もっと俗な使用人業務ならセルカ伯のところでお手伝いした経験が生きるだとか、大体今生で得たものが元になっているので、感謝すべきは経験というやつなのだった。
――まあ、一番はなんと申しますか、この下級侍女というお仕事はやりように寄っては殆ど人と喋らなくていいってことですよね……!
慣れてきた下級侍女の先輩たちの娯楽のうちなかなか大きいものは雑談と噂話で、控室や人通りの少ない仕事場なんかで話に花を咲かせているようだが、一人で出来る仕事を受け、ひたすら邁進する場合は殆ど他人と話す必要はないし、ある程度は真面目な下級侍女として評価されるために人の目に触れる必要はあるが、それでも屋敷や妃宮で過ごすときほど姿勢やら動きやらについて人目を気にかける必要もない。身分詐称を重ねている身としては、それはそれは心が休まるのだ。
うまくすれば一日最低限しか喋らなくてもいいという点でこの下級侍女という仕事は高く高く評価されてもいい。そう思う。
「一人仕事、最こ……」
「スシー!」
呼び声にスサーナは快哉をすっとひっこめ、やってきた相手ににっこり微笑みかけた。
そうでもなかったかもしれない。
柄の長い箒を手に駆け寄ってきたのはサラで、何か難しい仕事を受けた、という時に満面に浮かべる悲壮感は今はないので本当にただ姿を見かけて近づいてきただけだと思われた。
なぜ懐かれてしまったのかはよくわからないが、スサーナはおっとりしたこの年上の同僚のことは嫌いではないので、一人の時間は失われてしまったが、まあ、とりあえずよしとする。
年上の妹めいていて、などというと論理矛盾が発生するだろうか。
「サラさん。」
「スシーもここの廊下の掃除を頼まれたの?」
「私はこちらの燭台磨きとろうそくの更新ですねー。」
スサーナは芯切り鋏をちゃきっとしつつ手元の拭き布とかごを示してみせた。
王宮とは言え、政務を行う外廷の、特に雑務を行う者たちが主に使う廊下などはろうそくは大盤振る舞いしてはもらえず、しかして使わないわけにもいかないので、適宜芯を切ったり長持ちするように管理しつつ、ちびれば取り替える作業が必要なのだ。
「そうなのね、ねえスシー、でしたらお互い仕事が終わったら、一緒にお昼を食べてかまいませんかしら」
「ええ、このままだと一人で食べることになるかなと思っていたんです。是非」
はわはわちたちたとしつつ、一世一代の決断をするかのような顔をしたサラが誘ってきたのでスサーナは快く、いい感じに見えるように頷いた。
サラは六人姉妹の末っ子らしく社交界に出る予定が無く、かといって領地の少女たちと別け隔てなく親しんだ、というタイプではなかったらしく、その手の女子の友情行為にあまり縁がないようで、恐る恐る手をだしてみている、という様子が溢れており、微笑ましさを誘う。
実のところ食事をするつもりはあまりなかったのだが、前回似たような誘いをされた際に何気なく忙しいからと断ってしまったところ、なにか非常にショックを受けられてしまったため、同じ轍は踏まないように努力しているのだ。
――思えばフローリカちゃんも、村の子たちも、講の子達も、お嬢様たちも、ミアさんも……エレオノーラお嬢様も、なんというかこういう感じの人慣れない感じは無かったので、新鮮といえば新鮮なんですねえ。
思えば対人関係の押しは皆強めで、一番たおやか寄りだったのはマリアネラだったろうか。それでも彼女も欲求と意見はぐっと押し出してくる人だったのでこの感じはなんだか新鮮だ。
島でも本土でも、それなりに良い感じの友人関係は築けていたと自負するスサーナだが、結構一人も好きで一人でも十分過ごせてしまうタイプでもあり、どんどん前のめりで爆走する友人たちには一歩引いてついていく感じの関わりも多かったため――特に精神年齢と実態の乖離が大きかったうちは顕著に――そういうポジションで固定されがちなので、こういう懐き方をされると弱い。
しばしそれぞれの作業に取り組む。
今から廊下の掃除に入るのだな、と理解したので、過剰に急いだりはせずスサーナは丁寧に割り当ての廊下の燭台の管理を済ませた。
少し早く作業を終わらせて、報告に向かうと声をかけると、サラはわたわたと慌て、箒を握りなおす。
「ごめんなさいね、すぐに追いかけますから」
「焦らないでくださいね。あ、こちらの報告が長引いたら遅くなるかもしれません。済んだら控室で待っているので。」
「ええ!」
ぱっと笑みを浮かべ、歩き出すスサーナに伸び上がって手を振るサラに、スサーナも笑みを返し、それから仕事終了の報告に向かった。
備品管理の文官に割り当ての廊下が終わった旨を報告し、回収してきた短くなったろうそくを渡す。
このろうそくは溶かし直して再生ろうそくにしてもっと外周で使ったり、王宮の出入りの商人に売ったりするのだそうだ。王宮の備品である以上、わずかながら聖性を帯びているというそのろうそくは様々な場所で随分ありがたがられるらしい。
「だから君達が必要なんだよ。下働きのような仕事だと腐らず励んでおくれ」
新人の下級侍女に接し慣れているのだろう。備品管理の文官はスサーナと、時を同じくしてやってきた別の割り当ての作業をしてきた新人の下級侍女にその仕事の意味を語って聞かせつつねぎらった。
――おお、完全に聞き流していらっしゃる。
初日にショックを受けていた同僚の娘はそれなりにこの生活に馴染んだとみえ、多分何度も聞かされたのだろうありがたいお話をすっかり聞き流している。
どうも、王宮使用人や官僚達が時折言うことによれば、
ちなみに、数度そんな事を聞かされたスサーナは、そういう役目だとするなら鳥の民が混ざっていてなにか悪影響は出ないものかと少し悩んだものだが、呆れ返ったカリカ先生によってむしろどっちかというと常民に比べて適正値が高いのが鳥の民だとこんこんとお説教をされたので、とりあえずまあいいかと思うことにしている。
ちょっと苦笑した文官のおじさんに労いの品として晒布で小分けに包んだ菓子を貰ったので、昼食時に合流したサラに渡したところ、彼女はことのほか喜んだ。
「まあ、素敵! レモンのクッキーだわ。頂いてしまってもいいの?」
「ええ、糖衣塗りのクッキーのようですし。私はごはんのあと水仕事の予定なので、ポケットで湿気を吸っちゃうと悲しいですから」
「ふふ、下級侍女、素敵なごほうびもいただけるし、いいお仕事ね」
外廷の一角に用意された食堂は給仕のない
数度入ってみてわかったことだが、この食堂を使うものには自分は席を取って従者が料理を貰ってくる、というやり方をするものもいれば、自分で全部こなす者もいるようで、そのあたりはルールとして定まっているわけでもなく、食事をするものも――流石に大貴族あたりがやってくれば大騒ぎになりそうだったが――官僚達もいれば使用人も、下級侍女も、という具合で、同じ時間帯に居る者同士ではなんとなくの住み分けがあったりするようだが、そこそこゆるい場所のようだった。
学院の下級貴族向けの食堂も似たようなやり方だったことからすれば、別に貴族が失礼に思う形式ではないらしい。
この日のメニューはホットのシナモン入りワインをオレンジジュースで割ったものと、はだか麦の入ったパセリとほうれん草のスープに、茹でて冷やした塩豚と蒸しパースニップで、未熟りんごのピクルスと低加水の練りパンがつく。
しっかりと形を整えて仕上げた塩豚はアニスとシナモンとクミンで香り付けしてあり、ミントソースを掛けたもので、事務的に簡素に供されるメニューのようでも相手は貴族で、ここは王宮であるという料理人の自負が香る品だった。
――とはいえ、私は少し苦手だったんですけどね……。
端っこを少し口にしたスサーナは少し遠い目になる。
本土風料理にはだいぶ慣れたとはいえ、肉の野趣か香りの強さか、全体の組み合わせか、ともかくなにかがスサーナの食欲には訴求しなかった。八角の効いた角煮などは食べられる少女だったので、いけると思ったのだが。
運がいいことにサラがぱくぱく食べて目を輝かせていたので、実は貰ったお菓子をつまんでしまったのであまりお腹が減っていないなどと言いくるめ、そちらのお皿にメインを引き取ってもらうことにした。お互いウィンウィンだということにしておこうと思う。
結果、食事よりも会話の方にウェイトが寄るのはどうしようもないことということにしておきたい。
「お互い、あんまり遅くならなくてよろしかったわ。私、昨日は報告に行ってそのまま次の仕事を頂いてしまったの」
「そういうの、予定が立たなくなって大変ですね。そういえば今日は他の新人の方と報告が一緒だったので、私は難を逃れたのかもしれません。」
「まあ、そうだったの?」
話題は話すともなく直前の仕事の話になり、そこから互いの仕事慣れの話などになる。
「初日は泣いておられたのに、すっかり慣れた様子でしたよ。サラさんはお仕事は慣れました?」
「ええ、なんとか。スシーがたくさん手を貸してくれたお陰だわ。」
「いえいえ、そんなことないですよ。サラさんが頑張ったからだと思います」
「あら、本当にそう思うの。スシーが声をかけてくださらなかったら、きっと心がくじけていたでしょう。こんなに目まぐるしいものだとは思わなかったもの。」
家中のことは母の手伝いで学んだりもしたのでなんとかなると思っていたのだが、完全に予想の外だったのだとサラはしみじみ言った。
小さな田舎領地の娘ばかりの六人目ともなれば、社交界に出る余裕も元々なく、運が良ければ近隣の同格ぐらいの下級貴族の子息と縁付く、というような将来展望でいたものの、その思惑もなんともならないぐらいにお金がなく、親類のつてを頼って下級侍女になったのだそうだ。
「今年は魔獣の出現が多くて、気候も悪かったの。下級侍女になれて本当に良かった。うちのような田舎領地がとてものんびりしているだけで、きっとこのぐらい目まぐるしくお仕事が出来なければ、よいお仕事を賜ることも、良縁を得ることも出来ないのでしょうね。頑張らなくちゃ」
下級侍女という仕事についていれば、文官に見初められることもあろうし、よい働き先を紹介して貰う機会も増える。なにより、悪くない額のお給金が毎月入るのだから、仕送りもかなう。
領地の皆もとても孝行者だと言ってくれるし、末っ子だけど一番しっかりして頼りになると両親は言うのだから、安心させてあげないと。そうどこか誇らしげにサラは目を細める。
「サラさんはとても偉いのですね」
「あら、スシーったら。恥ずかしくなってしまうわ?」
なんとなく、サラの頭をスサーナは撫でてやりたくなった。
――しかし、最初に見たのがアレで、次に深く関わったのがレティマリなお嬢様たちで、下級貴族、と言っても、商人に比べればずっと偉い人の印象がありましたけど、下級貴族というのも大変だ。
サラの努力が報われるか、悩まなくていいぐらいにサラの実家の領地経営というやつが上手くいったらいいね、とスサーナは思う。
スサーナの立場ではなにをしていいのかもわからないし、即物的に妙な横紙破りはすべきではないだろうし、パッと考えて
下級侍女になってうまく良縁だのよい働き先を手に入れる、というのは一般的に数年越しの長期計画なのだそうだから、今の事件が落ち着いたあと、例えばレオくんをかばったことで少し図ってもらえる便宜があったりするのなら、なにか上手く利益誘導するぐらいならいいのかな、とスサーナは思案する。もしくは学院に戻った後、スサーナ個人で手に入るツテなどを使うぐらいなら罪のない職権乱用だろうか。
「ねえ、そういえばスシーはどうして下級侍女に?」
「ふえ」
一瞬耽った思案を破られ、スサーナは間の抜けた声を上げた。
見れば、うちのお話をしたのだから、スシーのお話も聞きたいわ、と言ったサラがきらきら目を輝かせている。
「あ、聞かれたくない話だったらごめんなさい、そしたらお話していただかなくても大丈夫よ。ええと、スシーのお家はどういう所なのか気になりましたの。ご家族はどんなふう?ごきょうだいはいて?」
多分、家の話をしたところでスサーナが黙り込んでしまったので急いで話題を変えたのだろう。とはいえ、きらきらした目をしているところを見るといくらかは素の好奇心でもあるようだった。
「あ、ええとですね。ええと……うちはそのう、ええ、きょうだい、……的な……ええとその、同い年のきょうだいが家を継ぐので、なんというか助けになりたいなあ、と……、宮中で働くお仕事に立候補した……というような……?」
とりあえず、島に残してきたおうちの面々だとかはあまりに貴族っぽくなくボロが出そうだったので、スサーナはとっさにアランバルリ家、ミランド公のおうちをごまかすサンプルにする。非常に広義に言えば、一応嘘はついていない、ということにもなるはずだ。
実情をつまびらかにしてしまうと、ひっくり返るような家族構成であるわけなのだが。
「まあ、そうでしたの。スシー、ご兄弟が居るのね。ふふ、羨ましいわ。うちは姉妹ばかりだったから。仲はよろしいの?」
「そう……ですね、そこそこ。ええ。多分。 仲良しだといいな、と思います。」
「どんな子?」
「ええと……とてもいい子ですよ。責任感が強くて……、人のお手本になろうと努力する子で……努力できる子です。」
虚偽の家族設定に突っ込んでこられ、スサーナはとりあえず通り一遍のことを言ってみたあとで、さすがにきょうだいのことを指すのにそれだけということはなかろう、と形容を探す。
「あ、ええと、真面目ないい子なんですけど、真面目なばかりではなく、こっそりお祭りに出かけてきちゃうとかそういうところもあって……海も好きで、海のものを蒐めているみたいなんですけど、海の魚を食べるのはとても普通みたいで……。お魚が好きだったら色々楽しいことが増えていいと思うんですけど、ままならない……」
「思うのだけれど、スシー、そこから海のお魚を食べることに行く方を私初めて見てよ?」
「む……」
レオくんが屋敷に「帰ってくる」ことが増えると聞いた時に、魚料理案をそこそこ真面目に想定したスサーナは、真面目に突っ込まれ、虚偽のいい感じの家族の話を構成するのを一時横においてちょっと目をそらした。
――でも、海辺感と内陸感の差って、ふとした時に潮の匂いがあるかとかもそうですけど、料理の差もありません? いえ、貴族だとあまり関係ないかなとは思いましたけど、海辺の宿感と言いますか……
海辺の土地では気軽に変わったお魚をたくさん食べるし、海産物をおやつにしたりもする。前世、今生両方でスサーナが培った海辺感である。
この王都は内陸なので、海を思わせるものはあまり多くない。であるので、海っぽいものがあれば心が慰められるのではないか、という想定からなにか大げさにならない程度に用意しようかと思っても、ぱっと用意できそうでレオくんが食傷していなさそうだったのが青っぽい布だとかを除くなら魚料理ぐらいなものだったのだ。
とはいえやってくるのは深夜が多そうで、食事ならまだしもお茶のお供に干し貝柱だとか鮭とば的なものなどをレオくんが食べるかというとあまり食べなさそうだったので――思い返せば学院で魚料理が大好きだったという記憶もない――やめたのだが、ここまでぽかんとされるものであるのなら、それで正解であったのかもしれない。
「むむむ……いえ、でもこう、干したお魚を炙って食べるのとか、海!という感じしません……?」
「ふふふ、ふふふふ、おーかしい……! スシー、そういうところもありましたのね。意外だわ……!」
ころころ笑い出したサラがいつまでも海が好きなら海のお魚も食べる説に受け続けたので、急ごしらえで下級貴族の家族の話をし続ける必要はなくなったのだが、そこまでツボに入ることはなかったのではないか。
スサーナはそれから数日、その話題を蒸し返されるたびに遠い目になった。
ちなみに、その後一応提案してみた屋敷の料理人たちも似たような反応を示したので、これはきっとチョクでお父様に上げなくてよかった話だったのだろう、と己を慰めることにしたことである。
おさかな型アイシングクッキーぐらいでお茶を濁しておきたいと思う。
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