スサーナと冬至の名物菓子。
◆乙女探し開始~冬至祭の間の何処か◆
文化というものは住むうちにほどほどに馴れていくものであるが、最後までどうしても残るのは食の習慣である。
スサーナは遠い目で前世に読んだなにかのエッセイの文言を心から思い出していた。
現場は屋敷の調理場。そのなかでも菓子を作る特別な調理室というのがミランド公の屋敷には設えられており、そこである。
菓子室みたいな名前で呼ばれるそこは、上位の貴族の屋敷であればそこそこ備え付けられている、という場所で、厨房から保存食置き場に行く間にある一室。豪華な菓子や行事食を作るための場所だ。
――いわゆるスティル・ルームに近いもの、かと思いきや、お供えもこっちで作るらしいので、料理上のタブーとかそういう要素もあるんでしょうね。
ロコを抱えたスサーナが厨房の隅でそう文化人類学めいた思考をしているのは、なんのことはない。現実逃避だ。
彼女の視線の先で料理されているのは、間近に迫った冬至に屋敷で食べる冬至の菓子。
クリスマスシーズン・スイーツだと思えば心も踊ろうというものだが、スサーナは今、最高に前世とこちらでの文化差を感じ取っていた。
先程のこと。
なんだか最近ほとんど猶予などない生活をしているスサーナであるが、心の潤いは重要であるということで、ロコを揉もうと、最近すっかりロコが転がる定位置になっている厨房の大オーブンの裏まででかけていった。
色々と雑務を終え、カリカ先生やレミヒオくんを待つ合間の時間だ。普段は大体厨房の忙しさも終わり、夜っぴて絶やさぬことになっている熾火ばかりが燃えている頃合いのはずが、厨房に入り込んでみると、明日の料理の仕込みをしている下働きではなく、厨房づきの女達がぞろりと揃っていたものだから、スサーナはそっと首を傾げたものだ。
「まあ、お嬢様。このような時間に厨房に忍んでくるなど、いけませんよ」
「お父様には内密にしてくださいませ。……眠る前にロコを撫でに来たのですけれど、お邪魔でしたか?」
「ふふ、本当はお気にされることなどなにもないのですけどね。旦那様はお嬢様がいらしたらいつでもお口をふさぐものを出して差し上げろとお言いしていらっしゃいましたもの。実はこれから冬至の菓子を作るのです。」
「味見は出来上がりに立ち会ったものの特権なのですわ。お嬢様もご一緒なさいませんか」
いかにもはしゃいだ彼女たちに、ふむ、屋敷の使用人たちと仲良くなっておくまたとない機会ではないか。と考えたスサーナは首を縦に振る。少し、前世で見かけた際にその手の行事で立ち働く者たちの和気あいあいとした雰囲気に混ざってみたいと思ったことがあったこともそうした理由かもしれなかった。
乾き物の食料庫から淡い黄色の上等の
枝ごと干した香草の束や、袋入りのスパイスが作業台の上に並べられる。束ねた赤茶色の枝のようなものはシナモンで、三つ編みにした芋がらに見えるのは干したジンジャーであるらしい。
籠一杯のくるみとくりにはしばみ、アーモンドとピスタチオ。
繊細な装飾で飾られた薔薇とオレンジの花のフラワーウォーターの瓶。
干したり、ジャムやシロップ、はちみつ漬けにした果物達。この季節でもみずみずしい冬レモンとオレンジ、真っ赤な林檎。
このあたりまでは、スサーナも最高にワクワクして、目のあったメイドに微笑んでみせたりしていたのだ。
ところが、次に運ばれてきたものからちょっと話が変わってきた。
大きな陶器のバットに載せられ、メインの厨房から運び込まれてきたのは、どこからどう見ても巨大な豚の背脂である。
それが短冊状に切り分けられるとメイド達が手分けしてスパイスを揉み込む。
はて、肉料理も一緒に作るのだろうか。それにしても背脂だけとは、もしかしたらラードを絞るのだろうか、とスサーナが首を傾げて見入るうちに、しゃわしゃわと揚げられたそれにはたっぷり砂糖を混ぜた卵が絡められ、あろうことかバターとたっぷりの糖蜜を混ぜたものを熱した液状のものに沈められていく。
「ほわ……」
いや、甘辛く味付けする角煮などよくあるではないか、と自分をなだめるスサーナであるが、なんとなく風向きが変わってきた気がしなくもない。
その予想はそう経たぬうちにしっかりと結実する。
網の上に上げられ、きちんと並べられた揚げ脂身は再度スパイスをまぶされ、そこに更にグレーズが塗られ、砕いたざらめがまぶされていくのだ。
まぶす係を仰せつかったので、少し少なめにしようとしたが、にっこり微笑んだメイドに手を支えられてふるいを盛大にざかざか揺らされたので、こんもりするぐらいに掛けて乾く前の糖衣に付くだけ付けるのが正解らしい。
――わあ真っ白。雪が降ったみたい、って、これは背脂ですよ……?せあぶら。
揚げ背脂に甘い卵を染みさせ、さらに糖蜜の中で加熱したものに、さらにグレーズと砂糖のコーティングだ。だいたい砂糖の暴力と言っても差し支えはない。芯はスパイス背脂なわけだが。
「……あの。」
「なんでしょう?」
「これは……ええと、どう食べるものなんです?」
「まずはそのまま食べるんですよ、はい、お嬢様、旦那様には内密で」
ニコニコとした返事とともにすっと差し出された味見とやらを断れなかったのは、多分仕方のないことだ。
かしゅっくしゃく。
糖衣が砕け、口の中にスパイスの味とじゅわっとした油が広がる。
――暴力! 甘みの!! 暴力!!!!
あぶらは甘く、甘く、甘く、甘く、スサーナはくわーんと頭を殴られたような衝撃を受ける。そこに口いっぱいに広がるスパイスの香り、しっかりとした脂身の風味と肉のダシ。
渡してくれたメイドがどやさとにこにこしているので、スサーナは黙って唇についた大粒のざらめを舐め取った。
「すごく……甘いんですね……」
「ふふふ、特別なお菓子ですもの。」
「明日は殿下がいらっしゃると旦那様が仰っておいででしたから、お嬢様もお手伝いしたのだとお教えしてこれをお出ししましょうね」
こういうものはド庶民菓子ではないのだろうか、などと一瞬思ったスサーナだが、彼女たちも公の家で働く以上、ある程度貴族の家系やらその紹介やらの裕福な家柄のものたちのはずだ。
つまり、この味は普遍的に歓迎されるやつなのだ。
スサーナはすごすごと壁際まで後退すると、メイド達がスパイス抜き味付け無しで揚げてくれた豚の脂身に大興奮して化け猫のようになったロコを撫でながら「お菓子」が仕上がるまでの残りの時間を過ごした。
メイド達はそれをベースにしたお菓子を数種拵えるようで、数度お味見がやってはきたものの、スサーナはそっと微笑んで、体重管理などを理由に断った。
前世で記憶のあるミンスミートのようなものに刻んで混ぜたりもするらしく、それは多分食べられないことはないと思うスサーナだが、もう甘いものは一口たりともごめんという気持ちであったのだ。
次の日、お茶の時間ではまめしばになったレオくんがこれで倍ダメージを受けやしないかとそっと危惧したスサーナだったが、レモンジャムやワインジャムが添えられることでだいぶ理解できる味覚になるということを知れたので、良かったのだと思う。
レオくんは予想外なことにこのお菓子がだいぶ好きなようで、しゃくしゃくと出ただけ食べてしまい、スサーナを驚かせた。
――あ、前に持ってきてくださった冬至菓子の芯はもしかしてこれだったのかな。お好きなお菓子でらしたんですねえ。
スサーナとしては砂糖抜きで塩を振り、お酒や無糖のお茶などに合わせたほうがいいような気がするのだが、仕方ない、冬の間はレオくんにお付き合いするお茶の時間にはこれも出すことにしよう、と決める。
しかし、あとで胸焼けでとても苦しんでいたので、煎じ茶にこっそりもらった胃薬を混ぜたやつを出したら――普通の人に出すぶんにはそうして問題ないと用法にあったから――楽になったらしくてとても喜んでいたので、どうやら数量は制限した方がいい、禁断のお菓子でもあるようなのだった。
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