スサーナの日常 オバケの話と夜祭り 5

 ヴァリウサ王都アラインは、近隣の国々のうちでも有数に発展を続けている都市で、じわじわと外側に常に拡張を続けている。広がりゆく外周部分のうち計画的な拡張区画ではない場所は、いわば最も混沌とした下町で、外からの出稼ぎを受け入れ、常に活気づいた関係上、小さな花街が点在している。


 あにはからんや、女の子達が迷わず目指したのは宿営地から続く道沿いにあるそんな花街の一つであった。

 ここを避けて歩いてきたのに、とぼやくレミヒオの肩をヴァレリーがぽんと叩く。

 よっしやるぞ、と意気込んで少女たちがはじめたのは、なんと飛び込み営業だった。

 娼館の前に立つ妖艶なお姉さまたちに、布籠に入れたお守り――ただそれっぽく編んであるだけでなんの効果もないという――を売りつけるのだ。

 一体なんでまたこの日にこんな場所で、と解せない思いになったスサーナだが、彼女たちの後に続いててふてふ歩いていくうちになんとなく腑に落ちる。


「ああ……なるほど。あの人も。「漂泊民の仮装」なんですね。あれ……」


 お店の前の妖艶なお姉さまたちの中に、色とりどりの布を繋げた衣装や、たっぷりと金属飾りを身に着けたものたちがいる。スサーナがこれまで見てきた鳥の民の女性たちの衣装とは遠からず近からず、まあなんとなく似てるかな、という程度の類似度合いであるものの、少女たちが快活に売り込んでいくのを聞けばどうやらそれは漂泊民の仮装で、彼女たちが身につけている薄い布やショール、スカートなどに絵が書き込まれているのはどうやら漂泊民を表したものらしい、とスサーナは察した。

 さっきレミヒオくんに漂泊民の仮装もアリらしいと聞いたし、漂泊民はこの国では無条件に受け入れられるものではないが、その反面、というべきか、それ故にというべきか、創作物なんかではエキゾチックさや神秘性を買われて――いちおう交易国に珍重する場所もある事も手伝って――悪いファム・ファタルの役どころとしてはそれなりに作家さん達に便利に愛されているようなので、こういう場所でというのはまあわからないこともない。


 ちなみに、形のある刺繍は忌避され、図画を織りだすのも眉をひそめられるようなのだが、図案に布を染めるのと染料で絵を書くのは正確にはタブーの外の行為ではあるらしい。いい顔はされないようだが、衣装に使っても咎められはしないという。

 このあたりスサーナにはだいぶややこしく、そこそこ思考を放棄しているのだが、どうも許され感は圧倒的に違うようではあるのだ。刺繍にしても別に鳥の民側としてはやめてくれと言ったこともないそうであるので、そのあたりの分類は文化人類学者に任せるしかないと思っている。


 ともかく、インクや絵の具と思われるもので思い思いの絵を布に描いたものを纏った女性たちに紐飾りは飛ぶように売れている。どうやら10倍から100倍のお値段でさらにお姉様方のお得意様に売られていくもののようだった。


 ――そこで民族性を押し出して漂泊民のコスプレのお姉様方に飾り物を売るとか、私には絶対思いつかないやつ。したたかで強い、という感じ。こんな感じが普通の鳥の民の女の子スタンダードなんでしょうか。

 そういえば幼い頃仲良くさせてもらっていたエウメリアもそんな印象はあっただろうか。女性が強い民族だという話は聞いていたので、そういうものなのかもしれぬ。

 感心を込めてふむふむと頷いていたところ、何故かレミヒオくんに真似はしなくていいやつだと釘を差されてしまい、何故伝わったものかとスサーナはそっと首を傾げる。


 それからそう経たないうちに布籠を空っぽにした二人の少女はほくほくした表情で、道の端で眺めているスサーナのもとに戻ってきた。


「おまたせー。じゃ、遊ぼっか!」

「資金は十分だからなんか奢るよ」


 懐が暖かくなり、ついでにお姉さまたちにお菓子などを貰ったりしたおかげで満面の笑顔な女の子二人に対して、話しかけてきたりからかったりしにくる酔客たちを健気に追い払っていたヴァレリーはひょろひょろになっており、彼女らを待つ間にスサーナの前に立っていてくれた――見ていると酔客半数お姉様方半数という感じで、ナンパされていたのはレミヒオくんだった――レミヒオくんと何か健闘を称え合ったりしている。


「遊ぶって、まさかここでですか?」


 不審を込めて少し鋭い声を出したレミヒオくんに、なんだか最初は気後れをしていた様子だったものの途中からすっかりヴァレリーと同等の扱いにすることに決めたらしいジェイリーンがぱたぱたと手をふる。


「んーっ、今夜はあーいうとこでも飛び入り歓迎で色々ゲームとか催し事してるところもあるって言うし、遊べないこともないと思うけどさ、流石に戻ってよ。あ、でもジャックくんなら楽しくだけど、遊んでく?」

「ジェリー、そういう言い方はよくない」

「クソ真面目ヴァレリー!!」


 ヴァレリーの鼻をつねって引っ張るジェイリーンと止めもせずに手を打ってケラケラ笑うアーリィにドン引きしているレミヒオくんに、スサーナは少しほのぼのした。


「でも、珍しいよね? 潜むならこういうとこだって教わってきてないの? 花街が苦手なんて。クソ真面目ヴァレリーならともかく、ジャックくんは慣れてそうなのに」

「ジルを妙なものに慣れさせたくないんですよ」

「あはは! 過保護なんだ。ほんとに姫と従者みたい。あっ、でもわかるよ、ちっちゃい頃憧れたもんね」

「ジェリー、アー、あまり話に集中しすぎるとよくない。後ろを気にしろ。夜道だぞ。」

「ええ、夜道は物騒ですね。退散していただくには……次の角でどうです?」

「うん。」


 帰り道で後をつけてきているような気もする事案めいた男性を男の子たちが団結して足を引っ掛けて転ばせるなど多少のハプニングはあったものの、大体何事もなく宿営地まで戻る。


 宿営地に着くと女の子達はいくつかのテントを目指した。

 それらは、漂泊民達が集まっていると知ってやってくる常民相手だったり、同じ宿営地の鳥の民相手だったり、ともかくこのお祭りのやり方に従って、朝までちょっとしたゲームや催し、食べ物などを揃えているそうで、テントの前には丸く熾き火を作って飛び越えることも出来るようになっている。

 前世の記憶が影響して、スサーナとしてはお祭りといえば街歩きであるという気がしていたものの、鳥の民が出す店だとか催しだとかも気になったし、鳥の民のやり方を知りたいと言ったのは自分なので、俄然わくわくする。



 もう真夜中を過ぎ、いわゆる丑三つ時を過ぎたぐらいの時間であるので、本当に食べるものが残っていたりするのか心配にもなったが、この夜であるためか、それとも鳥の民が夜行性なのか――スサーナは夜行性説をちょっと疑っている――熱した鉄板にチーズを棒状に伸ばして棒に絡めて食べるものや、揚げたそばの実に煮詰めた葡萄汁モストコットを絡めたもの、水餃子に似たダンプリングなどは商っているテントに入って小銭を渡せばさっと出てくるようだったし、別のテントから出てきたらしい鳥の民の若者たちがきゃっきゃっと熾き火を渡る遊びをしていたり、常民らしい男が鳥の民らしい青年と飲み比べをするのを囃し立てていたり、少しもお開きという雰囲気はなかった。


 スサーナはいくつかのテントをひやかし、「はしまき」めいた棒に刺して焼いた小麦粉菓子を少し齧り、持ち帰ると見咎められそうで残念だと思いながら、色鮮やかなスカーフを眺めたりもする。


「おちびさん、それを買うなら早打ちを見せてあげるよ。」


 スカーフの置いてある屋台の店番の年配の女性に声を掛けられたスサーナは少し慌て、手持ちがないのでとごまかした。

 実際になかなか高価なもので、お祭りの屋台で売られているスカーフであるのに5デナルでいい、なんて言われてしまったのだ。

 スサーナとしては今やぱっとお出しできない金額ではないが、無造作に山積みされたスカーフにその値付けをされると、おお、となる部分もないでもない。


「あら、残念だね。ばあちゃんは早打ちの名人だよ。土産話になるよお」


 ほほと笑った女性の言葉にレミヒオが小さく肩をすくめるのに、スサーナはそっと疑問を耳打ちする。


「商売上手ですね。使い手には見えないけど。」

「レ。ジャック、早打ちってなんでしょう?」

「その場で刺繍を作る技術に長けた者がいるんです。短い時間で魔法を成立させる強力な使い手が行うわざなんですけどね。……あの人は使い手のようではないですから、ただ刺繍の手が早いんでしょう。」


 どうやらその屋台はただスカーフを売っているだけではなく、その技術を見せる見世物でもあるらしい。常民向けに効果のない刺繍を見せるものでありつつ、なんだか氏族にも娯楽になりうる、というようなものでもあるようだ。

 スサーナは少しワクワクして、どうにか屋敷に持ち帰らずにその早打ちとやらだけ見せてもらえなかろうか、と考える。

 見本の品を見た感じ、荒い布地に刺された刺繍はもこもこもふもふとした、暖かそうな風合いのものに見える。

 ――レミヒオくん、には似合わないし……ネルさん、もダメそう。カリカ先生、貰ってくれるでしょうか。

 要らないお祭り屋台の玩具を押し付けるような思考で企み、スサーナはそっと金貨を一枚出すに至った。呆れた雰囲気を漂わせたレミヒオにお構い無しで、店番の女性がばちんと片目をつぶり、ケレン味たっぷりな口上とともに変わった針を取り出すのに拍手をおくる。


「さあさご覧、氏族の姫の鍛えたこの針と糸! まるで針が意志を持って自ら踊るよう!これだけの手の早い縫い手は古い旅隊を探してもそうそう居ないよ! ヒナギクみたいなおちびさんにゃ、ヒナギクの刺繍がよかろうねえ!」


 スサーナは状況に、ふと前世で見た、即興で刺繍を縫い込んでくれるサービスの店のことを思い出す。あれはミシン刺繍だったし、全く難易度は違ったわけだけれど。

 そして女性が刺し始めた刺繍に目を奪われる。注射針型の針はたしかに珍しく――鳥の民が採血に使うものと似た形なので、彼らの文化には根付いた発想なのかもしれないが――枠に張った荒い厚布のスカーフにだしだしと太い毛糸を刺して糸のラインを作っていく手法も確かに物珍しいかもしれない。

 ――ああーっ、これも刺繍かあ!!

 前世でいえば文化刺繍とかパンチニードルとか呼ばれていたものに近い。糸と布は絡んではいないけれど、確かにすごい勢いで布の表面に刺繍模様は出来上がっていく。


 10分ほどで出来上がったのはまああまり写実的とは言い難い、おかあさんといっしょ的なデザインの花と言うべきか、黄色い丸の周りに白糸で涙滴型を6つくるくると作ったものであったが、いつのまにか集まっていた子供達がわっと沸き、惜しみない拍手を送っていたので出し物としては上々だったのだろう。確かに速度は驚異的な速さであるとスサーナも思う。


「なるほど……」


 女性が誇らしげに掲げたスカーフの刺繍を見てスサーナはふむふむと考える。


「この速度で魔法を使えたらたしかにとても凄いですよね……」

「それは難しそうですけれどね。僕は使い手ではないですが、この手法で世界に繋がる刺繍をするには余程の大布が必要になりそうだとはわかります」


 それはつまり、刺繍の精細さ、カリカ先生のいうところによる「確からしさ」という問題らしい。スサーナとしてはどうも少し荒くても糸の魔法は働くのではないか、と思っているので――きっと細かく正確な方が魔法の働きはいいのだろうが――案外いけるのではとも思うし、文化刺繍なら非常に写実性が高いものも作れたはずなのだが。

 しかし、そうそっと思案していると、それに一応、あれは糸を引くと外れてしまいそうだが糸が布にしっかり絡んでいるということにも意味があるらしいと聞いたことがある、とレミヒオが言ったので、スサーナはなるほどなあ、やはりそううまくは行かないか、と思いつつ、速さという評価軸を持ったこともなかったし、教わった感じでは魔法には事前に作った刺繍を使うものだとばかり思っていたけれど、最初に行った刺繍もその場で即興ではあったのだし、そんな早打ちなどという技術もあるのならそうとも限らないのだと思考に留めておこうと考えた。

 ――早くて、精細な刺繍。ミシンがあれば楽なんでしょうけど……。でも、ミシンだとなんだか魔法は使えなさそう。

 一瞬、速度と正確さ、それからしてもらった早打ちの刺繍とやらから連想したその場で名入れサービスとだんだんと上から針を入れる動きからミシンを連想し、スサーナは案外島の魔術師さん達の道具で、注文すればミシンがあるのではなかろうかと考えたものの、それで使えてしまう魔法はなんだか神秘感が足りないような気がしたし、それで魔法が使えてしまったらカリカ先生が怒るどころではすまないだろうな、と思い至ってそっと遠い目になる。


 ところで、すっかりその屋台の前に集まった子供達の前でスカーフを受け取ってしまったスサーナは、ワクワクした目で駆け寄ってきた女の子にそれを譲ってくれないかと交渉されて、5デナルのものを!? という思いと、いや元々持ち帰れないし人にあげようかと思ったのだし渡りに船なのでは? という思いで二律背反に駆られたりしたものの、結局熱心な交渉に負け、ダンスを見せるのと引き換えにスカーフを引き渡すということに相成った。


 ギターに似た六弦琴を伴奏に、カリカ先生に特訓させられている動きに似た、腹部を酷使するダンスを優雅に妖艶に踊りこなす少女をスサーナが横目で眺めていると、別のお店を見に行ったあとで戻ってきて、そばで果物漬けの温めたワインを飲んでいた女の子達がきゃっとさざめいた気配がする。なんだなんだと眺めてみると、どうやら顔見知りの別のテントの女性に売り込みをかけられているらしい。


「用意しちゃった分捌けさせちゃいたいし、人を集められない? 賞品良いのにしとくから」

「えっ、そのショール!?すっご!ほんとにそれ貰えるの!?」

「もちろん、勝てりゃだし、人が集まればね」


 布モノづいたその場の雰囲気をうまく捕まえた商売上手のテントの女性にすっとこれみよがしに出されたのは毛足の細いいかにも高そうな毛織のショール。細い細い糸で枝と小鳥、赤い木の実が繊細に刺繍されており、スサーナの目から見てもとても可愛らしい。

 目を輝かせたジェイリーンがヴァレリーの上着の裾をひっつかみ、何らかのゲームに参加するように強要している。

 どうやら五人ほどで開催される遊びらしく、ではこの五人で丁度かな、と思ったスサーナだったが、そっとアーリィに首を振られる。


「ジル、やめといたほうがいいよぉ。あれは男の子にやらせるものだから」

「……? 男の子がやる、ではなくて、男の子にやらせる……?」

「うん、失敗するとやけどするからさ。」


 概要を聞いたスサーナは思わず火中の栗を拾う……と呟いた。

 まるで前世の格言めいたその遊びは、小粒の栗を炭火にうずめ、時間内に多く拾って食べた人が勝利する、という一体何を考えてそうしたのだ、というような競技であったのだ。

 このあたりでは熱を加えるとぽかんと開く栗がよく食べられるので、それでもうっかりぱちんと弾けることはあるまいと思われたが、この遊びで食べる小粒の栗は火の中で爆ぜるタイプで、そういう危険に遭わず、もしくは乗り越えて食べ切れた者が幸運を得られるという、一種占いか縁起担ぎめいた由来もあるらしい。

 とはいえ、わざわざ危険を犯す必要もなければ、競技にする必要もないと思うのだが。


 ぱっと席を立ったジェイリーンが数人に声を掛けて周り、なぜかノリノリになって集まってきた子供たちを半眼で眺めているスサーナとレミヒオの元に戻ってくる。


「あと一人! ねえジルちゃん、ジャックくんに参加させてよ!」

「なんで私がジャックの参加を決められるのかはわからないですけど……ジャック、参加、します……?」


 一応聞いてみたレミヒオくんは仮面をしていてすらある種の狐めいた表情をしているな、という雰囲気で、まったく参加したそうには思えない。

 ――遊ぶにしたって、スリルとお友達になるようなものはお好きじゃない感じですよねえ、レミヒオくん!

 こちらと彼らではまだほんのちょっと距離がある気もするし、手っ取り早く親睦を深めるには良いのかもしれないが、もっとそれは穏便な遊びがいい。


「え、だって、ジャックくんはジルちゃんの従者なんでしょ? あのショールちょっと欲しそうだったじゃん? 」


 いたずらっぽく笑いながら言われた言葉にスサーナははてと首をひねる。なんだか普通の意味の従者とはちょっと違いそうな用法をしている気がするのだ。

 ――鳥の民固有のなにかの呼び方なんでしょうか。

 スサーナがそれに引っかかっている間に、会話を聞きとがめたらしいヴァレリーがジェイリーンに首を振ったのがみえる。


「ジェリー。やりたくないやつを無理に誘うのはよくない。度胸がないと楽しくないし、火傷をするのは臆病者でなくても嫌だろう」

「やりましょう」

「レっ、ジャックー!?」


 反射的に突っ込んだスサーナと、やったこれで人数が揃ったねと邪悪に無邪気なふうに小さく跳ねるジェイリーンの向こうでレミヒオくんとヴァレリーが向かい合っている。


「誰が臆病者だって?」

「そうは言っていない。でも恥じることではないと思うぞ。」


 ――ああっ、また険悪に!

 一瞬ハラハラしたスサーナだったが、一瞬後でおやとその思考を訂正した。

 ――でも、ないんですかね。


「少なくとも僕はアンタより数を稼げると思うけど。」

「そうか? 俺は焼き栗拾いは得意だからな。どっちがあのショールを手に入れられるか競ってみるか」


 男の子たちの口元はどっちかと言うと笑みの形をしていた気がするし、雰囲気も、少なくともレミヒオくんの方はネルさんをからかうときぐらいには柔らかい。


 ――結構しっかり仲良くなってる?

 それはちゃんといいことであるような気がして、スサーナは頬を緩める。

 この機会にだけこの場に来ている相手で、偽名で、長く続く友情ではないにせよ。レミヒオくんだって、年相応にお祭りを楽しんだって良いだろうと思うのだ。



 その場で集められた男の子たちと、ヴァレリーとレミヒオくんで焼栗拾い競争が無事開催される運びになる。声を掛けられたのは女の子であっても皆代理の男の子を出してきていたので、なんだかこれは本当に男の子がする遊びであるらしい。

 スサーナやジェイリーン、アーリィ、それから残りの男の子たちの知り合いらしい鳥の民の子どもたちは少し離れたところで観戦だ。

 あまり近づきすぎてはいけないし、見るときにはこれを持って、と鍋の蓋を渡されたのがやはり危険なのだなあという感じはしつつ、なんだか面白かった。

 参加費を払った男の子たちは、火床に山をなして盛った炭火の周りをぐるりと囲み、はじめの合図を待つ。

 開始の合図の直後は栗はまだ爆ぜず、しかして火が通っているという具合であるそうで、そこを狙って熱さにひるまず数を食べられたものが勝つのだ、ということをそばに立った観戦の鳥の民の子に教えてもらい、なんにでもノウハウというのはあるのだなあ、とスサーナは感心した。


 試合は非常な波乱含みで進行した。

 なんと開始の合図の前にぼんと爆ぜた栗が参加者たちの中に飛び込んだのだ。

 どうやら最後の栗だったせいでしっかり予熱が済んでいたのが原因だというその事態でも開催のお姉さんは慌てず騒がずタイムキーパーを行い、男の子たちは半ば破れかぶれで爆ぜる栗を避けつつ灼熱の栗を手元に寄せて悲鳴を上げながら皮を剥いていた。

 焼き栗にどちらもあまり愛されなかったらしいレミヒオくんとヴァレリーはそれぞれ2位と3位で、ひょろひょろと戻ってきたレミヒオくんの髪に絡んだもろもろの焼き栗のかけらをスサーナはうんと背伸びをして払ってやった。

 なんだか並んで挑んだ二人の側の栗はなかなか人類に反乱を起こす気概を持ったものが多かったようだったのだ。


 ――多分、糸の魔法を使ったりしたらレミヒオくんが圧勝だったんでしょうけど。

 多分動体視力や熱耐性がものをいう競争だ。でも、遊びを遊びとして、優越する手段を使わずに真剣に(?)遊んだのはきっと楽しかっただろうと思う。

 だから多分、その後あれは勝負として不完全であるという主張の元、なぜかメンバーとして数えられたまま他の男の子たちと一緒に熾火渡りだとか目隠しダーツだとか、はては不味い根っこ食い競争だとかに全力で巻き込まれていったレミヒオくんが一体どうしてこうなったのかわからないという顔をしていたのはきっと気の所為であったに違いない。多分。


 苦い根っこを蜜蝋で包んだ、お菓子と呼ぶには首を傾げるようなものを早食いするという凄絶な競争に挑むレミヒオくんを、スサーナは周りの女の子達と跳ねたり手を打ったりしてひとしきり応援する。

 途中からレミヒオくんは――縄くぐり競争には角が邪魔だったに違いない――仮面を外してしまい、とはいえ目元のつくりや顔のバランスは変わっていたので多分隙を見て変装用の刺繍を使ったのだろう。普段よりぐっと目尻の下がった容姿に装っていたが、それでも元々の整った目鼻立ちの具合も残り、女の子達をしっかり沸かせていた。


 戻ってきたレミヒオくんに用意していた飲み物を渡し、健闘をねぎらう。


「レ……ジャック、お疲れさまです。勝ちましたね!」

「ジル……楽しそうですね」


 ちょっとジト目で言われて、はてそんなに楽しそうだったろうかと考え、スサーナはそれから頷いた。


「ええ、そうですね。」

「まったく……あれを食べようと思った人間の正気を疑います。……まあ、気晴らしになったならよかったですけど。」

「楽しかったです。ジャックの遊んでいるところを見られましたからね」

「僕の遊んでいるところですか?」


 はたり、と長いまつげの目を瞬いて小さく首を傾げる気配にスサーナはうむっと胸を張る。


「はい。ジャックはずっとお忙しかったでしょう? お仕事に、カ、かあさんのお手伝いに。思えば……そうではない時のジャックを見たのは……とてもめずらしいので。」


 思えば。

 あの海賊市で出会ってから、セルカ伯の侍従として再会してから。レミヒオが同年代の相手と戯れているのを見たことはなかったのではないか。

 もちろん、レティシアとマリアネラと仲が悪かったとは思わないし、アラノくんともそれなりにわちゃわちゃしていた。ネルさんとはとても気安いし、仲のいい悪友同士に見えることもある。でも、セルカ伯に関係する人々相手にはレミヒオは侍従であるという立場を崩さなかったし、ネルさんとは監督役と被監督者という関係があるのだ。

 スサーナは、レミヒオが、買われた――なんだか訳とか裏とかがある気はするが――身で、どうあれ本来の生活環境とは別の場所で過ごしているのだ、ということを忘れたわけではなかった。

 特に利害関係のない同族の中に紛れて遊ぶのもきっとたまには意味があると思うのだ。それが、懐かしい故郷とは違う場所だったとしても、形が似ているならきっと、少しは。


「特にこちらに来てからは働き詰めで、今日、気分転換をと言ってくれてほっとしたんですよ。それで、ちゃんと気晴らしになってるかなって思っていたんですけど、ちゃんと、ジャックが楽しそうなので、よかったです」


 オバケはどうかとも思うんですが、やっぱりたまには気を抜いて、慣れた遊びをするとか……同年代の子と遊んだりするのも大事ですよね、と頷いたスサーナに、レミヒオは少し瞳を揺らしたようだった。


「気を使わせてしまいましたね。……別に、元々同年代の者たちと遊ぶような立場ではなかったですし、彼らと僕の環境はだいぶ違いますけど……そうですね、でも、気晴らしとしてはわるくはなかったかな……」


 くしゃっと照れ隠しのように頬をかいたレミヒオくんに、スサーナはうむうむと満足する。たまにはちゃんと童心を取り戻すことだって人類の幸せには必要なのである。

 しかし、侍従もして自分のお守りもしてくれて、ずっと気を張っているのでは嫌になってしまいますものね、と言ったところ、ふっと微笑まれて、おや、それはそれで、それでしか得られないものはあるので嫌になるようなことはなく、心配はご無用ですよと言われたので、スサーナはレミヒオくんのワーカーホリックを少し疑っている。



 一旦ひとかたまりで遊びだし、賑やかさに人数がだんだんと増えた――増えっぷりにもしかして鳥の民とはだいぶお祭り野郎なのではないかとスサーナはちょっと危惧する――鳥の民の子どもたちはまだまだ遊ぶようだったものの、星の具合からしてそろそろカリカ先生の用事が終わる頃だ、と言ったレミヒオとスサーナはテントに戻ることにした。

 戻ってみると、カリカ先生は数人の女性と話し込んでいるところだった。


 メインの炉の周りに近づくのがはばかられたため、ヴァレリーが小さな炉に外から炭火を持ってきて火を入れてくれる。

 そのまま、そこまでは長くならないだろう、という予測をもとに、カリカ先生の会話が終わるのを待つことにした。


「コトリアに……ソピアネ。少し範囲が広いのがきな臭いわ……」

「雉はどの氏族が?」

「金斑だそうですよ」


 漏れ聞こえてくる会話にスサーナは少し興味を惹かれる。聞いて良いものかどうかはわからなかったが、単語のかけらが聞こえてくるこの状況ではそこから文脈を読み取りたくなるのも仕方ないと思うのだ。世の中で起こっていることの全体像を知りたい期間であがいている真っ最中であるのだから、特に。


「……なにか、深刻な話をしているような顔をしているような気がしますけど」


 そっとスサーナがレミヒオに声をかけると、予想外に返答は斜め後ろからあった。


「だろうな。俺の旅隊が崩れたのに関係する話だ」


 振り向いてみると、それは炉に乗せる山羊の乳を入れた鍋を持ったヴァレリーだ。

 ことんと鍋を炉に乗せ、茶葉をがっさりと放り込んで彼は会議をする女性たちを眺める。


「旅隊の大人が唐突に帰ってこなくなったんだ。どんな理由があるのかは知らないけど、俺のところだけじゃなかったって聞いてる」


 そんなことがあるのか、とレミヒオの顔を仰ぐと、そちらはその話を知っていたのだろう。平静な表情で頷かれる。


「そういうことは……普通に?」

「そんなことはないと思う。……でも、なんに関わってるかわからないし、なんに巻き込まれるかもわからないものだからな。」


 それが氏族の暮らしというものだろ、と言われてスサーナはなんと返していいかわからなくなった。静かな声でレミヒオが引き継ぐ。


「なにか使命を帯びていたのかもしれませんね。椋鳥の氏族は旅鳥のうちでも群れごとで深く協力するのを厭わず、それゆえに重用される氏族ですから」

「うん、そうなのだろうと思う。……なにか訳があって身を隠しているだけならいいんだけどな。俺の旅隊は女ばっかりだったんだ。俺が大人だったら護衛できていたかもしれないと思うが……」


 ――それでなんでしょうか。

 ジェイリーンとアーリィに呼ばれてまた外に出ていった彼を見てスサーナは思う。

 すこし神経質なぐらいに女の子達を守ろうとするのはそういう履歴があってのことなのだろうか。それは痛々しいようにも、ヴァレリーが彼女たちを守るべき家族と考えているのは良いことであるようにも思えた。


「ねえ、レミヒオくん。」

「はい?」

「何事もなくて、ちゃんと帰ってくるといいですね、カリカ先生がお話していること……」

「ええ、そうですね」


 無事に済めばいい、と思うものの、流石にこの件でなにか力になれれば、などということは言い出すのはやめた。

 人には分があるのだ、とスサーナはちゃんと悟ったつもりでいる。

 なにしろ自分の抱えている事情だけでもいっぱいいっぱいなのだ。それに、きっとカリカ先生が関わるような、鳥の民たちのやっていることに首を突っ込んでもいいことなどなにもないだろう。


 それでも、テントを出る時に、レミヒオとヴァレリーが別れの挨拶をするのを見ながら、彼の問題がきれいに片付いて、なんの憂いもなく、うまく変装もなしでレミヒオくんと親しくなる機会があればいいのにな、と少しだけ祈った。



 明け方前の、流石に人通りがなくなった裏通りを歩いて帰る。


「スサーナ、氏族の者たちと過ごしてみてどうでしたか?」

「ええと、楽しかったです。ただ、習慣や挨拶とか、氏族の方々が普通に知っていることを知らなくて少しヒヤヒヤしましたけど……。」

「ふふ、よろしい。細かい礼儀や作法はのちのち教えましょうね。漫然と習うより一度危機感を抱いたことのほうがよく覚えるわ。……あれがこの南岸では一般的な『溜まり』の雰囲気ね。一度でも経験しておくのは大事なことなのですよ。鳥の民同士でも土地ごとで風習は違うものですから、大まかなところさえ合わせられればそういうものと受け入れられるわ。氏族であれば助力は惜しまれぬもの。はぐれ者ではなく、氏族の一人として振る舞う機会はきっといつか来るでしょう。覚えておおきなさい」

「はい、カリカ先生。」

「カリカ師、こちらで何か気にするような情報はありましたか?」

「そうね、直近ではひとつ。スサーナ、交霊会に誘われることがあれば気をおつけなさい。」

「こうれいかい……交霊会!?」

「ええ。ほとんどがただの詐欺でしょうけど……最近常民に流行りだした遊びね。姿を消した者たちのうちに関わりがあったものがあったそう。少しきな臭いにおいがするわ。貴族のうちでも流行り始めたと言うから、アナタは気をつけて損はないかもしれない。まさか悪霊が出るということもないでしょうけれど」

「オバケ案件じゃないですか!! 絶対に近寄りません!!!!」


 そんなもの絶対に近寄るまい、と心の底から決意しながらスサーナはそっと庭に戻り、カリカ先生に化粧を落としてもらう。


 オバケは冗談じゃないけれど、行ってみれば夜越しというのは楽しいものだったな、と思いながら床につく頃にはうっすら空は白み、使用人たちのうちで特に朝の早い者たちの気配がし始めていた。

 あれで少しは氏族らしい振る舞いを知れたのだろうか。あの子供たちにまた会うこともあるだろうか。鳥の民らしい作法を教えてもらって変装抜きで紹介されることがあれば、その時こそまた、ジャックではなくてレミヒオくんとあそこに居た子たちが仲良くなれるようにしたいな。そう思う。

 さあ、少し眠って起きればまた貴族のショシャナ嬢だ。謎の教団の話に進捗があればいいのだけれど。スサーナはそう思いながら目を閉じた。

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