バレンタインに関係するようなしないような話。

(時系列は寒雷の少し後。二の寒さの月の半ば頃の話)


 その日、スサーナはそっと分銅豆のケーキを焼いていた。



 こちらで信仰されている(多分実在する)神様にはいろいろある。大きな神様、と小さな神様、という概念もあり、大きな神様はいろいろなことが出来て、小さな神様は大きな神様の下に位置して限定的なちょっとしたことを司っている。


 二の寒さの月の中日は、小さな神様の一人、フェーヴの祭日だ。

 フェーヴは小さな神様だが、家畜を獣から守ってくれる神様で、羊飼いたちの信仰は厚い。

 二の実りの月頃に仔を作った羊たちは一斉に二の寒さの月頃に出産する。それを守ってくれるのがフェーヴだ。フェーヴの祭日は今年もよく羊が出産するように、という願いを込めたり、フェーヴの労をねぎらったりするためのお祭りだ。


 田舎の方では平地に大きな篝火を焚いて、お酒を飲み放題飲んで、蜂蜜をたっぷり入れた羊のミルクで作った甘いミルク粥を振る舞ったり、フェーヴに供犠を捧げて――大抵は豚を潰して――それでありとあらゆる肉料理を作って皆で食べたりするそうだ。


 ところが、都市部になってくるとこれが少し話が違う。

 都市部には当然そこまで羊はいない。しかしフェーヴのお祭りはするので、いつのころからかお祭りの性質が変わった、ということらしい。


 スサーナはその話を聞いた時に非常に下世話な話だ、と思ったものだったが、なんというか羊が子供を作る二の実りの月頃には島では満月の祭りがある。そしてまあ、成立したカップルには結構な確率で二の寒さの月頃にはおめでたがやってきている、のだという。

 ……お針子の皆様が教えてくれたことなので、真偽はよくわからない。


 というわけで、都市部のフェーヴのお祭りは人間の子宝祈願のお祭りなのだそうな。スサーナは全然フェーヴ関係ないんじゃないか、などと思ったものの、うまくしたことで、フェーヴはお産を軽くする、というちからを持っているとされる。羊の、なのではないかとスサーナは思うのだが、羊も人間も変わらず軽くしてくれるというのだから心の広い神様だ。


 この日には旦那さんになったひとがお嫁さんになった人に滋養のある料理を作り、お嫁さんからはまあ蜂蜜酒だとか、卵やらナッツやらをたっぷり使った焼き菓子だとかを贈るとか。蜂蜜酒と焼き菓子の理由? スサーナとしては述べたくはない。牡蠣でもいいらしいですね知らないけど!!!


 ともあれ、ジャンルとしては夫婦のお祭り、ということになるのだろうが、人間はだいたいあやかるのが大好きな生き物なので、世のご夫婦が行っている贈り物行為のマネをすると幸せなご夫婦になれる、という習俗もいつのころからかあったそうな。

 つまり、相手のいる若者は恋人と食べ物を贈り合い、相手のいない若者は誰かからその手のものを渡されて告白されたりする。おませなお子さんたちはその真似をする、というわけだ。

 起こっていることはだいたいバレンタインデイ近似と言えるのではなかろうか。とスサーナは思う。いやどうだろうな。違うかもしれない。


 そしてついでに、これはミルク粥振る舞い放題とか豚肉食べ放題の延長ではないか、という気もするが、お世話になった方々に食べ物を振る舞ったっても構わない。スサーナとしてはそこにはあやかっておきたいな、と思っている。


 女性から女性に食べ物を贈る場合、それが新婚の奥さんだった場合は赤ちゃん祈願に近いものになる――姑の無言の重圧みたいな話だ――らしいのだが、そんな部分はすっかり廃れているのであまり気にすることもない。第一最初から後付だ。


 というわけで、スサーナは分銅豆のケーキを焼いている。

 わざわざチョコレートに寄せてみたのはちょっとした遊び心というやつだ。


 お家からは距離をおいていくつもりではあるけれど、いきなりよそよそしくなるのは良くないし、今後は感謝を伝える機会も減るのだろうから、そういう機会は逃さずに今のうちにやっておきたい。


「さて、こんなものですかね。」


 スサーナは焼き上がったケーキにたっぷり葡萄蒸留酒を塗って裏返した。




 お祭りの当日、街中では飴屋やら焼き栗屋が元気だ。

 こちらでは贈るお菓子は色々あり、フェーヴの神印を入れた薄焼き菓子ゴーフルなんてのも一般的だ。他には経木に包んだ干し果物とか、チーズを混ぜたクラッカーなんていうのもある。つまりは大体なんでもいい。


 スサーナはしっかりお酒が回って熟成したケーキを一切れずつ切ると、きっちり経木に包んで麻ひもで十字に縛る。

 そうしてそれを手提げかごに丁寧に入れると、皆に配ることにした。



「おばあちゃん! フェーヴ祭おめでとうございます!」

「はいスサーナ。おめでとうね。」


 お店の休み時間、お店に出ていたおばあちゃんがお茶を飲みだすのを虎視眈々と待ったスサーナは、おばあちゃんがとうとう針を置いたのにぴゃっと駆け寄ると籠の中から一つケーキを差し出した。


「おや、これはどうしたんだい?」

「えへへ、ええと、ケーキを焼いたんです。美味しいかどうかはわかりませんけど……。ええと、その。今日ってお世話になってる人にお礼を渡してもいい日でしょう? おばあちゃんいつもありがとうございます!」

「おやまあ、なんだい改まって。こそばゆくなるじゃないか。ありがたくいただくよ。」


 おばあちゃんはニコニコすると経木を開き、中に収まっていた黒っぽいケーキをまじまじと眺める。


「おや、焦げてる……んじゃないんだねえ。これはなんだい?」

「はいおばあちゃん、分銅豆のケーキなんです。」

「へえ、あれをこんなふうにして食べるのははじめて見たね。誰に習ったんだい」

「ええと……思いつきなんです。お口にあうかどうかわかりませんけど……」


 まあまあ、もしやおばあちゃんを実験台にするつもりだね?とおばあちゃんは笑いながら、じゃあいただくよ、とケーキをつまみ上げた。


 ふむふむ、ともくもくと噛んで、ミントとレモンバームのハーブティーで飲み込む。


「なんだか洒落た味だねえ! 分銅豆ってこんな洒落た味がするもんだったかい」


 ははあ、と驚いた顔をして、続けて二口目をおばあちゃんが食べたのでスサーナはよし、と意気込んだ。


 今回のケーキには分銅豆を練り込み、ドライの木苺をしっかり入れて、そこに白いちじくも足し、その上でピスタチオとアーモンドとくるみをたっぷり混ぜ、木苺のジャムと蒸留酒を混ぜたシロップをたっぷりと染みさせてあるのだ。

 分銅豆の弱点と言えなくもない、ひなびた甘さと香り、鉄っぽい酸味はこれでだいぶさっぱりしているはずだった。


「食べられますか? 皆さんにお配りしても迷惑にならないと思います?」

「十分美味しいさ。スサーナ、あんたは料理上手だねえ。アタシは娘時代にこんなもの焼けなかったよ」


 ぱくぱくと食べたおばあちゃんに太鼓判を押され、スサーナは他の休憩時間の従業員の皆にもケーキを配る。


「はい、ブリダ! いつもありがとう」

「まあまあお嬢さん、ありがとうございます。なんて美味しそう。」

「スサーナ、僕には?」

「あれ、叔父さんはブリダから貰うからいいんじゃないですか?」

「そんな意地悪言わないでおくれよ。……あるのかな、ブリダからは……。」

「……ありますけどね。ええ、ええ、一応。一応はありますとも。お世話になってますしね?」

「ふふふ、冗談です。はい叔父さん。ブリダのはおうちでゆっくりどうぞ。」


「マノロさん、いつもお世話になってます」

「やあこれはご丁寧に。分銅豆は子供の頃よく食べたねえ。ありがたーくいただきますよ」

「サンディアさん、おやつにどうぞ。」

「あっいいんスか? えへへ、こういうの、アタシ全然縁がないかと思ってたんですけど、お祭りってのは甘いもん食えていいもんですね!」


 一応、どうしても分銅豆が苦手だ、という人用に普通のブランデーケーキも焼いてあったものの、皆分銅豆のケーキを受け取ってくれた。



 帰りがけにはセルカ伯のお屋敷に寄り、レティシアとマリアネラにケーキを渡す。


「あらスサーナ。レミヒオですか? 伯父様のお使いでいま出ているそうなのです。」

「あ、いえ。これはお二人に。いつもお世話になっておりますから。」

「まあ、スサーナさん。わたくしたちにですの?」


 二人共とても喜んで受け取ってくれたので良かったなあとスサーナは思った。

 それから少し、フィリベルト様に二人で本土風のお菓子を作って渡したのだ、というような話やら――失敗して見た目は酷いことになってしまったものの、快く目の前で食べて頂けた、とか――、マリアネラは本土のクラウディオお兄様にお菓子は送れなかったものの手紙を書き送ったのだというような話をしてから席を立つ。



 セルカ伯のお使いで出ている、と聞いたので、ついでに使用人仲間にレミヒオくんの分は言付けておく。しばらく待てば帰ってくる、と聞いたものの、なんだか待っているのも少し気まずい気がしたのだ。

 ごく一応、もし良かったら持っていってと手紙を付けて黒犬さんに渡す分も用意しておいた。


 顔を合わせたフィリベルトとアラノに一切れずつケーキを渡してそれから帰る。


 ところで、本人不在でケーキだけ渡されたレミヒオがやっぱりなんだか距離を置かれている気がする、とぼやいていたのとか、アラノくんに俺は直に貰ったけどな、気のせいじゃないか、などと言われて思わず力いっぱい足を踏んだのとかは余談である。


 最後にスサーナはアサス商会の支店に足を向けた。


「フローリカちゃーん、来てますかー。」


 カウンターで看板娘の笑顔を振りまいていたフローリカはスサーナの姿を見るとぱっと椅子から滑り降りて笑顔で駆け寄ってくる。


「スサーナちゃん、どうしたの? 今日はお仕事って言ってたのに」

「ふふ、フローリカちゃんも店長さんの練習の日でお忙しいでしょうし、すぐ帰ります。これを渡しに来たんです。」


 ケーキの包みを一つ渡すと、フローリカは喜ぶか、と思いきや天地がひっくり返ったような顔をした。


「ああーーーっ! フェーヴ祭!!!! なんてこと、すっかり忘れていたわ。スサーナちゃんにあげるお菓子を用意しておかないとだったのに!!」

「いえあの、気にしなくっても! 私はこれ、趣味で焼いて、皆に配ってるので……!」

「気にするわ、スサーナちゃんが気にならなくてもわたしが気にする! ねえ、明日パパに頼んでお家に行くから絶対待っててね!! 一日遅いけどクッキーを焼いていくから!」


 悔しげに言うフローリカに、スサーナは明日フローリカを待っていて菓子を受け取る、ということでエラスへの誓いなどをひとしきりやって宥め、苦笑したフローリカの両親のすすめに従って、お茶ひとくちとケーキ一切れだけの約束で今日は一緒に食べて帰ることにした。


 この年のフェーヴの祭りはだいたいスサーナにはそんなような感じの日で、一月後には島を離れるスサーナにとっては皆に感謝を述べるいい機会だった。

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