3-2 基地まで歩く

 7分ほどしか経っていないのに、モーリスが目で「剥がせ」と指示を出した。ギブスンがシィーの両腕に張り付けられたパッチを不器用な手付きでべりっ、べりっと剥がすと、シィーの顔がかすかに歪んだ。

 白い腕はうっすらと赤みを帯びていたが、とくに目立った反応はない。ギブスンは鼻からふっと息を漏らした。その息に安堵の感情が含まれていることを、シィーは経験的に察知できた。

「Aパッチ、Bパッチ、ともに陰性です」

「両方だって?」

 モーリスはシィーに向けていた銃を下ろし、

「じゃ、そのガキは〈外人〉だな」

 と言ってそばの岩に腰掛けた。彼の全身の筋肉がにわかに弛緩するのがシィーにはわかった。それまで彼はずっと、五体をわずかに緊張させていたのだ。そこに含まれていた感情は、これもシィーの経験則によると、おそらくは恐怖心だ。銃を持ったこの男は、素手のシィーに対し、何かの可能性を恐怖していた。

「乱暴にして済まなかった。俺たちはもうずっと、戦争中なもんでね」

 と、モーリスは急に態度を優しくして言い、背中のザックを開いた。

「いえ。仕事柄、紛争地域にもよく行きましたので」

 とシィーが答えると、モーリスはザックから茶色の塊を取り出して投げて渡した。とっさのことでシィーはうまく受け取れず、塊は地面の岩に落ちてコツン、カツンと硬い音を立てた。

「長期保存用のクソ不味いパンだ。乾燥してりゃ5年は持つ」

 シィーはそれを拾い上げて、砂を払った。

「ありがとうございます」

「飲み物はいるか?」

 モーリスは言いながら黄色い瓶の中身を口に含んだ。隣で立ったままのギブスンも、同じ形の瓶を口につけている。

「紅茶があれば、いただきたいのですが」

 とシィーが答えると、ギブスンはブホッと音を立てて、黄色の液体を岩の上に吹き出した。むせ返って口の中に残ったものを吐き出した。モーリスも鼻で軽く笑って、

「おい〈外人〉のガキ、教えてやるが、俺たち戦士の飲み物は2種類しかねぇんだ。水と、アルコール抜きの水だ」

 と言って透明な瓶をシィーに渡した。シィーも少し笑った。

「で、そっちの黒いのは……」

 と、モーリスはエルの方を見た。エルはそれを無視して人語を解さないふりをしたが、声にまったく反応しないことがかえって不自然な印象を与えた。

「も、モーリスさん。アレはたぶんアレですよ、む、昔製造されていた、しゃべるペットロボットですよ。確か、ね、〈ネコッポイド〉とかいう」

「ペットロボット?」

 とモーリスはエルを指さした。エルは相変わらず不自然な無視を続けた。

「じゃ、あいつは機械なのか。ずいぶん精巧だな」

「違いますよ」

 と、シィーが口を挟んだ。

「ペットロボットはたしかに音声会話もできましたが、人間があらかじめ登録したフレーズを、状況に応じて喋るだけでしたから。『今日は暑いね』とか。それ以上高度なAIを愛玩機に搭載するのは、電子生命倫理条約で規制されていたんです」

「そうなの? じゃ、その、それは、何なの?」

「彼は普通の猫ですよ。本人がそう言ってますので」

 とシィーが言ったが、エルはずっと遠くを見たままだった。


 彼らが拠点とする基地は、ここから15分ほどの場所とのことだった。モーリスが先頭を歩いて、安全を確認してから後の3人が同行する形をとった。

「このあたりは長いこと俺たちが占拠してるから、Bは、滅多に現れねえがな」

 モーリスはそう言いながらも、周囲に対する警戒を怠らなかった。ただ、その警戒心に先ほどまでの恐怖心は含まれていなかった。彼らが恐怖しているのは、敵とは違う何かのようだった。

 戦争中だ、とモーリスは言っていたが、部外者のシィーを招き入れることについては何ら問題はないらしい。むしろシィーが〈外人〉だと判明してからは、歓迎のムードさえ感じられた。

「と、ところで、そっちの猫のことは分かったけど、いや、分からないけど、き、君はなんなの?」

 ギブスンはシィーに向かって尋ねた。少し迷ってから、シィーは正直に答えた。

「僕は、〈記憶人〉のシィーと言います」

「記憶人? それ、姓?」

「別種名ですよ」

「別種名?」

「あなたたちに別種名は……つまり、あなたたちの集団全体を表す名前は、ないのですか?」

 と言われて、ギブスンは質問の意図をしばらく考えてから答えた。

「ぼ、ぼくたちは自分を、Aって呼んでる。た戦ってる相手は、Bだ」

「それは、別種名ではないです」

「じゃ、知らないなあ」

 と彼は申し訳なさそうな顔をした。別に謝らなくていいのですよ、とシィーは手で合図をした。

「ここの人たちは、どのくらい戦争を続けているのですか?」

「ぼ、ぼくたちは、14世代目って言われてるから」

 と言って、ギブスンは指を折って何かを数えた。

「きっと、300年くらい、だ」

「となると、そんな最近までこのあたりに、新たな別種をつくる設備があったってことですね」

 と言って、シィーは周囲の景色をきょろきょろと見回した。視界に入るのはほぼ積まれた岩だけで、あまり文明的な施設があるようには見えなかった。 

「ねえ、人間は、つまり、ぼくたちを作った人たちは、もう、いないんだって?」

 ギブスンが目をぎょろりと見開いて尋ねると、シィーは少し首を傾けて、

「いないことを証明するのは、難しいですね」

 と答えた。

「僕たちは世界中を旅しているのですが、最後に生きた人間を見たのは252年前です。ニューギニア島の森で、ひとりで暮らしている老婆でした。その後も、自分を人間だと思っている別種には何度も会ったのですが、本当の原種人類といわれると……」

 シィーが話してる途中で、ギブスンは大げさに体をのけぞらせ、

「き、君は、そんなに長く、に、252年も、生きてるの」

 と不自然に驚いた。足元にいたエルが、ぎょっとして一瞬硬直した。

「生まれたのは514年前です。最初の12年の記憶がないので、実質的には502年なんですが」

「すごいなあ、ご、ごひゃく年って。じゃ、き、君はいったい、どのくらい強いの?」

 と、両手で銃を持つしぐさをした。本物の銃は彼の背中にかけられたままだ。

「強い……というのは、戦闘能力、の意味ですか?」

 と言うと、ギブスンはカクカクと機械的に頷いた。

「僕は、戦うことはできません。僕にできるのは、覚えることだけです」

「そ、そうなの」

 と、少しがっかりした顔でシィーを見た。

「〈外人〉はみ、みんな強いんだと、お、思ってたんだけど、ち、違うんだね」

 シィーがなにか言おうとすると、ふいに先頭のモーリスの声が聞こえた。

「着いたぞ」

 シィーたちがそちらに行って見ると、岩を削った穴に建物を埋め込んだような、異様な形をした基地がそこにあった。アルファベットの「A」がペンキで書かれている。その下地の白ペンキは外壁全体に比べて最近のものだった。比較的近い過去に、「B」から塗り替えられたようだった。

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