3-3 ソケット椅子

 白い壁から張り出した円筒状の構造物が、彼らの基地の玄関だった。

 内部は二重ドア構造になっているが、内側ドアのスライドレールには、ほこりを被ったコンテナが積まれている。長いこと閉じられていないのが一目でわかった。防衛のために入り口を二重にしたのではなく、他の目的でつくられた建物を転用したらしかった。

「軍機にするようなものは何もないからな。自由に見ていって構わないが」

 モーリスは外側のドアを閉じながらシィーに言った。

「ここにいる間、死なないようにだけ注意してくれ。俺たちもも、外人は殺したくはない」

 と廊下の奥へと消えていった。玄関口に残ったシィーはエルのほうをちらっと見たが、相変わらず何もわからないフリをして沈黙を続けていた。

「よ、よかったら中を、あ案内するかい」

 と、ギブスンがなぜか申し訳なさそうに話しかけた。


 ところが「案内する」という彼の申し出に反して、基地の建物に関する説明はシィーのほうが多かった。まず板の剥がれた天井から露出した配管を指して、

「あれは熱交換システムのパイプですねですね」

 と言った。ギブスンは上を見て、天井の配管が何かなんて気にしたことがなかった、という顔をした。

「月面は日向と日陰の温度差が激しいので、ああいう配管に水を循環させて、熱を緩和させていたんですよ」

 と解説が加えると、ギブスンはほぉー、と妙なため息をついた。

「それじゃ、うちの基地は、昔、つ月にあったのかな」

「さすがに月からモジュールを持ち帰りはしませんよ。地球上で量産されて使用されなかったものを、再利用したんでしょうね」

「そうなんだ。す、すごいなあ」

 と彼は答えたが、何がすごいのか自分でもよくわかっていないようだった。

 奥には会議室のような部屋があり、端材を集めて組み立てたテーブルに、古い地図が置かれている。

 テーブルを取り囲んでいる背もたれのない椅子は、床にボルトで直結されていた。明らかにテーブルよりも古い時代のものだ。すり鉢状の座面に置かれたクッションを持ち上げると、その下には腕が入るほどの穴が円周上に6つ空いている。どれも螺旋状の溝が刻まれて、ネジ式のパイプが固定できる形になっていた。

「これは人工子宮のソケットです。椅子として転用してるんですね」

 とシィーは言った。ギブスンが不思議そうな顔をすると、

「この上に、培養羊水を入れたケースを乗せるんです。すべての別種の第一世代は、そうして生まれたんですよ」

 と説明した。

「じゃ、ぼ、ぼくたちの祖先は、で生まれたんだ」

「その可能性が高いですね」

「し、子宮というには、ずいぶん大きいんだね」

「通常サイズのヒト別種なら、1基で24個体まで作れます。生物のしゅを作ろうと思ったら、第一世代にそれなりの個体数がいりますから」

 といった具合に、シィーは住民ですら知らない建物の経緯について説明していった。建材の骨格は強化プラスチックで構成されていたが、破損した箇所は木材や金属板で補修されており、その使用比率から相当に古い建物を修繕を重ねながら使っているのがわかる。

 一方、ギブスンがシィーに説明できるのは、彼らの生活のことだった。

「この基地には何人くらいが暮らしているのですか?」

 とシィーが尋ねると、

「97人」

 と彼は即答して、そのあと少し考えてから、

「こ、こないだ2人、し死んだから」

 とつけ加えた。

「皆さん……つまりAの方々は、ここにいるのが全員ですか?」

「お、同じようなき基地が、他にあちこちにあるよ。Bのやつらと、た戦って、取ったり取られたり。ず、ずっとそうやってるのさ」

「あなたも?」

 と、シィーはギブスンが背中にしょっている銃を見た。

「ぼ、ぼくはあまり戦うのが得意でないから、医療班、なんだ。じ自分で撃ったりは、あまり、し、しない」

 ギブスンは弁解するような顔でそう答えた。その表情は、他人を殺していることよりも、むしろ十分に殺していないことに対して行われているように見えた。

 基地の広さはちょっとした集合住宅ほどである。玄関の反対側には裏口があり、こちらも同様の二重ドア構造になっていた。外は訓練所になっており、子供たちが射撃の訓練をしていた。数人の大人が指示を出して、一列に並んだ子供たちが一斉に岩に向かって射撃する。炸裂音が岩の間をこだまする。シィーはその様子をちらっとだけ見て、すぐにドアを閉めた。

 基地にいる子供を頭の中で数えてみると、見た範囲だけでも違う顔が34あった。基地全体の人口が97人とするなら、ずいぶん子供が多いようだった。


「お茶はないけど、お茶みたいなものならだ、出せるから、ちょ、ちょっと待っていて」

 と言ってギブスンがドアを閉じると、シィーは椅子に腰掛けたまま、

「エル。ここではもう、喋っていいんじゃないかな」

 と話しかけた。エルは床に寝そべったまま、不機嫌な声で答えた。

「普通の猫が喋らないってんなら、なんでお前さんは、事前に注意しねえんだよ」

「言っても、君は忘れるからなあ」

「毎日のルーチンに加えるとか、あるだろ。お前さんは、うっかり言い忘れたりはしねえんだろ?」

「確かに、そういうやり方もあるね。君もその提案を、今まで89回している」

 と、シィーは少しこわばった足首をほぐした。

「でもダメ。君がずっと黙ってると、僕が困る」

「ふん」

 と言ってエルは会議室の中をうろうろと歩き始めた。これといって面白いものがないのがわかると、また同じ場所に戻って寝そべった。床下から何かの排熱が出ているようだった。

「ところで、お前さんも別種の第一世代だよな」

「記憶人は非生殖種だからね。第二世代はいない」

「てことは、お前さんも、その椅子から生まれたわけか。さっきの話によると」

 と、前足でシィーの座っている座面を指した。

「そうらしいね。僕のは一人用だったから、もう少し小さかっただろうけど」

 と、シィーは妙にそっけなく答えた。

「そういうのは、覚えてねえのか?」

「うん。僕が生まれてから最初の12年は、記憶が残ってないんだ。成長因子ってのを投与したせいなんだけど」

 と言って、シィーは最初の記憶をゆっくりと反芻した。

 自分の記憶のいちばん端にある、窓のない部屋の天井を。キャロルの顔と、レイの声を。シィーの過去はそこで途切れている。それは死の恐怖と同じ形で、シィーの記憶の端を覆っている。未来の途切れと過去の途切れは、シィーにとって同じ形に見える。

「生まれた時のことを考えると、いつも変な気がするんだよ。僕の経験したことなのに、僕が覚えてないなんて」

 と言うと、エルは鼻でふんと笑った。

「俺はそういうのに慣れてるぜ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶人シィーの最後の記憶 柞刈湯葉 @yubais

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る