3章 A/B Test
3-1 銃声
もしそれが自然の地形だとしたら、世界の創造主はずいぶん手抜きをしたことになる。
仮面たちの村を出て、すでに5日が過ぎていた。シィーとエルがたどり着いた荒野には、立方体のブロックを積み重ねたような不自然な岩場が
そこはかつて採石場として使われた土地だった。人間の経済活動がなくなって数百年のうちに、滅多に降らない雨が少しずつ岩を削り、地衣類を形成し、原始的な土壌と生態系を構築しつつあった。
そんな静かな遷移過程にある土地でも、人間から派生した別種たちは、やはり根付いているらしい。
岩場の真ん中にぽつんと建った小屋の前で、シィーは板張りの壁を指してつぶやいた。
「このあたりは、あまり安全じゃないみたいだね。エル」
壁には指が入りそうな穴がぽつぽつと空いていて、中の様子を覗くことができる。中は武器や食料を備蓄をする小屋のようだったが、すっかり荒らされてもぬけの殻となっている。
「銃撃戦の跡、か」
エルはシィーの足元でつぶやいた。彼の目線の高さにも、同じような穴がいくつか穿たれている。
「うん。ずいぶん新しい」
「俺たちの旅じゃ、銃弾なんてもんはそう見るもんか?」
「そんなには見ないよ。最後に実銃を見たのは7年前、発砲は38年前。足跡を調べれば、どっちへ行ったかわかりそうだけど……」
シィーがしゃがみこんで地面を見た。ただでさえ乾いた土に刻まれた戦闘の跡は風で荒らされている。膝をついて細かい形をよく見ようとすると、
パン。
乾いた音がひとつ、岩場の向こうから響いてきた。それが38年ぶりに聞く銃声であることを、シィーはその耳と記憶で明瞭に聞き取った。
「調べるまでもなかったね」
と、シィーは立ち上がって、膝の砂をぱらぱらと払った。
「まさかと思うが、シィー。お前さんは、危険な銃撃戦も見て覚えるべきものだ、とか言いだすんじゃねえだろうな」
「まさか」
とシィーは笑った。
「いくら仕事でも、本当に危ない時は逃げるよ。僕は人工物ではあるけど生物だから、死なないことが最優先さ。じゃ、行こうか」
と言って地面に置かれたカバンを手にとると、シィーは銃声の鳴ったほうに歩き始めた。
「おい、シィー。本当に危ない時って、いつだ?」
岩場を覆う薄い土壌の上に、かすかに靴で踏みつけた跡が残っている。シィーはそれを追って歩き、エルはシィーを追って歩いた。その間にも、互いに威嚇し合うような銃の音が、パン、パン、と響いてくる。
「猟銃の音じゃないね。対人用の武器だよ。誰かが今、戦ってるんだ」
シィーは足跡をつぶさないように慎重に歩いた。
「そうか。対人用なら、俺は安心だな」
「そうだね。で、対人用の武器を使ってるってことは、かなり新しい、最近生まれた別種だ」
「なんでだ」
「別種の軍事利用は、国際条約で全面的に禁止されていたからね。もし武器を使う別種がいるとしたら、条約が機能しなくなる程度に人間が減ってから生まれた別種、ってことになる」
「ほー。最近ってのは、どのくらいだ」
「僕が生まれた頃はまだ、人間は数千万人いたし、法の秩序は維持されていたね。そういうのが守られなくなったのは、2400年頃かなあ。場所にもよるだろうけど」
エルは2400という数字を飲み込んで、それを頭の中でぐるぐる巡回させたあと、
「……ところで、今は西暦何年なんだ?」
と言葉を吐き出した。シィーはくすっと笑った。
「普通の猫は西暦なんて気にしないよ、エル。そういうこと聞くのは、タイムスリップした人だけだ」
「ま、記憶が消えるってのは、タイムスリップみたいなもんだろ。いいから教えろよ」
「2823年」
「……ふむ。となると俺とお前さんの旅は、ずいぶん長く続いてるってことだな」
「そうだね。ずいぶん長い」
パン、パパン、と断続的に銃声がいくつか響いた。先程小屋の前で聞いたときよりも、ずいぶん音が近づいている。ふたつの勢力が離れて撃ち合っていることが、音の位置から窺える。
「おい、そろそろ危ねえんじゃねえのか? シィー」
エルは立ち止まってシィーに話しかけた。シィーもさすがに本能的な危機を感じたのか、歩くのをやめて、
「そうだね。誰が戦っているのか確認して、少し話を聞いたら、戻ろうか」
と話しかけた、その時。
「動くな」
背後の岩陰から威嚇するような低い声が響いた。反射的に振り向くいたシィーの目に最初に入ったものは、自身に向けられている銃口だった。
ふたりの男が立っていた。ひとりはいかにも軍人然として、鍔のない帽子を被って髭をはやしており、ライフルのような長銃をシィーに向けている。もうひとりは猫背で気弱そうな眼鏡の男で、やたら大きなザックを背負い、銃も背中にかけたままになっている。
「そのカバンを置け。両手を後ろに組みな」
と髭のほうが言った。シィーは言われたとおりにしながら、ふたりの全身を観察していた。ひとつの軍事的部隊というには、2人の服装はあまりに不統一だった。
「見ない顔のガキだな。Bの斥候か?」
「も、モーリスさん。ち違いますよホラ。髪の色が」
眼鏡の男が、いささか緊張したような口調でシィーの赤毛を指した。
「そのようだな。だが、一応、調べとけ」
モーリスと呼ばれた髭男がアゴで指示をすると、眼鏡はただでさえ生気のない顔をより青くした。
「い、今ですか?」
「何のためにお前がいると思ったんだ、ギブスン」
眼鏡のギブスンはザックをどさりと下ろして蓋を開いた。必要なものはずいぶん奥のほうに入っているらしく、腕を突っ込んで手探りで探したが見つからず、上に入れてあった食料品や予備弾倉を外に放り出しはじめた。手際の悪さに苛立ったモーリスは靴で地面を叩き始めた。先ほど苔を踏んだ跡と一緒だ、とシィーは思った。
「おい、どーすんだよ、シィー。あっさり危険なことになってるじゃねえか」
とエルが口を開いた。ギブスンが荷物に手を入れたまま、ぎょっとした目でそちらを見た。銃を持ったモーリスも、ちらりと視線がシィーの足元に動いた。
「エル。こんな時に言うのもなんだけど、普通の猫は喋らないんだよ」
と、シィーは銃から視線を外さずに言った。
「……マジで?」
「マジ」
エルはその場にいる3人の顔をひとつずつ見て、首をぶるぶると振って「今の出来事はナシな」ということを目で訴えた。もちろん何の意味もなかったが。
その間にギブスンはようやくザックから目的のものを見つけた。プラスチックのケースを取り出し、それを持ってシィーの元に歩み寄った。後頭部に組まれたシィーの腕に手をかけると、
「先にボディチェックだ、馬鹿が」
と、モーリスが叱りつけた。
「す、すみません」
と言って、ギブスンはシィーの全身をぽんぽんと叩いた。武器を持っていないかを確認しているようだったが、その手付きはあまりに不器用だった。もしコートの内側に拳銃を持っていてもこれでは見つけられないだろう、とシィーは思った。
「そのまま両手を上げろ。コートを脱いで、腕を出せ。両方だ」
とモーリスが指示した。言われるままにシィーはコートを脱いで、両の袖をまくりあげた。ギブスンがプラケースからカードサイズの布地を取り出して、瓶の中の薬剤を吹き付けたあと、それをシィーの両腕に一枚ずつ張り付けた。
ちくっと染みるような感触が腕に伝わり、シィーの肩がぴくっと震えた。内側は粘着性のある素材らしく、布は腕にぺたりと張り付いた。
「落ち着いてよ、エル」
シィーはモーリスの方を見たまま、優しい声で言った。ギブスンが足元を見ると、エルが猫として不自然なほど恐ろしい目で自分を睨みつけている。
「ただのパッチだよ。皮膚に浸透する薬剤が塗ってある。反応で遺伝子の表現型を見てるんだ」
「ほー、物を知ってるガキだな」
モーリスは銃を向けたまま言った。
「じゃ、結果が出るまで大人しくしてな。10分くらいで済む。結果次第じゃ何もしねえし……まあ、今だったら、結果がどう出ても何もしねえだろうな」
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