1-11 生体資料

 騒ぎに駆けつけた警察は、他の住民と区別しやすい特徴的な黒帽子を被っており、町の住民は彼らを「現場警備員」と呼んでいた。泥棒少女はすぐに逮捕されたが、エルが取り戻したカバンもしばらく警察に預けられることとなった。

 シィーとエルは市庁舎の隅にあった警備部署の待合室に座っていた。1時間待たされたところで職員がひとり現れて、なにか飲み物はいりませんか、と尋ねてきた。シィーが紅茶の作り方を説明すると、天井のない飲食店で出されたのと同じようなお茶が出された。

「結構、治安のいい町みたいだね」

 と、シィーは紅茶を飲みながら言った。

「お前さんは、茶の味で治安が分かるのか」

「あの黒帽子の人たちを、初日の探索で一度も見かけなかったからだよ。警察が少ないってことは、平和なんだろうね」

「盗みに遭ったやつのコメントがそれかよ」

「旅行者が盗みに逢いやすいのは、ある程度は仕方ないよ。こうして、ちゃんと捕まったし」

 シィーは他人事のように言った。

「ま、お前さんの不注意を、俺が尻拭いした形だがな。今回の件は、貸しにしとくぜ」

「そうだね。君がそう言うの、191回目だけど」

「じゃ、貸しひとつじゃなくて、貸し191ってことかよ」

 エルはヒャハハハと笑った。シィーも少し笑った。

「つーかなぁ、さっきから気になってたんだが、お前さんのその、数を言う癖は何なんだ」

「柔軟体操だよ。僕の記憶は全身に散らばってて、ずっと使わない記憶はなって動かしづらいから、時々数えるようにしてるんだ」

「なるほど。じゃ、お前さんは身体のあちこちに、俺の貸しが溜まってるってわけか」

「そういう言い方もできるね」

 エルは少し黙ってから言った。

「てことは、俺が覚えてねぇだけで、俺が助けられた記憶も沢山あるんだよな……」

 シィーはそれには答えなかったが、微かに肩のあたりを動かしていた。おそらく回数を思い出しているのだろうが、その数が191よりも多いのか少ないのか、表情からは読み取れなかった。

 決まりが悪い気分になり、エルは別の話題を探して部屋をきょろきょろと見回したが、待合室には無機質な椅子と時計の他に何も見当たらなかった。

「ところで、俺たちは今、何を待ってるんだ」

「あの女の子の取調で、DNAを読んでるところだろうね。それが終わるのを待ってるんだ」

「取調って、そんなことすんのかよ」

「最初の門番の人が言ってたよ。中で犯罪をしたら、旅行者も住民もDNAを取ることになる、ってね。昔からよくある規則だよ。特に、人間と別種が同居していた時代にはね」


 取得したDNA配列を見せてほしい、とシィーが警察に頼むと、彼らは捜査資料を被害者に見せることの適切性について議論を重ねた。結局まとまらず、庁舎をちょうど上から下まで一往復して、建設委員長から直接の許可が降りてきた。小規模な集団の多くがそうであるように、この町も法律より人治で回っているようだった。

「電算室」と書かれた部屋は普段使われている様子はなく、薄暗い部屋で端末に被せられた銀布には埃が積もっていた。機械に埃が入らないように慎重に布をめくると、秘書官が使っていたのと同じ円筒形のブラウン管が現われた。捜査資料として渡された銀色のディスクを入れると、ぎりぎりぎりと悲痛な音を立ててデータの読み込みが始まった。

「直接の被害者とはいえ」

 と、エルは電算室の床に寝そべったまま言った。下でなにかの機器が動いているらしく、床はほんのりと温かい。

「他人のDNAを覗き見るのが、お前さんの仕事なのかねぇ」

「そうかもね。この町の人たちのことは、この配列を見れば分かると思うし」

 古いマイクロチップを寄せ集めて造った再形成チップで高負荷なOSを無理に動かしているので、処理は著しく遅い。文字列のファイルを開くだけでも数十秒を要したが、シィーは焦らずに待っていた。

 ブラウン管の画面をスクロールしていくと、DNA配列を構成する4文字が画面一杯にびっちり表示された。


「で、どうするんだ。まさかこれを全部覚えるのか?」

 エルが不安そうな顔で尋ねた。

「さすがにそれは意味がないよ。大枠を見るだけ。ええと、染色体が各21本で全長が24億塩基対。天然の人間は30億だから、ゲノム圧縮度は20%だね。ジャンク領域の削り方が2292年のブリュッセル方式。結構、古いタイプの遺伝設計だね」

「ふむ」

「この年代の別種は、1番染色体にメタ情報……つまり、設計者側の情報を書く規定になってるから、そこから調べてみようか」

「待て、シィー」

 と、エルは前足でシィーの足をつついた。

「もしかして今、お前さんは、俺に理解させようとして喋ってるのか」

「もちろん」

「……別にいいけどよ。全部覚えられるお前さんはともかく、3日で全部忘れちまう俺が、何かを学ぶ意味って、あんのか?」

「あるよ。学んだということを、覚えておくから」

 シィーは間を置かずに答えた。回数を言わなかったが、おそらくこの問答もふたりの間で何十回も交わされたのだろう。そんな様子がエルには読み取れた。

「……まあ、いいぜ。どうせ暇だから付き合ってやる」

 と言って、エルは画面が見えやすいように机の上に飛び乗った。

「生物のDNAは、A、T、G、Cの四つの塩基で出来てるんだ。これが2つずつ対になって二重らせんを構成していて、〈人間〉の……つまり、自然進化だけで生じた原種人類のゲノムは、およそ30億対の塩基対からできている」

 と、シィーはゆっくりと喋り始めた。

「ああ。そのくらいは学校で習ったぜ」

「エル、普通の猫は学校に行かないよ」

「俺は行ったんだよ。そこは別にいいだろ」

「そうだね。とにかく、人間と別種を見分ける方法は、ゲノムサイズを比べることなんだ。人間なら30億だけど、この女の子は24億だ。この町の他の人もそうだろうね」

「ほー。そんな見分け方があるのか。なんでだ?」

「削るからだよ。30億の塩基のかなり多くは、進化の過程で使われなくなった痕跡なんだ。別種を作るときは全部のDNAをデータから化学合成するから、要らない部分は除いてしまうんだよ」

 と言って、画面の検索窓に文字を入力していった。

「で、その代わりに、生物学的な意味のないデータを書き込むこともできるんだ。プログラムに書き込むコメントみたいなものだね。コメント欄の前口上は国際的に決まってたから、検索すればすぐ見つかる」

 文字表示と同様に検索も非常に遅く、数分間ふたりは待たされることになった。

「ほら、見つかった。ここがメタ情報だ」


GAGTGTACGCGGGCGTGCTTGTACGAGTGC

GGGCTCGCTTGCTGGCGGGAGAGCGGGTAT

GCCGGCGTGCTCGACGGCTCGTATGTGAGC

CGGTGAGTGGGTGAGCGG


「こういうのを読むのは、エルの方が得意でしょ」

「どうやって読むんだ」

「単純な ASCII だよ。A、G、C、Tをそれぞれ 00、01、10、11 にすれば、塩基の4個がアルファベットの1個になる」

「ふむ。それならまあ」

 エルは文字の羅列をじっと見て、読み上げた。

「ええっとな。G・r・e・g・o・r・G・e……」


 GregorGenomeDesignInstitute (グレゴールゲノム設計研究所)


「グレゴール博士だ」

「知り合いか?」

「有名人だよ。ヒト別種のゲノム設計では一番の権威だったからね。いま生き残っている別種の半分は、グレゴール博士の設計だよ」

 説明しながらシィーが画面をスクロールしていき、エルが残りの部分を読み上げた。


『アブド・イスマイール卿へ 38240国際ドル 確かに受領しました 但し一般用建築物保守点検管理用別種設計料として 2293年7月24日』


「これは……」

「領収書みたいだね」

「領収書?」

「お金を払ったか払わないか、忘れないように書くものだよ」

「そんなこった知ってる。こんなとこに書くのかよ、って話だ」

「無くさずに済むよ。2293年ってことは、僕が生まれるより少し前だ」

 エルは呆れたようなため息をついた。

「……で、結局なんなんだ? この町の連中は」

「建築人」

 シィーはつぶやいた。

「って言えばいいのかな。人間の誰かが、たぶん権力者か大富豪が、世界で一番高い塔を建てようとしたんだね。自分の生きているうちに完成しないから、塔の建物を担う別種を注文して作ったんだ。そうして出来たのが、この町に住む人たちだ」

「それにしちゃ、勝手に自分たちの建物を作ってるようだが」

「そりゃ、別種はあくまで生物だからね。長期間の事業になるから、安定した食料生産も、警察も、政治を担う人も必要になる。そうすれば自然に、塔の下に居住のための建物ができていくんだよ」

「なるほど。町の真ん中に塔が建ってるんじゃなくて、塔のまわりに町ができる、ってことだな」

「百年以上かかる事業をやるなら、建築の自動機械を作るよりも、別種のほうが合理的なんだよ。機械はメンテナンスが必要だし、部品の生産体制を維持しないといけないし、環境の変化にも弱い。だから、建物を作る別種を作ってやれば、あとは彼らが勝手に世代交代しながら、どこまでも高い〈天国への門〉を作ってくれる」

「ほー」

 とエルはふたたび、呆れたようなため息をついた。

「ご苦労さまなこったよ。何百年も煉瓦ばっか積んで、飽きねえのかねえ」

「そりゃそうだよ。ウサギが何世代生きても、穴掘りに飽きたりはしないし。そういうふうに作るのが遺伝設計だから」

「なるほどな」

「だから言ったでしょ。この町の人たちは、建物が大好きなんだよ」

「……言ったのか? そんなこと」

「この町に来て3回目、かな」

 エルはそれを思い出そうとしたが、どれも彼の記憶からはきれいに消えていた。

「けどなぁ、シィー。このアブドなんとかって依頼主は、とっくに死んじまってんだろ」

「だろうね。2293年だし」

「わざわざ高え金払って、自分の死んだ後に世界一高い塔ができても、何の意味があるんだ」

「自分が死ぬからだよ」

 と、シィーは少し哀しそうな目で言った。

「どれだけ富や権力を集めても、死んだ人のことは、みんな、いずれ忘れてしまう。だから、こうやって巨大な事業を残して、自分のことを覚えていてもらいたかったんだ」

「けっ。金持ちの考えることは分かんねえな。俺は、自分が死んだら、自分のやった事なんか、綺麗さっぱり忘れてほしいって思うぜ」

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