1-12 町を出る【1章終】

「すまなかった、シィー君。この塔で泥棒なんて滅多にいないのだが」

 建設委員長はシィーに深々と頭を下げた。記憶人にこの町の悪い印象をされては困る、という印象が、そこからは明瞭に読み取れた。

「君の荷物から無くなったものがあれば、我々建設委員会が、責任を持って弁済する」

 だがシィーは警察から戻されたカバンを開いて、中をひととおり見て言った。

「大丈夫でしたよ。何もなくなっていません」

「何も?」

 委員長はやや意外そうな顔でシィーを見た。

「ええ。僕が覚えているのだから、確かです」

「……ふむ。記憶人の君が言うなら、そうなのだろうな」

 と話す委員長だったが、その顔はまだ納得しかねているようだった。荷物がなくなっていない事にではなく、シィーに対し自分の権威を見せられないことに。

「とはいえ、盗まれたことが事実ならば、我々は誠意ある対応をしなければならない。君が彼女になんらかの罰を望むのであれば、我々はそれを実行することができる」

 委員長がそう言うと、シィーは彼に対し少しだけ不満そうな表情を見せた。

「誤解なさらないで下さい。僕の仕事は、人を罰することではなく、人を覚えておくことです。良いとか悪いとかいったことは、僕の範疇外なんです」

 これには彼も少し怖気づいたようにして、いくつか咳払いをして、

「いや……これは失礼だった」

 と言い、しばらく執務室に沈黙が流れた。シィーの脇に丸まっていたエルが、おいなんか言えよ、という具合に尻尾を動かした。

「『善い行いのひとつが、天国の門の煉瓦のひとつとなる』、でしたね」

 と、シィーは町で見た、建設委員会の教義を読み上げた。

「でも、あなたは天国を信じているわけではないのでしょう?」

「うむ」

 委員長ははっきりと言った。

「我々のいう天国とはあくまで、我々の集合的な性質を比喩として表したものだ。我々が天国を信じることで、我々はひとつの目的に向かって進むことができる。とはいえ、指導者がそのような非実態的なものに傾倒するのははばかられるだろう」

 滔々と話す彼を、やや懐かしむような目でシィーは見ていた。

「人間の権力者も、同じようなことを、言ってました」

「ほう。君は、人間の権力者を見たことがあるのか」

「はい。僕は、人間のいた時代から生きているので」

「なんと。……いや、非生殖の別種でいまも生きているということは、必然そういうことになるのか」

 それから委員長は少し考えて、やや身を乗り出して深い声で尋ねた。

「となると、君は、を発注した人間に、会ったことがあるのか?」

 委員長の目にはなんらかの期待がこもっていたが、シィーはすぐに首を振った。

「いえ、個人的には存じ上げません。人間は、僕の生まれた時は、何千万人もいたものですから」

「そうか……」

 と、委員長はその表情を隠すように、骨ばった手を顔にあてた。

「いや、ただの好奇心だがね。こうして塔の建設を指揮していると、稀にふと疑問になるのだ。我々の創造主はいったい何を考えて、あのような塔を欲したのか、とね。一度でいいから、本人に話を聞いてみたいと思っていたのだ」

「人間もそうでした」

 シィーは紅茶を置いて言った。

「人間も、自分たちの性質が、どこかの理性的な創造主によって設計されたと思って、その意図を推し量っていたんです。神がそれを望んでいる、これが神の導きである、と。何千年もそうやって、煉瓦を積み、思索を重ね、流血を続けました。ようやく最後に、意図なんてどこにもないと気づいたんです」

「それも、考えてみると随分、酷な話だな」

 と、委員長は言った。

「その点、創造主の意図がたしかに存在したという点で、我々は人間よりも恵まれているといえるな。私たちも、君も」


「おい、シィー」

 終始黙っていたエルは、委員長の執務室を出た階段で、ようやく口を開いた。

「お前さんは、温情のつもりでああ言ったんだろうがな。あの娘っ子にとっちゃ、お前さんが自分のしたことをいつまでも覚えてるってのが、一番の罰かも知れねえぜ」

「……そうかな」

「ああ。お前さんにゃ分からんかもだが、人には、忘れて欲しいこともあるんだよ。自分の罪とか、若い頃の過ちとかはな」

「確かに、それは僕には分からないね」

 と、少し寂しそうにシィーは言った。

「でも、それは仕方がないんだ。そういうものだから。この町の人が、塔のない町のことを理解できないようにね」

「仕方ねえってなぁ。俺だって3日で忘れちまうけど、新たなことを学習したりするぜ」

「学習とは違う話だよ、エル。人間は学習で空を飛べたりはしない」

 と言いながら、ふたりは庁舎の外に出た。

「で、これからどうすんだ? シィー」

「うん。委員長の好意で、北門に来ている交易用のラクダ車を使っていいらしい。商隊の取引所……とこの町人たちは言ってるけど、つまり、別の町に行けるらしい」

「そうか。そりゃ良かったな」

 と言いながらふたりは広場を歩いた。日暮れが近く、合戦ごっこの子どもたちはもう解散し、石造りの城だけが広場に残されている。

「なんつーか、あのおっさんも大変だな。お前さんが何でも覚えちまうもんだから、接待みたいになってるじゃねーか」

「……そうだね。正直ちょっと今回は過剰だったかな。中央塔にスムーズに入れてくれたのは助かったけど、ちょっと僕の本来の仕事には合わない」

 そう言って、少し考え込んでから、シィーは口を開いた。

「じゃ、少し方針を変えよう。次の町では僕が〈記憶人〉であることは、隠しとこうか」

「……そうだな。覚えとくぜ。ま、3日以内に着けば、だがな」

 エルが答えて、やはり少し考えてから口を開いた。

「なるほど。これがお前さんにとっての学習か」


 シィーが塔の上から地図を覚えていたので、北門までの道はあっという間だった。市場で待ち構えていたのは、天然のラクダとは似ても似つかぬ運搬用の人工家畜種だったが、町の住民たちはそれをラクダと呼んでいた。委員長の許可があることを商人に話すと、お客さんが乗るようなもんじゃないんだがね、と言いながらふたりを貨車に乗せてくれた。

「やーれやれ、一日に二度も荷物扱いされるとはな」

「たまにそういう日があるよ。50年に一度くらい」

「ま、こっちはあの落下エレベーターと違って、随分快適だがな」

 北側の門を出る際にはこれといった手続きはいらないらしく、門番は珍しそうな目でこちらを見ているだけだった。外はもう日が随分傾いていて、西の地平線の夕日が、草原と、その向こうの山々をオレンジ色に照らしていた。

「つーか塔から見た時も思ったんだけどよぉ」

 と、エルは貨車から身を乗り出して、草原を見た。

「落ちないようにね、エル。拾うの大変だから」

「ああ。しかし随分だだっ広いよな、ここ。まわりなーんも見えねえし。俺たち、来る時はどうやって来たんだ? まさか、徒歩ってわけじゃねぇよな」

 と言ってエルはヒャハハハっと笑った。ラクダ車は徒歩よりもいくらか早いペースで、草を踏みしだきながらのそのそと前進を続けた。

「で、次はどこ行くんだ」

「そうだね……僕の仕事には、決まったコースがあるわけじゃないから、この車の針路任せだけど、次の町に着いたら、ちょっと、お金を調達したいね」

「おっ、どうした、シィー。急に物欲に目覚めたのか」

「そういうわけじゃないけど、実は、あの女の子に、持ってるお金をほとんど盗られてた」

「は?」

 エルは貨車の内側に転げ落ちて、顔を上げてシィーを見た。

「……お前さん、何も無くなってねぇって、言ったじゃねぇか!」

 叫び声に驚いて、荷駄がぶるんと首を震わせた。貨車全体がぐらりと揺れる。

「落ち着いてよ、エル」

 と言って、シィーはエルを両手でなだめた。

「別にいいんだよ。僕は、一度見たものは覚えておけるから、手元に置かなくても構わないんだ」

「いや、金ってそういうもんじゃねーだろ」

「そうだね。でも、あの女の子にお金が回れば、次に来るときにはあの店に、天井ができてるかもしれない」

「……なんの話だ?」

「君が覚えてない日の、店で見た写真の話だよ。あの店員さんが、妹が塔で働いてるって言ってたから」

 エルはしばらく考えたあと、事情を理解するのを放棄して、

「やっぱ、お前さんの感覚にゃ、ついていけねぇな」

 とぼやいた。

「それにしちゃ、随分長いこと、ついて来てるじゃない」

 と言われると、エルは言うべき言葉を見失って、冷えた風を避けるために貨車の隅に小さく丸まった。

 御者のいないラクダ車は、まるでその遺伝子に地図が刻まれているかのように、迷いのない足取りで歩いていく。ごとん、がたん、と貨車が揺れる。

「ところで、シィー。盗まれた時に聞こうと思ってたんだが」

「なに?」

「お前さんの、そのカバンには、何が入ってんだ? 身体のわりにでけえよな」

 シィーはくすっと笑う。

「それ聞くの、79回目だよ」

「そうか。そんなに聞いたのか」

「うん。前に聞いたのは、先週のことだね」

「ふむ。すると単純に計算して、俺たちの旅は79週間。1年半ってことだな」

「単純すぎるよ」

「だが、大雑把には合ってるだろ?」

「2桁違うよ。427年と5ヶ月、君は僕と一緒に、旅をしてるんだよ」

「マジで?」

「うん」

「400年かよ……」

 エルはふーっと息を吐いた。

「想像もつかねえ時間だな」

「経験してることなのに、想像ができないってのも、変な話だね」

「まーな。けどさぁ、俺は3日で忘れるから何を見ても新鮮だがよ、お前さんは全部、ずーっと覚えてるんだろ? どこに行っても、あーこんなもん前に見た、あれと同じだ、もう飽きた、ってならねえか?」

「そうでもないよ。同じように見える街でも、人間とそっくりな別種でも、みんなどこか少しずつ違っている。そういうのをひとつひとつ覚えておくことが、僕の仕事だから」

「おーおー、頑張りものだなぁ」

「別に、頑張ってはいないよ。僕はただ、そういうふうに作られてるだけだから」

 シィーがそう言って、しばらくすると夕日は西の空に沈んだ。

 星が空に満ちていく中、夕空に浮かぶ三日月の真ん中に、うっすらと白い光点がひとつ見えた。最後の月面都市の小さな灯火は、こちらを見る人の目のようにも見えた。


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