2-3 設計された桃源郷
幾何学模様の仮面はシィーに、ついて来るようにと手招きした。
「その格好、恥ずかしい。普通の、作る」
どのくらい村に滞在するのかも決めていないのに、ちゃんとした仮面を作るとのことだった。仮面を持たない者が村にいることが、よほど不適切だと察せられる。他の土地の者たちが仮面をせずに暮らしていることを、彼らは知らないのかもしれない。
道に並んだ家々は、どれも同じように質素で、尊卑や貧富の区分はなさそうだ。家々の細かい配置は変化しているものの、全体的な印象は382年前の風景と同じものだ。
進路の右手には川が流れ、左手には山の斜面があり、そこには大人の背丈ほどの木が、等間隔に植えられている。自然の植生ではなく、人の手で管理されているものだ。木々には桃に似た果実がびっちりと成っている。村の果樹園のようだ。
「仮面作りの専門職の方が、村にいるのですか?」
シィーは尋ねたが、「専門職」の意味が通じなかったらしく、幾何学は不思議そうな目でシィーを見た。
「この村の仮面は、誰が作るのですか?」
と聞き直すと、彼はこう答えた。
「親は作れない。お前、親いない。誰でもいい」
幾何学は村の中央にある広場で足を止めた。木造の古い納屋から自身の背丈ほどもある大きな笛を取り出し、胸に空気をいっぱいに溜めて吹き出した。ブオーッ、ブオッブオッ、と独特のリズムを3回繰り返した。山を揺らすような低い音が周囲にこだました。
それが集合の合図だったらしく、家々から村人たちがぞろぞろと集まってきた。
数十人の大人が円形にならんで、シィーたちの回りで胡座をかいた。みな同じくらいの背丈をしており、肩まで伸びた黒髪もそっくり同じだった。男と女の区別も困難だった。
個性の乏しい身体を補うように、仮面の造形はみなそれぞれ異なっていた。誰一人として同じ模様の者はなく、同じ色の者もなかった。珍しい外部の訪問者に、隣同士で何事かささやきあっていたが、その雰囲気が歓迎なのか拒否なのか、仮面ごしの表情までは読み取れない。
幾何学は、シィーに短い枝を手渡した。見たところ、斜面に生えている桃の木から折ったものだ。先端には小さな蕾がついている。さっきまでぼそぼそと喋っていた村人たちがしゅんと黙って、その蕾をじっと見た。幾何学の説明がなかったにも関わらず、これから何が行われるのかを村人たちは了解しているようだった。笛のリズムにその情報が含まれているらしい。
「回して、投げろ」
と幾何学が指示をし、自分は円の中に加わって座り込んだ。
どうやらこれはルーレットらしい、とシィーは理解し、枝に可能な限りの回転を加えて、円の真ん中に落とした。まったくの偶然から、蕾は幾何学のほうを向いた。村人たちは幾何学を見て、納得したように頷いた。
儀式はそれだけで終わりだったが、彼らの半分は広場に残って、互いに談笑したり、果物の種を使ったなにかの遊戯を始めたりした。この村では誰も、急いでやるべき仕事はないようだった。
「私、お前の面、作る。来い」
幾何学は立ち上がって言い、またシィーを連れて歩き始めた。
「この儀式は、毎年何度も行われるのですか?」
「子供の面、毎年作る。子供、たくさんいる」
幾何学の家は、シィーたちの登ってきた涸れ沢の反対側にあった。
部屋の真ん中に囲炉裏があって、灰に長い木串が何本も刺さっている。隅には木製の小さな棚があって、そこに仮面づくりの道具がひととおり納まっていた。果樹園に実っていた果実がゴザの上に積まれて、木枠に編んだ草を張ったベッドが2つ置かれている。
村に電気はないらしく、部屋の中は薄暗い。幾何学は棚から、皿状になった木の板を取り出した。どうやら子供用の仮面の原型のようだった。
「お前、名前はあるのか」
幾何学は尋ねた。旅先で名前を聞かれることは多いが、名前があるのかという聞き方は珍しい。仮面を持ってないことと関係しているのかもしれない、とシィーは思った。
「僕は、シィーと言います。彼は黒猫のエルです」
シィーは脇に座ったエルを指した。部屋が暗いせいで、エルは影に溶け込んでいる。
「私、リッカク」
彼はそう名乗ると、木板をシィーの顔に当てて、木炭のペンで目と口の場所に印をつけた。
名前が仮面のデザインに関わってくるのか、そのところはシィーにはよく分からなかったが、いざ小刀を持つとリッカクは何かに取り憑かれたように木皿を掘り進めた。彼の頭の中にすでに決まった形があって、それを現実世界に写し取るような様子だった。シィーが記憶の中で過去を見ることができるように、彼も仮面の上に何かを見ているのかもしれない。
表面にナイフで模様を刻むと、赤い塗料を表面に厚くべったりと塗りたくった。木目は完全に見えなくなった。樹液に似た白い塗料で、三角形と四角形をいくつか組み合わせた、簡単な幾何学模様を描いた。
「この村の人は、みんな仮面を作れるんですか?」
と尋ねると、リッカクは作業の手を休めずに頷いて、
「子供、生まれる。15回目の春、自分になる」
と付け加えた。15歳になると自分で仮面を作る、とシィーは解釈した。
ものの数十分ほどで仮面はできあがった。精緻な模様の大人用に比べるとずいぶん突貫的な作りではあったが、それでも村の考える「恥ずかしい」の基準はクリアしているようだった。草を編んだ紐が両脇に結えられていて、それを後頭部で結んで固定した。
部屋に鏡はなかったが、シィーは記憶の中で、自分の顔と仮面を重ね合わせることができた。赤地はシィーの赤毛とよく馴染んだ。
「ありがとうございます」
「中々よくできた、嬉しい」
「お礼をしたいのですが、あいにく無一文でして」
と申し訳無さそうにシィーが言ったが、彼のほうは自分の仕事に満足したようで、先程までの緊張感が全身から抜けているのが分かった。戸棚の中から干してある草をひとつまみつまんで、顎の下から仮面の中に入れて噛みだした。食べ物ではなく、噛みタバコのような嗜好品らしかった。
しばらく無言で草を噛み続けた後、
「そうだ。赤、なくなった。明日、手伝え」
と、取ってつけるようにリッカクは言った。
「染料の、採取ですか。わかりました」
「飯、食うか」
リッカクは草を口にいれたまま、ゴザに載せられた果実を指した。
「ありがとうございます。いただきます」
シィーが答えると、リッカクはすっと立ち上がって、
「外、待つ。終わったら、言え」
と、戸を開けて外に出ていってしまった。
暗い部屋にはシィーとエルだけが残った。囲炉裏の火の音だけが、ぱちぱちと響いた。
ずっと黙っていたエルが、シィーに目で合図をした。喋っても大丈夫か、という意味だった。シィーは頷いた。
「……どこいったんだ、あいつ。便所か?」
「多分、僕に気を遣って、外に出たんだよ」
「なんで?」
「この仮面、外さないと、ご飯が食べられないから」
「なるほどな」
できたばかりの仮面をほどいて床に置くと、赤い塗料が少しだけ指についた。立ち上がると少し足が痺れている。囲炉裏から木串を一本抜いて、ゴザの上の果実にぷすっと刺し、体重をかけて貫通させ、それを囲炉裏で炙った。
「それ、そうやって食うもんなのか?」
「前に来たとき、みんなこうしてたからね。そういうのは変わってないと思う」
「そうか、400年だか前に、俺と来たんだったな」
「うん。382年前ね」
「どんな味なんだ」
「デンプンの塊だね。それと少しのタンパク質。果物のわりに繊維質はあんまりないかな。味付けは、岩塩を使う」
と、シィーは目の前の果物の味を、382年前の記憶で説明した。
「栄養バランス悪そうだな」
「ここの村人は、ビタミンとかは体内で作れるように設計されているから、食べ物から得なきゃいけない栄養素は少ないんだよ。小さな共同体を想定して作られる別種は、多様な産業が作れないから、そういう設計になる」
「ほー。よく知ってるな」
「前に来たときに調べたからね。あの桃畑も、その時と変わってないよ」
桃が炙られて膨らむと、シィーは木串をとって、ふーふーと吹いて皮ごとひとくち噛み付いた。白い果肉が餅のように伸びた。
「うん。同じ味だ」
シィーはひとくち目を噛みちぎって言った。
「そりゃ便利だがよ、何百年も桃だけ食ってて、飽きねえのか」
「そういう設計の別種だから、飽きたりは……」
と言ってから、少し考えて言い直した。
「いや、飽きてるのかもしれないね。あの噛みタバコみたいなのは、前はなかったから」
と、シィーは串で戸棚を指した。桃と違って人前で噛むことができる嗜好品は、複数人で集まるときに都合がよさそうに思えた。
「ここの連中は、こないだの塔の町みてえに、何かを作ったりはしねえのか?」
「そうだね。ここの設計者は別に、村人たちに事業をさせたかったわけじゃないらしい。彼女は、……ここの設計者は女の人らしいけど、自分なりの桃源郷を作ったんだって」
「トーゲンキョー? なんだそりゃ」
「中国人の考えた、理想郷」
シィーは串のまわりについた果肉を歯でこそげながら言った。
「ここは、ある人の設計した理想郷なんだよ。少なくとも、設計者はそのつもりだった」
「ふむ。ま、平和そうではあるがな」
と言ってエルは村の風景を思い出した。綺麗な川と豊かな果樹園があって、水を飲んで桃を食べるだけの生活をしていれば、およそ争い事などは起こりそうにもない。部屋を見回しても、武器になりそうなものは、枝を切るためのナタと、仮面を作る小刀しか見当たらない。
「でも、僕たちが前に来たときは、こんな仮面はなかったんだ」
と、シィーは怪訝そうな顔で、床に置かれた赤い仮面を手にとった。
「400年も経ってんだから、新しい文化ができたんじゃねーのか? 噛みタバコみてえによ」
「そうだね。たまに僕たちみたいな外来者が来るから、そういう変化は起こりうるけど……」
その時、急に背後から光が差し込んだ。戸が開いてリッカクが入ってきた。シィーが慌てて仮面を被るころには、エルはすでに部屋の隅で毛玉になっていた。ドアをノックするという文化はこの村には無いようだった。
「話し声、した。誰かいるのか?」
と尋ねると、シィーは何のことか分からない、という顔をしたが、仮面のせいでそれは伝わらなかった。
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